【短編2作】元素幻想 |
《 1.結晶 》 夏休み。 昼前の駄菓子屋は、子供達の姿もなく空いていた。 「はい」 ぱきん、と一袋三十円の 「今日は私の奢り」 「ありがとう」 「次は 「はいはい」 二人並んで軒下のベンチに腰掛け、氷菓子を囓る。しゃりしゃりと安いソーダ味を咀嚼しつつ、隣を見やると、夏那が着色料に染まった舌を氷菓子の棒に這わせていた。 「……もう食べたの」 「だって暑いし、喉渇いてたんだもん」 むー、と棒を口に咥える夏那へ、僕は、 「行儀悪いよ」 「むー。奏ってたまにお母さんみたいなこと言うよね」 そうして今度は、両足を交互にぷらぷらさせ始めた。まあ、棒を咥えてるよりはマシかと、再び氷菓子に意識を戻す。 「ねぇ、奏」 不意に、夏那が僕を呼んだ。 「もしも私が、私でなくなっちゃっても、奏は私に氷菓子を買ってくれる?」 僕は少し考えてから答えた。駄菓子屋のカウンターに置かれたラジオから、ノイズ混じりのニュースが流れていた。 ラジオ横のトレイには、夏那が置いた三枚の十円玉が、そのままになっていることだろう。 「……うん」 「そっか」 短く応じて、夏那はベンチから立ち上がった。 『パキン』、小さく耳障りな音がした。 「私、ソーダ氷菓子の色が好きなんだ。青空みたいで、南の海みたいでさ」 「……へえ」 パキン。 「どうせ私じゃなくなるなら、そんな綺麗な色のがいいな、って」 「僕も、……そう思うよ」 パキン。 夏那が振り返った。 激しい日差しの中で、彼女はとびきり綺麗に笑っていた。 パキン。 「ありがと。 奏と一緒にいられて私、楽しかったよ」 パキン、 ――刹那。 『パキ、パキパキパキッ』 夏那の肌から生気が失せた。それは見る間に硬化し、置換し、石英のような結晶と化した。 青色の結晶。 ソーダのように淡く鮮やかな。 状態変化に伴い押し出された不純物が、ぱらぱらと地面に落ちた。 『――十年前突如発生した「人体結晶化現象」が、昨日ついに我が国でも報告されました。この現象は、人体を構成する元素が何らかの原因によって結晶化し、生物としての機能を果たさなくなるというものです。これにより生じる物質は、外見こそ一般的に知られる宝石などと似ていますが、硬度や靱性、原子の配列・結合の仕方など、地球上に自然発生してきたどの結晶体とも異なる点を多く抱えた未知の物質です。 結晶化の被害は、全世界で急速に拡大しており、各科学機関が総力を挙げて原因究明に尽くしていますが、現時点、解決策は見つかっていません。発生と同時に完了してしまうため、一度結晶化しかけると止めることは不可能とされています。 政府は、結晶化が発生しなかった国民に対し、発生者から半ば強制的に遠ざける「人体未結晶者隔離法」を適応する旨を発表しました。この法律は――』 ニュースを読み上げるラジオの裏。駄菓子屋の主人だった、紫色の結晶。 向かいの青果店の椅子。ご主人と奥さんだった、緑色の結晶。 道端のポストにもたれる、桃色の。自転車に跨がる、橙の。誰かへ電話をかけている、黄色の。 この町は、動いていた。つい昨日まで。 『二人ぽっちになっちゃったね、奏』 「次の氷菓子、いつ食べようか。夏那」 返事は、無い。 鳴りだした蝉時雨に混じり、僕のもとへ軍用ヘリの音が聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。 《 2.還元 》 水銀が揺らめいていた。 水素より軽い水面の奥で、泡のように、妖しく光っていた。 時折、燐やカリウムの不知火が、ふよふよと落ちていく。 「よくわからないんだけど」 浜辺の中頃。 銀の鎖で繋がれた、白い鯨の骨でできた小舟のそばで、声がした。 「要は、僕は向こう岸まで逝かせてもらえないってこと?」 声の主は、木綿のシャツに麻のズボンを履いた、十代の少年だった。少し癖のある黒髪に、同じ色の大きな目をしている。 「ああ」 返事をしたのは、同い年ほどの別の少年。黒髪の少年が寝そべる横に、膝を抱えて座っていた。月光色の髪に、黄金色の瞳が特徴的な、人形のような美しさを湛えている。 「どうして」 どうして僕は渡れないのさ、黒髪の少年が問うた。 「お前がそう願ったからだ」 「願っちゃいけなかったの? ナノがそう決めたの?」 「俺じゃない。けど、願われたからには叶えなければならない」 ナノと呼ばれた少年は、振り向かないまま答えた。彼の視線の先には、二人の他は誰もいない、夜空と元素だけの世界が広がっている。 「お前が願いを捨てなければ、迎えは来ないし送りもできない」 「嫌だよ、どうして」 「なぜならお前の願いはすでに、届かないところにあるからだ」 黒髪の少年の台詞を遮り、ナノは言った。 「思い出せないのか、自分が何を願ったのか」 「…………なんとなく、何かを考えたことだけ……」 「その前後のことは、思い出せるんだ。何があったのか、なぜ僕がここにいるのか」 頭上の流星を目で追いながら、少年は呟いた。 「死んじゃったんでしょう、僕ら」 『星を見に行こう』 誘ってきたのは、父親だった。天文学者の彼は、事あるごとに家族を連れて天体観測へ向かうような、根っからの星好きだった。星だけでなく、化石や宝石のことについても詳しかった。 自分も妹も、そんな父を尊敬していた。ふたり、いつまでもいつまでも頬杖をついて、到底理解しきれないような夜空の話を聞いたりしていた。 その晩も。一抱えもある望遠鏡とともに、家族四人そろって、明かりのない川辺で、空を眺めていた。 『あの赤い星が、ベテルギウス。こっちへずっといくと、カシオペアだよ』 確か、妹の耳元でそう囁いた時だった。 暗闇から突如、見知らぬ人間が飛び出してきて、父親を刺した。 星明かりに刃が、鈍く、リゲルより青白く閃いて、あっという間に母親の喉笛を切り裂いた。 赤い噴水の中、自分は妹を守ろうとしたが遅かった。 妹に突き立てられたそれが、自分の下腹部にめり込む音は、恐ろしく冷たかった。 失血で意識がなくなる寸前まで、自分は妹を呼んでいた。 急速に温度を失っていく手足に鞭打って、妹のもとまで這っていった。這って、這って、動かない妹を必死に抱きしめて。 「あ、思い出した」 ぱっと少年が跳ね起きた。黒曜石のような目が、ナノへ向けられる。 「『死なないでくれ』、って願ったんだ、あの時」 「『死なないで、お願いだから。僕が代わりに死ぬから、せめてお前だけは』……違う?」 「違わない」 ナノが頷いて、少年が乾いた笑い声を出した。「はは」 「僕ってば、こんなこと願ってたのか。月並みだなぁ」 「だが、この願いによってお前は、ここに縛られている。戻れもせず、渡れもせず。永遠に訪れない最後の審判を、この岸で待ち続ける羽目になりかけている」 透明な波に晒された砂が、しゃらりと鳴った。黄金色の瞳が、短く問いを口にする。 「どうする気だ」 「何を」 「願いを捨てて、渡るのか。叶わないと知りながら、待ち続けるのか」 燐光が爆ぜた。水平線の先で、煙が煌めいて上っていくのが見える。 「見送りの煙だ。いよいよ決めなければ、お前は置いて逝かれてしまう。――死の間際の願いは、何物より強く、かの者をそこに縛りつける。他者が容易に断てる類のものじゃない。だから俺達は、できるだけ叶えられる願いは叶え、叶わなければ諦めるよう伝えるんだ。置いて逝かれた者達は二度と、愛しい仲間のもとへは行けない。ただこの岸で独り、消滅するだけ。俺達の仕事は死者を、もっとも安らかに未練なく次へ送ることだから」 立ち上がり、ナノは小舟に積んであった真鍮のランタンを、少年へ見せた。 「逝くならこれに明かりを。ここで化合した元素達が、お前を彼岸へ連れて行ってくれる」 「死に際の願いと引き替えに?」 「ああ」 愛しき者の死を肯定することこそ、今のお前に残された最後の試練だと。 「これが燃やすのは、願い。 そして現世に遺された、――お前の 「……いいよ。逝く」 「よかろう」 火が灯った。燐と銅の青白い焔が、炭素と水素の朱い光が、群青色の空に迸った。 鎖が砕け、小舟が動き出す。 「ほら、」 先に乗り込んだナノに急かされ、少年は慌てて飛び乗った。 水銀の泡が焔を受けて弾け、鈴のように高い音で鳴いた。「お前を羨んでいるんだ。この水銀は、願いを捨てられなかった者達の成れの果てだ」 「願いに身を 「連れて行けないの」 「駄目だ」 「そう」 小舟の縁から顔を覗かせて、少年は囁いた。 「いつか君達が救われることを祈ってるよ」 「僕も間違えてたら、ああなったのかな」 ぽつり、呟く。 「ナノがいて、よかったや」 「お前は間違わない。俺がいる」 「そうだね。ねぇ、ナノ」 「なんだ」 「僕は、君の解放されるいつかについても、想ってるから」 「……馬鹿げたことを」 ナノの左手首には、小舟を繋いでいたのと同じ、銀色の鎖が嵌まっていた。 「囚人の将来など案ずるな」 「わかってるよ、終身刑なんでしょう?」 「なら、尚更」 「君も断てなかったのでしょう? 僕らのとはまた違う咎を背負う羽目になってさえも、諦めきれなかったのでしょう?」 彼岸と此岸の狭間で、永遠に罰せられ続けるほどの何かを。 「 背後の彼を振り返ることなく、少年は告げた。 「ありがとう、ナノ。いつか優しい死の焔が、君を世界へ還元してくれますように」 「……ああ、――」 元素に彩られた、罪の淵で。 硝子色の水面を、舟は滑っていく。 |
時雨ノ宮 蜉蝣丸
2015年12月27日(日) 06時55分23秒 公開 ■この作品の著作権は時雨ノ宮 蜉蝣丸さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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