いつまでも、どこまでも、かなうところまで
私がもう生きていなかったら
        駒鳥たちがやって来た時――
やってよね、赤いネクタイの子に、
肩身のパンを。
 
      深い眠りにおちいって、
 わたしがありがとうをいえなくっても、
分かるわね、いおうとしているんだと
 御影石の唇で!
『わたしがもう生きていなかったら』 
エミリー・ディキンソン
 



 私の一日はご主人様に起こされて始まります。私は自分で起きることはできません。出来ればご主人様の手を煩わせることなくおきたいのですが、それができない歯がゆい仕様なので仕方ありません。それでも私はご主人様の近くにいつもいさせてもらってます。申し訳ない気持ちと嬉しさでどう表現したら分からない気持ちにいつもなります。しかし、ご主人様の声を聴くだけでそんな気持ちはなくなり、ただ一緒にいることのできる喜びだけが残ります。たぶん私は動物に例えると犬かな、と勝手に思っています。ワンワン。
 目が覚める場所はいつも違う場所です。小さい湖だったり、子供たちが遊んでいる公園だったり、はたまた森の中だったり。私たちはそれを見ながら、そして時折、その風景を目に焼き付けながら歩いています。二人っきり。この感じ、嫌いじゃないです。……嘘です。大好きです。えへへ。なんか気恥ずかしい気持ちになりますね。
 私たちの間には言葉はありません。ご主人様が行くところに私はお供します。どんなところにも。この前は雨の中、誰もいない公園に行きました。私たちは濡れたベンチに座りながら、普段は騒がしくもほほえましい光景をもたらしてくれる公園をずっと見ていました。子供という主役の遊びという演目が終り、舞台から降りたあとのがらんどうの場所。だけれども、そこはとてもあたたかったです。何故でしょうか。一人じゃなかったからでしょうか。ご主人様も一緒だったからでしょうか。ご主人様もそうでしょうか。だったらうれしいです。そんな事は聞きませんが。そうであると信じて雨の公園を何度も目に焼き付けました。私は記憶力がないので、そうやって何度も焼き付けないとこの光景をなくしてしまいそうで。そんなのは寂しくて。
 私が御主人様と出会ったのは、もう十年ぐらい前になるでしょうか。そのころの御主人様はまだあどけない顔をする少年でした。そのころから十年。私は幾分かもう毎日起きるのがつらくなってきましたが御主人様とご一緒させていただいています。この過ごした日々。そして過ごしていくだろう日々。素晴らしき、日々。思うだけで、想うだけで、私は頑張ろうと思います。
 できるだけ、御主人様との日々を覚えていようとは思うのですが……。うまくいきません。おバカなんでしょうか。できるだけ、記憶力良くなれ、と思うきょうこのごろであります。

 そんな私たちですが――私たちなんて言っていいのかわかりませんが――時々その二人っきりの時間が壊されるときがあります。何を思ったのかご主人様が散歩に友人を連れてくるのです。……ちょっと残念な気になりますが、私が口を出せるようなことではありません。それに、ご主人様の友人が来ますと私もうれしいことが一点だけあります。私の友人も会いに来てくれるのです。私たちは自分のご主人様に気をまわしながらも、おしゃべりをひそひそとします。がーるずとーく、と巷で言うのでしょうか。ええ、間違いはないはずです。だって私たちの話す内容と言ったらほとんどが自分のご主人様についてなのですから。私たちのお慕いしています御方。こういうことを話すことをがーるずとーくというのでしょう? ならばたぶん間違いではないはずです。
 よく話すことは自分たちの御主人様のこと。しかし、時には愚痴を言ったりすることもあります。
 いう内容はかぶることはありません。私がしゃべることは大体、御主人様の健康のことです。大体私を起こすときに御主人様は起きるようなのですが、その時間差にはばらつきがあります。それはあまりにも健康に悪いのです。それはよくないのです。私は御主人様の体が心配なのです。
 そういつも怒るのですが、彼女は笑って真剣に取り組んでくれません。うんうん、困ったね。と言いながら微笑んでいるだけなのです。まことにいかん――という言い方でよかったでしょうか――なのです。
 彼女はあまり自分の御主人様に対しての愚痴をいいません。もっぱら私の愚痴を聞いて、笑っているだけなのです。
 おそらく、一番それが私たちのあるべき姿なのでしょうが。ですが、彼女は私のことをうらやましいといってくれます。
 ……分かってます。だけれども思うことはタダなのです。無料なのです。ロハなのです。でしたら、思っていたい。
 そう思いながら過ごしていた日々なのです。
 できれば、いつまでも、そしてどこまでもと思いながら。
 
ある時、私の愚痴をひとしきり聞いた後、彼女がぽつりと言いました。
「私、もうあなたに会えないかもしれない。」
 と。
 彼女は自分の御主人様の独り言を聞いてしまったようでした。
――こいつは、もう寿命なのかな――
 という言葉を。
 ああ、と私は言いました。その時が来たんだね、と。
 うん、と彼女は言いました。もう来ちゃったんだ、と。いつものように微笑みながら。彼女のその笑いには悲しいというような気持ちはなかったように感じました。ただ、そのことを受け止め、そのうえで。
 私たちの寿命は大体十年から十五年。それよりも短い子もたくさんいるそうです。彼女は私よりも二、三年先に御主人様と出会っていたようなのでした。こんなにも早いなんて。こんなにもすぐ過ぎるもんだったなんて。
 彼女はぽつり、ぽつりと語り始めました。
「私ね、本当は初めて会ったころあなたのことちょっと馬鹿にしてた。なんでこんなにうるさいのって。」
 まったくもって気付きませんでした。驚いていると、鈍感だね、と笑いながら続けます。
「だけどさ、それって馬鹿にしていたわけじゃなかったんだ。あなたがうらやましいっていう感情の裏返しみたいな、うん。そんな感じだったんだ。」
 彼女にとってわたしは特異だったらしいです。彼女にとって、御主人様に対し意見を持つだなんてとんだ常識しらずの子が来たと思ったらしいです。
「だけれどもあなたはただあなたの御主人様のことを本当に案じていたのね。」
 えへへ、へへ。照れちゃいます。こんなことをいわれるとは思いませんでした。そんな私を見て微笑みながら続けます。
「私はあなたのそんな姿を見て、自分のことを振り返ってみたの。本当に私は御主人様の為を思っていたのか。私たちは御主人様と話すことが出来ない。意思をかわすことなんてできない。そんなことを理由に御主人様のことを想うことをやめていたのではないかって。」
 そんなことはない。と思わず、いってしまいました。あなたはずっと御主人様をおもっていたじゃないですか、と。そうしたら彼女はううん、それは違うといいました。
「私はそうやって御主人様の為みたいに振る舞っていただけだったんだ。だって私たちって御主人様と話すことはできないでしょ?それって御主人様にとって石や花なんかと話すのと一緒でしょ?」
 まぁ、立場としては真逆だけどさ。と彼女は言いました。
「私にはそんな関係とも呼べない希薄なつながり……いや、つながりと言えないか。一方通行の思い、というか無償の愛といえばいいのかな、そんなのいやだったんだろうね。やっぱり自分も報われたかったわけなのさ。」
 うん、うんと私は相槌を打ちました。おそらく彼女と話をするのももうないのでしょう。私もなにか話したほうがいいのでしょう。でも言葉が思いつかないのです。こんなにも自分のポンコツさに腹が立ったのは初めてでした。
 そんな私を見ながら彼女は話を進めます。
「だけどあなたを見て思ったのよ。確かに私たちの思いは届かない。御主人様たちには何も伝わらない。だけれどもそれを理由にする理由がないっていうこと。あなたも言ってたよね。私もそれに最近気づいたのよ。」
 思うことはタダなんだって。無料なんだって。ロハなんだって。
「まぁ、そうはいっても私は私でこのスタンスを今更変えようとは思わないよ。御主人様のやることに心配することなんてしない。寧ろこう思わせてもらうことにするんだ。御主人様は絶対に正しいんだ、だったならば私がやることとすれば御主人様との日々を焼き付けるだけ。それが私のご主人様に相対の仕方。」
 そういって彼女は笑いました。いつも笑っている彼女。しかし、この笑いは今までで一番彼女の魅力が詰まっていたような気がしました。
 じゃあ、と私たちの頭上で声が聞こえました。御主人様たちのお話も終わったようです。
 最後に、と彼女は言いました。
「私の次の子もよろしくしてあげてね。」
と。そういって彼女は自分の御主人様とともに帰っていきました。
その日を最後に彼女の姿を見ることはありませんでした。

一つ、いってしまった彼女が残した言葉が私の心に残っているのです。
「無償の愛」
 という言葉です。無償というのはなんなのでしょうか。彼女は無償という言葉を自分が報われないものと言っていました。そして、それができるなんて言われていましたが。どうなんでしょう。正直私にとってそんな大きな問題ではなかったのです。私たちというのは御主人様にとっての道具なのです。使われてナンボのもんじゃいなのです。ですから、私は御主人様に仕えるのです。できる限りのことをするのです。私の有用性とは何か。そんなの決まってます。御主人様に仕えることなのです。
これを無償の愛というのなら、それはそれでなんとなくいいなぁ、と思います。

 久しぶりに御主人様といっしょに森へと行きました。久しぶり、なはずです。……なんでこんなにも自分は記憶力が悪いのでしょうか。どんなに不規則に起こされてもその日が何年何日何時何分等はすぐにわかるはずなのに。御主人様との記憶をもっと残したいです。私はいつも忘れてばかり。御主人様の独り言でやっと、ああ、ここは来たことがあるのか、と思うことが出来るだけです。ちょっとそれは悲しいことです。別に御主人様にそれを願うことはありません。まぁ、願ったってそれが御主人様に伝わることはないのですが。
 はぁ、と少し悲しくなっていたところに御主人様のご友人がやってきました。そこには彼女の姿はなく、新しい子がいました。
ど、どうもです。とファーストコンタクトをとってみました。未知との遭遇です。でんじゃーなのです?
「ど、どうもです。」
 と彼女もまた緊張しながら答えてくれました。
 たぶん、おそらく、きっと、でんじゃーではないようです。
 彼女はいい子のようでした。私たちはすぐに仲良くなりました。彼女は明るくいつも自分の御主人様のことを話していました。この前は、森に行った。そこでかわいいリスにあった。御主人様といっしょに何度もリスのかわいい姿を焼き付けようとした。などなど。彼女がそんな話をしているのを見て少しいいなぁと思ってしまったのは内緒です。だって思ってしまいます。なんで私にはこんなにも御主人様との記憶が少ないの。なんで私にはなくてこの子にはずっと残っているの。なんで私じゃないの。思ってしまうと歯止めが利かなくなってしまいます。だから、私はそのことを考えず、彼女の話を聞きながら、よかったね、そんないいことがあったんだね、と彼女の話を笑いながら聞いていました。
 
 私は記憶力が悪いといってますが御主人様との記憶で失っていないものが一つだけあります。それは御主人様と初めて出かけたときのことです。それは御主人様の家の近くであろうくさはらです。何の変哲もないくさはらへの散歩の時です。この記憶だけは残っています。でも、だからこそほかの記憶の欠落が私の中で大きく思えてしまうのです。もっと御主人様との記憶を残しておきたいと思う今日この頃なのでした。

 とある日、御主人様が私の体を洗ってくれていました。
 ……寝ている間に。寝ている間に!
 ちょっと信じられません。なんでそんなことをしてしまうのでしょうか。心の準備というか、いえ、寧ろばっちこいなのですが、いあやそれもなんだかはしたないかしら。
 と、そのようなことを思っていると御主人様がぽつりとこういいました。
「こいつも、そろそろ……
 寿命か、と。
 ぞわっとしました。寿命、寿命、その言葉が私の中で繰り返されます。私、まだ働けます。お仕えできます。お願いします。お願いします。あなたのもとにおいてください。確かに、最近起きるのも遅いです。景色も時々焦点が合いません。でも、でも。
 しかし、御主人様にこの言葉は届きません。御主人様には、届かないのです。

 最後のおさんぽのようです。私をつれて、のです。そこには
 ああ、
 御主人様の友達と 
 彼女の姿。
「どうしたの?」
 彼女はいつものように無邪気に話を始めようとしたのですが私の反応がおかしかったのかこう聞いてきました。
 なんでもないです。なんでもないのです。なんでもないったら。……なんでもないっているじゃん!
 それでも彼女は聞いてきます。力にならせてくれ。あなたがかなしんでいるところを私は見たくない。どうしたんだ、と
 私は、話し始めました。私がもう少しで寿命を迎えてしまう。もう少しで、いろいろな景色を目に焼き付けることができなくなってしまうこと。あなたに会えなくなってしまうこと。そして、
 御主人様に会えなくなること。
 これ以上何も言えなくなってしまいました。
 そんな私を見て彼女は少し戸惑ったようですがこう言ってきました。
「あなたは、何を求めているの?」
……何も、求めていません。ただ、御主人様とともにいることが。彼女はそれを遮ります。
 違うの、そういう体面のことを聞いているんじゃないの。私はあなたに会って間もないけれど、あなたがそんな聖人君子のように見えない。あなたには無償の愛なんてものはない。あなたにはあるのは、唯、愛なんだよ。そんな大層なものじゃない。お願い。あなたは私の話を何でも聞いてくれた。私はあなたの本音が聞きたいの。私にはなんにもできないかもしれない。だけれどもあなたのためには何かしたいと思うの。だから話して。お願い。
 なんと身勝手な話でしょう。あなたには何もできないでしょう。私の話を聞いてどうするのです。あなたの御主人様にでも話すんですか?無理でしょう。なのに、どうして。
 彼女はこう話し始めました。
「私ね、初めて御主人様と出会ったとき、怖かったの。ちゃんとできるかな、とか。怖い人じゃないかな、とか。今思えばひどい話だよね。そんなこと自分の御主人様に向かって思っちゃうなんて。」
 彼女はそういって恥ずかしそうに笑いました。
「実は、私御主人様に仕える寸前に、前の人にあったんだ。」
 彼女に、ですか?
「うん、そう。私は彼女から今までの記憶を少しづつ、少しづつもらいながらあなたの話をきいてたんだ。」
 それは、恥ずかしいですね。
「ふふ、そうかな。私が言われたのはただ、一つ。あなたから無償の愛を学びなさいっていうこと。彼女があなたのことを犬に例えていたわ。御主人様と一緒にいることが一番の喜び。すごいよねって。」
 だけど、彼女はそう言ってから
「でも、それは違うよね。」
 と言いました。

 なんで、なのでしょう。出会ってからまだ一年。
 なんで
 なんで
 なんで
 ばれてしまったのでしょうか。いってしまった彼女にもばれたことはなかったのに。
 そうです。私が御主人様とすごす毎日をほかのなによりも優先する理由。それが無償の愛ではないことを。
 私は彼女に少しづつ、話をはじめました。

 私は、ほかの人よりもポンコツなところがあります。あ、いえ謙遜とかじゃないです。本当にあるんです。
 それは記憶力が悪いこと。
 あ、そこ笑うとこじゃないです。本当なんです。私に最初から最後まで残っているのは御主人様と初めていったくさはら。それだけなんです。
 おかしいでしょう?ふつう私たちは記憶力はいいものです。だけれども私だけこんなにも記憶力が悪い。私にはあまりにも思い出というものがないのです。御主人様と一緒に行ったすべてのものを等しく忘れてしまう。
 ふふ、私ね、実はあなたの話を聞いていつも羨ましかったんです。……謝らなくていいですよ。御主人様との話をしているあなたを見ているのはうらやましいのと同時にとてもきれいなものを見ているようで、なんというかよかったわ。
 話を戻しますけど、私は、御主人様との思い出をなくすことは早い話、耐えられなかったんです。その代り、思いついたのは、だったなら、御主人様との今を生きよう。思い出せない代わりに思い出す必要のない今を生きようと。
 だけれども気づいたんです。でもそれってただの現実逃避なんだって。過去がないってことは今をつくるものがないっていうことに。そうなんです。私には今という時間すらなかったわけです。お笑いでしょう。今までやっていたことは本当に、無駄なこと。そういう点では私は犬に似ているかもしれませんね。自分のしっぽを追っていても何も得ることがないと分からず、ずっとくるくる。
 でも、それでもいいと思っていたんです。だってそれでも私は幸せだったから。だけれどもやっぱり、そううまくはいきませんでした。
 寿命が来てしまったんです。御主人様と一緒に居られなくなってしまうタイムリミット。普通ならば、私は幸せな思い出を持って終わることが出来るでしょう。その思い出を持って充実した気持ちで終わることが出来るでしょう。だけれども私は空っぽのまま終わってしまう。そんなのがいやだったのです。
 私は、そこでまた気付いたんです。本当は私は御主人様を愛してなどいなかったのだと。御主人様を自分がここにいるという証明のように扱ってしまったということに。
 だから私はこんなにも取り乱して。あなたに対しても怒って。
 どこかで気付けばよかったんですかね。こんなこと無駄だったって。
 いえ、気付いていたんでしょう。無駄だって。それでも続けてしまった私は本当に
馬鹿なんです。

そういって彼女を見ると彼女はなんだか怒っているようでした。
「本当にそう思っているの?」
 本当に、そう思ってますとも。
「違うよ、あなたは確かに自分の御主人様を愛してたんだよ。だってわたしには無理だよ。確かにあなたの言う通り今っていうのは過去の積み重ねっていうよ。私もそう思っているよ。御主人様と過ごした過去があって、今、御主人様を支えていこうって思う。その気持ちはあなたと同じくらいあると思ってる。だけど、それは御主人様とつくった思い出があったから。でも、たぶん私はあなたみたいに思い出がない状態だったら私にその気持ちはないよ。」
 そんなことないでしょう。
「そんなことあるんだよ。だって御主人様のこと、なんにも知らないで支えるなんて無理だよ。どこかで御主人様のことを信じきれないところがあるよ。」
 だから、と彼女はつづけ、
「あなたのその今までやってきたことは、無駄なことなんかじゃない。自分をだましてやったことなんかじゃない。あなたがやったことはあなたにできる限りの正攻法だよ。確かにあなたの愛は、無償ではないよ。御主人様になんとなく悪い気持ちを持っていると思うよ。いままで支えてきた見返りが欲しい。このままずっと使ってくれっていう我が儘をもってしまっていることにいやだなって思っていると思う。だけど、それってふつうのことなんだよ。ねぇ、あなたは彼女にこいったらしいじゃない。思うことはタダなんだ。無料なんだ。ロハなんだって。だから私はあなたにこういうよ。求めるのはタダなんだ。無料なんだ。ロハなんだ。別に無償の愛が真実の愛じゃないんだ。別に少し、何かを求めながら想うことも愛なんだよ。だからあなたのそれはまぎれもない愛。間違ってないんだよ。」
 彼女はそういってこよらを見つめました。
 本当にそうでしょうか。私は御主人様のことを本当に愛していたんでしょうか。
「愛していたに決まっているよ。」
 私には過去がありません。それでも愛するなんて可能なんでしょうか。
「知ってる?こういう言葉。あなたみたいな愛の仕方を一目ぼれというんだよ。私はあなたがうらやましいよ。毎回毎回あなたは目が覚めるたびに恋に落ちてその人を愛する気持ちを確認できるんだから。あなたはちょっとまじめすぎただけ。変に考えすぎてしまっただけ。あなた自分のこと馬鹿だっていってたじゃない。だったら考えるのはやめようよ。ただ、思ったことをやればいいんだよ。あなたみたいに考えちゃうから。自分の愛を変にとらえちゃう。素直になろうよ。正直に生きようよ。私たちは正直に生きることもタダなんだ。」
 彼女が言った言葉がストン、と私の中に落ちてきました。
 そう、ですか。そうですね。私は馬鹿だから。考えても無駄なのだから。だったら。
「うん、そうだよ!」
 馬鹿は馬鹿なりに考えずにただ自分をさらけ出していきましょう。
「どう?あなたは御主人様を愛している?」
 はい、愛しています。今日起きたときに、また、御主人様を愛することを知りました。
「それでいいんだよ。正直が馬鹿を見るのはよくないよ。」
 馬鹿なのに?
「馬鹿だけど。」
 そういって私たちは笑いました。
 そして、別れました。
 最後に御主人様が私の体を掃除してくれていました。そして、おそらくこれが最後になるでしょう。
 御主人様、たとえもう出会うことがなくとも、私があなたに会うことがなくとも、忘れてしまっても。
 またあなたを愛することをここに誓います。





 彼は最後に今まで使ったカメラを持って友人に会いに行った。
「なんだよ、まだそれ使ってんのか。それめっちゃ古いやつジャン。」
 彼の言う通り、このカメラはとても古い。彼が初めてカメラに興味を持った時、父が中古で買ってきたものである。対応しているメモリーカードは二百五十六メガバイト。内蔵メモリは十メガバイト。当時では最新鋭だったこれももらったときすでに、そこはかとなく古さをかもちだしていた。
「いいんだよ、なんとなくこれには愛着持っててさ。」
そういって彼はカメラを見つめる。
「それでもまぁ、これとはもうお別れだけどね。」
 友人はそれを聞いて
「やっぱしそうか。もう壊れ始めたってこの前言ってたもんなお前。」
 そうなのだ。友人の言う通り、彼のカメラは起動するのが遅くなり、またピントを合わせることができなくなってしまったのだ。
「それ捨てるのか?」
 と友人は彼に尋ねた。
 いや、と彼はこう答える。
「こいつはずっと持ってるよ。もし、自分に子供とかできたらこれをあげたいなって思う。」
 そうやっていうと友人は笑った。
「そんなの子供にやるなよ。子供がかわいそうだ。」
 確かに、と彼も笑った。しかしこう続けた。
「こうやってずっと持ち続けることでこいつに恩返しできるならそれもいいかなって。こいつにはお世話になったんだ。スクラップや、まして知らない誰かに売ることなんてできないよ。」
 ふーんと友人は分かったような分からなかったような顔をしながらうなずいた。
 そうだ、といって友人は彼を写真にとった。
「なんだよ。俺が写真撮られるのが嫌いなの知っているだろ。」
 と彼は少し怒ったような表情を浮かべる。友人は弁解するように
「すまんすまん、なんとなくお前とその古いカメラのセットを見るのが最後になるのかなぁと思うと少し残念で。いろんな意味で。だから最後にお前らのツーショット撮ったんだよ。後で現像してやるよ。」
 そういうことならいいが、と相変わらず不機嫌そうな彼を友人はとりなしながら帰っていく。
 友人がとった写真は今でも古いカメラと一緒においてあるそうだ。
園山ベッキー
2014年07月09日(水) 19時30分00秒 公開
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初めてこちらに投稿させていただきます。気づいたことがありましたらご指摘お願いします。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  園山ベッキー  評価:0点  ■2014-08-23 05:22  ID:Ga4UTbDER/o
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かなへびさん、感想ありがとうございます。友人にはオチが微妙と言われてしまっていたので嬉しかったです。今後とも投稿しましたらまた、宜しくお願いします。
No.3  かなへび  評価:30点  ■2014-08-15 08:51  ID:3y78oDok72.
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はじめまして、読み終わりましたので、コメントを残させて頂きます。
正体の方は、結局最後まで解らなかったのですが、改めて読み返してみると、確かにそうと解る様な物語ですね。久し振りにこう言った物語を読んだので、新鮮な気分でした。
それにしても、僕もかなり古いやつをを使っていますけど、どうも僕がそっちに使われている様な気さえします。御作の主役の様に、ある種の忠誠心さえ感じさせる様なものと言うのは、かなり使い込まれているのでしょうか。ものと人の関係のお話でしたが、心温まる物語でした。
以上です。
No.2  園山ベッキー  評価:0点  ■2014-08-04 03:18  ID:/dxzQ0Wmf36
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ざわちゅーさん、感想ありがとうございます。ヒントとしてはそれよりも目に焼き付ける、記憶を引き継ぐ、などという表現が主にヒントとしておきました。
作品の意図、というわけではありませんが、正体を予想する楽しみを体験していただけて書き手として喜びが隠し切れません。感想ありがとうございました。
No.1  ざわちゅー  評価:30点  ■2014-08-02 13:12  ID:akYfucQkqCc
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 こんにちは、作品、読ませていただきました、彼女が自分を犬に例えたあたりで正体を予想するタイプの作品だと思ったので、彼女は何者なのか考えながらじっくり読ませていただきました、なかなかおもしろかったです。

 答えはちょっと予想外でしたが、公園のあたりを読み返して、子どもと言う主役、というちょっと奇妙な表現をみてなるほど、と思いました、こういう表現は狙ってひねったのでしょうか?

 ものに心が宿る、というのは日本人として結構好きな発想です、ヒントを自然に入れるのは難しそうですが、結構良かったですよ
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