スタッカート |
第一部 貧乏食堂なわたし 1 いらっしゃいませ わたしは満面の笑み。 「お客さん、お客さん、ラッキーだねー」 本日のランチは竜田揚げ。 唐揚げとは一味違う。 決め手の片栗粉はナレム産100%。さらさらしてて、絹のような手触り。今日のは極上みたいね。 醤油と、ありゃ? こいつはソースだったか。ソーっスか。いけないいけない、豆板醤を足して色味を調整しなきゃ、いけないいけない。 そして油は長年継ぎ足したごま油と、シベリア商人のおっちゃんから70%OFFでいただいたエクスタシーバンジーオイル、それとトマトの背脂、これは極秘のオリジナル。 「どう? いい匂いして来たでしょう! 絹さやと糸こんにゃくを一緒に焼いてるような匂い。びっくりだよね! わたしもびっくり!」 今日は調子いいぞー! さてさて、ここからが、わたしの、炎音調理見習い3段の、腕の魅せ所。 3段ってね、1ヶ月で終えるところを、3年もかけて磨いたベテラン顔負けのキャリア。 お師匠さんは言ってたよ。「お前の料理は人を殺せる。いや、料理と言っていいか。俺はもう、限界だ。すまねぇ」ってね。 ふふっ、クッキングアイドルなわたしに悩殺されちゃったらしいわ。 シャンと振り回し、シャンシャンとねっ、とね。 「炎よ猛れ! 龍よ叫べ! 獄炎の魔竜、ドラゴラムブレス!」 ふふっ、この紅蓮の炎を操ってこその、炎音魔法のプロってものよ。燃え滾れ! 「あっ! お客さん! 危ない!」 よしっよーしよしよし。よーしよし。ちょっと焦げたかな。ははっ、お客さんもこげてら。ごめんなさいね。これも手作りの味ってわけでね。 ありゃ、ヨーグルト用の砂糖がないぞ。オカシイな。余ってたはずなのに。まっ、いっか。 あれ? お客さん、お帰りですか。これからが本番なのに。えっ? じいちゃんの法事を思い出した? えっ? お金は要らないよ。 私はね、こう、キャシャに見えて本格派のプロだからね! じゃ、法事帰りに来てねー! 「騙された…… くそー! 人間なんて腐ったミカンばっかだー!」 2 ブレイクタイム 「やあ、わたくしはロベルスキー・トートルトイ、トルタニアの街人です」 「知ってるわよ! ブラック兄さん」 カウンター向こうのブラック兄さんは、髭をなぞりながら、肩をすくめる。その後ろには、エスプレッソ弟が笑っていて、更に後ろには猫のみーやさんがアクビをしていた。ふと、天井に目をやると大きな回転プロペラが夏の午後にお昼寝している。風はない。蒸し暑い。 「わたくしは、ロベルスキー・トートルトイ、トルタニアの街人です」 「だーからー、知ってるわよ! ミニな耳にタコなのよ。ブラック兄さん!」 ブラック兄さんはため息を吐き、 「だから、クレアさん、覚えてくださいよ。ブラックじゃなくて、わたくしの名はロベ」 「ううう! やかましいんじゃい!」 エスプレッソ弟は、びっくり仰天な顔で、 「にっ、兄さん、またクレアさん、燃えちゃうよ! やばいよ。セルゲームぐらいやばいよ!」 セルゲーム、古代の黄金卿で英雄ミスターナガシマによる死闘だったらしい。らしいよ。んなもん 「んなもん知るかっ!」 わたしは叫ぶ! 「ひっ」 「ひっ」 こういう時だけ兄弟の息はぴったりだ。 「じゃ、ブラック兄さんはブラックね!」 ブラック兄さんはぽつんと肩をしぼめ 「はい……」 間髪おかず、流れで 「そんで、エスプレッソ弟はエスプレッソね!」 エスプレッソ弟は、熱々のヤカン水をぶっかけられたかのように 「はっ! はい! はいはいぃっ!」 こうしてコーヒーのオーダーはなされたのだった。 3 コーヒーゴシップ 「じゃ、ブラック兄さんから」 わたしの奥の棚には何十もの瓶が並んでいる。そこには、それぞれ微妙に違う艶光りした豆が8分ほど詰められている。その中でも、わたしはブラック兄さん専用のコーヒー瓶を開いた。香ばしいともビターとも違う、でも、多分こう言えばわかるよね。心安らぐホットコーヒーの香り。そういうのが、何十倍も濃縮された豊かな匂いがぽんっと漂う。こいつを、如何にブラックコーヒーという液体に、高純度で注ぎ込めるか。コダワレルところだし、コダワッてしまう。瓶からカップに、十八個の粒を、十二グラムの豆を、ざざざーっと、しかしピッタリと入れるんだ。うん、成功。頬が緩む。 「暑いわねー」 「暑いですね。クレアさん」 「暑くてもホットコーヒー」 「アイスなんて邪道ですよ」 「アイスを愛す。あー、あー、ちょっと冷えた? いや、まー。しかし、あっつい。ここ何日も、いえいえ何十日もかしら」 「太陽、頑張りすぎですよ」 「ほんと、殺したくなる、太陽っ」 「殺すと言えばそうですね」 豆をプチ三角コーンみたいなのに入れて、じっくりと何十回にも分けて90℃のお湯を注いでいく。 話はきな臭く、3年前から続いてつい2ヶ月前に収束した紛争、いやあれは明らかな戦争だった、そんなのに飛んでいく。ブラック兄さんはしっかりもので、大工なのに、戦争の裏事情に関しては中々のものだ。夕刊紙を賑わすいわゆる英雄、ウィンウィンハーモニー大合唱軍や、傭兵王バイオリンのカシムなど、そうしたものには距離を置いている。大活躍した英雄が生まれたとは、要するに沢山の一般兵に民衆が死んでしまったってことなんです。そんなしんみりとした愚痴をこぼす。特に仕事柄か燃えていった家や小屋に想いを馳せ、こんなことまで言う。 「わたくし、沢山の家を建てたいんです。この街にたくさんたくさん。そうして家を無くした彼らに、安心して眠れる風避けみたいなものになれたらなんて。街の灯り。来夢来人。いやはや、詩人、ですかね。でも、出来れば彼らの家だけじゃなくて、彼らの家族にもなれればいいなって」 「ふーん」 「他人事のように生返事しないでくださいよ。クレアさんも、わたくし達にとっては大切な家族なんですから」 「うー、うーん」 「私が建てたお店ですし、家ですし。正に家族って」 「うん、まっ、嬉しいわ。ブラック兄さん。だから、今度は可愛いイモウトサマの手作りのランチを食べに来てね。食後の一杯だけじゃなくてさ」 「うげっ」 それまでいい加減な相槌以外はぼんやりとしていた、エスプレッソ弟が、顔をしぼめて大げさな音を鳴らす。ほんと、大げさなんだから。 ブラックコーヒーが、また一つ作られた。そう、この1杯から私の店を繁盛させていくんだ。コーヒーからパン、パンからランチ、ランチからディナー。そうやって。 水の問題もあってちょっと濃いめ。それと熱め。ふうふうしそう。でも、それでいい。目の前のコーヒーをカウンターに、出さない。ちょっと待ってもらって。 「じゃ、エスプレッソ弟には、エスプレッソ」 のんびりと和ませた声で、でも動きは淀みなく、エスプレッソ弟専用のコーヒー豆の瓶を開ける。やっぱさ、二人で楽しく飲まなきゃね。それこそが、どんな技術でもブレンドでも出せない味わいだと私は思っているし、彼らもそう思っているからここに常連として通ってくれている。それだけでハッピーだ。 「待ってました!」 そして、エスプレッソ弟も、笑ってる。 4 コーヒーゴシップは続くよ 長い戦乱の歴史の中でも、これ程までの悪魔は初めてであろう。これは悲劇だ。我々、紛争に関わった全てが、奴等を止めなくてはならない。 それは最前線の重曹兵の小競り合いだった筈だ。平時の膠着した鎧と槍のぶつかり合い。それぞれに結界音魔法師を配置しているため、長い長い斬り合いでも、死者は驚く程に少ない。その少ないうちの幾名かが死んだ。それを待ち焦がれていたかのように賺さずエレキギターのレクイエムが響いた。「ジョンRだ!」周囲は恐慌に駆られ、四方八方に散っていく。瞬間、戦場の中心に巨大な雷が、飛来する。それは結界音師のバリアを貫いて、鎧を這って、光と熱を爆発させる。打たれた者が激しい痛みに苦しみぬいたことは、彼らの死体に滞留する雷と、人間の焼けた臭いからも伺えた。敵も味方もあったものではない。死は死を呼び、高らかに響くエレキギターの猛りはどんどんと増して行き、それをコーラスのように置いて、勇猛果敢だった職業軍人たちの悲鳴が響き渡る。 そして「ははははははは」と笑い声が戦場に木霊する。悲鳴を発する数は目に見えて減っていき、レクイエムは勢いを増し、笑い声だけが変わらずエコーし続ける。 私は見た。奴の狂喜する顔を。ジェノサイダー、ジョンR。この紛争は、この悪魔を生み出した点に置いて大いなる悲劇である。剣をかざす我らが軍よ。奴の薬指でさえも存在を許すな! この悲劇を繰り返させるな! 今回で八度目になるが、改めてこの記事を掲載する。このインタビューは従軍記者Aによる寄稿である。最もジョンRの恐ろしさを伝える逸話は、戦場にのみ生きていた彼をして、匿名でしか記事を寄稿できないこの事実であろう。そして彼以外の従軍記者らはその際のジェノサイドに巻き込まれ、ペンどころかその生命を奪われた点を、繰り返したい。Aを除いて唯一存命していた従軍記者フレデリック・Mは、神経に異常をきたし、六月二十八日未明、病院の屋上から身を投げた。 三週間前の記事だ。三週間も前の記事だ。 「うーん、あこぎだわね」 「それだけですか。クレアさん。奴らが、ジョンR一派がこの付近に居るかも知れないのですよ」 ジョン・Rの消息はこのトルタニアの砂漠街の1200トゥール東で確認された。それ以来、彼らを確認した者はいない。しかし、これまでのルートから、砂漠のオアシスを目指していると、もくされている。その中途にこの砂漠街があるのだった。 「ねー、クレアさん、クレアさん、最近見かけない人が増えてってるでしょ。あれ、オアシスを中心に巡回している私服兵士らしいよ。あの、地味なおっさんとか。一昨日、昨日から一気に増えたよねー」 エスプレッソ弟がスプーンをかき回しながら、続ける。 「もしかしたら、もうこの喫茶店の目の前に……でーたぞー」 「違わいっ!」 わたしは、新聞記事を投げつけた。 「あたっ!」 「ここはね、カフェじゃなくて、れっきとしたレストランなの!」 「えー!?」 「そこ、ですか……」 ブラック兄さんは、パンッと新聞に付いた砂粒を払いながら 「しかし、用心したほうが良いですよ。軍と四度衝突して、二十八名の部下のうち、大半を失った、今では四人の集団になっている。それも団長のエレキギターのジョンR、副団長のピアノのマキシマム、それに下っ端二名。らしいですが、侮れません。むしろ四度も軍の精鋭が倒すチャンスがあったのに、逃れられた。そこに、その慎重さに、奴の恐ろしさが垣間見えるのです」 わたしはとんとんと足踏みして 「うーん、わたしが恐ろしいのは、そのお堅い朝刊の社説を暗記しているあんたが、その、大工なのに。ってのが恐ろしいわよ」 エスプレッソ弟は、何か閃いたようで 「いけるんじゃない! クレアさん、元傭兵だったんでしょ! こんなに若いのに」 「まだまだ行けるわよ。この砂漠のオアシス娘こと、わたしなのよ!」 一年前の水着コンテストでの称号だ。知名度をあげようと参加したついでに入賞したんだけど、店はそんなにブームになったわけじゃなかった。それから二週間、おっさんが何人か来てくれたけど、みんな料理を途中で残すほど忙しかったらしく、それ以来とんと。でも、わたしって、人並みに羨ましがられるくらい整った顔に、整った身体のラインをしているのは確からしい。その整い方が幼い方向で、だからこう惚れさせるってよりも癒される? ショウドウブツ系? らしいのが、不満といっちゃ不満だが。そんなんバチが当たるくらいとーさんかーさんに、感謝しないと。ありがとうございます。 「聞いてるー?」 「うっうぅ。うん、聴いてるっ」 って答えても、常連さんはわたしの下手な嘘なんて見抜いてる。話を繰り返してくれる。 「顔とかじゃなくて。なんつーか、好みじゃないし。じゃなくて、あの大火炎音楽魔法、びっくりしちゃったよ。メラゾーマ。あんなん打てるの、ここらじゃクレアさんくらいだよ、バテバテのジェノサイダーなんて一撃じゃない?」 「まっ、まーね」 「食い逃げ犯の威嚇射撃にあんなの使うなんて、クレアさんくらいだよ」 「おっ」 「しかも、あの、、くくっく、まままっままーままーままら、あれ使うなん」 「黙っとけ! エスプレッソ!」 わたしはテーブルを叩く。わたしにとってお客さんは神様だけど、あれを笑うやつは便所の神様ほどの価値すらない! あの技を身につけるまで、と言うかあれがわたしの『ギフト』、要するに天から授かった抜群の相性を持つパートナー、なんて探求しきった時の、あの何とも言えない気持ち。わかるのか! エスプレッソ! 「わかるのか! エスプレッソ!」 心の叫びだったはずなのに、音が弾けた。そう、わたしの悪い癖、考えていることが口から漏れてしまう。しばしばあるから、ほんと、客商売には向いてない。 「いえいえ、向いてますよ。クレアさん。真の接客とは嘘によって表面だけを平らかにするものとは違うはずですから。わたくし、クレアさんのような人、中々に好みです」 さっそく声が漏れ続けていたようで。 「まーね」 と取り繕う。さらに悪いことに、その声が上ずってしまった。 「それに、コーヒーだけは美味しいし」 意外と空気を読めて良いやつなんだ。エスプレッソ弟って。 「何をー」 わたしは大げさなジェスチャーをして、怒ってみた。どこか滑稽で、三人からどっと笑いが溢れる。 「あのね、遠すぎて実感がわかないジェノサイダーよりもわたしが許せないのが、カエル男。あいつもオアシスに向かってるんだってね。ふんづかまえてやがるんだから。 それに、それより許せないのが、この天気。肝心のオアシスも根負けして、干からびかけてるってね。水の質はどんどん悪くなるし。美味しいコーヒー淹れられなくなっちゃったらどうすんのよ」 「そうだ、そうだ」 エスプレッソ弟が心地いい相の手を入れ、 「ですねー」 とブラック兄さんが首をコクコクさせる。 こうしてコーヒーゴシップは続くのだった。 5 帰る場所 ブラック兄弟が何時もの昼食後のコーヒーを終えて、やってくるのが午後の中だるみの無人時間。 猫のみーやさんが、窓からの日差し遮る涼やか椅子の上で、恐らくクッションの柔らかさが気に入っているのだろう、身体を折り曲げ、すやすやしていた。平和だにゃー。わたしも朝寝してご飯食べて、昼寝してご飯食べて、ご飯食べて夜眠る、そんな猫みたいになりたいにゃー。にゃー。 なんてまったりと猫語と猫物語を頭ん中で繰り返しながらぼんやりしていた。今わたしは店の客側に入って、カウンターに肘をかけてほっぺたを乗せて、こう。コーヒー豆の残り香はもう、消えてしまっていて、何も目を冴えさせるものなど無かった。窓から見える砂漠の街は土色の建物が積み木のように隙間なく並んでいて、それが砂風によって霞んで、その上の空はそれでも淡く青く。わたしの店は磨かれた木がゆるゆると。ゆるゆると。うう。まどろむ。 どんがらがっしゃーん! 扉がどんと開かれ、派手な音と共に人が転がり込んできた。 わたしは半開きになった目を見開き、思わず後ずさんだ。 「お客さん?」 あいつは黒かった。 黒いスーツに黒いネクタイを、半透明な黒いレインコートですっぽりと包んでいる。 黒い髪は肩まで垂れていて、何よりもその髪から透ける瞳が深淵を想わせる黒だった。 こんなとこでは、ひときわ異質感がある。たしかに全身を服で覆うのは太陽とともに生きるわたしらの理には叶っちゃいる。半袖でやっほーいと通学通勤を三日も続ければ、皮膚がただれるほどに焼けてしまうのだ。でもでも、砂漠の民ってのは、こんな黒じゃなくて、太陽に染められたような赤の混じった茶色がかった髪と目をしているものだ。わたしみたいに。 つまり、こいつには明らかな素人旅人、特にこの街へはハツモノ、バーゲンセールな初々しさまで感じてしまうのだった。よしよし、頑張って、歯ぁ食いしばって、わたしの店までたどり着いたのだね。 そんな白昼夢なゆったりとした間を置いて、男はひび割れた唇を開き、声を静かに出そうとした。 けど、出なかった。 代わりにしゃがれた咳を発し、喉をぐっぐっと上下させ鳴らし、声を絞り出す。 「みぃっ、みっ、水ぅ。水をくれ」 わたしはカモ、いやいや上客さんに、問いかける。 「飲料水は松、竹、梅とありますが……」 「松……?」 「今ならランチと竹のセットがお得です」 男は脱力したのか、力尽きてしまったのか、椅子にぺたんと座り込み 「水を……くれ……」 わたしはオウムになる。クェックェッ。 「飲料水は松、竹、梅とありますが……」 男はうつむきながら 「とっ、とりあえず竹で」 「かしこまりました」 こういう時、人はまず中間の「トリアエズタケ」を選ぶ。試しに見知らぬ街にデートした時は 「お昼どうする? 近場のコンビニ? イタリアン? 奮発してフレンチ?」 こう尋ねれば、まず中間のイタリアンにありつけると確信して良い。相手に自らが決定したと思い込ませることで、奢ってもらえる確率も高まる。 「いやー、助かったァ。ファミマ(ファミリーマーケティング)の鮭おにぎり二つずつでいい? あっ、大きいお札しかないや。小銭もってる?」 って応える男とは、別れたほうがいい。わたしが言うのだから間違いない。 茶色く濁った、水たまりの底の澱みのような飲料水を差し出す。男の眉間には一瞬、不満がよぎったが、次の瞬間にはごくりごくり。飲み終え、 「もう一杯、今度は松で」 普通の水、今はその普通こそとても尊いのだが、それに氷ふたかけとレモンを添えて、差し出す。男の頬はようやく安堵に覆われて破顔した。コートの中に手をやり 「キャシー、太郎、じろう、水だぞ! ようやくの水だ! オアシスだ!」 男は笑った。コートから赤、黄、緑と三匹のカエルが跳ねて、飛び出し、飛び跳ねた。今度はわたしが笑えない。ようやくの客が、カエルカエル詐欺かよ。 6 カエル、わたしあんがい好きかも 「お嬢さん、ありがとう。正に渾身の飲料水だったよ。生き返った……」 カエルカエル詐欺。ここ3ヶ月で8件も続いている詐欺。ある時には骨董屋、またある時には魔法楽器店。 「税込みで8632円になります」 「っ……ああ」 普段よりも三割増しだ。謂わば「わたくし税」と「スマイル料金」って奴が加わったようなものだ。チップを要求しないだけ、マシだと思っていただきたい。 「ごめんなさいね。ただでさえ、砂漠なのに、このお天気が続いているでしょう」 「いや、いいんだ。お嬢さん。とびっきりの飲料水をありがとう」 「どういたしまして」 「ところで、料金のことだが」 このカエルはどうだろう? カエルカエル詐欺、カエル帰る詐欺の常套セリフだ。 「生憎、手持ちが無いのだが、旅でね、ゼニ数え屋があれば引き出せるのだが、こう見えてルネッサンスでね、しかし生憎、今は。ああ。では、このカエルはどうだろう? これでも由緒正しい精霊カエルなんだよ」 「はぁ……」 「はぁ」にわたしは相槌というより呆れのニュアンスを込める。 「このカエルはね、百年に一度、五十億匹に一匹の、最高のカエルさんなんだよ」 「はぁ……」 男は、「キャリー」と赤のカエルをカウンターの上に招いた。 「手放すのは惜しいのだけど。何せ素晴らしい飲料水だった。伝説の超神水に匹敵するほどの。どうだろう?」 こうしてカエルを店側に渡し、回収したのか何らかの音魔法をかけていたのか、翌日枕元にあった筈のカエルが、ビーフカレーへと変わっている! 手の込んだ万引きのような、それ以上の脱力感の傷跡を残す。そんな詐欺らしい。噂だけど。何か腹が立ってきた。ビーフカレーと言うのが特に。野菜カレーなんだよ。時代は! サフランライスにパプリカ! これが時代なんだよ! 腹たってきた! 「わたしゃ、要らないよ。この! カエル詐欺め!」 「かっ……カエル詐欺ぃ? 何だと!」 「もう、新聞にも乗ってるんだよ! ででんとね!」 タブロイド紙の十二面のこぼれ話欄にだけど。 「あのね! 恥ずかしくないの! こんな嘘ばっかついて!」 「いや……あの」 「こんな、煮ても焼いても、どうにもならない、カエルを使って」 「いやいや、カエルは食べ物じゃない!」 「ペットでもないわ! 現金でもないわ! 蒸しても刺し身でも、どうにもならない!」 「いや……こう見えても、カエルと言うのは古来宮廷料理で」 「唐揚げにしても、竜田揚げにしても食えない!」 「いや! カエルの唐揚げとは、美味なのだよ! 柔らかい鶏肉とでも言おうか……食べないのは人道的な理由だけなのだ」 わたしは赤カエルを手のひらに乗せ 「ほんとう……?」 「本当だとも!」 わたしは赤カエルを天ぷら鍋の上にもって行き 「ほんとう?」 「ほんとうだ!」 油の中に落し入れ。ジュワー。いい匂い。三分。こんがり揚がった。サクサクカエル。 「意外といけるかも」 カエルが舌を踊る。タンゴというよりフォークダンスのような初々しい初体験。ちょっと甘い肉感。 カエル男はしばらく絶句し。 しばらく。 わたしが食べ終え。 お茶をすすり。 「カエル、わたしあんがい好きかも」 カエル男は徐々に、それからどんどん、終いにはみるみる泣き崩れて 「キャリリッりぃィィィィっィィ!」 叫び声が砂漠の街に響いた。 第一部 完 第二部 黄昏ナイト 1 かえるぴょこぴょこぴょこっとからからからあげ! カエル男は絶叫し続けた。二時間くらい。砂で痛めた喉が潰れちゃうんじゃないか、ってほどになって叫びは途絶え途絶えになった。途絶え戸田恵(とだめぐみ)。こんなギャグでも救われるくらいに、辛い時間だった。カエル男はわたしへと如何に「キャリーと甘い日々を過ごしたか」を絶叫し続けた。大森林の奥の奥、刺すような緑と蝉に満たされた沼で、出会った頃から。彼がその紅いカエルを、幼い頃の初恋の人と重ねて、キャリーと名付けたこと。遥か北の大地で、真冬に冬眠し続ける彼女をコートの中で暖め続けたこと。迷い迷って、この店にたどり着いたこと。その最中、何十もの私服兵士から職質を受けたこと。その真夏のゴムの木の匂い、北国での都会すらも覆うブリザード、「カエル使いです」と答えた際に半笑いで警察署まで連行されかけたこと。そういうのを、もっともっともっと海やら山やら田舎やら都会やら愛やら裏切りやら光やら闇やらチャーハンやらワンタンメンやら。つらつらと。辛い。 でもわたしだって「悪かったわよ」とは言わない。それを意固地と言われても構わない。でも、わたしだって、プライドみたいなそんな守りたいものがある。そういうカエルさんを犯罪に使う、そういう歪んだ香具師に屈服するものか。そう思っていた。 でも、声も涙も枯れ、ただぼそぼそとカウンターの木目へとこうべを垂れるそんな姿を見てしまうと。何とかしたくなる。お師匠さん、お師匠さんならどうしますか? いいかい、クレア。人の心が乱れるのは大抵そう決まっている。だからそういう時は そんなこともあった。 「うん、そういう時は、お腹がすいてるのよ。心は満たせないかもだけど、舌と胃ならね。何せここは愛情レストランだから」 カエル男の目は、充血している。涙の跡が痛々しい。 「まずは、水ね。梅だけど、タダでいいわ。こんなに乾いてるのに、無駄に涙することなんて、水を出すなんて勿体無いわ。水分だすなら、よだれにしときなさい。今から、竜田揚げ、美味しいご馳走を用意するからね」 「あんた」 「どう? 優しい? 天使みたいでしょ?」 「……」 「日が落ち始めて来たわね」 「あんた、すまない。あれこれ振り返ると、俺だって、俺だって、悪いよな」 「素直でよろしい」 「それと」 「それと?」 「あっ、ああ……ソースはタルタルにしてくれ」 わたしはサービスの儀礼で、でもほんとは心から、笑ってやった。 「かしこまりました」 美味しい食べ物は、人を確かに幸せにする。そうだよね? 「あんたさ……」 「なに? 遠慮せずに、お食べなさいな」 「幾らイラついているからって、こういう遠まわしな抗議ってのは」 「なっ!」 「いや、ほんと、これは、厳しい。まさか、毒は入ってない、よな?」 「何だとー!」 2 らいほー、らいほー、来訪者ー もうカエル男だけで、手一杯なのにさ。 何なのよ、この二人は。 空は赤から赤紫に変わろうとしていて、やがて黒が来る。店の高い天井に吊るされた白い灯りが俄かに存在を主張し始める。そんなディナータイムが始まろうとしている時間帯に、その二人組はやって来ていた。何時もの夕食後の一杯を求めるブラック兄弟でも、他の常連さんでもない。新参さん。でも、単なる新参ではないことは、その異様な外見と、佇まい、周りに流れる空気のようなものからも見て取れた。 一人はガンベルトのようなものをし、右に金のソロバン、左に銀のソロバン、いやちょっと違うか、でも似たようなものを挿していた。その大きめな二つにバランスを流されそうなほどに小柄だ。ふつーの女の子なわたしよりも更に一回り可愛らしい体格をしている。顔もわたしに劣らず童顔で、でもそのニヤついたそれは、如何にも悪さしてますって感じに歪んでいた。 もう一人は、ひょろ長く、長い髪の毛を背中で太筆みたいに束ねた男。中々にスマートに見えるが、ギョロッとした目と真一文字に結ばれ続ける口がそれを台無しにしている。如何にも寡黙、と言うのが似合いそうな男で、実際に一言も口を開けていない。 ほんと、メンドクサソウナお客さんだ。 「何やと、メンドクサソウやと! それにワイらは、お客さんやない! 略奪者じゃ!」 小柄な男から何故か返事が返ってくる。どうも、わたしの悪い癖、考えてることをそのまま言葉に出しちゃう癖、が発動してしまったようで。恥ずい。 「いや、ごめんね、ごめんねー、ははっ……」 「何や、その態度は! じゃかましい! ワイらはな、略奪者や、その、ジェノサイダー親分のな! もっと腰をガクガク震わせんかい! ああっ?」 メンドクサソウナお客さんだ。方言、らしきものも、イントネーションが微妙に嘘臭いし。でも、何か気になることを言ってたな。しょうがない、しょうがない。わたしは驚いたような声色で 「ジェノサイダー?」 「とっておきにしときたがったんやがな! 驚くなよ! ジョンR親分や! 親分がこの街にやって来るんや! ワイらは極秘の偵察係ってことなんやわや!」 ほんと、嘘くさい。仮に本物だとして、あんたみたいなチンピラ従えてるって点で三流だって言ってるようなもんだ。わたしはそんな見切りをつけて、ため息をついた。 「はぁ」 やかましい男は、ずんずんと木目を踏みつけ、カウンターにやって来た。そしてじめじめとすすり泣きをしているカエル男に目をやった。あー、カエルね、メンドクサクナリソウ。 「何や、われぇ?」 「キャリー」 「あんた、わいに向かって、失礼やないか! 失敬な!」 「うぅ、キャリー」 「わいはな、こう見えても、風の音魔法師やぞ!」 「うう」 「わいのな、ギフトはこれや。このソロバンみたいなの。ってな。このカシャカシャ言うの。こいつはレッキトシタ楽器や。ワイのギフトのな。ショカーリョって言うんや。ゴッツかっこえーやろ。わいのこと、ショカーリョのハンスと呼んでくれや」 「うぅ、キャリー」 「あんさん、聞いとんのか、うすらボケが! キャリー? 昔の女か? そんなの糞や! そんなんよりワイとワイの相方、ああ、この無口なの、ソプラノリコーダーのジェイクって言うんやがな。が、黙っておらへんで。直にジョン・R親分もやって来るしな。そうなったら、あんさんも養分になるようなもんや。さっさと出ていかんかい! われぇ!」 声には深い冷たさがあった。 「お前、キャリーをクソといったのか……」 「ああっ、糞やっ!」 「そうか」 カエル男はゆらりと立ち上がり、レインコートの中から細い長剣、恐らくレイピアだろう、それを引き抜いた。 「覚えておくといい。お前を殺す男の名は、グェギコギェギコゲーコ、カエルの国では”探求者”を指す。そしてお前が死んで後悔することになるその侮辱した貴婦人の名は、キャリー。地獄まで覚えておくといい。浅薄なる小男ジョキャーリャ」 小男とわたしは阿吽の呼吸のように同タイミングで。 「ショカーリョや!」 「ショカーリョよ!」 マイナーな、それも何処か滑稽な楽器使いというのは、本当に辛いものなのである。 3 けっとー。ケッコウ? コケコッコー! 音魔法。 土地には魔力が満ちている。炎、風、水、土。そして、その魔力を引き出すのは音。人は音においては、他の多くの生物に対して劣った存在だ。オワコンだ。対してある魔獣なぞは咆哮だけで、炎を集め、その息は火の息となり、火炎の息となり、はげしいほのおとなる。 しかし、人には楽器があった。楽器を媒介にすることで、人は魔獣でも成し得ない高度の音魔法を操ることが出来る。その際には音楽のセンスや経験や慣れよりも、その楽器との相性がその力を左右する。最も優れたと想われる楽器との相性を、人は『ギフト』と呼ぶ。楽器の種類、だけではなく、その楽器の生産地、製造主、加工、使い込み、そうしたものを加味した、たった一つの楽器と、たった一つの人とのこれ以上ない出会い、それこそが音魔法の凄みとなる。神様からの贈り物だ。 「ねえちゃん、なにぶつぶつ言っとんのねや。逝てまうぞ!」 「あんた、流石に少し気持ちわるいぞ。おかげで少し熱が冷めたが」 「あっ、いや」 何時から声が漏れてたのだろう。うう。 「ほんと、ごめん」 わたしは、床に目を落とした。木目がピカピカで、明かりに反射している。うううう。こんな時、どうすりゃいいのかな。そうだ、話を進めよう! 「両者、尋常に!」 わたしはカエル男とショカーリョの中間に立ち。腕を前へと伸ばし。 「レディー!」 カエル男はレイピアを構えた。ショカーリョは楽器、銀のショカーリョをベルトから引き抜いた。 「ファイト!」 腕を振り上げた。 決闘が始まった。 豹のように速く、鋭い突き。 ショカーリョの楽器は、ガランガランと地面へと落ちた。 決闘が終わった。 4 なけなしの情けなんて無いっけ ショカーリョはがくがく震えていた。その両腕と両足には紐がぎっちぎちに結ばれている。 一撃だった。カエル男はバネを持っているかのように、そうカエルのように飛び、ショカーリョが振り回され音が放たれる、そう音魔法が発動する寸前で、その獲物を貫いた。そして左の手で、残ったもう一つのショカーリョを引き抜こうとする男に、その首筋にレイピアを突きつけた。その余りの殺気。 「罪だ! キャリーを侮辱した罪だ!」 その怒号には恐ろしい凄みがあった。わたしは息継ぎも忘れて叫んだ 「止めて! カエル男!」 強ばった頬が少し崩れ 「しかし!」 わたしはカエル男を見つめて 「いい? ここはわたしのお店よ。わたしのルールに従ってもらうわ。それに、この店で暴れて傷をつけてもらっちゃ困るし。血で染められたら溜まったもんじゃないわ。血って掃除して洗い流すの、大変なのよ」 何とか、なったようだ。 「すまない」 カエル男の声には、優しさがあって、何処かしら救いのようなものも感じた。 もう一人の。やかましいショカーリョとは対照的に、喋らないこいつ。確かソプラノリコーダーだっけ。こいつは何もできずにいた。と言うか、わたしが既にこいつの前で楽器を構えていた。わたしだって決闘の間、開始の声以外にぼうっと突っ立っていたわけではない。叫んでから瞬間。楽器を放ち、無口のソプラノを牽制し、威嚇し、動けなくさせた。もっともカエル男は、 「リコーダーの型からして、あいつの能力はサポートのものだ。攻撃用ではない。ショカーチョを倒した時点で、こっちの勝ちだった」 わたしは声を荒らげ 「ショカーリョよ! 間違わないで! まあ、使いこなせてないんだろうけど。 でも、どの楽器を使うかってのは、音魔法使いにとってはさ、重要なようで、どうにもならないものなのよ。こればかりは神様には逆らえない。だからギフトって言うの」 そんな音魔法使い初段の解説を聞きつつ、カエル男は深い共感からのため息をついたようだ。 「なるほど」 それに釣られてか。無口だった筈のソプラノリコーダーも、口をゆるゆるとしボソボソ。 「なるほど……マラ……カス……も……選べ……ないもの……な」 よりにもよってファーストボイスがこれかよ! 「うっさい! マラカスでわるかったわね!」 わたしのギフト、それはマラカスだった。それも抜群に相性がいい。ベストパートナーだ。そう、思い通りに行かないのが世の中だって、人は割り切らなきゃ、先には進めないんだ。にしても、マラカス…… 5 えんえん宴会、えーんえん 濃厚な一日が過ぎようとしていた。これから壮大な冒険が待ち構えている。そんな予感に胸躍らせつつ、オウチからは一歩も出れない留守番のもどかしさ。それはまるで酒場での勇者一行とのバトルを延々と引き伸ばしている珍道中のような一日。ほんと、どうして、こうなっちゃたのかな。わたしはさ、もうちょっと自分に明日に期待してたわけよ。昨日のわたしが今のわたし見たら、ため息ついて狂い出すね。 「わかりました、わかりましたから泣き止んでください」 「みっともないよー。こういうのはウイスキーと一緒に飲み下すのが一番だよ」 ブラック兄さんとカプチーノ弟が、右左を囲んで、真ん中でひたすら泣いているカエル男を慰めている。カエル男は瞬間的な怒りからは目が覚めたようだったが、だからこそ押し寄せる悲しみに一層、飲み込まれてしまった。のだろう。 わたしにも似た経験がある。この店がオープンして初めての決算。見ないふり見ないふりをしていた赤字は、積もり積もって酷いことに。あの時はヤカンのように沸騰し、それからしばらくして、ぬるま湯のように涙が流れてしまった。ああ、そっか。キャリーってカエル男にとって大事な人だったんだ。わたしにとってのお店のように。何か酷いことしちゃったのかな。悪いことしちゃったのかな。なんて…… 「うう、浪花節やー。マラカスちゃん、何て青春ど真ん中ストレートなんや」 また、声が漏れてたのか。ま、いっか。 「あらあらショカーリョさん、小粋なことを。ってね、まー、おかげで、今日は商売繁盛だけどね」 「うう、何や。それこそ浪速のゼニ勘定やわやー。感情的にもなるわー」 「それで、さっきのがオオサカギャグ」 「おう、わかったんやか。勘定と感情。笑うところでっせー」 「まっ、あんたもそのうち笑えなくなるけれど」 店には見物客やら常連さんやらがやって来て、「冷やかしは勘弁」とお断りしようとしたら、何故かお酒とかおつまみとかオーダーし始めて、今に至る。マンデー姉さん、ミルクコーヒー娘、ドーナツ神父、火曜夫婦と、常連さんオールスターそろい踏みで、これに今向かっているだろう唐揚げおじさんに保安官と保安官助手が加わって、店は今までにない大盛況になるだろう。泣ける。 「イキガッテイラレルノモ今のうちやでー。ジョンR親分がこっちに向かってるんや。親分が来たら、ここは地獄になるやでー」 わたしは昆布茶をすすりながら 「でも、ジョンRが戦っている姿、一度も見たことないんでしょう?」 夕闇からディナータイムにかけて、わたしとカエル男は尋問を続けた。ソプラノリコーダーは無口な分、話術にはこなれてないだろうと読んだが、中々の強者だった。何も話さない。だが、話さないが、相当の修羅場をくぐってきたのだろう、尋問どころか拷問さえも経験したのは二度、三度ではないはずだ。言葉どころか、表情さえも動かさない。ただ一度だけ 「ところでさ、ジョンRなんだけど」 その一言に至近距離だから分かるちょっとした心の波が立ったように見えた。少し離れたカエル男は全く気づかないくらいの波紋。でも、そこには確かな恐怖があった。 ちょっと思ったより、ヤバイやつかも知れない、ジョンR。ただ、ジョンRのことはショカーリョがぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。このコンビ、凄く相性が悪いんじゃないかな。二人共、妙に馴染んでるけど。 「ジョンR親分のな、あんた。凄まじいのがあのエレキギターや。エレキって知っとるか? 電気とか言うらしいで。雷ともちと違う。そういうロストテクノロジーの産物や。歴史が歴史なら、神楽器に位置づけられても可笑しくない。凄まじい力を秘めたギターなんや。ってマキシマムさんが言っとったで。ほんと、あのマキシマムさんですら怯えてたんやがな」 「マキシマムって?」 「ああ、マキシマムさんか、そりゃ副団長や。超巨大な黄金ピアノを携えてな。何よりも恐ろしいのが、あの美しい音色よ。初めてうっとりと聞いたことがあるんやがな。それが、もう前線の兵士たちが、もう断末魔をあげることも出来ないほどの一撃必殺でな。確かに恐ろしい殺傷能力やが、それ以上に確実に急所を突く、繊細なタッチ、熟練の音色。思わず敵じゃった筈のわいがな、寝返ってもうて。そんくらいに憧れるほどのピアノ捌きなんや。マキシマムさんは到底ジョンR親分には及ばないって自嘲するけどな、わしもそれを受け入れるけどな、やっぱマキシマムさんに憧れて、この組に入ったんや」 「あっ、いや、もういい。ちょっと待って。黙ってて。整理するから」 ほんとに尋問かこれ? すらすらすらすら。ミスリードとも思えないし。 どうもマキシマムって人がえらく強いらしい。よく西方のギャングでは寝首を刈られないように、「ボスを影武者的に置いて、幹部にリーダーは雲がくれ」ってパターンがあるらしいけど、もしかしてこれも? かな? 「えっと、えと、ショカーリョ。でも、ジョンRって今では弱ってるんでしょ」 「ああ、そや。ジョンR親分は、何やか、エレキが足りんらしいやわ。これまで何度も兵隊どもの襲撃を受けたんやがな。攻撃せえへんせえへん。わいとソプラノとマキシマムさんばっか、頑張ってな。確かに、ちょっと今は、厳しいかもしれんな。でも、オアシスまで行けば、全てが逆転するらしいやで。逃亡生活も終わるってわけや」 ふむふむ、オアシスか。 「見てみい! ジョンR親分がやってきて、全ての生き物にレクイエムを響かせるで! マラカスちゃんも余裕ぶってられるのも今のうちや! これから! 地獄が始まるでー!」 うーん、説得力がない。しかし、何かが起こる、そんな北風の吹きつけるような予感が、わたしの心の一抹を、確かに支配していた。 「これから! 地獄が始まるでー!」 6 カンカン看板ババンバン! 酒と人と夜が集まれば、ポーカーゲームが始まる。でも余り慣れてないからか、カード交換は五回まで可な、素人ポーカーだ。それでもそれぞれの心が読めて楽しい。 「4のスリーカード」 「フルハウス、はい」 「ふふ、ロイヤルストレートフラッシュ! なんてねブタさんブーブー」 そんな音に紛れて、ショカーリョの「あっ」と言う動きが漏れた。探知系能力、風詠みの一種で、ターゲットの位置を知る音魔法、それを右手の銀色のショカーリョで使い、ピンポイントで風の刃を発生させる攻撃を左手の黄金のショカーリョで使う。使いようによっては驚異の技だ。でも、残念ながら、それだけの経験と使いこなしと脳みそを持ってないんだよなー。こんな能力を尋問というかペラペラ一人でに話したというか、それもお瑣末。わざと右手のロープを緩め、楽器も回収していない、泳がせてることに気づきもしないで、ほんと。ジョンRって大したことないんじゃないかしら。うん、入口まで二十歩のところに殺気。それも密やかな。なかなか、いや、こ 「これっ、マズイ。伏せて!」 尋常ではない。人よりも狼のような牙を持ち、虎のような爪。 「カエル男! みんなを守って!」 扉から八歩。ジョンRもこちらの気配に気づい エレキギターが鳴った。 どうする? 三年ローンが残っている古代樹の扉。三週間かけて装飾した扉飾り。一年半ずっと付き合ってきた紅い看板。でも、そうだ、命の方が大事だ。 手首を返してマラカスを。シャンシャンシャン。スナップ効かせてシャンシャン。くそっ、さよなら夕食のビール一本! こんにちは極貧生活! いけっ! 「炎よ、火球となり、燃やしつくせ! メラミ!」 テーブル程の直径の炎の球がぼぅっと、頭上に展開し、マラカスを振り下ろすと、ゆらりと弧を描き、吸い込まれるように扉にぶつかった。細く絞るような声 「ライディン」 相殺された。いや。いや! 電撃の帯がこっちに向かってくる。悔しいけど、一撃は相手の方が上。でも 「メラミ!」 二撃目の火炎球が雷を弾き、扉へと向かい、火柱が立った。 「やった?」 パチパチと音を立てる炎と煙の中に目を凝らす。居ない? 「右だ!」 カエル男の声に、反応すると。 「ほう、嬢ちゃん。小娘のくせに、火炎球を連打するとは。これはこれは」 射るような目が、わたしに刺され、それがショカーリョとソプラノにも向けられた。 「下っ端に、無口! 手間かけさせやがって」 あっ、やっぱこの二人、団内でもそう呼ばれてるんだ。 「しかし、ふむ、上等のエレキになりそうな嬢ちゃんか。それに、あの黒い男も。後はゴミクズだが、しかし、使うには使えるだろう。中々にお手柄だ、下っ端」 「はいっ!」 ショカーリョの声は震えていた。助けが来たというより、死神が来たかのような調子で。そしてわたしにも震えがあって、冷たい汗が背中いっぱいに広がっている。頭の中では軽いやつなはずなのに、身体のほうが、いやきっと心の奥の方が怯えてる。こんな感覚初めてだ。あいつがとてつもなく恐ろしいだけ、じゃない気がする。何故だろう。 そう想いを巡らしつつも、わたしはマラカスを振り続けている。シャンシャン。 ジョンRのエレキギターも鳴り響いている。 魔法が放たれるのは瞬時だった。 「デイン!」 上段。 「メラミ! てえいっ!」 相殺! 足元。 「デイン!」 飛べっ! 横っ飛び! 飛んだ先! 「デイン!」 「メラミ!」 爆音! 爆煙! 相殺! 「健闘もここまでだな、これで終わりだ、デイン!」 敵は! 強い! やられたっ! と為るものか! 「なめんな! メラミ!」 「三連打? くっ! こんな小娘と互角だと!」 「小娘じゃないわ。娘は娘でもこのレストランの看板娘よ!」 左のマラカスの音と共に、右の指先の炎は拡大していく。手加減は、出来ない。加減も、出来ない。殺しちゃうかも知れない。だけど、躊躇っちゃダメだ。あいつの目は何千も命を奪ってきた目だ。ここで止めるんだ。 ショカーリョ! 「親分ー!」 ソプラノ! 「四連打! さも上級魔法!」 カエル男! 「撃て! 迷うな!」 カプチーノ弟! 「いけー!」 ブラック兄さん! 「いけますよ!」 わたし! 「フィンガーフレアボムズ!」 指五本それぞれに炎! 五発を一気に! 炸裂音! 目の前には! 壁のような炎の爆発! 左右に飛び散るは残り火! わたしは肩で息をして。ふぅっと吐き出すように言葉を繋げた。 「やった?」 ぞくっと背中が教える。 「やってない!」 ジョンRはわたしの横を駆けていった。 隙が出来ていたんだ。躊躇わないで撃った積もりだったけど、躊躇うかどうかって迷っていた時点で、遅れを取っていた。いなす隙を与えてしまった。 「しまった! 人質に!」 お客さんたちが人質になる。ジェノサイドをする悪魔に。それは 「ほうっ! 娘! 魔法使いとしては上級だが、戦士としては未熟だ。甘い! しかし私を驚かせた罰は受けてもらうぞ」 エレキギターが響く。 「えっ?」 人質にすらしない! 殺す気だ! シャンシャンシャン! ダメ! 間に合わない! 「ライデイン!」 雷が放たれた。 視界が歪む。 汗が伝う。 叫びたくても声が出ない。 足が震える。 立てない。 がくっと体が落ち、床に両の膝小僧がついた。 目の前には 雷は開放されていなかった。電撃は空中に浮かんだ水の塊に吸い込まれていた。その前には、カエル男。レイピアを力強く、蜂の旋回のように振っている。いや、レイピアじゃない? タクト! 青色と黄色のカエルが男のタクトに合わせて鳴いている。カエルの声。カエルの唄。アルトとドラムのような唄が鳴っている。それは昔の田舎道で、鳴き続けた梅雨のカエルの野外のそれではなく、コンサートホールで歌われるような気品ある唄だった。そしてその水がジョンRの周りを漂い、威嚇するように黄金に染まっていた。ジョンRは雷水に覆われて、一歩も動けないのだろう。立ち尽くしていた。 「何だとっ……貴様……」 精霊獣、ぼそぼそ声すらも上級魔法に変換させる物質界であらざるものの歌。 指揮者、様々な音のパーツを一つの究極の形にまで組み立てて完成させる者。 この世界に数える程しか確認されていない幻の能者。その二つが合わさったんだもの。ジェノサイダーすらも目ではない。 「おい、あんた。水を、竹を三百杯ほど使わせてもらった。しかし約束通りみんなを守ったぞ」 守ってくれた。店も。お客も。ブラック兄さんも、カプチーノ弟も、ミルクコーヒー娘も、ドーナツ神父も。みんな、みんな。 「ありがとう」 涙がこぼれる。それを隠すようにうつむいて 「竹、三百杯、注文ありがとうございます。60万8千5百円になります。大丈夫、料金はこいつらに払ってもらうから」 ジョンR一味を眺望し。 ふぅっと息を吐いた。 「ありがと」 7 ラストマンニクマンキンニクマン 「さてと、よこしなさい!」 エレキギターを取り上げる。ジョンRの生命線を取り上げる。意外に素直だ。 「こうなれば、あんたも単なる一般人」 思ったよりずしりと重い。上体が泳ぐ。その隙をついて、なんて出来ないよね。ブラック兄さんが真横で睨みを効かせている。魔法は使えないけど、流石な大工な力自慢だ。そのブラック兄さんが 「ギター、預かっときますよ」 わたしだって 「キター!」 はははは。心の中でわたしだけが笑ってやる。 「ごめん、いや、申し訳ない」 「はは、勘弁してくださいです」 でも、少しは空気が軽くなったかな。緊張感は失ってはいけないけれど、過度のプレッシャーは判断を浅くする。「何事も真剣にやれ!」なんてお決まりの文句ってあるけど、真剣すぎてもいかんのだ。これ、わたしの持論。 とにもかくにも、あと一人だ。あっと一人、あっと一人。 「ジョンR兄貴が来たってことは、ピアノのマキシマムさんも、もう直ぐだ。ほんとの地獄の始まりやでー」 ショカーリョはほんと良い子だ。 「うんうん、じゃショカーリョ、ピアノの細かい能力、弱点、傾向と対策、教えて! 博識なショカーリョさん!」 「おう、マラカスちゃん、もうその手には乗らんよ。わいも、べんきょーっちゅうもんをしたんや。あんさんなんか、マキシマムさんの必殺のピアノ、あの土走りで一撃や!」 ほんと良い子。 「うわー。こわっ! 怖い怖い。ほんと怖い。ほんとほんと怖い。ところで土走りって?」 「それはなー、地面を這う」 「下っ端ッ!」 ぞぅっとする殺気が込められていた。 「黙ってろ!」 ジョンRの一喝。ショカーリョは、口を半開きにしたまま固まっている。しかし、裏を返せば敵もいよいよ追い詰められた、この情報を引き出せれば、イケルかもしれない。 「ショカーリョ、もう、此処までよ。保安官までいるのよ。明日にでも早馬で、オアシスの兵士たちも来るわ。もうね、ぼちぼちと閉店セール、営業終了よ」 ショカーリョは黙っている。早く情報を聞き出さないと。それもこちらの焦りを悟られないように。ほんとうはいち早く、野次馬なお客さんたちを家に帰らさなきゃいけない! ジョンRを厳重に監視して、一矢すらも与える隙を作っちゃいけない。相手はジェノサイダーだ。ぐるぐる巻きのロープと安物の手錠だけでは如何にも心もとない。 「ショカーリョ!」 「あのな、わいはな」 「下っ端ァ!」 苛立ちの声があがる。手負いの獣のような叫び。わたしは、さわってはいけない者を傷つけてしまったのかもしれない。首筋の汗がそれを告げている。本能のような、いやそれ以外の、言葉にできない何か、がそう告げている。 しかし、ショカーリョは震えながらも言葉を続ける。 「わいはな、ジョンR親分に忠誠を誓ったんや。それを破ることなんて天地が張り裂けてもでけへん。世界中の誰もが敵になったとしても、わいは親分の子分や。子は親を裏切ってはあかん」 それっきり、ショカーリョは口を閉ざした。わたしは、わたしじゃ、どうしようも出来ない。そういうものがあることを思い知っ 突然、レストランの扉だったところから木片を踏み潰す音が響いた。しまった! 隙が出来てしまった。悪意のないショカーリョの話。それ故に心をほだされ、警戒を緩めてしまった。しまった! 今、魔法を放たれたら、やられる! 恐らく放たれるのは、土走り! 「はーっはっはっはっ、団長ー、間に合いましたかー! ピアノのマキシマム、ここに見参! はーっはっはっ」 黄金のピアノを背負った巨大な体躯の二メートル三十を越えたあたりか、筋肉の固まりのような番長のようなスキンヘッド、その代わり脳みそに栄養が行き渡らなかったようなバカ声が響いた。 「このピアノのマキシマム、地面を旋回し、足元から食いちぎる土走り! その妙技! 見せてやるぞ! 敵は! どこだ!」 ほんと、色んなものが台無し。自分から奇襲のチャンスを潰すなんて。ピアノが馬鹿でほんとに良かった。もしもピアノが弾けたなら、彼みたいにはなりたくないな。 「おいっ! マラカス、皆を守れ。奴は俺が食い止める。止められそうになかったら、皆を先導して、逃げろ!」 しかし、カエル男の目には強い決意と危機感が滲んでいた。わたしが答える間もなく、黄のカエルと緑のカエルを正面に導き、タクトを振りかざし始めた。わたしもみんなを店の隅っこに集めて、覆いかぶさるように立ち、マラカスを鳴らす。笑みはもう無い。ピアノ。最後の一人。 8 死闘 カエルの唄が響く。ケロケロケロじゃなく、何て言えばいいのだろう、クヮックヮックヮッのような弾む、儚げでそれでいて芯のある唄。 「太郎!」 青色のカエルが一つ大きなフラットな鳴き声を出す。 「ジロー!」 黄色のカエルが一つ大きな低く通った鳴き声を出す。 地面に霧散した水は、一つの巨人へと形を変え、それは2メートルを優に超えるピアノより更に更に大きく3メートルに達しようとしていた。右手には柱ほどもある大剣を掲げている。透明な青く澄んだ、それでいて魔力でぼうっと光っている大剣。左腕は根っこからもぎ取られていて、円状の断面が覗いている。カエル男は高い高い天井にくっつきそうなところから声を出す。 「ピアノ! こっちが相手だ!」 カエル男は水の巨人の肩に乗っている。恐らく土走り対策。地面を走る魔法はこれなら届かない。 わたしは圧倒されていた。漲る魔力。精霊獣のカエルをもってしても、巨人という慣れ親しんだ型じゃないと制御しきれないパワー。わたしの魔力なんて到底及ばない。それはそうした観察だけじゃなく、わたしの心の奥で贓物の方からも、告げている。それにこの歌はまるで馴染んでいるかのように懐かしい。カエル男はこの歌で、何時も戦って、そして勝ってきた。そんなことを思ってしまうわたし。やっぱり可笑しい。でも、何かが欠けているような喪失感も同時に、わたしの何かは感じていた。ぽっかりと抜けた穴。何だろう。でも、その穴に付け入るだけの技量なぞ、凡人は持たないだろう。例えば三メートルの巨人の肩が弱点なんて言われても、凡人ではとても届くまい。凡人なら。 「カエル!」 わたしは堪らず叫んだ。ピアノが弾き鳴らされている。とんでもないスピードだ。これは古代にいたドワーフのような人間離れした手先の器用さ、いや指が七本ある亜人でなければ決して弾けないような、早弾き。音が超光速で、しかし淀みなく川の流れになって響き始める。 「面白い! このような死闘こそ長らく戦場から待っていたのだよ、始めようか」 「終わらせる!」 カエル男が、水の巨人が一気に距離を詰める。歩いてではなく、水のように地面を流れ、一気に射程内。そのまま大剣を振り下ろした。 「やった!」 「何とか」 カエル男はその声を押しつぶすように 「何とか……ならないか、やはり」 巨大な土の蛇がいた。その蛇は大剣に巻き付き、巨人の首元を狙って疾った。 「させるか!」 カエル男は叫んだ。しかし何も起こらない。起こらない。何故? わかる。左腕が無いんだ。なんでそんなの私がわかるの? それがわからない。だけど! 「獄炎よ! 爆ぜろ! メラゾーマ!」 両のマラカスを思いっきり前へ振り、火炎を放った。それは土蛇の目にぶつかり、そのまま巨人の胸へとぶつかった。蒸発する水の焦げた匂い。被害は。被害はピアノよりもカエル男の方が大きいだろう。それも危うく、カエル男本人に直撃しても可笑しくない位置だった。運が良かった。 「助かった……が、これ以上手出しするな。気がそれる。余計な気を配る余裕はもう無い」 妥当な答えだ。賢明な答えと言っても良い。それでも、わたしの胸にはどうしようもない無力感があった。自分が全く役に立たない、次元の違う相手同士の戦いとの遭遇。初めて、悔しい、悔しいっ。わたしは注意を後ろに向けた。お客さんを守る。ジョンR一味を監視する。それだけが今、わたしに出来ること。 巨大な水流剣が蛇を真っ二つにした。と思いきや、土の大蛇は、瞬間地面から再編されて二つ首の大蛇になって巨人を襲う。迎撃に剣の一閃。0に近い瞬間が命取りになる戦いが続いた。 戦いが続いていた。 土蛇はその大きさを七十パーセントまで縮めていた。一方の巨人も右足が崩れ始め、斜めに傾いている。ピアノもカエル男も互いに疲弊している。それもそのはず。死闘は五時間以上も続いている。真夜中は終わり、直に夜明けが来る。太陽が顔を出そうとしている。 戦いは、力という点ではカエル男にずっとずっと分があった。総合的な魔力でピアノを圧倒していた。指揮者と精霊獣という稀有な組み合わせの地力もあるが、ピアノに必勝の型、土走りを呼ばせていないこともあるのだろう。 圧倒的なパワーの違い。それなのに拮抗するとは、テクニック、力の操作や慣れで圧倒的にピアノがカバーしていたからだ。 何故か? それは、わたしにはわかる。戦っているピアノも、その幾つかの致命的なミスの連続に、カエル男を不思議そうに見つめていたが。わたしにはわかる。「キャリー」が居ないのだ。わたしがキャリーを奪ったからだ。元々は三匹のカエルのトリオで放たれる音魔法なのだろう。左手が形作られないのは、文字通りすっぽりとキャリーが抜けてしまった穴なのだろう。 戦局はカエル男に有利に傾いている。余程のことが無い限り、勝利はカエル男のもの、わたしたちのものになる。それでも、それでもあの力強く、美しかった完璧な水の巨人は、もう戻ってこない。 わたしは後悔とそれ以上の切なさに襲われていた。ただ、切ない。何故? 何で切ない? だけど、ピアノの怒号が響いた。 「くそっ! これだけはしたくなかったが! 奥の手だ!」 「詭弁だ! そんな魔力なぞ、残っているか!」 ピアノの音が止んだ! チャンスだ! だが、余りにも唐突で無防備なチャンスに、カエル男の手が止まってしまった。瞬間の躊躇い。隙が生まれた。瞬間、ピアノは黄金のピアノの足を両手で握り、筋肉を隆起させ、持ち上げ、頭上高く投げつけた。 「えっ?」 余りの事態。異常事態。そんなのありかよっ! ピアノが高速でシュートされている。くるくる回りながら、高く飛んでいく。まさかの物理攻撃。 「ぐおおっ!」 カエル男の叫びが聞こえ、体勢が大きく崩れた。大丈夫。相手は丸腰。いける! 「そうはいかん!」 ピアノは小指をぴんと張って、その腕の筋肉を盛り上げた。 「うおおお!」 飛んでいった筈の黄金のピアノが弧を描くように、ピアノ術師へと帰ってきた。 わたしの叫び。 「なっ!」 カエル男も叫んでいた。 「あいつ! 小指とピアノを糸で繋げてやがった!」 「そんなん、冗談でしょ?」 「皆が笑おうと、馬鹿にされようと、これこそ我が切り札。はーはっは、西安三百年の伝統、ピアノを背負って幾数年、鍛え上げられた上腕筋、踏み絞られた足腰、盛り上がった肩甲骨。この重さをしょいこむせいで、集合には何時も遅れるのだが! 何時だってピアノ使いは恋人と共に! いくぞ! 我が奥義。ピアノ神拳、喰ら」 そのやたらに長い口上は、そこで途絶えた。 「そんな冗談で、やられてたまるもんですか」 ピアノが黄金ピアノを投げ飛ばして出来た無防備な間。自分に酔った長セリフ。そこにわたしのマラカスがくい込んだ。ピアノの喉元にはわたしの五本の指。その指に炎が灯っている。フィンガーフレアボムズ。 「終わった……わよね、やっと」 ピアノは両手を天に挙げた。 カエル男もほっと汗を拭い 「良くや」 「でかした、無口!」 そこにはロープと手錠から解き放たれたジョンRがいた。 「うそっ!」 その後ろにはソプラノがいた。口から血を流している。寡黙な彼は、ジョンRの元へと這っていき、そのロープを口で、歯で噛み切ったのだ。正気の沙汰ではない。戦場のバーサーカーでさえ出来ない。絶句するような痛み、並みの忍耐では声を荒らげて吐き出すような苦行だったろう。それを遂行した。迂闊だった。ショカーリョのみに気を取られて、存在を隠し続けた物言わぬソプラノへの集中を緩めてしまった。迂闊だった。わたし。 でも、ロープを開放したとて、手錠は。と視線を注目すると、今度はジョンRの両の手が真っ赤に染まっていた。肉を削ぎ、骨を曲げ、無理矢理に手錠を外したのだろう。数多の犯罪人すら決行できない、御伽噺の離れ業を遂行していた。わたしは駆け寄ろうとし。そして気づいた。ジョンRの腕にあるエレキギターを。そして彼の足元に倒れている肉体を。深い深い血だまりを。それは雄弁に致命傷だと、手遅れだと告げていた。 「ブラック兄さん!」 ブラック兄さんの身体が倒れている。そこから光が漏れる。回復魔法? ではない。消える前の蛍のような揺らぎ。終わりを告げる光だと、直感だけでわかった。ブラック兄さんは死ぬ。光は、エレキギターへと集まる。 「充電完了!」 9 さよなら わたしの宝物たち 周りでは、ただただ目の前の尋常ならぬ戦いを見せつけられていた、動けないでいた、それでもわたしを信頼して動かないでいてくれた常連さんら野次馬が恐慌を来たし、入口へと殺到する。 「ブラック兄さん……」 わたしは何も出来なかった。 エレキギターが響く。 わたしには何もできない。 ブラック兄さん。 カエルの唄が鳴らされた。今度はバラードのようにゆっくりと。 水の狼。それがジョンRへ。ジョンRは雷の槍を空中に三本放ち、撃墜する。水が弾けとんだ。充電。レクイエム。死者の魂をエレキにして、雷電を放つ楽器なのだろう。パワーが一段、大きなものとなっていた。ブラック兄さんの魂をエレキギターが吸収して。 「くっ……」 カエル男が二撃目を構えようとしたその前に。 「マキシマム! カエルを食い止めろ! 下っ端と無口、私についてこい! オアシスで合流だ!」 言い終えると同時に、窓ガラスが割られ、ジョンRが飛び出した。 ブラック兄さん。 わたしは何もできない。 「マラカス! 追え!」 カエル男の叫びが虚しく響く。 「追え! 今しかない!」 ブラック兄さん。嘘でしょ。だって今日だって美味しそうにブラックコーヒー飲んで、ゆったりと新聞を読んで、まだ新作料理だってまだ作っ 痛みが頬に飛んだ。平手打ちだった。 「マラカス! しっかりしろ! これ以上! 犠牲者を増やしたいのか!」 群衆の猛った悲鳴が消えていた。どうやら、みんな店外に避難できたみたい。前を向くと、そこには三人。ショカーリョ、ソプラノ、そしてピアノ。拘束は解かれている。きっとわたしが動揺していた隙に。くっ! 「マラカスちゃん、借りを返してもらうでー。汚名返上や! ぱぱっと掃除して、親分についていかなっ!」 「くっ! 三人はきついぞ! 追いかけるのはしょうがない! 諦めろ! ここは三人を止めるぞ!」 「あの兄さんは、残念やわ。黙祷するわ。墓を立ててやるわ。でもな、人情のバーゲンセールはでけへんよ」 「カエル男……大丈夫」 わたしはカエル男に耳打ちをした。あいつを追わなきゃ! 「いいのか?」 わたしは頷く。 「行くわよ!」 わたしはマラカスを構える。ピアノの音も響きだす。リコーダーの音も。ショカーリョを振りかざす音も。高らかに夜通し聴き慣れた土蛇の曲。カエルの唄も響く。こちらは少し違う。きっと水竜の曲。わたしにはわかる! 「早くしろ!」 わたしの微妙な躊躇いを悟って、急かすような焦り声でカエル男。 「わかってるわよ! わかってるのよ!」 踏ん切りをつけようと怒鳴り返すわたし。 「だって! だって……この店、頑張って頑張ってお金稼いで、料理の腕を磨いて、借金して。貯金は出来なかったけど。掃除もロクにしなかったけど。わたしの宝物だったんだから。 ううう、やるわよ、やっちゃうわよ、やるわよって言ったらするんだからね、そしたらやるわよ、あっ、今のはノーカン、うううう、うー、こんちくしょー、やるわよ、燃えろぉぉぉおおおお! メラゾーマ!」 ショカーリョは迎撃の構えを取る。だが、炎は彼らから遠く離れた右手のカウンターに向かった。 「なんや? なんもないとこ撃ちおって?」 わたしは知っている。ずっと一緒だったお店なんだ。ブラック兄さんが建ててくれたお店なんだ。そこは火が通りやすい木材が集まった場所。そして冬用にと買い貯めていたオイルが保管されている場所。 爆発音がして火が走った。それがソプラノ、ショカーリョ、ピアノへと真横から煽って爆ぜた。三人ともバラバラの方向へと飛ぶ。隙。十分な隙。 「カエル男も!」 「いや……」 ピアノの音が響く。改めてイントロから。鋭く。 「食い止めるだけで精一杯だ。しかし、俺なら食い止めるだけなら出来る。それだけの隙だ。大切なものを無くした苦しみ。わかる! だからお前に託す! 奴を止めろ! いいか! 俺なら」 言葉は途中までしか聞こえなかった。わたしは走っていた。ジョンRが壊した窓を飛び出して、砂の大通りへ。店の前の馬鳥に飛び乗り、はじめてこの地を訪れる旅人が選ぶだろうオアシスへのルートへ。久しぶりの風。その風をきって駆ける。酒場が、果物屋が、家々が、砂煙が、加速する。バカみたいに気持ちいい。湿った心だって、吹き飛ばしてくれたらいいのに。 目を凝らすと前方に一匹の軍馬。ジョンR。追いかけねば。 後ろを振り向けば、一人。ショカーリョ! ソプラノは馬鳥を見つけられていないらしく、辺りを見回しながら、足踏みしている。 「逃がさへんでー」 店が真っ赤に燃えている。ショカーリョが馬鳥を駆っていく。 わたしは前を向く。前だけを見る。風の先には、ジョンR! 許すものか! 砂漠での馬鳥の扱い方なら、わたしの方が経験がある。 後方のショカーリョはもう見えず、前方のジョンRとは少しずつ差が縮まっている。やがて、砂漠に色が射した。ちょっとずつ。熱はまだだけど、青紫の光。太陽。夜明け。それに向かって、わたしはジョンRを討つことを誓い、そしてブラック兄さんの魂が天に導かれることを祈った。 第二部 完 第三部 疾走! 1 ヒートペース 馬鳥。ダチョウよりも二回り大きく、馬よりも一回り小さい。それが二本の後ろ足で駆けていく。オウムのような嘴を持ち、全身は羽毛に覆われているが、その走りは馬によく似ている。 世界中の陸路を縦横し、普及している移動手段だが、同時にそれぞれの地域に特化した性質を持つ。この砂漠の馬鳥の場合、炎天下でも水分を取らなくても走り続ける耐久力、砂を蹴る一回り大きめの脚などがそれに当たる。 他にも様々な差異があるけれど、言葉で理解しても何にもならない。身体と経験に叩き込んで、初めて力となる。わたしはゆるり手綱を右に引き、砂丘に沿って、円を描く。 ジョンRの朧げな影が形になっていく。カーブをさせた分、馬鳥のペースはやや緩まった。振動が左右に揺れていく。身体を垂直に置き、安定したバランスを作り、少しだけ馬鳥に深呼吸を与える。ついで右足で腹を蹴って、再加速。振動は腰を上下させるものになる。次第に下半身そのものの揺れとなっていき、お尻が飛び跳ねる。激を飛ばす! 「GO! GO! GO!」 馬鳥が、首を下げ全力疾走の構えを取る。それに沿う形で、身体を絵本で見たスキージャンプのように飛び込む姿勢へと傾け、更に加速を煽る。 「GO! GO! GO!」 堪忍してね。もう少しでオアシス。そこに辿りつけたら、精一杯休めてあげるから。だから、代わりに、今は命を削って! 「GO! GO!」 ジョン・Rの輪郭がはっきりと、太陽に浮き上がった。こちらが加速しただけじゃない。待ち伏せている。風を切る音に、エレキギターが加わった。 「面白いじゃない!」 わたしは馬鳥を立ち止まらせない。 左手でマラカスを振り、右手は手綱と首筋の羽毛をしっかと握る。 2 クライマックス エレキギターが鳴り響く。それとの距離は八完歩。いける! 「GO! GO!」 轢き殺すつもりか、とジョン・Rの口元が歪む。 「デイン!」 わたしは垂直に立ち上がるようなポーズを取り、手綱を持ち上げる。 「JUMP!」 馬鳥は大きく跳ね、まるで空への飛び方を思い出したかのように、天高く飛び、電撃をいなした。そのまま降下して、その大きな右爪はジョンRに! ジョン・Rから光が放たれた。 「くっ!」 わたしは手と足を馬鳥から外し、離し、空中に放り出された。一瞬の後、馬鳥は電撃に包まれていた。悲鳴すらも許されない。わたしは砂に横っ面から叩きつけられ、そのまま身体をぐるりと回転して体制を立て直した。馬鳥が今度は光に包まれ、次いでエレキギターに吸い込まれた。ジョンRは肩に血の筋を浮かべていた。でも、思ったよりも、ずっと傷は浅いような血の滲みだ。 「ありがとう、お嬢ちゃん、充電のオードブルまで出していただき」 「ブラフは止めよ!」 ジョンRは挑むような目で 「ほう……」 「魔力のない生物、あなたで言うところの質の低い餌は、それほど大きな充電はしてくれないようね。現にあの時、大量のジェノサイドを行える隙が出来たにも拘らず、あなたはオアシスへの『逃げ』を選んだ」 ジョンRは笑った。 「そう、あの程度の低クオリティでは殺すのに消費するエレキの方が、生産されるものを上回ってしまってね」 わたしはマラカスを振る。力一杯振る。 ジョンRはエレキギターをかき鳴らす。 「その点、あの男は天の恵みだった。いやはや、一般人に紛れてはいたが、なるほどという三級品の素質はあったよ。よほど戦うのが嫌いだったのだな。才能を埋もれさせて気づきもせずに勿体無い」 「ええ! 勿体無いわ。あなたに殺されるなんて、夕食のローストポークすら勿体無い」 「くくっ、だが、嬢ちゃんくらい殺せるだけのエレキはあの男からいただいたぞ」 「馬鳥はもういないわ。あなたもわたしも此処で乾き死ぬの! ここで待ち伏せしたのは失策だったわね」 マラカスは響き続ける。 エレキギターは鳴り続ける。 深い衝突の前の、言葉の交換。 クライマックスは近い。 「早々に、下っ端が来てくれるよ。知っているか? あいつの探知能力……この時のために生かしておいたのだから、使われてもらわなければな」 「ショカーリョは悪いのに惚れているみたいだけど、根はいい人よ。あなたには不相応なくらい」 「ほう、ほざく……それに、オアシスは近い。徒歩でも五時間といったところか。ほら、見えないか? わたしの背後にオアシスの街並みが」 目を凝らす。確かに熱射の空に街のシルエットが霞んでいる。それも、蜃気楼じゃない。確かにオアシスはもう直ぐ近 エレキギターから雷光の矢が現れた。 「また、油断したな。戦闘経験の少ない音魔法使いほど、素晴らしい餌はない。改めて思い知る」 「それで?」 「わからないわけではないだろう。このインドラの矢、貫通力に優れた魔術だ。お嬢さんのお得意の、連打魔法で切り抜けることは不可能なのだよ。一撃の破壊力が違う!」 「それで?」 ジョン・Rの声に初めて怒りのトーンが加わった。叫び声。 「貴様は死ぬのだよ! インドラの矢!」 「ドラゴラムブレス改!」 雷と炎がぶつかり合う。矢が魔竜を突き破った次の瞬間、電撃は炎に包まれ、撃ち落とされた。 「それで?」 「なっ!」 「メラゾーマ!」 「デイン!」 次いで、炎の塊を放つ。雷と相殺された。けれど、正にギリギリ、もうジョン・Rには余裕がない。 「どう? エレキは残りカスしかない。スカスカ。ここまでのようね」 「何故だ! 何故、俺が。貴様なんかに! 何故だ!」 「今、ここにいるわたしがあなたに負けるわけなんかない!」 シャンシャンシャン。 わたしはマラカスを振り続ける。余裕からではない。最強魔法で木っ端微塵に吹っ飛ばす! 「今、光が振りそぞく時。太陽はわたしに味方してくれる」 シャンシャンシャン。 「前はわたしの店を、お客さんを、失うのに躊躇いがあった。けれど、この砂漠はあなた以外には何も壊してしまうようなものはない。あなたの墓標にさせてあげる」 シャンシャンシャン。 砂粒が舞っている。 南風が吹いている。 そして太陽が昇ってくれている。 光の塊が、炎が、見つめてくれている。 支えてくれている。 「そして何より、あなたは、わたしを怒らせた」 シャンシャンシャン。 炎は、わたしの目の前で一匹の大きなフェニックスとなった。 「なんだと!」 エレキギターはようやく鳴り響く。しかし、その勢いは一つ弱かった。 「その想像を絶する威力と優雅なる姿から太古より魔界ではこう呼ぶ……」 わたしが叫ぶとほぼ同時に、その影は飛び込んできた。 「親分ー!」 ショカーリョ! くっ! 迷うな! 危ぶめば路は無し! だ! 「カイザーフェニックス!」 不死鳥が優雅に天へと舞い、グライダーのようにジョンRへ向けて、滑空する。これで、終わらせる! 「ありがとうな、下っ端!」 「親分!」 電撃が胸を貫いた。ジョン・Rの最後の足掻きの筈な電撃が。ショカーリョの胸を、貫いた。そのままショカーリョはフェニックスとジョン・Rの間に突き飛ばされた。 「ありがとう、下っ端よ、役に立ったよ」 炎の不死鳥がショカーリョを抱き込む。炎の竜巻がぼうっと昇る。人が焦げた匂い。こんなにも嫌な煙がたつなんて。そんな! 「ほうっ、流石のお嬢さんも力に、加減が生まれたか。下っ端は確かにイイヤツだからなあ。くくっ、とどめを刺しきれてないようだ。おかげで、こちらはこの通り無傷だが。嬢ちゃん、これが格の違いだ、そしてこれが現実だ」 「嘘だっ!」 わたしは、叫びと涙と一緒に、ショカーリョに駆け寄った。それ以外に何も考えられなかった。わたしはショカーリョを抱きしめた。直にわたしが殺してしまうことになるだろうショカーリョを。 「うわあああああああああああああああああああああぁぁぁあぁ!」 3 レクイエム きっと最大のチャンス。今やるべきことはジョンRを倒すこと。だけど、だめだ、出来ない。きっとここで親分を倒してしまえば、ショカーリョの最後は、悪魔よりも救われないものになってしまう。それに最後だけは一緒にいたい。いてあげたい、じゃない。ただ、いたい。 「あんさんだけや、ショカーリョって最初から最後まで確かに呼んでくれたのは」 「まっ、ね。こんなマラカス振ってりゃ、くだらないことでおざなりにされる悔しさってのはわかってる。うん! わかる……」 「くくっ、マラカスのクレアちゃん、あんさんのナポリタン食べたかったやわ、くくっ、食い道楽……やわ」 「何百回でも食べさせてあげる。今なら三割引で。うん。だから、さ。だから、こんなところでお腹一杯にならないで! ねえ!」 「三割も? ほんまか。貯金にも余裕が出来るやで。ダイヤのジュエルリングだって買えるでさ。でもさ、そんなこと、より……名前って、自称するもの、やなくて……」 「粉チーズも! ふんぱつして最高の取り寄せるから!」 「誰かに呼ばれて、初めて、名前って、意味を持つんやな」 「タバスコだって! ねえ! ねえ! ショカーリョ! まだでしょ! まだ! 嫌よ!」 「ろくでもない、人生、だったけど、よ、ま、最後に、あんさんに、この名を呼ばれて、カーテンコール、ってのも、乙って、もん」 「うっ、ううっ、まっ、まだよ! ショカーリョ! まだまだこれから!」 「……」 「もう目の前で誰も死なせないって決めたんだから。ねえ! やっ!」 「……」 「目を閉じないで! 閉じちゃダメ! いや! そんな! ショカーリョ! ショカーリョ! ショカーリョ!」 「……」 ショカーリョの光がジョンRに吸い込まれていく。 「充電完了……下っ端の割りに良質のエレキだ……」 エレキギターが高鳴る。裂くような電気音が場を覆う。 私は立ち上がり、マラカスを振る。つんざくギターの中に、確かなシャンシャンシャン。真っ直ぐ前を向いて、身体を揺らして、リズムに乗って。 「あなたを許さない!」 「ふっ……俺が何故、戦場を勝ち残ったか……。ふふっ。死はレクイエムは連鎖する。あいつを殺し、レクイエムを奏でる。そして、そのレクイエムでそいつを殺す。 死が死を呼び、俺のエレキはどんどん蓄えられる。下っ端の次は、お前だ。そしてお前の死は、あのカエル男のレクイエムを奏でるだろう。 くっ、くっ、奴と精霊獣どもを殺せば。どれだけのエレキをサーブして貰えるかな? そしてオアシス。圧倒的な大量の死。どれだけの餌を頂くだけの音を響かせるか。ふふっ、全てを死で満たし、街を俺のゴーストタウンにする。 確かな未来のハーモニーがやっとまた聞こえてきたよ、長かった……おやっ? お嬢ちゃん、声すら出ないか」 「あなた! 許さない!」 「許されなくともよい! 我がエレキの悲鳴となれ! これがレクイエムだ!」 強大な力と力がぶつかり合おうとしていた。 「ギガブレイク!」 「カイザーフェニックス!」 4 リベンジ 足首に痛みが走る。魔法のぶつかり合いの衝撃で吹っ飛ばされて、無理に着地しようとして、捻ってしまい、そのまま倒れ込んでしまったのだった。でも、吹っ飛ばされたというのが、むしろ良かった。ジョンRも急激なパワーアップに魔法制御の勘が追いつかなかったのだろう。巨大な岩の電撃は僅かに右に逸れ、わたしとの魔法がぶつかったことで大きく逸れて、直撃を免れた。衝撃による爆風には巻き込まれたけれど、運良く砂山を一つ飛び越しジョンRの視界外へと逃れることができた。 「どうしたんだい! お嬢ちゃん」 憎々しげな声が、風の止んだ砂漠に響く。 「マラカスは、攻撃は、もう打ち止めか?」 安い挑発だ。わたしにマラカスを振らせ、その音を頼りにトドメの一撃を刺そうとしている。そういう意思がもう、言葉の端からダダ漏れのニュアンスなのだ。ジョン・Rには油断があった。そしてそれをもってしても覆せないほど、戦局はわたしに不利に傾いている。むしろ前回の教訓か、耳を澄ましているだろうその慎重さは、必要以上の警戒と言っていい。でも、可能性はまだ1パーセントは残っているはずだ。わたしは戦わなくちゃいけない。その覚悟を燃え上がらせようとした時だった。 馬鳥の蹄の音が聞こえた。 カエル男? あんな出会って一日も経っていない奴だったのに、そう信じたかった。 カエル男! 危ない! と警告の叫びを発する前にジョンRの声が響いた。 「無口か……爆発音を目指してここまで来たか」 ソプラノリコーダーだった。万事休す。1パーセントだった可能性は限りなく0になった。引き算でもしていれば、マイナス20パーセントに成ったくらいの傾きだ。力もある。馬鳥もある。仲間もある。こちらに勝機は……無い。 「ほう、ショカなんとか、下っ端か。下っ端はあの女に焼き殺されたよ。死体を見てみるといい。無残だ」 ソプラノの声は、低く、沈んだ声だった。 「わかっている。ショカーリョの敵は討つ。何も言わず、俺を信じてくれ」 馬鳥に乗りながら、ソプラノは辺りを周回し始めた。少しずつ範囲は広がって、わたしのいる砂山のくぼみがコース上にかかってきた。何とかしなきゃ。立ち上がろうとする。 「ッ……」 強くひねってしまった足首に激痛が走る。骨が折れたわけでもないのに、動いてくれない。もどかしい。動け! 動け!ウゴ…… ソプラノリコーダーと目が合った。ソプラノはたて笛を吹き始める。 「どうした? ソプラノ!」 ジョン・Rの声。 やられる。やられる。やられる。痛む足首に熱が加わっていく。 わたしは玉砕覚悟で、マラカスを振ろうとする。 ソプラノは大きな目で強く睨んだ。その目は、誰よりも、何よりも、強いメッセージを含んだものだった。 わたしはマラカスを止めて、わたしの足首は熱を帯びて、やがて次第に痛みは消され、血は循環し、治癒された。回復の魔法だった。 その目は言っていた。 (俺にはわかる!) (ジョン・Rだろう!) (ショカーリョ! あいつは好きなやつだったのに!) リコーダーの音が響き続ける。ロープを噛みちぎったせいでボロボロの口元が、痛々しくリコーダーを赤く染めていた。わたしが大丈夫と頷くと (立て!) わたしは立ち上がる。 (いけるか? 逃げるぞ!) 頷く。ソプラノは、リコーダーを口元から離し、言葉を吐き出した。 「GO! GO! GO!」 わたしは、馬鳥の背中に飛び乗った。二人乗りでこのま 「させん!」 用心深いジョン・Rは既に目視できる所までやって来ていた。 エレキギターの音が鳴り響く。ソプラノは馬鳥を一気に加速させた。後ろを振り向き続けるわたしは、徐々に遠ざかっていくジョン・Rを眺めていた。けれど! 畜生っ! 「ソプラノ、横へと飛んで!」 わたしは右横へと飛んだ。ソプラノは左横へと飛んだ。次の瞬間、馬鳥に電撃が走った。 「土走り! それもこの距離!」 わたしは、遠方のジョン・Rを驚きの目で見つめていた。憎いとか、怖いとか、強いとか、負けるとか、そういう感情すらも沸き立たせない、単純な力への驚き。わたしは確認すると言うより、ただ何も考えず、 「土走り……ピアノも使う。恐らく教わった土走り。次のターゲットは」 そう、自然、わたしかソプラノ。だけど、如何に防げるのだろう。正確無比な砂漠の遠距離電撃。 ソプラノの右腿には電撃の火傷跡。わたしも、まだ足首に痛みが残っている。逃げることすら出来ない。 一分が経った。 二分が経った。 五分が経った。 土走りはやって来ない。何も出来ないでいる私たち二人をあざわらうかのように、ただジョンRは黙々と歩いて距離を埋めていく。余裕なのか。 「くっ! 何故よ!」 「恐らく……」 「恐らく何よ!」 「エレキギターが魂を吸い取れる範囲、戦場でもそこまで広いものではなかった。俺の馬鳥の魂も吸い取られなかった。確実に餌を食べれる位置まで、距離を詰めようとしている。土走りは強すぎる技だからな、一撃で死んだら困るのだろう」 「どうするの?」 「取り得る手が全くないわけではない」 「何よ!」 「自決、する。ここで、養分になる前に、自ら命を絶つ。出来るか?」 軽い苛立ちは全く消え、理不尽な恐怖が、心臓を高鳴らせる。何も知らないわたしなら出来たかもしれない。でも、ブラック兄さんの、ショカーリョの死を見て、さっきだって馬鳥の絶命を見て、半ば突然にそれを思い知ってしまった今、この底なしの恐怖は、ただただひたすらわたしを締め付けていた。苦しい。辛い。熱い。悲しい。喉元がえらく乾き、それでも吐き気が襲う。 「聞いてみただけだ……娘、お前はまだ若い。誰も恥じたりはしないよ」 ソプラノの声は優しかった。だけど、取り繕うかのようなもどかしさも確かにそこにあった。 「だけど、だけど」 「どうしてもと言うなら、俺が摘んでやろうか。何、今更一人殺したって俺の罪は薄まらない」 わたしは。わたしは。 天を仰いだ。 そこから鳴き声が聞こえた気がした。 カエルの鳴き声。 わたしはジョンRを見て、そのジョンRの遥か後ろにある巨大なカエルに、叫んだ。 「カエル男!」 「どうやら爆発を頼りにここに向かったのは俺だけじゃなかったみたいだな」 雄弁なソプラノに、心の底からの安堵が聞こえた。 「カエル!」 巨大なカエルはジョン・Rに、こっちに向かってきてくれている。瞬間、稲光が光った。土走り! けれどカエルはその直前にバネを弾ませ高く高く飛んでいた。そのまま、不規則なバウンドを繰り返し、ジョン・Rを追い越し、わたし達の所までやって来てくれた。あっと言う間だった。見上げると、牛五頭分はある巨大な水のウシガエル。 戦うの? とわたしが問いかける前に、 「オアシスへ急ぐぞ! 水が足りない! 蒸発しきってしまう! それに」 ワキ腹を指さした。そこには深い噛み跡のような傷が残されていた。それはピアノとの激闘の文字通りの傷跡なのだろう。口にこそしていなかったが、夜通し、そして今まで魔法を行使し続けてきた精神的な負荷はそれ以上だろう。 「ええ! オアシスへ!」 わたしたちは勝てない。勝てないだけではなく、却ってジョン・Rの餌となるだろう。そうなったらお仕舞いだ。街人達に警告を告げに、それ以上にそこに光があることを信じて、わたしたちはウシガエルでオアシスに向かった。 第三部 完 第四部(最終部) 魂よ! 叫べ! 1 オアシスの狼 オアシスは西南北を山に囲まれ、東は砂漠へと通じている。わたし達は陸路この東の砂漠からやって来たのだ。わずかながらの雲も周期的にここに集まり、周囲の山に灰色の雲がかかり、やがてそれは雷雲へと発達し、定期的な雨として降り注ぐらしい。らしいとは。今、空を見上げてみても、からっからの青空なのだ。雲と一緒にオアシスに引き寄せられ暮らしている人にも、オアシス頼りの周辺の街だって、わたしのお店だって、あーお店燃えちゃったんだ、みんなそんな憂鬱なブルー。貯水池でもある泉、と言うより大きな湖なオアシスは悲惨なことになっているらしい。水は干上がり、魚も身を寄せ合って狭くなった水面に密集しているとか。自然って怖い。と言うか当たり前のように続く天気ってものが如何に大切なのか、そう気づかされる。魚も動物も人間もブルーに沈んでるんだろうな。いやイエローに乾いてるのか。 天然の壁となっている山脈に囲まれているため、東のみにぽつんと繋がるオアシスへの入口。そこは関所になっている。昨晩のジョンR襲撃で、警戒が強化されたのか、警備は物々しい。兵士への説明。細かい手続き。身分証明。必要だよね。可愛い地元民なわたしはともかく、怪しさがレインコートを着たカエル男はどうしよう? 指名手配されてるだろう口元がばりばりなソプラノもどうしよう? わたしのなー、営業トークにも流石に限界がある。「ままよ!」と突撃しようか、覚悟を決めて天に任せようって時に、幸運がふらふらと歩いてきた。あいつ! そうあいつだ。あの時は私服で今は騎士団の鎧を着ているけど、あいつだ。ちょっと前、わたしの竜田揚げを前にして逃げ出したちょっと焦げてたあの法事トンズラ野郎だ。 わたしはババーッと近づく。 「ああああああ! あの悪魔の定食屋!堪忍ー。お金払う払うー」 「あー、こんなに? 悪いわね。じゃなくて!」 とか、なんとかかんとか、なんたらかんたら、ジョンR来襲を知らせることが無事できた。信じてもらえないかな、信じさせるのに時間が要るかな、と思っていたが、前もって前回ドラゴラムブレス、上位火炎魔法を放っていたわたし、とのことで腕前だけは信用してくれたのだろうか。とんとんとんと上手く運んでくれた。助かる。ありがたい。世界はまだわたし達を見捨ててない。それとちょっと抜けてるんだよねこの法事男。でも意外と出世頭らしい。副官なんだって。この国の未来は不安だけど、とりあえず助かった。 わたし達は軍営の一室に通された。 何か地球儀とか、大きな地図とか、調度品な鎧の石像とか重めな部屋。天井が少し低めなのもちょっと圧迫感。法事男は、ふぅっと息をつき。 「ウルフ騎士団長を呼んできました。ジョン・R来襲も何とか駐屯軍全員に知らせられるでしょう。そこから先は」 ここからちょっと、あやふやらしく、くだけた言い方になっていく。 「先はね、何せ僕、副官って言ってもここでの滞在はまだまだ短くて、ぺーぺーに近いから。ほんとはジョン・R特別対策班が何とかって感じなんだけど。あの、昨晩のクレアさんらのあの逮捕の知らせで、精鋭たちと入れ違いになっちゃったようで、今頃はあっちの砂漠街で待ちぼうけじゃないかな」 「はあ」 さらっと言うけど、中々にバッドニュースだ。オアシスでの守りは万全ではない。むしろ酷く悪い。何とかなるのだろうか。 と思っていたら全力少年のような、いや全力中年のような、とにかく走りに走ってここにたどり着いたって感じの、ヒゲズラのおじさん。それに少し遅れてばたばたこっちはおっさん、と言うよりむさ苦しい中年6人が扉を開け放ち、飛び込んできた。 「騎士団長の、ゼェゼェ、ウリュ、はぁはぁ、ゼェ、ウル、ケホッ、ゲホッ、ウルフだ。騎士団長のウルフだ」 威厳もなにもあったもんじゃない。でも正にスクランブルに走り回る、こういう上官は素敵だ。指揮官としても有能なのだろう。わたしはちょっと赤くなって 「マラカスのクレアです」 ウルフは汗を服の袖でぬぐいながら 「マラカスのククっ、クレアか」 ちょっと笑っちまいやがったな。我慢してるのが余計憎たらしい。マラカスの何が悪いんだー。 「グェギコギェギコゲーコだ。カエルの国では”探求者”を指す名だ」 「えっ?」 「カエルカエル詐欺の男か?」 うわー、カエル男がいた。めんどくさくなりそう。 「わっ、どっ、どうします。所かまわずビーフストロガノフを投げつけるって噂ですよ」 「落ち着け! ジェノサイダーに比べれば、万引き犯なぞ! ふむ、それに貴重な戦力ともなるかもしれんな」 ウルフ、やはり中々のやり手のようだ。 「早く住人の避難を! ジョン・Rは悪魔だ! 何が起こるか知れたもんじゃないぞ!」 「君は?」 「ソプラノリコーダーのジェイク。ジョン・Rの一団に加わって三年が経つ」 さっと、殺気が覆う。そう、どうにも緊張感が無かったが、ここにいるのは戦場を幾つも渡ってきた軍人なのだ。 「喫緊の事態だ。今は細かいことはどうでもいい。特にお前のような三下の事などな。だが、ジョンRについて、洗いざらい吐かせてもらうぞ」 「ああ……、皮肉だが、助かった」 「何がだ?」 「あんたが凄腕で。ジョンRも止めれるかもしれない」 「止めるさ!」 胸を張り、厚い声で 「第一会議室に行くぞ! 三人も付いてこい」 「いいのか? 捕縛しないのか?」 「ジョンRを止める! それが何よりも優先されるべきだろう? 違うか! それに我々には時間がない」 2 四人パーティ、結成! カウンターが放射状に一つ円を描いていて、その外側に椅子が四十八。この国の礎を築いた最初の騎士たちの数にちなんでいるそうだ。その中心には一つ教壇のようなものがあって、そこにアゴヒゲを生やしたウルフさん、いや威圧されてどうする、ウルフ、がいた。わたしから見てウルフはおじさんの一人だけど、席上にいる選抜された上級兵士はおっさんからお爺さんまで殆どが良い年した大人って感じだ。年功序列な軍の何だかなあと思える部分だし、この若さ、わたしの見立てでは三十五歳辺りで最高責任者になっているウルフの凄さ、が余計に際立っている、気がする。 「シャラポ地区の避難はトビー小隊へ」 「ナギスには遠目が効く、コソボ高山出身の、確かロビンが居たな。東門の見張りに代わらせろ。この街一番の馬鳥も忘れるな。迅速に発見、連絡、撃墜だ」 「ストロボカフェにはミートソーススパゲティを急がせろ! くれぐれもパスタを冷めさせるな」 最後のはわたしの願望。お腹が空いているんだ。ほんと。速やかに命令が送られ、兵士たちが小走りに伝令を叶えようと退出していく。 三十分も経たない内に、部屋にはウルフとその直属の部下3人、法事野郎の副官、わたし、ソプラノ、カエル男だけが残った。 「ってみんな出てってどうするの!」 「口を控えよ」 側近1が言ってきたが、こんな時に気を使ってどうするのさ。 「どうやって、ジョンRをやっつける気? 今からでも誰か呼び戻さないと」 ウルフはわたしの目を見つめて 「奴のエレキの餌をか?」 ソプラノが応える。 「懸命だ。少数精鋭。以前の軍の襲撃も、そう絞られていた。やりにくくしてたよ、ジョン・Rは」 ふうっと副官からため息が漏れる。 「しかし、我々だけでは。せっかく数百人の軍人がいて、戦線を守るのは数名なんてダメっぽく、さ」 最後の方はタメ口だ。 「いや、これでも多い方だ。最終的に決戦に注ぐのは四人だ」 「えっ?」 「まずは俺、琵琶法師のウルフだ」 そう言うと茄子型のギターのようなものを部下から受け取った。 琵琶? びわ? わっ! マイナーな楽器。 お揃い、お揃い、って両手をつないでぶんぶんぶんしたくなる。きっと影でマイナーギターウルフと呼ばれているのだろう。 「バカッ! お前のマラカスと一緒にするな。先代の総騎士隊長も扱っていた国宝級の聖楽器だぞ!」 五月蝿いな側近その1。ビワ、何か美味しそう。ビワって美味しいよね。形のナスビも美味しいし。 「声が漏れてるぞ」 とカエル男。 「それにしても食うことしか、考えてないんだな」 と副官。 「はは……は」 わたしは笑いながら凍る。よりによって此処で。と言うか、多分、わたし緊張感を持続させるだけの気力がもう ビワが糸を感じさせる高く細い音を奏でた。ウルフの演奏。ちょっと、幾ら失礼だったからって。わたし、こんなとこで、消されちゃう? 風がウルフの背中で一つ塊を作り出し、狼のような像となった。なるほど。 「これが俺の琵琶の力だ。あいにくの無風の昼下がりだが、天気には文句は言えんしな。これで七割程だがどうだ? ソプラノ」 デモンストレーション。ちょっと手の凝った自己紹介と言ったところか。 「これでショカーリョ、前述した俺の相棒だった男だが、彼の魂を吸ったエレキギターを倒すのは困難だろう。しかし、足でまといにはなるまい。マラカスとカエルと手を組めば、或いは」 「ほう? 随分と買われているな。マラカスよ。それではその可愛らしい細腕からどれほどの力を出すか、見せてもらえないか」 「まかせてっ!」 シャンシャンシャン、と手首をスナップさせる。カイザーフェニックス、見た目だまし版。姿だけのハリボテなフェイント技だけど、その凄味は伝わるはず。 「ほう、トリックアートか。確かに優雅なこれを描けるのだから、相当なものだろう」 ウルフには見破られている。流石に。 「ええ、これだけ地の利に恵まれているのに不利な筈なウルフさんにも及びませんけど」 「謙遜するな、夜通しの消耗を解消すれば俺と並べるだけの力だ。マラカスの場合、魔法力というよりも実戦経験の無さを気にすべきだ。ここからは戦争と思え! ジョンR討伐の二人目は、マラカス、頼むぞ」 まず軍で長年連れ添った腹心ではなく、見知らぬわたしに託す。思い切った決断だ。でも翻させる気はない。乗ってやる。わたしにだって討ちたい仇がいる。 「ええ」 「残り二人、タクト、できるか?」 青、黄のカエルが飛び出す。 タクトがふられる。 水筒の水から小さな巨人が生まれる。 相変わらず、巨人は左腕がもげてるけど。 「驚いたな。俺以上に不利な自然状況だろうに、これほどとは。指揮者というのは凄まじいな。負けたよ。しかし、頼もしい」 「見世物にはしたくないが。それでも義理がある」 「義理ついでに、三人目はキミ、タクトでいいかい?」 「ああ」 「最後の一人だが」 少し咳をして、後ろを向き。 「最後の一人だが、木琴のダイナムサイザム。お前に頼みたい」 側近その2、だった筈のダイナムサイザムが応える。 「はいっ、自分は木琴のダイナムサイザムでございます。モッキンとお呼び下さい」 背中から小型の木琴を取り出すと、ぽんぽんぽん。 「ホノオのセンシ」 炎で出来た影が、周囲からニョキニョキと出てきた。 「この分身、最大3匹まで操ることが出来るのであります」 応用の効きそうな能力だ。そして、ちょっとヒョウキンな顔したタレ目の彼は、それこそ幾つもの実戦を経て有効な使い方を磨いてきたのだろう。わたしとは正反対だ。わたしは、力だけ。 「以上、四人だ!」 えっ! とわたしが抗議するよりも早く 「何故だ! 何で! 俺だって上級治癒が使えるんだ。何故、選ばない! ショカーリョの分も俺は! やはり信用できないのか!」 無口な筈だった必死のソプラノだった。 「力や立場なぞではない。相性の問題だ。ソプラノリコーダーの力は、使用中、守りががら空きになる。ジョン・Rが常にコンビでいさせていたのもその為だろう。ソプラノ、お前も分かっているはずだ。隙を作る者は、スムーズな作戦を妨げる不純物は、削らねばならん」 「俺は! 俺は! やっと、ジョンRを、心の底では止めたいとずっと思ってた! それが! あいつがいなくなって! やっと! 頼む! この命だって惜しくない!」 「その命を捨てられては溜まったものではないな」 「うっ」 そうだ、エレキがあるんだ。そうした命懸けの覚悟させも餌にしてしまうんだ。ジョンR。恐ろしい能力。 「俺の部下たちにも似たようなことを言った奴がいたよ。気持ちだけは仕方がない。しかしソプラノなら、お前は足でまといにすら成れない、と言われなくても、わかるよな。わかってくれ」 堪らなかった。薄っぺらなわたしには会話に入っていく資格は無いかもしれないけど。でも。それでも! 「大丈夫、ソプラノの気持ちを汲む、なんてわたしには出来ないけど。ショカーリョへの想いだって、わたし、ある。あなたには全然及ばないかもしれないけど、一グラムでもショカーリョの仇、討ってあげる。だから」 ソプラノは下をずっと向いていた。泣いているのかな? ってちょっとだけ思った。やがて 「しかし、少しでも俺が役にたつことはないのか! ジョンRがオアシスで何をしようかは確かに俺も知らない。だけど、だけど」 「うむ、勿論、死ぬほど、精根尽き果てるまで役にたってもらうよ、ソプラノくん」 ウルフはちょこんと笑った。それがほんとにチャーミングに見えた。 3 わたしたちの未来 空は夜空なのに明るかった。 星は嘘みたいに輝き、一面が砂粒のように埋まっていた。 星の海、スターオーシャンなんてキザな口説き文句だと思ってたけど、こんな世界あったんだ。わたし、ここまで連れてきてもらったら、ほんと騙されて口説き落とされちゃうかもしれない。 心地いい音が響く。 カエル男が笑いながら、ぽかんと空いたサークルの上で、タクトを伸び伸びとふっている。 カエルが音に揺られながら、幸せそうな合唱をする。 カエルには体温が無いけど、哺乳類だったらこんな温もりがあったら、どんなに素敵だろう。 綺麗。 鼻がツンとする。 喉の奥がこみ上げてくる。 ねえ? わたしも。わたしも歌っていいかな? 歌うよ! 口を開いた瞬間。 そこは何時ものお店の中だった。ブラック兄さんが、コーヒーを舐めるようにちびちびと。猫のみーやさんが珍しく起きていて、後ろ足で耳をかいている。 「あれ? エスプレッソ弟は?」 「ああ! クレアさん! やっと起きてくれましたか」 「なによー、わたしは何時でも目ん玉スッキリ、眠らない定食屋なのよ!」 木目を指でなぞる。つつーって音を立てる細かな摩擦が気持ちいい。 「いやー、会いたかった、ですよ」 「震えるほどに会えなかったりしたの?」 「いやいや」 ニヤリと声にならない笑み。午後の痛すぎない光と、お似合いだ。 「ふぅっ、会ってですね。なんか、何だか言いたいことがあったはずなんですけど、安心しました」 「なによー」 「きっとまた何時か、何処かで、ずっとずっとクレアさんのレストランに通う事になるんだろうな」 コーヒーに口を付け、すする。あれだけあった筈のブラックコーヒーは、空っぽになっていた。 「それじゃ、また」 「あれ? ラーメン半ライス定食、食べてかないの?」 「また会えるのを待ってますからね」 「むー」 わたしは身を乗り出し 「それはこっちのセリフ。またのご来店をお待ちしてますっ! ってね!」 「はい」 猫のみーやさんがタンゴのリズムでにゃーにゃー歌う。 猫まで…… でも、わたしは店の中に「休め」の姿勢でぼうっと立ち、ゆるやかなそれを味わっていた。ずっと、ずっと、続くといいな。ずっと、ずっと。 「あれ?」 わたしはベッドにいて揺さぶられていた。 「やっと起きたか……」 カエル男の顔が、無防備に目の前にある。ドキリとする。あんな夢、夢だよね、そういうのを観たからか。 「なかなかの度胸です。自分なぞ緊張して緊張して一睡も」 と、モッキン。 「ソプラノのお陰ね」 緩やかな包み込むような春を感じさせる笛の音は、今も響いている。身体が軽い。戦いの以前よりも、普段よりも軽いくらいだ。背中もぜんぜん重くならなくなったし、足首の捻挫もどこ吹く風だ。 「カザーフの宿屋」ソプラノの回復魔法だ。精神も身体も癒してくれる。お日様の位置からして一時間半、奏で続けてくれた。怪我をした唇でぶっ続けで。戦えない悔しさをぶつけて、精一杯の優しい音色を紡いでくれた。これに応えなきゃ、わたし、戦う乙女じゃない。 「早馬によると、ジョンRの姿が門から目視された。これから一時間と言った距離だ。迎撃するぞ」 ウルフの姿は一見ラフなジャケットとズボンに変わっている。白銀の鎧と茶色の上着の落差がはげしい。しかし、ジョンRの雷は、鉄の鎧なぞ物ともせずに貫く。この服装は機動力を重視するとともに、電撃を弱める、確かラバーと言った、そういう素材を練りこんだ服らしい。わたしもそうした上着とズボン。流石に女の子用の衣服ってのは、こうした施設では圧倒的に足りないらしくて男用のを。ちょっとぶかぶか。まあ、ジョンRにはオシャレなんて以ての外、スッピンでも十分なものだ。 「寝ぼけるなよ。負ければ永遠に眠ることになる。我々だけなら良いが、下手をするとオアシスの街そのものがな」 「メインストリートの封鎖、住民の八割方の避難は終えましたのです。予定通り関所の門で退治であります」 「行くぞ!」 「サー」 「ふぅ」 カエル男は軽く伸びをして、二人に続こうとする。 「ちょっと、待って」 「なんだ?」 「そっ、その何でここまでして戦ってくれるの? 義理とか言ってたけど」 「ああ、それは、まあ。人も店も守れなかったからな。沢山傷ついただろ。あんた。俺がもっと強かったら、責めて何時もの俺だったら、太郎、ジロー、それにキャリー、ここまでの被害は防げたはずだ。すまない」 その、それは…… 「キャリーが居れば、ピアノだって楽に倒せたし、ジョンRにも隙を与えなかった。人も店も守れた。これだけの軍人が民衆が動くような大災害なぞ無く、何時もの朝を謳歌できたはずだ」 いや、まあ、全ての原因はキャリーを食べちゃったわたしにある。って遠まわしに言ってない? 「そう……」 どんより。 「あのね、わたし、カエル男に取り返しのつかないことしちゃったけど、全て終わったらわたしを好きにしていいよ。煮るなり焼くなり、いっそ食べちゃっても構わない」 返事がない。あれ? 「だからね、すまないことしたって。わたしを食べちゃってもいい、ってのはその比喩みたいなものだけど」 あれ? 何でカエル男真っ赤なの。って! えー! 誤解してるっ? わたしまで真っ赤になっちゃっうじゃない! もじもじと。 「あっ、食べちゃうってのは、アレじゃなくて、わたしキャリー、唐揚げにして食べちゃったでしょ、全部終わったら、それと、同じくらいの償いをするって」 「そっ、そっか。すっ、すまん。あらぬことを」 あらぬことをイメージしないでくれ。むしろキャリー! 思い出したー! コンチクショウ! と怒ってくれ。この拷問のようなちょっとした間の憎たらしいこと。 「くくっ」 「何というか青春ですねえ」 ウルフにモッキン、聞いてるなら止めろよ! 視線を逸らそうと横を向いたら、下からソプラノが楽しそうだ。あー、何で、こんなドキドキしてるんだろ。魔法にでもかかったのか。余りにもこの手の感情は唐突だ。わたしに何が起こったっての。ほんと。昨日からちょっとどころか、明らかに変だ。 「さて、夫婦芝居も終わったことだし、行くぞ」 ウルフ、ちょっとキャラ変わった? と顔を見つめると、さっきのが嘘のように戦士の威厳ある表情になっていた。わたしも気合を入れ直す。ウルフ、モッキン、カエル男、わたし。 「ソプラノ、待ってて! この身体、気力、それにソプラノから受け取った想い、必ずぶつけてくるから!」 力を使い果たしたのだろう。床にうずくまっているソプラノはそれでも笑顔を作り、親指をぎゅっと立ててくれた。 さあ、東門で決闘だ! 行くよ! 4 押し通るもの、守りぬくもの あれだけ騒々しかった東問は、今はがらんとしていた。しかし、それよりも濃密な殺意が満ちている。ジョン・R。含み笑い。 「長旅オツカレサマ。ご褒美にちょっと長めな休暇をあげるわ」 わたしはフードのついた茶色のコートをすっぽりと羽織っている。両隣にも一人ずつ同じくコート。 「四人か!」 確かに右手の石柱の影にもう一人。見破られている。らしいわね。 「面白いっ! が! それで俺を倒せると思うな!」 動揺している。動揺している、ような素振りでこちらが有利だと錯覚させるだろう、とはウルフの談。 あいつにとっては手頃の餌が増えたことを、内心ほくそ笑むだろうと。 エレキギターが弾かれる。 濃く深いバラード。 わたしだってマラカスをシャンシャン。だけど、音色からだけでも凄みの違いを見せ付けられている。くそっ! わたしの方が先手。 「メラゾーマ!」 それを待ち構える余裕しゃくしゃくと 「ギガデイン!」 雷電がガラスのヒビのように、ジグザグに辺りの空気を駆け回った。火球はそうした沢山の雷撃の一本にも及ばない。霧散された。 「メラゾーマ」 すんでのところで連続魔。何とか正面の塊を逸らす。だが、左後方から乱反射したかのように細い電光。 「ううっ!」 ワキ腹を刺すような痛み。これが、ジェノサイダー! 「ほうっ! 忌々しい! 耐電の装備を整えているというわけか!」 そう、電気を防ぐ衣服。それが無かったら、死ぬまではいかないかもしれないけど、動けないほどの痺れを受けていただろう。しかし、それだってジェノサイダーの前では死そのものを意味するのは間違いない。 「しかし、お連れの頼もしいお仲間は、これまでの様だな」 電撃の直撃を受けた両隣の二人を見て、笑うジョン・R。これだって狙い。今度は「わたしたちのターン」だ。 「やっ! やったわね!」 わたしは我を失ったふりをして、ジョン・Rに突進する。二人のコート。いや二つのコートは電撃を浴び、倒れ、やがて赤い光を放ち、炎の粒子となって消えた。 「なにっ!」 そう、予定じゃ、青白く光ってエレキギターへ直行なんだろう。だが、わたしだってカエル男だってバカじゃない。そしてウルフという凄腕の戦争家がバックについている。もう一人モッキンだっている。そのモッキンの魔法。ホノオのセンシ。注意を逸らすダミー。 驚きのジョン・R。一瞬の後、また冷酷なジェノサイダーの頭脳を取り戻す。だけど、わたしにゃ十分な隙だよ。距離がぐんと短くなり。チャージだって。この距離なら 「フィンガーフレアボトムズ」 五本の指からそれぞれ五つ分のメラゾーマ。片手だけでマラカスを振るこの技は既に一度見せているけど。至近距離なら、五つの軌道を描く五発同時メラゾーマの広がりを持つ技となる。余裕に溺れ、次いで戸惑いを見せていたジョン・Rなら。 そのジョンRはエレキギターを突き出し突進した。炎が一点へと多方向から再び集約する前に、目の前の炎にギターをぶつけて、そのまま後ろへと吹っ飛び、吹っ飛ばされる。 「くぅっ!」 やはり痺れるほどに強い。このバトルセンス、修羅場の連続で磨かれたこの鋭さには、わたしは遠く及ばない。だけど、読まれてるよ! ジョンR! ビワの音が鳴り響き続けているのに気づいてる? それにカエルの合唱だって! ジョン・Rの背後から水の巨人が突進する。巨大な一閃! どう? やった? ってない! エレキギターは鳴り続けている。そして土煙の右横をジョンRが飛んでいる。ピアノとカエル男の激闘。数時間もの剣劇のやり取り。「見せすぎだな」とウルフも言っていた。だけど、そのウルフが、そう、飛んだジョンRの目の前に。わたしだって右後方から 「メラゾーマ!」 そして正面では溜めに溜めた、ジョンRには初見のウルフの最強技。風が舞う。ジョンRの一撃と同時だった。 「天衣無縫斬!」 「ライデインブレイク!」 肉の焼ける匂いがする。それを切り刻む音も聞こえた。しかし、エレキギターは続いている。レクイエムは続いている。曲調が変わる。辺りは砂煙が舞い上がっている。ふらつくように走る影。突破された! オアシスに向かっている。ウルフが走る。距離を詰めようとする。 「喰らえ!」 わたしは堪らず叫んだ。 「土走りっ!」 土走り。正確には通称「地を走るいかずち」。 「くっ!」 ウルフの急ブレーキ。瞬間、前方に雷の昇撃。 「くそっ! だがっ!」 ホノオのセンシが三匹。新たに演奏されて、何とか間に合った。それが前方を向いて、炎の弾を片っ端から放った。 「何で!」 非効率だ。二発、三発と外れる。 カエル男が、走り寄りながら 「砂煙だ」 ああ、風と電撃のぶつかり合いで、砂煙が一面にたっている。モッキンはわたしから五メートル先の三階建ての建物の屋上に居る。俯瞰した位置から戦局を見つめ、サポートに徹する。ジョンRの射程外から。それを可能にする射程距離を持つ能力だった。だが、今ではその姿が砂煙で遮られている。モッキンからもそうだろう。 「血反吐はくまで、連打だ! 逃げられるぞ! 撃て! 撃て! 撃て!」 ウルフは土走りを警戒して、立ち止まり、そう叫び続ける。ベストの判断だろう。だが、それはジョンRにも聞こえている。エレキギターの音が消えた。魔法を犠牲にして、位置を悟られるのを防ごうとしている。だが、それでも。 「撃てーっ!」 ウルフの咆哮。 次いでホノオのセンシから火炎球の連打。一発、二発、五発、十発、と数え切れない程のメラミの嵐。敵は手負いだ。わたしのメラゾーマと、ウルフの天衣無縫斬。軽傷であるはずがない。モッキンも勝負に出た。全力を振り絞るように連打、連打、連打。 砂煙が晴れた。誰の姿も見えない。沈黙。その沈黙が怖い。やったのか? 逃がしたのか? ウルフが駆ける。駆けながら。 「人の焼ける臭い」 「うん、確かに」 強烈な、不快な、排泄物よりも酷い人が焼けていく臭い。煙。 ウルフはしかし苦渋に満ちた声で 「弱い。致命傷には浅い」 戦場を駆け巡ったウルフだからわかるその臭いの濃さなのだろう。わたしはウルフに改めてぞくりとし、それを逃げきったジョン・Rの戦いのセンス、いやそれ以上の悪運、に震えてしまった。 広い広いオアシスへと続く大通りだ。地味な土の色合いにアクセントの店の看板たち。それが一層味気ないものに、彩を失ったものに見えた。 既に周りの小道は封鎖されている。しかし、人は付けれないし、何せ急ごしらえのバリケード。突破された可能性は捨てきれない。そしてその可能性は文字通り縦横にわたし達を迷わせる。 カエル男は天をあおぎ 「オアシスへ賭けよう。奴の執念、奴だって余裕のある選択ができるほどの傷じゃないだろう、それに賭けよう」 オアシスに駆ける。先回りになるか間に合うか手遅れになるか。或いは見当はずれになるか。そうなれば犠牲者は、きっと。それでも 「オアシスへ! うん!」 ウルフも叫ぶ。 「よしオアシスだ」 声が風に乗って 「目視できません」 モッキンの声。建物の三階にいる分、ロスがある。合流まで待つか、という選択はない。みな、ジョンRの執念に、言いようもない腹にたまる黒煙に詰まらされていた。 それでもわたし達は走っている。オアシスへと走り続ける。 5(最終話) ラストバトル オアシスは酷く濁っていた。 お店の梅の水に更にこげ茶色を挿したような、そんな色だ。藻や朽木がむき出しに露出し、ぽつぽつと魚の死骸が浮かんでいて、それでもそこに引き寄せられているのか、水面には絶えず呼吸の波紋が描かれている。安らぎといったオアシスからの連想ワードとは遠い、地獄のような景色に見えた。 間に合った。だけどウルフは 「くっ! 後手に回っている! やつの思うツボだ! モッキンが来たらホノオのセンシと連携して周囲を警戒しながら、オアシスから遠ざけるぞ。嫌な予感がする」 「うん……このヘドロのような水を見てしまうとね」 ところが、カエル男だ。 「いや、都合がいい。水は殆どなくなったと聞いていたが、これだけあるのならば限界サイズの水の巨人を使役できる。少し時間をくれ。歌を奏でる」 返事も待たずに、太郎とジローを出し、タクトを振り始めた。 「少しの時間?」 「十五分と言ったところだ」 「くっ……」 ジョンRをオアシスから遠ざけるか、リスクを背負いオアシスそのものを利用するか。困難な二者択一だ。もっと悪いことに、これはクイズではないってことだ。どっちを選んでもゲームオーバーなのかもしれない。だけど、わたし達は選ばなきゃいけない。 「頼む」 ウルフは頭を下げた。 六分。 湖面が浮き上がり、巨人がその頭をぬるりと現した。 八分。 気配がした。振り返ると、モッキンだった。その背後には。三匹のホノオのセンシ。 「サー。ウルフ団長。残った全パワーを注ぎました。これが尽きたら、抜け殻であります。如何いたしますか。サー」 「守備に専念してくれ。火炎放出魔法は使うな。音唱無しに使える便利な代物だが、その分ホノオのセンシ自身の魔法力をダイレクトに消費するからな」 わたしに解説するように言葉を開いてくれた。 十一分。巨人がその右腕を形作った。大きい。上半身だけで五メートルはある。オアシスに向かえば不利だとわたしは思い込んでいたけれど、この力ならばむしろ利はカエル男の方が大きいんじゃないのか。凄まじい威力なのはわたしが保証する。って何で保証できるのかな。何でだろう。それにこの曲、妙に郷愁を誘うし。でもわたしの故郷、カエルが鳴く田舎じゃなくてそれなりの エレキギター! 「くっ!」 わたしは反応が遅れる。致命的な考え事。それでも懸命にシャンシャンシャン。ウルフのビワは何とか間に合うか。サビへの盛り上がりは同時。その音は共にピーク。両方とも最強魔法を放とうとしている。ウルフは天衣無縫斬、ジョンRはギガブレイク、いやギガデイン。全員を狙っている。いけない! 防御が間に合わない! わたしも! 何より切り札のカエル男が! 「天衣無縫斬!」 死神が口を開いた。 「ギガデイン!」 視界いっぱいに黄金。雷の束が迫る。やられるっ! いっ 「いやぁあっ!」 瞬間、一つ影が駆け寄った。 雷光が目の前で爆ぜる。爆ぜてくれた。 わたしは伏せる。その上を細かな稲光が通り過ぎた。 ホノオのセンシが文字通り身体を張って受け止めてくれた。ありがとう。モッキン。目で合図をする。カエル男へとそのまま視線を流すと、彼の前にはぼろぼろのホノオのセンシ。最終局面で、何とかモッキンに救われた。 エレキギターが再び鳴り響く。追撃の準備。けど、わたしの腕にだってマラカスが鳴り響いている。チャージタイムならわたしの方が長い。地面に伏せながらも砂に口をぶつけながらもわたしはマラカスを振るのを止めなかった。わたしだって、昨日から色々と死線を越えてきたんだ。 マラカスを振り。 マラカスを振り。 フェニックスが完成した。 そしてほぼ同時にカエル男も、巨人を完成させていた。 「いっけぇー! カイザーフェニックス!」 「水巨人! 放たれよ!」 「ライデイン!」 雷の弾が放たれた。カエル男は水巨人に命じてガードの構えを取る。わたしのフェニックスはバックステップを踏んだジョンRに避けられ、ない。ジョン・Rは避けきれない。動きが今ひとつ鈍い。心の速度に身体が若干遅れた。炎の先っぽが、その右足に炎の渦となって絡みつく。もう、ジョンRは歩くことは出来ないだろう。目を凝らせば、先の戦いのダメージも深く、傷口がはっきりと見て取れる。追い詰めた! 勝った! やった! 雷光はカエル男へ向かっていて、しかしそこには巨大な水の巨人がいて、それが防ぐ。いや、防げなかった。防ぐことすら無かった。雷玉は大きくカーブを描き。その先にはウルフ、ではない。わたし、ではない。 まさか! 予感! でも、モッキン、でもない。 オアシスの水面へと球は吸い込まれた。暴発した? そのまま湖を雷色に照らし続けている。 「最後のあがき? 金色の水面ってのも綺麗じゃない? ね? 正にレクイエムに相応しいかもね。ジェノサイダージョンRの」 ぼろぼろになって岩に寄り添って、何とか右足だけで立ち続けているジョンRは、笑った。 「ああ、レクイエムさ。お前らのな。そしてこの湖の哀れなる雑魚どものな」 ぞぅっと汗が伝った。稲妻は湖全体を照らし続け、そしてそこを住処にするもの達、その生命達の声なき嵐が湖面から立ち上がり、ジョンRへと、エレキギターへと吸い込まれていく。 「くくくっ、勝ったぞ! 俺は全てに勝った! 痛かった! 痛かったぞ! 何億倍にして返してやる! 世界に返してやる! そして! 俺が! 世界を作るのだ!」 エレキギターが高鳴った。ウルフは絶叫しながら放つ。 「バギクロス!」 しかし、それすらも些細なことと、死の嵐に弾き返される。それどころかわたし達の身体まで、強風が襲い、吹き飛ばされた。何とか、何とか、わたしたちは駆け寄り、水の大巨人が風よけになっているところに集う。嵐は止まず、二分が経っただろうか。三分が経ったのだろうか。光の渦。時間の感覚すら忘れてしまうような光。 「魚、水鳥、水藻、一つ一つは雑魚だが、砂漠という砂のたった一つの点、オアシスに集うその密量。天すらも味方につけたのだぞ。水面に集いし馬鹿なる魚ども! さあ! その力を見せよ! 水底に溜まったヘドロよ。我が雷が、その意思を与えよう。地獄の右腕。マスターハンド!」 湖から巨大な手の塊が、禍々しく立ち現れた。 びくびくと痙攣している巨大な手。五本の指がそれぞれ不規則に曲げ伸びしている。その手には高圧電流が帯びている。ふれれば、命がないだろう。水面には相変わらず電撃が走っていて、光がジョンRを包む。衝撃でコマを失ったモッキンは立ち尽くし、ビワの音もマラカスの音も心なしか震えている。モッキンに限らずわたし達の力は限界に近い。湖じゃないけれど、もう、底が見えている。わたしの腕は震えている。 「メラゾーマ!」 炎は直撃した。が、焦げる音がしただけで、水分を多く含んだ土に消火されていた。 「バギクロス!」 マスターハンドの薬指を八つ裂きにする。しかし、その破片は、エレキギターのリズムに踊って、また一つの手へと復元されていく。 勝てない! 今までのどの思いよりも濃い絶望が心臓を支配する。呼吸すら、止まってしまいそう。ただ、でも、たった一人。 「カエル男!」 「俺が止める! お前らは逃げろ!」 カッコつけちゃって。うう、でもね、わたしだって可愛い子になんて成れない。どうせ死ぬんだもん。ここまで付き合った縁。責めて最後まで、ラストダンスまで! わたしはカエル男の前へ、マスターハンドの壁となる位置に立ち塞がる。 ジョンRは底抜けの、とてつもなく不快な笑い声をあげた。 「もう一匹、マスターハンドだ! ハハハハ」 本来なら声を出すことすら苦痛な重傷の筈だ。執念、そして勝ち残ってきた自信。巨大な手がもう一つ。右手と左手と言ったところか。 「退くぞ!」 とウルフ。ありがとう、冷静なあなたがいるから、わたし、カエル男と躊躇いなく心中できる。 「しかし……サーでありますね」 モッキン、少しの間だったけど、好きになれそうな人だったわよ。うん、会えて良かった。いきなり再会も出来ない別れなんてね、なんて。 「急いで! わたしたちが食い止める!」 「サー、イエスサー! ミスマラカス」 「すまないな、その代わり街人は少しでも何とかする。時間を稼いでくれ」 お世辞でも、勝ってくれ、なんて言えないか。わたしたちの命、ジョンRの餌になっちゃうだろうけど、それでも魂は最後までもがいてみせるからね。勘弁して。 うん、二人共遠ざかっていく。それを追うように、手が動き出す。巨人が止める。ほんと、何でだろう、懐かしい。何もかもが懐かしい。こみ上げてくるものがある。 ラストバトルが始まった。 水流斬! 上段! 下段! 突き! 回り込み! 兜割り! あらゆる攻撃がマスターハンドを切り裂く。しかし、それは泥の固まりに木の棒を突き刺し続けるようなもの。瞬く間に復元される。一方のマスターハンドがわたしたちににじり寄り、もう一方のマスターハンドがジョンRの前へと土の壁としてそびえ立つ。 オアシスへ向かった理由。それは膨大な命を刈るだけではなく、この澱んだヘドロを手に入れるためでもあったのだろう。多くの屍骸を含んだ、ジョンRの気質にも沿うその粘り気ある性質は、正に最高の粘土だ。その動力源の電気となる魂は、未だにチャージされ続けている。ジェノサイドの予感が走る。オアシスだけじゃなく、わたしの街も危うい。時間だけでも。使わせてやらなきゃ。マラカスを振り続ける。カエル男は何かを言いそうになって、でもその代わり 「十文字斬り!」 マスターハンドは分かたれた。だが、それは平然と復元していく。夜の後、夢の後、朝が来るように。その太陽も、日も暮れ始めてきた。湖から発する電気の黄金と生命の青の光がひたすら際立つ。エレキギターの真の恐ろしさ、それは限界知らずの、恐らくジョンRすらも知らない無限にも届きそうなエレキ蓄電容量にあるのかもしれない。 縦切り。 横切り。 千切り。 乱舞。 足蹴り。 全て時間稼ぎにしかならなかった。 責めて、責めて、本体に届けば。 それだって届かぬ願望だ。 でも! カエル男は勝負を賭けた。 「ストラッシュブレイク!」 巨人は上体を沈めると、力をチャージし、マスターハンドへ、いやその奥の二匹目のマスターハンドへ、いやいやその最奥に居るジョンRへと突撃を仕掛けた。 土煙と爆音。 わたしも苦し紛れのドラゴラムブレスで、活路を開こうとする。 しかし、それは一匹目のマスターハンドすら貫くことを出来なかった。その二本の指を切り崩すに留まっていた。勿論、追撃の時間すら許さず復元。 カエル男は笑った。彼が笑うのをわたしが見たのは初めてだった。それなのに何故か懐かしかった。 「すまない……」 わたしは声を出そうとして、鼻が詰まっていて、それで自分が涙を流し続けていることに気づいた。 「ううん」 わたしも笑う。 「頑張ったね」 「お互いにな」 「ありがとう、今度ラーメン定食おごってあげるわ」 微かに眉を上げ 「今度は太郎とジローを食べちゃうなんてないようにな、警戒しないと」 「ラーメン太郎」 「ラーメンジロー」 くすりと笑った。不思議なことに、今まで生きていて、一番幸せな気持ちになれた。懐かしさと愛おしさで一杯になった。何でかな? 何でだろう? あなた。その心が、わたしを満たしたときに、何かのスイッチがかちりと音を立て、眠っていたものがキリキリと動き出し。 声が聞こえた気がした。 「クヮッ! クヮッ! クヮッ!」 「えっ? 歌ってって? 心の奥から?」 「おい? どうした?」 「クヮッ! クヮッ! クヮッ!」 「うん、歌うよ!」 わたしは歌った。 声はわたしが今まで出したことのないクリスタルボイスで高く澄み、フォルテッシモの強さで、スタッカートを踏んだ。 そしてわたしの今まで聞きもしなかった言語を、古代カエル語を唱え始めた。 でも、わたしは知っている。それが勇ましい巨人を称える英雄の歌「ゴスペルソング」だということを。 カエル男は、ワッと言葉とともに感情を爆発させた。 「キャリー!」 わたしの中のキャリーだった部分がうなづくように、声はまた一段、スタッカートを踏む。 太郎、ジローは嬉しそうだ。わたしだって嬉しい。キャリーだって嬉しい。 カエル男は強く、強く、タクトを振る。 トリオのカエルの合唱が完成した。 巨人も強い光を放ち、その左腕の穴は水で満たされた。 ありがとう。クレアさん。 こちらこそ。 この歌はわたしたち、一人の人間と三匹のカエルで作り上げた歌です。もう一度、聞けるなんて、歌えるなんて。 わたしも初めてこんなに綺麗な巨人を観れて、嬉しい! ……ごめんね、キャリー。 いえいえ。でも。 でも? あの人とずっと一緒に居てくれる? わからない。でも、そうなるかもしれない。そんな未来を開いていこう。 うん、掴もう。 巨人はエメラルドに光る身体を、ゴールドに輝くマスターハンドへと解き放った。マスターハンドは真っ二つに分かれ、道が開けた。もう一匹! 喉が焼ける。声が乱れる。巨人のバランスが崩れる。 わたしの喉は、人間の喉は、カエルの歌には追いつけない。ギリギリで痙攣しているのがわかる。でも! 潰れてでも! 活路は開く! もう一度。フルボディで突撃。路は開けた。ジョンRの憎らしい顔をもう一度見ることができた。その顔は驚愕に満ちていた。けれど、声が弾けとんだ。高音が乱れ、歌が尽きた。精霊獣の歌は人間の身体には負荷が大きすぎた。ジョンRの顔が恍惚で歪んだ。 「ここまでだ! 天運は我に有り!」 巨人の真横で腕がうごめいた。わたしは。二匹のマスターハンドは一つに混ざり合い、巨人すらも包む巨体となった。わたしは駆け。マスターハンドが水巨人を掴み、圧力をかける。ジョンRの笑い声。今は、もう、それも私の目の前。わたしは駆けていた。マラカスを振りながら。声が尽きるのを悟った次の、わたしなりの機転だった。ジョンRも皆も歌にだけ注目している。きっと、隙ができる。わたしは声を自声を絞り出した。 「燃えよ! 我が不死鳥! カイザーフェニックス!」 炎は、猛った。 戦いは終わった。 決着はついた。 戦いに勝った。 キャリーが笑った気がした。 「殺しちゃった……」 「キャリーー……」 「わかってたんだ。わたしにその決心さえあれば、ブラック兄さんだって、死なずに済んだ。あまちゃんだよね」 カエル男はジョンRが居た場所に駆け寄っていた。 「ああ、あまちゃんのようだな。相変わらずな」 そしてこっちに来いと指で招く。 「躊躇いが生まれたな。酷い火傷だが生きている。ソプラノが許すのならば、きちんと社会がこいつを裁くことになるだろう」 皮肉にも太陽も味方してくれたのだろう。日は何時の間にか沈みきろうとしていた。 「カエル男も、ユーモアみたいな曖昧な言葉、言えるのね。もったいぶって、カッコつけちゃって」 わたしは笑った。声が震えていた。涙が流れていた。止まらなかった。今まで精一杯作ってきた痩せ我慢が崩れて、見たこともない大粒の涙が、とめどなく溢れた。 「ありがとう」 「こちらこそ、な」 わたしはカエル男を抱きしめた。 カエル男もわたしを抱きしめてくれた。 こんなにも満ち足りた包容も、嬉しくて堪らない気持ちも、ドキドキと真っ赤になる頬も、きっとキャリーのせいなのだろう。わたしはカエル男の胸の中で、泣き笑った。お互いに泣き笑った。 |
えんがわ
2017年08月04日(金) 02時22分52秒 公開 ■この作品の著作権はえんがわさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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