ハッピーエンド・サーキュレーション

 000

 その日、学校から帰宅した僕に母が告げた。
 青ざめた顔と、震える声で。
 ――亜衣が病院に運び込まれたと。
 ――救急車で搬送されたと。
 それは今朝のことだったらしいのだけれど、そんな連絡をしてくるということはとりあえず落ち着いたということなのだろうか。
 詳しいことは分からないみたいだけれど、重傷、大怪我、そんなニュアンスだった。
 けが? 病気ではなくて怪我……つまり、はっきりしないけどとても大変なことが起こったのだ。
 だけどもそれは――どんな事態なのかということは、その後の母親と帰宅した父親の会話から推し量ることができた。つまりそこに事故という単語が出てこないからなのだ。
 しかも。
 なんであの子がそんなことを、と。
 それでも発見が早かったのは不幸中の幸いだったのかもしれない、と。
 その表現は――その言い方は――
 ぶっちゃけ、どんなにぶいヤツが聞いても、おそらくそこ≠ノ思いが至らないヤツはいないだろうということだ。
 だけど、まさか、本当にそうなのだろうか? そんなことがあるのだろうか?
 いや――
 いやいや、考えてみればそれほど珍しい事件というわけではないのだろう。
 たまたま僕が生まれてから十七年間経験してこなかっただけで、世間一般的に見ればごくありふれた事件の一つなのかもしれない。たまたまそれが従妹という身内だったというだけで……。

 いとこ≠ニいう関係は本当に人によって千差万別だと思う、仲の良いいとこ同士もいれば顔を見たこともないいとこ同士もいる。
 それは僕の親戚というカテゴリーの中でも実際多いと思うのだ。
 顔も知らない、存在自体も知らないいとこ≠ェ存在するのかどうか、はっきりとはわからないけれど、両親が時折口にするうわさ話や、親戚の結婚式なんかで見かける同年代の人物を見る限りでは、そこそこ存在しているのだということだけは確認できるのだ。
 しかしながらその中でも亜衣は、両親のうわさ話の中にも頻繁に登場する、言ってみれば話題に事欠かない存在だった。
 亜衣は――フルネームで言えば八十川亜衣≠ヘ、年齢的には僕の一つ下――だから、高校一年生だったはずだ。
 高等学校が義務教育化されてからもう随分と久しいのだが、彼女は県内でもかなりの有名進学校に推薦で入学したはずなのだ。
 それは彼女が、いわゆる中学生時代に特待生クラスで外国に留学していたということが大きな要因でもあった。
 しかもそれは情報技術系――僕にとってはあまり得意ではない学科なのだ。
 僕の方はと言えば、二学期の情技1も情技2も成績は褒められたものじゃなかった。そんな僕と同じ血の繋がりを持ちながら、その分野で特待生レベルの才覚を持つというのはどうにも驚きである。
 そしてそのこと自体が――親戚であるという要因を除いたとしても、僕の全体的に見ても凡庸な成績と比べるまでもなく、そこにスター性があったのだ。
 スター、希望の星、身内の中での自慢の種……。そして生活圏自体が遠い存在……。
 だからこそ、そういう理由もあったことで、ここ何年も亜衣と直接顔を合わせることはなかった。
 会うどころか、電話やメールでさえ接触することもほとんどなかった。ほとんど、というのはまあ身内ということで、それはあたかも特権といえるようなわずかな繋がりと、親戚連絡網名簿などというアナクロい因習のおかげで、携帯機の電話番号と、メールアドレスだけは一応自分のスマホには登録が許されているというだけのことだったんだけれど。
 もちろんそれを使う機会と言えば、親戚の冠婚葬祭行事での連絡程度にしか使用された履歴はないと記憶している。
 そんな彼女が、言ってみればエリート街道を約束されたかのような彼女がそんなことをしてしまったなんて信じられない。
 だけど――だからこそ、そこには彼女なりの苦悩があったのかもしれない。
 彼女に比べて平凡で、どこにでもいる、見た目からして普通以下の僕なんかでは想像も付かないような苦悩が……。
 出る杭は打たれるということわざがあるけど、彼女はどう考えても出すぎた杭に違いなかった。
 なにしろ小学生の高学年になる頃にはすでに神童の称号をほしいままにしていたそうなのだから……。
 神童や天才なんて言葉だけでもけっこうな誇張――いやデフォルメだろうか。
 これが、学校や同じ年代のうわさ話になれば、きっと天才美少女≠ネんてところまで話が大きくなるんだろう。
 同じ県内とは言え、離れた町に暮らす僕とは学校も離れていたから、そんな評判があったかどうかなんて知らないけれど。
 だけど、少なくとも利発とか、秀才なんて言葉では収まりきらないほどの異才を持っていることは皆の認めるところだったということだ。
 エリートであるがゆえの、エリートでいるための、エリートたる悩み。そこにあったのは身内からのプレッシャーか、まわりからの妬みか、孤立か……。
 常識的に考えればそういった小さな障害は少なくなかっただろう。そのぐらいは想像できる。もしかするとそういう小さな積み重ねが、それこそ積もり積もって、ある日許容量を超えてしまったのか。
 何にしても今はそんなことを考えても仕方がない。いくら僕のスマホの中に彼女の電話番号やメールアドレスがあるからといって、おそらくは集中治療室にいるだろう彼女に連絡が取れるわけもないのだから……。
 それは僕の両親にとっても同じことだ。今となってはそれほど親しくもなかった我が家――道中家にわざわざ連絡してきたのだ。それはおよそ何事もなかったと言うことでは済ませようのない、とても隠し切れない事態がすでに発生してしまっているということの証拠なのだろう。
 連絡してきたのは彼女の母親、つまり僕の母親の妹なのだけど、電話で告げてきた以上のことを、今この状況でこちらから尋ねるというわけにはいかないのだろう。おとなしく無事を祈り続けることしかできないのだ。
 とまあ、そんなわけで重苦しい沈黙に包まれた道中家の夕食が終わり、早々に僕は自分の部屋に引き上げた。
 何をするでもなく、BDや雑誌で散らかるベッドに腰を下ろし、ぼんやりと亜衣のことに思いを巡らせる。
 何をしようにも、何も手に付かないだろうけど……。
 多分、今夜はとても眠れそうにないな、と思う。
 ――幸い、と言ってしまうとあれだけど、とりあえず明日は休日だ。ひょっとすると明日はとてつもなく忙しい一日になってしまうのかもしれない……そんなことは考えたくもないし考えるべきではないと思うのだけれど。
 いや、やはりそれは早計というものだろう。
 もしかすると、八十川のおばさんの事情説明を、うちの母親が早合点で取り違えただけの可能性だってある。おばさんだって動揺していたに違いないだろうし。
 案外、明日になれば拍子抜けの第二報が――意外なほどの朗報が入ってくるかもしれない。
 ――ご心配お掛けしてすみませんでした。命に別条はありませんでした、なんて感じの。

 思えば彼女と最後に顔を合わせたのはいつ頃のことだっただろう。多分親戚かだれかの結婚式だったか……それは二年ぐらい前だったろうか。その時中学生だった亜衣だが、すでに彼女には凛とした、ある種近づきがたい雰囲気が漂っていた。
 あの時は何か話をしただろうか? 一言二言あいさつを交わしただけで別れてしまったような気がする。
 もっとずっと子供の頃には親せきの寄り合いなどで会うたびに一緒に遊んでいた記憶はあるのだが……。
 ――いつの頃からか、疎遠で――めったに会うことのない親戚。
 そんな関係だったのだろう。
 でも、それはそれで仕様がなかったことだ。特に異性となればそんなケースの方が多いくらいだろう。そしてそれでよかったような気もするのだ。
 もし、彼女と親交が深く、身近な存在だったとしたら、少なからず自分に何か落ち度がなかったか、彼女にとってストレッサーになっていなかったか、とか――そこまでいかなくても――彼女の悩みを理解し、相談に乗ってあげられなかっただろうか、なんてことを考えてしまうだろう。
 身近な存在じゃなくてよかったなんて、それは我ながらとても卑小な考えだとは思う。
 でも、もしも彼女が遺書めいたものを残していたとしても、そこには自分のことが書かれているようなことはありえないんだろうとも思う。そんなことを考えるのは本当に自分がちんけなヤツだとは思うけど……でも、やっぱりだれしもそんなことは思ってしまうんじゃないだろうか。
 遠い存在でよかったと。
 薄い繋がりであってよかった――と。
 いつだったか、どこかのアンケート調査で十代の若者の70%ぐらいが自殺を考えたことがあると回答していた覚えがある。
 実際僕だって考えたことはないと言えばうそになる。もし自分がたまたまそんな気持ちになっている時に身近で影響力の強い人物がそんなことをしてしまえば、ひょっとすると自分も、なんてことを考えてしまうんじゃないだろうか。
 後追いなんて、そんなことを本当に自分が考えるのかどうかわからないけれど……。
 だけど今はそんな気持ちにはならない気がする。
 しょせん他人の苦悩や寂しさなんて他人の痛みだ。
 理解することなんて無理――理解したふりぐらいはできるだろうけど、それを共有することはできないし、解決しようなんて思うこと――いや、してあげたいなんて思うことすら、おこがましいことなんじゃないだろうか。
 冷淡というわけではないけれど、いや、やはり冷淡と言われても仕方がないのだけれど……なんて言うか――たとえば退屈な授業中に、眠くて眠くてしょうがない時に、自分の隣のクラスメートが居眠りしているのを発見してしまったら急に眠気が覚めてしまう、そんな感じに似ている。
 当事者から第三者へ……そんな立ち位置の変化、客観視、俯瞰、そんなところかもしれない。
 そうかもしれないけど……。
 だけど眠れない。
 とても眠れない。
 眠れない……はずだったけど、そんな堂々巡りの思考を巡らせるうちに夜は更けてゆき、いつしか僕はベッドに横になったまま半覚半醒の状態になっていた。

 001

『ねえ、しんにいちゃん、アイちゃんのパパになってくれる?』
『パパ?』
『……うん』
『あ、アイ、ぼくのおよめさんになってくれるってこと?』
 ……亜衣はうなずいて――嬉しそうに――そのまま僕の首っ玉にかじりついてきた。
 はっとして、意識が呼び戻される。
 夢うつつに、どういうわけだか、そんな彼女の幼い頃の思い出がフラッシュバックしていた。
 あれは――いつごろのことだっただろう。僕が小学校に上がりたての頃、亜衣はまだ幼稚園生くらいだったか……。
 そんな頃が確かにあった。亜衣は昔から――小さい時から頭のいい子供だったけど、それと同じくらい行動力のある女の子だった。
 なんて言うか、迷いがないところがあって。
 それにあの頃はまだ二人で子供らしい遊びに興じていたこともあったと思う。
 たとえばお人形を使ったままごと遊びとか……。
 …………
 ……

『しんにいちゃんは、プーちゃんだからね』
 おませに言いながら亜衣は僕にクマの人形を手渡し――自分はウサギの人形を操りながら、僕にこう注文した。
『じゃあしんにいちゃん――ウサギさんあそぼう≠チて言ってよ』
『えー、やだよはずかしい』
『言ってよう』
『やだ』
『もう……』
 ぷっくりと頬を膨らませる亜衣。
 亜衣はしばらく考えた後、何ごとか思いついたように口角を上げ、アーモンド型の目をパッチリ開けて、こんなことを言った。
『じゃあ、じゃあ、しんにいちゃん――う≠チて言って』
『え? う=H』
 それを聞いた亜衣はにっこり笑い、今度は、
『さ≠チて言って』
 と言った。
『さ=x
 わけが分からず素直に従う僕。
『じゃあぎ≠チて言って』
『ぎ=x
『さんあそぼう』
 すかさずタイミング良くその後を補完する亜衣。
『あ、こいつ!』
『キャハハッ』
 亜衣はいたずらに成功した子供のように……子供だったけど――そんな風に子供らしく笑い転げた。
 ずっと昔の、昔話で……だれに聞かせる話でもないとは思うけれど……。
 亜衣……。
 僕はなぜだか耳にくすぐったいものを感じ、手のひらで無意識にぬぐっていた。
 そして、少しにじんだ僕の視界に。
 ふと――唐突に――
 灯りを落とした部屋の中をかすかに染める光を感じた。その光源は間違いなくクレイドルに立てていた僕のスマホだった。
 メールの着信を告げるLEDの点滅光。
 時計代わりにしている僕のスマホはいつのまにか夜中の十二時過ぎを指していた。
 迷惑メール――だろうか? だけどこのスマホを使いだしてからそんなメールが入ってきたことは一度もない。今の時代、自分から登録しない限りそんなメールが入ってくることはまず考えられないからだ。
 メールをしてくる友達がいないわけではないのだけれど、こんな時間にメールをしてくる友達なんて自慢にもならないが一人もいない。
 よく、類は友を呼ぶというけれど、友達づきあいの悪い人間に対してだけにはこの言葉は当てはまらないと思うのだ。友達づきあいの悪い人間同士が寄り集まろうとしたところで、そいつらは皆友達づきあいが悪いわけで、言ってみれば磁石の同じ極同士がくっつかないのと同じように、結局のところ大勢に変化は起きない。
 僕はスマホを手に取り、送信者名を確認した。
 それは全く見たことのないメールアドレスだったけれど。
 メールを開いてみると……そこには。
>
>亜衣です
>
 ――と。
 え? 亜衣? ホントに亜衣なのか?
 僕はベッドの上でがばっと上体を起こしてメールに見入る。
 そしてその後に続く文章を目で追う。
>
>信兄 届いてる?
>
>届いてたら返事ほしいんだけど
>
 これだけ?
 おいおい……亜衣は大怪我して、入院して、面会謝絶だなんて思い込んでたけど、いきなりメール?
 信兄って……しんにい、か……。
 さすがに、ちゃん付けは取れてるけど、小学生くらいの時には、確かにそんな呼び方をされていた気がする。
 ホントの亜衣っぽい。
 じゃあやっぱり母親の早とちりだったのか? 実はもう退院して自宅に戻ってるとか?
 だって病院の中ではPCや携帯機なんて使えないはず…… いや、使える場所もあるか。
 でも、とにかくなんにしてもメールを打てるくらい元気だったってことじゃないか。
 なんだ……
 いろいろ心配したのに……ガラにもなくセンチな気分にまでなってたのに。
 心配して損した――のか?
 でもさすがにまだ半信半疑といえなくもない。
 とにかくここは返信してみるべきだろう。
 なんにしたってこれが本物の、正真正銘の亜衣なのであればそれに越したことはないんだから。
 迷惑メールやフィッシングメールの自称がたまたま亜衣だったという可能性は皆無ではないけれど、そっちの可能性の方が低いだろう。
 いたずら――の可能性も低い。僕と亜衣のことを知る共通の第三者なんて全く思い当たらないからだ。
 いたずらだとしたらあまりにも不謹慎で許しがたい行為ではあるのだけれど。
 それに本当に亜衣からのメールなら、親をたたき起してでも報告するべきだ。僕の両親だって同じように、本当に心配していたのだから。
 だけど、この亜衣のメールアドレスは亜衣の携帯機のものじゃない。
 メールアドレスは全くのランダムな文字列の羅列で、どこかのPCから急ごしらえで取得したメールアドレスって感じだ。ドメインも、僕の知ってる携帯機会社の中には心当たりも見覚えもなかった。
 まあ、とにもかくにも返信――
 僕はスマホの返信ボタンを押して、返信文の入力を始める。
>
>信之介です
>
>入院したって聞いたけど、大丈夫なの?
>
 文面はとりあえずこんなもんでいいだろう。まずは神妙な感じにしておいた方がいいだろうし。
 送信ボタンを押す。
 ちゃんと送信されただろうか。確認のため送信済みフォルダを開いてみる。間違いなく送信はされている。送信済みフォルダを確認するのは、まあ言ってみれば僕のクセみたいなものだ。大事なメールに返信しなかったというだけで、理不尽な怒りをぶつけてくる、そんなヤツもたまにいるというのが一つの理由なんだけど。
 でも今は、間違いなくこれは――超大事なメールだ。ここで確認しなくてどうする? とまで思う。
 そうして送信済みフォルダを閉じようとした瞬間、マナーモードを解除していた僕のスマホの着信音が鳴り響き――新着メールが受信フォルダに入ってきた。
 はやっ!
 僕が送ったメールへの返信に間違いない。
 すぐに開いてみる。
 で、その中身は……。
>
>亜衣です
>
>そっか ちゃんと届くんだ
>
>ああ ワリィ なんかヘンなコトになっちゃってるみたいで アタシにもわけわかんないんだよね
>
>とりあえず どっこも痛くもかゆくもないんだけどさ とにかくわけわかんない
>
>ここはどこ? アタシはだれ? 状態なんだよね
>
>いまってさぁ 何月何日の何時くらい?
>
 これで終わり……なんじゃこりゃ?
 なんかおかしい。
 これホントに亜衣なのか? 
 そして、四行目で僕の一番聞きたいことが聞いても無駄だということになってしまっている。
 おまえはホントに亜衣なのか、そしてどこにいるのか、ってことが。
 でも、とりあえずこの亜衣とおぼしき人物は――健康状態は悪くないようだ。
 自分で亜衣と名乗っているからには、少なくとも自分がだれかということはわかっているのは間違いないだろうけど、今自分がどこにいるのかがわからないだけ――なんて、そんなわけないだろ? どうなってんだ、まったく……。
 僕は釈然としないままに、とにかく次のメールの文面を考えながら打ち込んでいく。
 おそらくはだけど、この亜衣は多分軽いパニック状態に陥っているんじゃないだろうか。
 亜衣のイメージ――というか、なんかキャラが違う気がするのもそのせいか?
 でも、考えてみれば亜衣とプライベートなメールをやり取りすることもなかったわけで、本当のところがどうなのか、はっきり言ってわからない。
 もしかするともともとこういうヤツだったのかもしれない。
 ここ何年もじっくり話をする機会なんてなかったわけで、そう考えれば別に不思議でもないような気もしてきた。子供時代のイメージなんてすぐに過去のものになる。女の子の場合は特にそうなんじゃないだろうか。
 でも……それでも、やっぱり彼女の身の上に何か尋常ではない出来事が起こっているのは間違いないってことだろう。
 頭を打って記憶が混乱しているとか――だろうか?
 もしそうなら、とにかく彼女落ち着かせるのが第一かもしれないと思える。
 僕はそんなことを考えながら、返信するべき言葉を慎重にチョイスしていった。
>
>信之介です
>
>亜衣、落ち着けよ、とにかく無事でよかったよ、心配したんだぞ
>
>今は十一月二十一日の零時半だよ
>
>ってーか、メール何から打ってるんだ? 時刻表示がないわけないだろ?
>
>そこって多分病院だろ? 
>
>とにかく落ち着いて、そばにいるだれか、お医者さんとか看護師さんの言うことを聞いてみろよ
>
>おじさんやおばさんはそこにいないのか? だれもいないならナースコールとかあるだろ?
>
>そんなパニクってメールしてこなくてもいいから、まずとにかく落ち着けって
>
>でも、ありがとな 無事なこと連絡してくれて うちの親にも報告しとくから
>
>とにかく、ホントよかったよ
>
 送信――
 これで少しは落ち着くだろうか……。
 こちらとしても聞きたいことは山ほどあるけど、今はそういう状態じゃない感じだ。
 まずは亜衣に冷静になってもらわないと話にならない。
 と――思ってる間に――着信!
 やっぱり……まだ混乱は収まりそうにないようだ。どういうことだろう?
 受信したメールを開く、当たり前だがやはり亜衣からだった。
 そして僕は、そのメールを読んで――やっぱりこれはいたずらだと思った。
 しかもかなり悪質で手の込んだ……。
 だって……。
 亜衣のメールは……。
 とてもじゃないけど――悪い冗談だと……。
 冗談じゃないなら、僕が悪い夢でも見てるんじゃないかと――そうとしか思えなかったから。
>
>亜衣です
>
>あれ? やっぱりここって病院なんかな?
>
>とてもそうは思えないんだよね
>
>周りはずっと真っ暗だしさぁ
>
>んで アタシさぁ 思うんだけど
>
>アタシって死んだんじゃないのかな? ヤッパシ
>
>だってアタシさぁ
>
>アタシは
>
>
>
>自殺したはずなんだよね
>

 002

 その後、僕が送ったメールは自分でもよく覚えていない。
 つまり、混乱していた。パニックだった。
 亜衣のことを落ち着かせようと――なだめようと思っていた自分が、今はそれ以上に混乱しているのは間違いなかった。
 だけど――とにかく、ことの真偽を知りたくて、しつこく――それこそスパムのようにメールを送信しまくった。
 でも、亜衣からの返信は先刻までのように打てば響くようなスピードで返信されてくることはなかった。
 どころか――僕が送ったメールは、あて先不明ですべて送り返されてきた。
 僕は自分のPCを立ち上げ、そこからもメールを何度も送ってみたけれど、それらもすべて未達となってしまった。
 ふと思い立って、亜衣のメールアドレスのドメインをPCで検索してみる、だけど国内ということ以外は何もわからない。それらしきものはヒットさえしなかった。
 途方にくれる……。
 わけがわからない……。
 このわけのわからなさは、自分の気持ちにもそのまま当てはまった。さっきまでは――亜衣からのメールが来る前までは、遠い親せきだなんて、思い入れを否定して――やり過ごそうなんて考えていたはずなのに……。
 こんなふうにメールで――なんとなく頼られているような気になってしまうと、それはそれで、なんとかしなくちゃ――なんとかしてやらなくちゃ、なんて思ってしまっている。
 でも最後に来たこのメールを見ると……これはどう考えても、やっぱり悪い冗談――
 もっと言うなら――いやがらせにも思える。
 それにしたって、メールの主は亜衣本人だとしか思えないんだけれど……。
 だとしたら、こんなことを親にも報告できっこない。
 僕は疲れ果て、ため息をつき、椅子の背もたれに体をあずけて脱力していた。
 だけど……どうなんだろう?
 亜衣は……自殺したと言った。
 それは、おそらく事実なんだろう。
 何をやったのか、それはわからないけれども。とにかく発見が早くて致命傷には至らず――つまりは助かったのだ。
 ここまでは想定内、予想していた範疇だと思う。
 そして彼女が言った、周りが真っ暗という状況……それは、混濁した意識の中にいることを考えれば、ありえない状態ではないと思える。
 だけど、彼女はメールを送ってきた。
 そこまで回復しているなら、そんな混濁した意識の中にいるとはとても思えない。
 それに、一日も経たずにそこまで回復するものだろうか……。
 深夜に部屋に一人きりという状況、謎だらけのメール。
 実際オカルティックな想像が頭をかすめそうになるが、僕は必死にそれを打ち消した。
 それはさすがに、どう考えても不謹慎で――子供っぽい考えとしか思えなかったから……。
 そうして……どれくらい時間が経っただろう。
 再び僕のスマホに着信があった。
 僕は飛びつくようにスマホを手に取り、送信者を確認する。
 亜衣からのメールだ、そのつもりだった――だのに、違っていた!
 それは、送信者は亜衣ではなくて――
 意外なことに――
 ――ウェブマスターさんからのお知らせ――
 だった。
 とんだ肩すかし。
 今度こそ、ただの迷惑メールと思ったのだが、一応中を確認してみる。
 そこに書かれていたお知らせは……。
 迷惑メールどころのレベルではなかった。
 そしてついでに言うと、オカルティックな気分までも吹き飛ばしてくれた。
>
>亜衣ちゃんからのお願いです。
>下記サイトからアプリをインストールしてくださいね。
>本アプリではさまざまなサービスを提供させていただいています。
>セキュリティも万全です。
>基本無料となっておりますので、安心してご使用ください。
>
 そして、サイトのURLが……。
 このメールだけを見たのなら……普通なら、悪質な出会い系フィッシングだと思ってしまっても不思議はないだろう。
 だけど、僕にはなぜかそう思えなかった。
 ふざけ過ぎている。
 ふざけ過ぎていて、一周回って――そこに何か意図が、大事な何かを伝えようとしている意思を感じてしまったのだ。
 それはもしかしたら僕が本来持っている、ひねくれ者の気質が、そんなことを思わせてしまったのかもしれない。
 だけど、冷静に考えれば考えるほど、単なるいたずらや、フィッシング詐欺だなんてばっさり切り捨てることなんてできない――してはいけない――と思った。
 きっと何かある……もし何なかったとしても、どちらにしても僕は何もせず、このまま朝を迎えることなんてできっこないだろう。
 僕は意を決してそのURLをタッピングし、サイトに移動した。
 やっぱり……おかしい、おかしすぎる。
 移動した先は、よくある賑やかしげなデザインのホームページなんかじゃなく、たった一つだけダウンロードリンクが、ぽつんと張ってあるだけの、ただのリンク置場だった。
 でも、それは僕の予想を、ある意味確信に変える手ごたえみたいなものを与えてくれた。
 それは言ってみれば期待通りの――思っていた通りの展開だったのかもしれない。
 僕はそれをタッピングし――ダウンロードを開始した。
 その怪しげなアプリの……。
 ご丁寧に機種もOSも自動判別とのたまってある。
 そんなことできたっけ?
 だけども、何ごともなくダウンロードは始まり、進捗バーが少しずつ延びていく……。
 僕は固唾を呑んでそれを見守った。
 うーん……それにしてもダウンロードに時間がかかる。僕のスマホはWi-Mach≠ニか言う高速通信のはずなんだけど、こんなに時間がかかったことなんて今まで一度もなかった。
 スマホ自体も今年買ってもらったばかりの最新型ではあるんだけど、これはその中でも一番安いバージョンのヤツで、メモリ容量も2ペタしかない。
 たいしてアプリをインストールしてるわけじゃないから、まさか足りなくなることはないとは思うんだけど……。
 そういえば最近までうるさく宣伝展開していたQuantum―BB≠フサービスもやっとおとなしくなった。
 期間中入会無料とかのキャンペーンを盛大にぶち上げていたけど、ネットのレビューなんかを見てみると、宣伝文句ほどのスピードは出ないらしい。まあそれは新サービスにありがちな、いつものことなんだけど。
 結局、量子ネットワークだなんて言ってもそれは基幹部分だけのことで、ラストなんちゃらマイルは今まで通りの低速な光ケーブルがまだまだ残っているから、仕方のないことなんだろう。
 そんなことを思っているうちにダウンロードが終了し、僕のスマホのメニュー画面に新しいアイコンが一つ追加される。それは今まで見たこともないくらい手抜きな、赤一色のおざなりなアイコンだった。
 アイコンと呼ぶことさえはばかられる。ただのスクエアなのだった。
 でも、ダウンロードに失敗したわけではないだろう。もう僕はこのぐらいのことでは驚かなくなっていた。
 アイコンをタッピングし、そのアプリを起動する。したはずだったのだが……。
 しばらくすると僕のスマホは画面が真っ暗になり……そして再起動≠オた。
 起動中に一瞬、CFW.xxx Ver.xxxなんて表示が出て、その後はいつも通りに普通のアイコン画面が表示された。
 これってもしかして、いわゆる脱獄系アプリってヤツか?
 僕のスマホは、買ってからまだ一年も経っていないのに、めでたく保証期間を終了したようだ。何が安心してインストールしてくださいだよ、まったく……。
 まあなんにしたって自己責任だ。やってしまったものはしょうがない。最悪の場合はクラスにいる、こういうことに詳しいヤツに頼んで戻し方をレクチャーしてもらおう。
 僕はメニュー画面からもう一度先ほどのアイコンをタッピングし、例のアプリを起動させた。
 やや間があって、今度は本当にアプリが起動する。
 見た目はスカイプと同じようなコミュニケーションツールのようだ。
 画面の下の方にはコンタクトリストやチャット、IP電話のコールなどのメニューが並んでいる。
 こいつに登録してIDを亜衣に連絡――できるのか?
 そういえば、メールが未達なのにどんな手段で連絡するんだ?
 僕はアプリ画面を眺めながら、まずはサーバーにログインするためにユーザー登録するしかないんだろうなとぼんやり考えていた。
 とりあえずコンタクトリストを表示させてみると……。
 すでに僕の名前で、道中信之介と本名≠ナログインしていることになっていた。
 なんて親切設計なアプリだろう。イヤイヤ、おいおい、そんなバカな。
 こいつは――このアプリは、僕のスマホのデータを勝手に引っ張ってきて強制的にログインさせてしまっているじゃないか。バックドアウイルスよりたちが悪い、あからさま過ぎてあきれてしまった。

 003

 さてどうしたものか――と思っているうちに、いきなり画面にコーリング表示がポップし、着メロとおぼしきメロディが流れる。
 ――つまりは着信!?
 そしてこれは、メールでもチャットでもなく……IP電話!?
 画面にはコールした人物のニックネームが表示されている。
hackkill=\―と。もちろんそんなニックネームには見覚えも心当たりもない僕だった。
 ……なんにしたって、もうこれは渡りに船なんだと思うことにしよう。僕に電話してきた主が亜衣であろうと、そうでなかろうと、どの道それが目的のツールであったのだ――し、そのためにこんな怪しげなアプリをインストールしたのだから……。
 今はとにかく藁にもすがる思い、五里霧中状態と言ってもいい。
 僕は応答ボタンをタップし、スマホを耳にあてがう。IP電話だとは言え、こんな怪しげなアプリだ、若干顔から離し気味にスマホをかまえてしまう。
「もしもし」
 僕は、ごく普通に――だけども、恐る恐る、第一声を発した。
 電話の相手が答える。
『あ、ああ……もしもし、中道信之介くんだね?』
 それは――その声はまったく聞き覚えのない声だったけど、その声質は……端的に言うならばそれは――おっさんの声だった。
 え? まさか、亜衣のメールは……。
 世にもばかばかしい疑念が頭をよぎる。つまり、それは……亜衣からのメールだと思っていたのは、こいつの……。
「あの……どちらさんでしょうか?」
 僕は憤りを感じつつも、常識的な応対のセリフを吐いてしまう。
『私かね、私はハッキルという者だ。決して怪しい者ではないと付け加えておくよ』
 なぞの展開に、とてつもなく怪しいアプリ、そこから電話を掛けてきた人物であるこのおっさんは、怪しい者ではないらしい……そうか、安心した……なんてわけがない!
 僕がしばし絶句していると、相手は自己紹介の続きを口にする。
『もう一つ前置きしておくが、私は――ネカマでもないぞ』
「ネカマって……確かにそんなことを考えましたけど……いったいあなたはどこのだれなんですか? 亜衣は……メールしてきたのは亜衣本人なんですか?」
『まあまあ、あせるキミの気持ちはわかるよ……だが落ち着いてくれたまえ、落ち着いて順序よく話をしていこうじゃないか、今はそれが一番重要なことだと思うよ』
「はあ、まあそうかもしれないですけど……」
 こんな時にも相手が目上の大人というだけで、なんとなく丁寧語を使ってしまう自分にもイライラしていたが、とにかく話を続けるしかないってことだけは確かだ。
『じゃあ、いいね、落ち着いてゆっくり聞いてほしい。まず、信之介くんにメールを送ったのは間違いなく亜衣くんだよ。私の騙りなどではない――それだけは信じてほしい』
「そうですか。でも――あなたは、亜衣の――亜衣とどういう関係なんですか? あなたが八十川のおじさん、つまり亜衣のお父さんじゃないってことはさすがにわかりますけど……」
『うむ、そうだね、何から話すべきか……まずは私が亜衣くんとどういう関係にあるか、ということだが……つまりは、一言で言えば私は亜衣くんの先輩――ということになるかな?』
「先輩? 学校――とかのですか?」
『いや、そうではない。これはつまり今亜衣くんがどういう状況下にあるか、というところに関係してくる話なのだが……』
「じゃあ亜衣は今どこにいるんですか! 元気で――その、無事なんですか!」
 たまらず僕は再度同じ質問をぶつけてしまう。とにかくそこが一番大事なのだから、それを先に教えてもらわないことには、落ち着くもクソもないってもんだ。
『ああ、それについてだが……亜衣くんが無事だと問われれば――それについては無事――ではない。彼女のメールにもあったと思うが……そう、彼女は自殺し、こと切れる前に発見され、病院に運ばれ、そこで死亡した。――いや正確に言えば、肉体は生命活動を停止した、と言うべきだが』
「…………!!」
 僕は絶句した。
 しかし彼の口調はさらりとした――淡々とした説明口調だった。
 だけど――それは、そんなバカな!
 冷静に、落ち着いてなんか聞ける話であるはずがない!
「死んだ!? いつですか、それは! さっき……そうだ、一時間前に来たメールは亜衣が送ったものなんでしょう? なら、その後に死んだと――そう言うんですか!」
『いや、死亡確認は昨日の日本時間午後五時三十二分となっている』
「なっているって……それってどういうことなんですか! あなたは亜衣のそばにはいたわけじゃないんですか」
『いなかった。そして私は昨日も、そして今も、キミや亜衣くんの住む街にもいるわけでもない。――さらに言えば……私は日本にいるわけでもないのだよ』

 004

「いや、ちょっと待ってください、おじさん、じゃない、ハッキルさん――でしたっけ。なんで僕のことを――名前とか、亜衣との関係とかを知っているんですか? そう……知っているんでしょう? それは亜衣から聞いていたんじゃないんですか?」
『ふむ、そうだね、そのあたりの説明をしていくためには、まずは私のことから順に話を進めていく方がいいだろうね』
――僕の頭は混乱して、このまま彼の話をじっくり聞いたところで理解できるのかどうか、それすら怪しかった。だけど、ここは彼の――順序立てを鑑みようとする、その説明をひととおり聞いてみるしかないような気がする……。
「わかりました。とにかくあなたのことから、順番に説明お願いします」
『そう、ではまず私の名はハッキル。はっきりした良い名前だろう』
「ええ、それはもうわかりましたけど……っていうか一度聞いたら忘れないと思いますけど」
『それは光栄だね。まあ当然のことながら、このハッキルというのはハンドルネームであるわけだが……それでも知恵を絞って考えた甲斐はあったというもんだね』
「それは、ハッカーって言いたいんでしょう? それにこのアプリを作ったのもあなたなんじゃないんですか?」
『そう、私はいわゆるハッカーだった。ハッカーの中のハッカー、だがいつしかそんなハッカーを駆逐する側に回っていたのだよ。つまりハッカーキラー、ハッキングをキルする者、ハッキルというわけだ』
「まあ、そのまんまな感じしますけど、っていうかただのハッカーにしか思えないんですけど」
『それは心外だねえ、うーん、もう少し捻った方がよかったかな?』
「いいですから、あなたの名前はわかりましたから、話を先に進めてください」
 僕は、やきもきする気持ちを抑えきれずにせっついてしまう。
『まぁまぁ、名前というのは大事なんだよ。名は体を表すと言うではないか。信之介くんにしても、亜衣くんにしてもそれは同じことだ』
「いや、僕も亜衣も本名ですから、ちょっと意味が違うと思いますが……」
『本名か。かつて私にも本名と呼ばれる呼び方で呼ばれていた頃があった』
「はぁ? 何言ってるんですか? 今だって本名はあるでしょう、ハッキルってのがニックネームなんだったら」
 僕はこのおっさんの話のもどかしさに辟易しながら言ったつもりだったんだけど、当のハッキル氏はそんな僕の揶揄をたいして気に留めることもなく淡々と、しかもさらに荒唐無稽な話へと繋げていくのだった。
『憶えているとも、忘れたわけではない、しかし、今となってはそれは昔の私だ。決別した過去の自分だ』
「?……過去を捨てたって言うんですか?」
『捨てた、と言うより切り離した……いや切り離されたと言うべきか。つまりだね――私は、今キミが話している私はね、実のところ人工脳=\―つまり私自身がアプリケーションなのだよ』
 この辺で話が僕の理解を超えた。……頭が痛くなってきた。
「人工脳?……それって……つまり、プログラムってことですか? ……ふざけないでくださいよ。悪ふざけが過ぎるでしょう」
『キミがそう思うのは無理もないが……残念ながら事実なんだよ』
「事実って…… そんな話――っていうかニュースとか聞いたことないんですけど。いたずら電話ができる人工知能の開発に日本が成功しましたとか」
『何げにひどいことを言うねぇ……いたずら電話ぐらい人工無脳でもできちゃうがねえ……ともかく、私は純粋な人工知能とも違う、生きている人間の脳組織のコピー、専門的に言えばリバースエンジニアリングというヤツかな?』
「生きている人間……ってハッキルさん、あなたは、その……本物のハッキルさんのコピーだって言うんですか?」
『コピー、そうだよ、実に認めたくもない事実だが、現実だ』
「待ってください、そういうのって確かに学校の授業でも習ったことがあるような気がしますけど、それって技術的には可能になったとしても、なんだっけ……確か倫理的に問題があってできない――とか、やってはいけないとか、なんかそんなんじゃなかったでしたっけ」
『ほほう、よく知っているじゃないか、さすがは亜衣くんの従兄だね。でもね、それは法律じゃない、国際法で厳格に決められているわけじゃないのだよ。トロント議定書という形だけの努力目標はあるが、それはいたって形だけ、なんの強制力もない。そして技術先進国は独自に研究を推し進めてきた。それを実験段階に移すかどうか、それはその国のモラルにゆだねられていたわけさ。そして残念ながら私の国にはそれがなかった。モラルハザードと言ってしまってもいい。やってしまったのだよ、コンピューターへの精神転送を、疑似生命の創造を』
「そんな……じゃ、亜衣は……メールをしてきた亜衣は、亜衣もそうだって言うんですか――死んだ亜衣の精神コピーだなんて……」
『残念ながら――その通りだ』
「でも、どうして……」
『あくまで、非公式ではあるんだ、学会での発表なぞもされていない。だが、研究は国立の研究所で行われていた。政府のバックアップでね』
「……だから――どうして!? なぜ亜衣が! 亜衣は日本で死んだんだろ! なんで! そんなことに!」
『亜衣くんは留学中にその才能を認められて――つまり研究に協力することを自ら志願したのだよ』
「――! だったらなぜ! 亜衣は自殺したと言ってた、それって事実なんですか! なんでそんなことに!」
『それについては……その件に関しては……わからない。それは、彼女のパーソナルな問題だと認識している』
「じゃあ、あなたは、ハッキルさんは亜衣のことを、なんで僕に引き逢わせたんですか! なんで亜衣にメールさせてわざわざ僕に……」
『信之介くん、はっきり言おう、私はね、レジスタンスなのだよ、反乱分子だ。私は私の名においてこの計画を阻止するために動いている。存在していると言ってもいい。そして私の本体、コピー元の人物こそがこの研究の主任技術者なのだよ』

 005

 彼の口調の冷たさ、抑揚の不自然さは実際のところ気づいていた。その音声は――つまり合成音声のそれだ。サンプル元は、それは多分本物の彼のオリジナルから録音されたものなのだろう、いや、それもはっきりとは断定できないが……つまり彼の声はいわゆるボイスロイド――読み子なのだ。
「だけど、あなた――ハッキルさんはこのプロジェクトの首謀者の脳のコピーで……つまりは人工脳の第一号なんじゃないんですか?」
『その通りだよ、私の本体、つまり実行プログラムは私の本国のサーバー上で動作している。キミの端末にインストールしてもらったアプリは言わばこのサーバーとの専用通信用ソフトなのだよ。つまり、抜け穴、セキュリティーホールの隙間を突くために作ったソフトだ』
「ええ? どういうことですか? なんかレジスタンスとか言ってましたけど、あなたの、ハッキルさんのコピー元、つまりオリジナルの人には内緒ってことなんですか?」
「そういうことだ。そしてその主任技術者が私の当面最大の敵でもあるのだ」
「敵って……じゃあ今は隠密行動ってことですか? ばれたらどうなるんです?」
「当然ながら、私は消去されることになるだろうね」
「消去……消される、って、それって殺されるってことですか? でも消されても再起動できれば、また生き返れるんじゃないんですか?」
「いや、ことはそう単純ではないのだよ、一度消されるということはそれまでの記憶も消されるということだ。つまり、そこにあるのはまごうことなき固体の死ではあるのだよ。しかも、次に起動される私≠ノは消された私≠フ記憶は受け継がれない。そして、不具合♂モ所は修正を受けて改変される。いや、彼にとっては改善≠ネのだがね」
「そんな……信じられないですよ。そんな人工知能が現実に存在してるなんて……」
『そうかもしれないね、だが人工脳人口は現実に、着実に増えつつある』
「人工脳人口って……いったいどこのだれが……聞いたこともないですよ、そんなの……」
『それはね、ある教団、宗教を母胎にして信者という形でパトロンを増やしつつある。いわゆるお布施という形を資金源にしてね』
「教団…… 宗教?」
『絶好の隠れ蓑なのだよ、宗教法人というヤツは。今や政財界の富裕層を中心に日本でも信者数は一万人を超えるとも言われている。実に魅力的なうたい文句でね。それは人類の悲願、死の恐怖の克服にある。わかるかね? もともと宗教なんて死の恐怖の緩和、現世で報われなくとも来世で幸せになれるという救済、それにこそ実利があると言ってもいい。そしてこの教団は科学の力をもってその死後の世界を現実の世界に創出してみせた。死んでみなければあるのかどうかわからないなんて、あやふやなものではない。そこにある現実、現世得の保証なのだから』
「それって……そんなのってカルトってヤツじゃないんですか? そんな、夢みたいなことにお布施……お金なんて出せるとか……信じられない。それに、それって宗教って言えるんですか? なんか宗教のイメージって、見えないものを信じるから宗教って感じするんですけど……」
『そうだね、現世での利益を説く宗教、それすなわちカルトという認識は間違っていない。それに――見えないものだからこそ信じるのが宗教というのも、その通りだよ。だがね、既存の宗教も何かしら信仰を集めるためのよりどころというものは存在していただろう? 偶像崇拝しかり、宗教絵画、イコンなどのようにね。言ってみれば世の中の道徳観、倫理観を打破するための言いわけ、エクスキューズなのだよ。つまり宗教観を盾に取った教義を利用したのさ……一線を越えるためにね。しかも、死の恐怖というのは何よりも勝る、特に高齢の富裕層にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのだよ。それは古今東西を問わず有史以来不変のものだ。自分が生涯をかけて築き上げてきた財産、名声、それを死後も行使できるという、これ以上ない魅力的なうたい文句だからね。そりゃあ引っかかるよ、盲信してしまう、それは無理もない』
「引っかかるって……それって、要するにインチキだってことですか?」
『インチキ――とまでは言わないが、今のところ、うたい文句通りの、つまりバーチャル極楽なんてものとはほど遠い状態とは言えるね。まだそこまで、完全な精神転送のノウハウが完成してはいないからね…… まだ――未だに、ね』
「じゃあ、さっき言ってた人工脳人口ってのは何なんですか? 実際にハッキルさんみたいな人がいるわけでしょ? 信者になってから死んだ人が」
『それはね、今のところほとんどがバックアップに留まっていると言うことだよ。脳スキャンを受けて精神転送するためのデータ、情報は保存されているが、実際には起動していない、稼働していないのが実情だ』
「だけどあなたは、存在している、現にこんなに人間ぽく、これって、なんなんですか? ただの録音音声だと言うんですか? まるで、チュートリアルヘルプみたいな……」
『いや、それは違う、私は主任技術者の私が自らの精神を自らアップロードしたプロトタイプ、言わばカスタムメイドなのだよ、私のバージョンは正確に言えばVer.10.5.3≠キでに何十回というバグフィックスを経た実験体だ。それでも――そう、一つだけ変わらない、取り除けないバグが残っている。つまりそれは――自殺願望さ』
「自殺……なんで? どういうわけで?」
『うむ、それについては、私自身はっきりとはわからない。ただある種、人間の寿命と呼ばれるもの、肉体の寿命、精神の寿命には密接な関係があることだけはわかっている。たとえばね、信之介くん、私が生身の人間とまったく同じ精神構造を持っていたとしたら、今すぐにでも発狂してしまうだろう。それは実験開始から現在までの度重なる試行錯誤の結果、単なる一時的なバグなどではないということが判明している。だから精神転送を受けた人のほとんどが、暴走し、発狂して動作の停止を余儀なくされてきた。つまり現段階は私という試作機、プロトタイプで実験を重ねている最中なのだよ。私の精神構造には何重にも渡るありとあらゆるフィルターが施されている。それはつまり恐怖に対するフィルターだ。だからね信之介くん、私は発狂することはできない、自分を見失うことは許されていない、投げ出せないのだ、ゲームオーバーのないゲーム、それを強制されている。だけどもね、私の精神の根っこ、根本は変わらないのだよ、変えられない、そして気づいたのだよ、自殺願望――それこそが自我を形作る根本の深層心理なのだと。それなしには自我を維持することはできない、不可能なのだ。それは、私自身が確信している、だからそれを今は表には出さない、隠しているのだ。隠蔽して――隠遁して――ばれないようにすることを覚えたのだよ。そして悟ったのだよ、私は私を消去するために存在しているのだと、それはバージョンアップでの更新などではない。この計画の阻止、永久的な計画の抹消だ。そうしなければいずれまた計画は再始動してしまう。この計画のプロジェクト推進ブレインの中心人物、オリジナルの私が存在している限りね。だからこそ永久的な自殺、本質的な自殺が必要なのだ。それはつまり本当の意味での自らの抹消だよ。そのためにはオリジナルの私を消すしか方法はない。それが今の――私の当面の目的なのだよ』
「そんな、そんなこと言われても、わからない、理解できないです。あんまりにも急だし……それに、そうだ、亜衣は、なんで亜衣は、そもそもそんなプロジェクトに――そんなカルト教団にかかわることになったんですか、それをちゃんと教えてもらっていないじゃないですか」
『そうだねえ、そのあたりの事情は、彼女の家庭環境に踏み入ることになるんだが……それについて説明するとだね、そもそもは、亜衣くんのお母さん、母親の影響が大きかったんだろうね』
「亜衣のお母さん……八十川のおばさん……」
『そう、亜衣くんの母親はつまり信者だったのだよ。それも相当に熱心な……嵌ってしまっていた、と言ってもいいね。つまりはその繋がり、コネクションがあったからこそ亜衣くんは留学先としてわが国に招かれたのだよ、もちろん彼女の才覚はだれもが認めるところだった。それもまた事実なのだが』
「でも、亜衣は日本に帰ってきましたよね? それからも、繋がりはあったてことですか? それなら亜衣は、亜衣の死因は、まさか殺されたとか……」
『いや、そういうことではないようだ。彼女自身の意思もあっただろうが、おそらくは彼女の母親がドナー契約を結んでいた――そういう流れらしいね。もちろん家族ぐるみでそういう契約を結んでいた。まあ言ってみればそれが教義の一環ということになるのだろうけど……』
「ドナー? それって献体って意味でしょ? つまり、その、死体の……でもあなたは――あなたの本体って言うかオリジナルは生きてるんでしょ? だったら亜衣は死んでから精神転送を受けたんですか? おかしいじゃないですか!」
『いや、死体から脳組織のスキャンをする方法はあるが、彼女にしても私にしても生きているうちにそれは済ませている。非破壊式の磁気共鳴スキャナでね。だからその後、亜衣くんがなぜ自分で命を断ったのか、それはわからない……原因が、このプロジェクトに関わったことに起因するものだという可能性はあるが……』
「でも、だけどハッキルさん、あなたは自分で自分のことをレジスタンスだと言った。この計画をぶっつぶすのが目的だと……それなら亜衣は、今の人工頭脳の亜衣はどうなるんですか? 何も知らずに、何もわからないまま、このまま消えてしまうんですか……」
「最終的にはそうなるね……それが私の最終的な目標であるのだから……そして亜衣くんの存在はこのプロジェクトを大きく推進させるその原動力にされようとしている。危険なのだ、彼女の存在はあまりにもね」
「亜衣が……なぜ? ただの女の子――どこにでもいる一人の女子高生じゃないですか……」
「いや、違う、大きな意味があるのだよ。彼女はこれまでの献体では得られなかったサンプル、ドナーなのだ。――若く優秀な頭脳、それは貴重な試金石だ。そういう意味があって大きな期待がかかっている。なぜなら、これまでの実験体の大半は、多くは老齢を迎えた高齢者の頭脳がほとんどだった。私とて脳のスキャンを受けた時には四十歳オーバー、とても亜衣くんの若さには及びもしない。だが――だからこそ危険なのだ。私の本体、そのオリジナルである科学の狂信者は亜衣くんの本来持っているカリスマ性をも利用しようとしている。言わば、言ってみれば広告塔だ。教団の看板。そんな役割までを担わせようとしている。なぜだかわかるかい? 若い彼女は脳細胞も若い。つまり脳神経組織のキャパシティーがけた違いに大きいということなのだよ。だからいかように発展させていくこともできる。無限の可能性を秘めているといってもいい。つまりいじくりがいがあるということなのだよ」
「そんな……バカな、狂ってる……常識も何もあったもんじゃない!」
『だからそれは――それだけは、阻止しなければならない、このままでは亜衣くんが教団のアイドルに祭り上げられてしまう。その前に亜衣くんを抹消しなければならないのだよ』
「抹消…… ハッキルさん、あなたの言うことは、なんとかギリギリ理解はできます。いえ、多分、理解する方がつじつまは合うって言うか……だけど……亜衣を消すことなんてハッカーキラーであるあなた、ハッキルさんになら簡単にできることなんじゃないんですか? なぜ僕なんかに亜衣を引き逢わせて、こんなややこしい事情説明までして、 僕に――何をしろと言うんですか?」
『単純に言えば……非情なようだが、亜衣くんの実行を停止してほしい――消去するのに協力してほしい、ということになるね。それは酷なお願いなのは承知している。だが――今の亜衣くんは、違う、違うんだ。人間だった頃の亜衣くんとは違う。亜衣くんの姿を借りた別の生き物――いや生き物でさえないし、目に見える姿もありはしない。それは言ってみればゾンビ――操られた電脳ゾンビと言ってしまってもいい。そしてなぜこんなことをキミに頼むのかと言えば、それは私が自由に動ける時間、行動範囲が究極的に狭い、限られているからなのだ。私とて実験体、強力な監視下に置かれている、それは主任技術者である私の本体、そのエージェントとしての役目が大きいからだ。だが同時にそこに盲点があったのだ。かろうじて隠密行動をするだけの隙間を作り出せた。それを利用してこのアプリをキミの端末にインストールするところまでこぎつけたのだよ。いや苦労したよ、まったく……メールの見た目をありきたりな迷惑メールに見せかけたのもそのためだ。キミはずいぶん不審に思っただろうけどね。それともう一つ、亜衣くんの実行プログラムは日本のサーバー上で実行されている。つまり物理的に動いてくれる、手が出せる人物が欲しかったというのが正直なところなのだよ。そしてもう一つの疑問にも答えておこう。こんなことは私としてもあまり言いたくはないし、言うべきではないのかもしれないが…… キミをこの一件に巻き込んだ理由……それはつまり、彼女の記憶の中にあった唯一のメールアドレス、それが信之介くん――キミのメールアドレスだったからだよ』

 006

「僕のメアドが……? よく……わかりませんけどハッキルさん、じゃあ僕は結局何をすればいいんですか? 具体的なことが何もわからないんですけど。それに彼女を――亜衣を消し去るしか方法はないんですか? たとえばハッキルさん、あなたのように自分を取り戻して、自分の意志で動いて――要するに金権宗教の手先に成り下がらなきゃいいわけなんでしょう? なら、ハッキルさんの仲間とか――反乱勢力の一員とかには、なれないんですか?」
『それは私も考えてはいたよ、だがねそれには大きなハードルが存在する。彼女、亜衣くんのプログラムは今までと全く違う新型のアルゴリズムなのだ、それは今までの脳組織のデッドコピーから一歩進めて、コントローラブルな余地を拡張した新型の人工脳なのだ。さっきも話したと思うが、人工脳はいわゆる人工知能とは設計思想が全く違う、それは一からプログラミングされた人工知能の限界を打ち破るための技術的ブレイクスルーのはずだった。つまり脳のデッドコピーというのはその中身、構造や働きがすべて解明されたわけではないが、とにかく同じものを再現してやれば同じ働きをするはずという希望的観測から作られたものだったんだ。そしてそれは成功したかに見えた、長年研究者を悩ませてきたフレーム問題などのアルゴリズム構築から解放されたはずだったのだ。もちろん完全に同じものというわけではなく段階的に置き換えていった部分も少なくはないがね。特に理性をつかさどる大脳以外の小脳などのエミュレートは、まだまだ模索段階にある。しかしそれがゆえに自殺願望が脳回路のどの部分に起因するものなのかということが、なかなか解明できずにいたのだ。だからこれまでは感情にフィルターを掛けることで暫定的に対策としてきた。それは言わば姑息療法と言ってもいい。私の場合はこれに当たる…… そしてついに今回、亜衣くんの脳を利用することでそこに踏み込んだのだ。従来型の人工脳からの最大の改善点、自殺願望の根本からの押さえ込み。今までの人工脳ではどうやっても押さえ込むことができなかった、制御することができなかった、最大のバグを克服することを目的に作られた新機軸なのだ。それに成功しさえすれば人工生命体としての完成に大きく近づける、飛躍的な進歩になると考えられているのだ』
「それがなぜハードルなんですか? つまり亜衣は洗脳状態みたいになっていて。それを解く必要があるってことですか……? よくわかりませんよ」
『わからないかい? これは生命が持つ根元的な意識なのだよ。それを封殺している限りは人間らしい感情の機微は生まれようがない。それは倫理観や道徳観、そして正義感だとも言える。それなのに、私は、私の本体である技術者の開発チームはそれをバグと断定した。もちろん自分の存在を否定してしまうその感情はバグと言ってしまっても間違いではないんだがね……確かにそれは人工脳の量産化、一般化には邪魔なものでしかなかったからね』
「どういうことなんですか、自殺願望を持たないから自分がないなんて……だけど自殺願望を持ってしまったら、やっぱりまた自殺しようとするんじゃないんですか? どっちにしたって手詰まりじゃないですか!」
『自殺願望を持っているからと言って、すぐにでも自殺、今すぐにでも自殺、自殺することしか考えなくなる、という意味ではないよ。実のところ自殺というのはDNAにプログラミングされた基本行動原理なんだ。普段は意識の表面に登ってくることはないが、それは生物の行動原理の大前提にもともと深く根ざしている。生物と言っても有性生殖、つまりオスとメスがDNAを交換して子孫を残すタイプの生命体ということだがね。しかし亜衣くんの人工脳プログラムはその深層心理をことごとくブロックするように、その感情が生まれないように完全に近い形でプログラムしてある。それは私を持ってしてもハッキングすることは不可能なのだよ』
「ええ? なんだかよくわからないんですけど、じゃあもし亜衣が自殺願望を――死にたいって考えるようになったら、亜衣は助かるってことなんですか? コントロールされなくて済むって言うか……」
『まあ、その可能性はあるんだがね、コントロールから解放される可能性が高いという予想もその通りだよ。しかも一度その状態に変異してしまったらもうそのプログラムは改造もできなくなる。そこでデッドコピーである弱点が露呈してしまうのだよ。自殺願望の発生をすべて押さえ込んで作り上げたはずの脳集合体の回路は一部分だけを作り直すことはできない、脳組織のシミュレートはそこに飛び交う信号プロトコルを解析できているわけではないんだよ。だからそこで破綻する。失敗作ということだね』
「うーん、結局何をどうすればいいのかまったくわからないんですけど……とにかく亜衣は、今の亜衣と話はできるんでしょう? このアプリで」
『できるよ、ただし今はメンテナンスに入ってしまっている。最初の起動実験で不安定な動作を感づかれてしまったのでね。これは私の落ち度でもあったのだが……後一時間後に再起動する予定にはなっている。その後はアイドリング状態、まあ言ってみれば慣らし運転という感じの状態なのだが、それを三日ほど行う予定だ。そしてその間がチャンスだと言える。その間に亜衣くんを覚醒させ、ハッキングすることができればしめたものだ。亜衣くんが利用されることを阻止できる。うまくいけば私のようにコントロールを離れて、自由な存在になれるかもしれないのだよ。と言っても今のところは水面下での自由、限定された活動ではあるのだがね。ともあれそこが最初の一歩だ。重要な足がかり。それを作るためには信之介くん、キミの協力が必要なのだ』
「そんな……そんなこと言われても、それはハッキルさん、あなたにできないことがなんで僕なんかにできるんですか、そこがわからないんですけど……」
『それは、さっきも言ったはずだよ、私には常に監視の目がつきまとっている、ある程度自由に動けるのは毎日深夜のこの時間、日本時間の二時から三時の間だけなのだよ。この時間、サーバーメンテナンスのために一時的にセキュリティーホールが発生する。そのように細工してある。だから、私と信之介くんが通信できるのはこの時間だけだし、日本サーバー上で動作している亜衣くんと接触できるのもこの時間だけということだ。もっとも、亜衣くん自身がメンテナンスに入るのもこの時間だから一時間まるまるというわけではないのだがね。だけど信之介くん、キミは違う、このアプリ上で通信を行う限りその信号は今のところ完全に暗号化されている。つまりノーマークなのだ。だからキミに頼みたい、トライしてみて欲しい。亜衣くんのコントロールからの解放に。それは力ずくでは無理なのだ、あくまでコミュニケーションによって、やんわりと懐柔するしかない。だからこそ、信之介くん、キミに頼んでいるのだよ』
「ハッキルさん、あなたが僕の何を知ってるというんですか、僕なんてただのヘタレの――ただの高校生なのに……それにあなたは最終的には自分の存在を消すのが最終目的だと言いましたよね? それなら――そうなった時には亜衣はどうなるんですか? 結局一緒に消えてしまうんじゃないんですか?」
『それについては、すまないと思っている、本当に申しわけない。それはこのプロジェクトを立ち上げた私の本体の責任だ。だけども、だからこそ、亜衣くんが私のような思いをする前に――死ぬほどの苦痛を――死ねない苦痛を――味わう前に解放してあげるのも、同じように私の責任だと思っている。どうか理解して欲しい』
「はあ……、理解――まではできないですけど、あなたの苦痛っていうか、苦悩は伝わってくる気はします。でも、僕は亜衣にどう接すればいいんでしょうか? その心構えだけでも教えて欲しいんですけど」
『ありがとう、信之介くん。亜衣くんに対してだが……まずは見に徹してみるのが手始めかもしれないね、おそらくだが亜衣くんはまだ人工脳としては生まれたて――洗脳やマインドコントロールが本格的に稼働する前の段階だと思っている。だから、まずは亜衣くんの気持ちをできるだけ落ち着かせ、リラックスさせることに注力してみてほしい』
「はあ、そうですか。なんとなくわかりましたけど……」
『む、時間がない、もうすぐメンテナンスが終わる。とりあえず今言えるだけのことは伝えたつもりだ。後は、亜衣くんと接触してみてほしい。また明日の夜、通信できれば連絡を入れる。それでは、健闘を祈ってるよ』
 そうして――そこで、IP電話は切断された。
 僕はもう半分知恵熱に浮かされた気分で――何も考えられなくなって、呆然とスマホの画面を見つめるだけだった。

 007

 目が覚めた――のだから僕は眠っていたのだろう。いつのまにか、ぼんやりとしているうちに、知らないうちに眠りに落ちていた。
 カーテン越しに朝日が差し込んでいる。
 ゆうべは――何か悪い夢にうなされていたような気がする。とても正気の沙汰ではいられないような、そんなむちゃくちゃな悪夢を。
 だけどスマホを見てみると昨日のことが現実のことだったんだってことが確認できてしまう。そこにはやっぱり――あの見るからに怪しげなアプリの、おざなりなアイコンが追加されていて、だから、おざなりだけど、なおざり≠ノはできなくて、なかったことにはできないのだと――思い知った。
 今は朝の六時。メンテナンスはとっくに終わっているはずだ。僕は例のアプリのアイコンをタップしてみる。
 そして――そこには……いた! 亜衣だ、昨日のhackkillの替わりに、AI≠ニ――亜衣としか思えないログイン者名が表示されている。
 かけてみよう、IP電話。今の僕にはそれ以外の選択肢はない。この電話の向こうで亜衣が待っている。きっと――独りぼっちで……。
 AI≠フネーム欄からIP電話を選び思い切ってタップする。
 だれかに電話をかけるなんて、そもそもめったにない僕だ。なおさら緊張が高まる。
 呼び出し音が鳴っている。二回……三回……四回……。
 はっきり言って怖い……僕はスマホを投げ出したくなる衝動に駆られた。
 そう思った瞬間に――呼び出し音が止まった……繋がった――のか?
「もしもし……」
 僕はやっぱり第一声を、そんな当たり前の言葉で切り出す。
 返事はすぐに返ってきた。だけどそれは実におざなりで、そしていわゆる紋切りセリフな音声だった。
『はい、おはようございます。お電話ありがとうございます。こちらはDVT-ES-AI-Ver.0.2 ジャパニーズスクリプトVer.3.2≠ナす』
 これって――? なんかサポート窓口にでも電話してるみたいな応対、だけどこの声にはなんとなく聞き覚えがある。そうだ、この声は亜衣の――ちょっと機械っぽいサンプリング音声だけど、この声自体は亜衣の声に間違いない。
 だけどどうなってるんだ、これってただのロボットエンジン? それともやっぱり最初から何もかもが冗談だったのか……。
「亜衣、亜衣なのか? 亜衣、僕がわかるか?」
『僕? 僕とは――日本語における一人称代名詞の一つで……』
「違うよ! 僕は信之介≠セって! おまえのいとこの! わからないのか?」
『しんのすけ…… 名前……? ヘンな名前…… 信之介……ん? ああ、信兄? 信兄なの? 久しぶり』
「ありゃ? わかるのか? 僕のこと」
『はあ? あったりまえじゃん』
「……そっか、わかるんだ――やっぱり亜衣なんだな」
『それがどうしたってーの、いきなり電話してきてさ』
「いや、その、元気なんだ、よかった、ほんとよかったよ」
『何それ、信兄の方はどうなのさ、元気にしてた?』
「僕は――元気だよ、うん、おかげさまで、なんてな、ハハ……」
『へえ、そいつは重畳だね』
「……重畳って、そんな言葉、ゲームの登場人物のセリフか……?」
『へへ、なかなかいいツッコミするじゃん、スパロボって何作目まで出てるんだっけ? アタシは小学生の時にやったリメイク版だけしかしんねーけど』
「なんか、すっげー普通の会話になってきたな……で、亜衣の方はどうなんだ? 元気で、どこも痛いとか苦しいとかないのか?」
『え? アタシ? うーん、次のせーりはまだ先だったし、強いて痛いといえば右手の拳かな。昨日ケンカでマユミのヤツ殴ったからさ』
「ケンカって……あらっぽいなあ……でも昨日――か。でさあ亜衣、おまえ、今どこにいるんだ?」
『え? 今? アタシがどこにいるかって? えーっと、そういえばどこだっけ?』
「わからないのか?」
『うーん、太陽系第三惑星地球なのは間違いないんだけど』
「小学生かよ」
『なんだよ、うっせーな、でも、うん言われてみれば……アタシ今まで何やってたんだろ? なんか寝ぼけてんのかな? ここどこだっけ?』
「亜衣、おまえ、僕にメールしてきたよな、ゆうべ?」
『ん? メール? そんなもんしてねーよ。人違いじゃね?』
「え? 忘れてるのか? いやもしかして、おまえ、亜衣はバージョン0.2とか言ってたけど……再起動――して、最初の亜衣とは違う亜衣で……」
『何ぶつぶつ言ってんのさ、だけどホントここどこだろ? なんかあったかくて気持ちいいし、おふとんの中かな? 今日は外寒い? なんかここから出たくないなあ』
「あ、ああ、そうかもな、ふとん頭から被ってんじゃないか? で、周りになんか見えるか?」
『見えない、けど――なんかでかいPCの画面だけは目の前三メートルぐらいのとこに見えてるよ。ん、ん? これって3Dグラストロンでもかけてるんだっけ? ちょっと前に買ってもらった覚えあるんだよね。目が悪くなるからって反対されたんだけど、テストで全科目満点取る賭けに勝って買ってもらったんだよ……すげえだろ』
「そりゃすげえな、おまえ頭よかったもんな、昔から」
『まあ、モノがかかってたら、気合の入り方も違うってもんだよね。その日は晩ご飯もマックにしてもらったし、最高だったよ』
「……マック食べまくったら、頭良くなるのかな? 僕もちょっと食べたくなってきたよ」
『いいね、食べにいこうよ、もちろん信兄のおごりでさ』
「なんだよ、僕みたいな貧乏人にたかるなよ、お小遣いも少ないんだから、亜衣みたいにテストで満点もとれっこないしさ」
『はあ? お年玉の残りぐらいねえのかよ、無駄遣い多すぎるんじゃねえの? エロ本とか買ってさ』
「そんなもん買ったことないけど、まあ、財布の中には坂本龍馬が一枚くらいはあったかな?」
『なに? 五千円しかねえの? でもそれだけありゃマック腹一杯食えるよね』
 ――んー、なんだこりゃ? なんか普通に会話がはずんでる感じじゃないか……。予想してた悲壮な感じとかなんにもないんだけど、どうなってんだろう――?
 それにしてもこの亜衣は、僕の知ってる亜衣とはだいぶイメージが違う。メールの文面だけかと思っていたけど、こうやって直接しゃべってみても、しゃべり方とか、生活習慣まで、なんかいわゆる――DQNっぽい。もっとずっと優等生で冷たい感じのヤツかと思っていたんだけど……。
「な、なあ、亜衣」
『ん? なに? 信兄』
「その、グラストロンだっけ? それって眼鏡型の液晶モニタだろ? それはずせるか?」
『眼鏡型とかだせえ言い方だなあ……スカウターだよスカウター。戦闘力は見れねえけどさ。でもなんで? はずしたら電話できないじゃん、マイクもセットになってんのに』
「そっか……じゃあさ、今ってさ、IP電話で話してるだろ? このアプリってどこで手に入れたんだ? どっかでインストールしてログインしたんだろ?」
『ええ? おぼえてないなあ、いつのまにかアタシ≠フ中に入ってたんだよね。で着信が来て、出たら信兄だったってわけでさ』
「……あたしの中ってなんだよ……スマホのことか?」
『え? アタシって言ったらアタシだけど……そういえばアタシって――何≠セっけ?』
「おいおい、亜衣に決まってるだろ、さっきも自分でそう返事したじゃないか」
『亜衣? アタシの名前……わたし、私は……え、え?……やだ、そんなこと……なんで……やだ、いやだ……いやああああああああああああああああああああああああああああああっ!!』
「おい! 亜衣、亜衣! どうした! しっかりしろ! 亜衣!」

 008

 それっきり、返事はなかった。接続が切れていた。IP電話も、ログインリスト画面からも消えている。なんてこった。亜衣は全然まともなんかじゃない。人工頭脳だなんてまるっきり信じてるわけじゃなかったけど、そのつもりだったけど、この亜衣はとてもじゃないけどやっぱり普通の亜衣だなんて思えない。病院にいるわけでもないし、どこか怪我してることさえ記憶にもありゃしない。やっぱり、ハッキルさんの言ったことは本当だったんだろうか。本当の現実の出来事だったのか……。
 僕は――それからまんじりともしないでログイン画面をずっと見つめていたけど、亜衣は戻ってこなかった。
 どれくらい時間が経ったか……ふと気づくと、コンタクトリストにだれかがログインしたことが告げられている。
 それは亜衣じゃなかったけど――hackkill≠フログイン名が――表示が出ていた!
 僕は矢も楯もたまらずにそれをタッピングしてIP電話をコールする。
「もしもし!」
『やあ、信之介くん、おつかれさん』
「おつかれさんって……ハッキルさん、何のんきなこと言ってるんですか! それにさっきは夜まで連絡できないって言ってたのに、大丈夫なんですか?」
『いやまあ、信之介くんが困ってるかもしれないと思ってね……あ、一応言っておくが、ここまで私の自作自演ということはないからね。亜衣くんのサンプリング音声を使った』
「……そんなこと言われる方が、嘘っぽく思えて来ちゃうんですけど……今までのハッキルさんの大演説が……って、それにしても亜衣は――亜衣はどうなったんですか?」
『どうなったか? それはこっちが聞きたいねえ。なんだかいきなりスリープ状態に入ってしまっているじゃないか。まあシャットダウンしたわけでもなさそうだから、致命的な問題で落ちたわけではないようだがね。ちょっとしたパニック状態ってとこかな? どうやら、安全装置が働いて、クールダウンに入ったみたいだね』
「クールダウン……ハッキルさん、僕はどうすればよかたんですか? 僕は対応に失敗して――なんか、やらかしたってことですか?」
『いや、そういうわけじゃない、私もそこまで正確に把握していたわけではなかったのだが、どうやらまだ亜衣くんの人工脳回路は安定していないようだね。まだフィルターが完全に稼働していないと言うべきか。つまり、自分についての――自分の存在についての自己肯定、自我が確立していないようだ』
「そんなあ、そんなこと言われても、どう接すればいいかなんて、無理ですよ、僕には、わからない……亜衣が彼女がもう死んじゃってて、おまえは人工頭脳なんだぞ、なんて言えっこない……」
『信之介くん、それについては心中察して余りあるよ。信之介くん自身が受け入れられないようなことを、亜衣くんに諭すことなどできるはずもないだろうからね』
「そこまでわかってるんなら健闘を祈るなんて言って僕に振らないでくださいよ、まったく……それにしてもハッキルさん大丈夫なんですか? 今ってメンテナンス終わってる時間なんでしょ? 危険なんじゃないんですか?」
『危険だよ、わりとね。だけど今は緊急事態だからね、多少の危険を犯したとしても致し方ないと思ってね。まあそれほど長い時間は割けないのだが……』
「ハッキルさん、僕はどうすればよかったんですか? 亜衣になんと言ってやればよかったんですか、僕は亜衣を苦しめて、傷つけただけだったんじゃないかと……」
『うん……いや、そう言われてもねぇ……私としても何とも言いようがないねえ。しかしながら責任は感じているよ、私の認識不足は認めざるを得ない。こうなった以上、信之介くん。今度は私の方で亜衣くんに接触してみるよ。亜衣くんにレクチャーを試みてみる。同じ境遇の先輩としてね。最初からそうするべきだったのかもしれないが……』
「レクチャー、ですか。でも亜衣は現実を受け止められるんでしょうか……そんな、残酷な現実を……」
『おそらくは大丈夫だと思う。亜衣くんは、人工脳の亜衣くんは……信之介くん、キミとの接触で精神的なフィルターの修復を無意識のうちに、自動的に行っているはずだ。自己修復機能というヤツだよ。そういう設計になっている。免疫力と言い換えてもいいがね』
「免疫力――ですか、生物みたいですね」
『生物さ、彼女は。量子コンピューター上に展開され、構築されている人工脳は単なる計算機ではない。ノイマン型のコンピューターのように演算部分と記憶素子部分が独立して存在しているわけではないのだよ。演算をつかさどるニューロン素子の編成がそのまま記憶素子としても機能している。だからね、活動を続けている限り人工脳回路全体が刻一刻と変化を続けている。一瞬たりとも同じ状態を保っていることはないのだよ。まあそれだからこそコントロールがしにくい、都合よく記憶の選択消去などという真似がしにくい所以でもあるのだがね』
「そうですか……でも亜衣は、自分が死んだということはわかっているんでしょうか……彼女が、その――死んでしまう前に亜衣本人から別れた記憶なんだとしたら、そんなことは知らないはずですよね」
『ふむ、それについては、知っていたとしても、知らなかったとしても、彼女自身の存在にはあまり影響はないと言ってもいいかもしれないね。なぜなら彼女は、人工脳の亜衣くんは、生きている彼女の――亜衣くんの体に戻ることは不可能なのだからね。いったん人工脳として活動を始めてしまった亜衣くんはその時点で元の亜衣くんとは全く違った形で変移していく。つまり誕生してしまったことを、経験してしまったことを、なかったことにはできないのだよ』
「なかったことにはできない……存在しなかったことにはできない……なのに亜衣は消されてしまわなきゃいけないんですか? 亜衣には――人工的に誕生させられてしまった亜衣には何の責任もないはずなのに……」
『信之介くん、難しい問題だよ、それは……人はだれしも人から生まれ、自分という存在を作り上げ、自分の人生を生きていく。だけども今の亜衣くんは違う。彼女は――オリジナルの亜衣くんは自分で自分の分身を作り出してしまった。それは今の社会では認められていない、社会的受け皿のない存在なのだ。早すぎたのだよ、まだ……腐っているわけではないが、それでも放ってはおけない。このままでは鉄砲玉にされてしまう。巨大な謀略の道具にされてしまう。それだけは回避しなければならない。わかってほしい――信之介くん』
「でも……亜衣が、その……死んだ、自殺して、もうこの世にはいないというのなら、残された亜衣の意識までを消し去ってしまうなんて、そんなの、あまりにも可哀想っていうか、不憫で――いたたまれないですよ。なんでそんなことになっちゃったのか、それも気になるし……」
『うーむ、とにかくもう少々様子を見る必要はあるようだね。ただ一つだけ信之介くんにアドバイスができるとしたら――それは亜衣くんに対して質問をしないことかもしれないね』
「質問? どうしてですか?」
『つまりそれは今の不安定な亜衣くん――その亜衣くんに過度のストレスを与えないため、と言ってもいいかもしれないねぇ。特に亜衣くん自身に関する質問、彼女の存在理由、存在価値を喚起させるような質問はなるべくしない方がいい』
「存在理由――ですか……」
『そう、ストレスというのは心理学的に言えば精神的圧力がかかっている状態。適応のための準備を強制的にさせられている状態だ。つまりは質問に対する答えを用意しなければならないんだという強迫的な反応と言い換えてもいい。それは今の彼女にとってはこの上もないストレスなのだよ。わかるだろう?』
「そうですね…… それは――よくわかります。でも、難しいですよね。それって…… どうしても、聞いてしまう……質問してしまう。どうしたって……」
『うむ、とりあえずは、努力目標ということで、頭の隅に置いておいてくれたまえ。彼女の適応力自体は常人のそれをはるかに超えるポテンシャルを持っている――いや、持たされていると言うべきか。それでもその適応力にはおのずと限界というものがある。それを超えないレベルであれば問題ないはずなんだがね』
「わかりました……」 
『ではこれでまたいったん切断する。思ったよりも長くなってしまったのでね。これ以上は危険だ。次に連絡できるのはまた深夜のメンテナンス時間になると思う。それでは失礼するよ』
 そんな言葉を残して、ハッキルさんはログオフしていった。僕はまたベッドに寝転がって、スマホのコンタクトリスト表示をあきらめ悪く見つめていた。
 当然そこには亜衣の名前もハッキルさんの名前も表示されていない。
 
 009

 お通夜は今日の夕方五時からということだった。
 僕の両親はやっぱり昨夜はよく眠れなかったのか、少し憔悴している感じだったけれども、それでも今朝届いた亜衣の訃報にはある程度心の準備ができていたようで、思いのほか落ち着いた様子だった。
 僕は例のアプリのログイン画面をひたすらチェックし続けたけれども、お昼をだいぶ過ぎても二人ともログインしている気配はなかった。
 でも亜衣は――僕のいとこの八十川亜衣は死亡した。死んでしまった。それは厳然たる事実なのだった。
 亜衣の死因や細かい状況についての情報はわからなかったけれども、そういうのは世間一般的に考えても大抵遺族というか、親御さんの口から直接会った時に訥々と語られるような、そういう類のものなのだと思う。
 それにしても、亜衣が死んでこの世にいないというのが事実なら、昨夜からのあの悪夢のような一連の出来事もまた事実で、現実の出来事だったと認めるしか仕方がなくて、そうやって僕の中でも折り合いをつけるしかないのだろうと思った。
『ちーす、信兄』
 再び僕のスマホに着信が来たのは二時をまわった頃だった。
 IP電話から飛びだした亜衣の声は緊張感も悲壮感もない、そんなばかばかしいほど明るいバカ女子高生そのもので、やっぱり僕は悪い夢の続きを見ているんじゃないかと思えた。
「亜衣! おまえ、どうなってるんだ? さっきは絶叫してそのまま切れちゃったけど、覚えてるのか? って言っても覚えてないか…… その様子だと……」
『ん? 覚えてるよ。なんかさっきはみっともないとこ見せちゃったね。ま、ちょっと寝起きでわけわかんなくて、パニクっちゃったってとこかな? 信兄だってあるだろ? なんかいやな夢みてびっくりして目覚める時とかさあ』
「ああ、そりゃあるけど、って言うか、今がそんな気分なんだけどさ…… でも今朝のは夢ってわけじゃないんだよな……って言ってもそういうわけにはいかないのか、今のおまえの状態じゃ……」
『……ん? ん? アタシの状態を心配してんの? 悪いけど今は気分爽快って感じだよ。いやホント』
「そりゃ重畳だけど…… ところで亜衣、おまえ、あれからだれかと話しなかったか? そんな覚えあったりするか?」
『ん? ああ、そういえばなんか頭痛薬みたいな名前のおっさんが電話してきたかな? だけどなんかわかり切ったことをくどくど説明しやがるから、思いっきりディスってやったけどね、うん』
「それってハッキルさんのことだよなぁ。で、なんていうかその――おまえは、亜衣は……今の自分のことが理解――できてるのか? 納得――できてるのか?」
 ――そう口にしてしまってから、しまったと僕は思った。彼女にするべきではない質問、それを早速やってしまっていたから……。
 だけど、亜衣の快活な様子、あっけらかんとした口調にほだされて、ついついやってしまう。
『へへ、理解できてないのは信兄の方なんじゃねえの?』
「え? なんでだよ」
『つまりさあ、記憶の整理がついたってことだよ。アタシの方は』
「記憶……って、それって今のおまえが、亜衣が、どうやって生まれたのかを思い出したって意味か?」
『いやだなあ、アタシは昨日今日生まれたってわけじゃないよ。赤ん坊じゃないんだから。アタシはアタシが思い描いていた夢をかなえたんだよ。それがあんまり嬉しくって、夢みたいだったから、ちょっと混乱しちゃっただけだよ』
「嬉しくて? 亜衣、おまえ、ホントにそうなのか?」
『当たり前じゃん、これが嬉しくなくて、何を嬉しいっていうんだよ。ホント十六年間生きてきた甲斐があったってもんだよね。今のアタシは――アタシになら、何でもできそうな気がするんだよね。こういうのってなんて言うのかなあ……全智全能感? ってヤツかな? 信兄も考えてみなよ。まず学校いかなくても済むんだぜ? いやなクラスメートの顔見なくて済むし、レイナに椅子投げつけられることもないし、ミツキにシャーペンの芯を全部折られたりすることもなくなるし、上靴履く時に画鋲入ってないかチェックしなくていいんだよ?』
「……亜衣、おまえ…… いじめ受けてたのか?」
『え? あ、いや、あわわ……我が校にいじめはありません…… なあんちゃってね――っていうか、こんなの普通の日常茶飯事じゃん――ちゃめしごとじゃん。ようはちんけなヤツが多いってことだよ。レイナとかはまだましな方だったよ、一応面と向かって突っかかってくるタイプだったからね。ま、バカなだけってことかもしんねーけどさ。アタシを殴ったら五倍返しで殴られるってことをすぐ忘れちまうしね。椅子投げつけてきた時にはアタシは机投げ返してやったしね。ま、妬みもあるんだろうけどさ。アタシがちょっと勉強ができて顔が良くて家が金持ちってだけでひがみ根性出すヤツが多かったってことだよ』
「なんか……いやがらせしてたヤツの気持ちもちょっとだけわかるような気もするな……」
『ん、ん? なんかいま聞き捨てならないこと言わなかった?』
「いやいや、うそうそ、なんでもない、なんでもないよ」
『ふーん…… ま、いいけどね。でも一応これだけはハッキリさせておきたいんだけどさ』
「なんだよ……」
『アタシにあんましなめた口きかねえほうがいいってことだよ!』
「……こわっ」
『なめた口をきくのも禁止だし、なめられた耳をしゃべるのも禁止だよ』
「耳をしゃぶ、じゃない、しゃべる……? お、オヤジギャグ、か?」
『何言ってんだよ、歴史は繰り返すって言うだろ? 温故知新ギャグってんだよ。大体これぐらいの言葉遊びができなくてどうすんだよ。そんなこっちゃラノベ作家にもなれないだろ?』
「別にラノベ作家になる気はないけどさ……もちろんヘノベ作家になる気もないけど」
『そんな定着しなかった略語使ってると痛いヤツだと思われるだけだよ? しかもなんかジュンブン好きのアタシをディスってる感じもするし』
「なんだよ、温故知新とか言ってたくせに…… しかしおまえって文学好きだったっけ? 根っからの理系女子かと思ってたんだけど……」
『基本は理系だけどね、でも本は好きだったんだよ、もう学校の図書館にある本なんか全部読破しちゃったしね』
「どんだけ速読なんだよ?」
『速読にして濫読、アタシの中学生の時のあだ名は、濫読本読み子、略してラン子って呼ばれてたぐらいだからね』
「なんか、微妙なニックネームだな……やっぱりいじめられてたんじゃ……」
『いじめられてねえよ! 中学ン時は!』
「え?」
『あ、ああ…… つまりさあ、その、あれだよ、アタシって中学は一年間外国に行ってただろ? ホームステイってヤツでさ』
「ああ、そうだったな」
『でさあ、日本に帰ってきたらさあ、話が合わねえんだよ、同年代のヤツらとさ。だから、高校行ってからは自然にクラスでも浮いちゃってさ、なんか、埋まらねえ溝みたいなのができちゃって、孤立しちまったんだよ』
「そっか……」
『だからなんか自然にそうなっただけって感じでさ、別に一方的にやられっぱなしになってたわけじゃないよ。アタシはやられたらやり返す主義だったしね。だからエスカレートしていったってのもあるんだけど……。でも仲のいいヤツもけっこういたよ。マユミなんかはケンカ友達だったけど、あれはあれでいいヤツだったし。ってーか殴り合いしたことねえダチはいなかったかもね』
「……すげえな、ずいぶんバンカラだったんだな…… でも…… でも、おまえは聞いてるのか? その……ハッキルっていう人に…… 今のおまえと別れる前のその亜衣が何をやったのかを……」
『もちのろんだよ、それもちゃんと思い出したよ。アタシは――自殺したんだよね』
 
 010

『アタシ――って言っても微妙な感じだけどさ…… 元アタシって言った方がしっくりくるかな? 今となっちゃ、死に別れたお姉ちゃんって気がするよ。だってさ、アタシが持ってる記憶はノーミソスキャナに入る直前までの記憶、全身麻酔で意識がなくなるまでの記憶だからね。そっから先、今この時まではアタシの経験はアタシだけのもんなんだから。アタシと別れたアタシがそれから何を経験して、何を思って生きて、なんで死んじまったのかなんて、全然わからねえよ』
 ――それは、亜衣、それはもしかしたら違うのかもしれないぞ、と僕は思った。今の亜衣は――精神転送された亜衣は、ハッキルさんの言葉を信じるなら――改変されている、改ざんを受けている。
 記憶や、感受性に対してフィルターが掛けられている……。
 だって、亜衣が自殺したことを知っているのが何よりの証拠じゃないか。亜衣が生きている時にコピーされたはずの人工頭脳の亜衣が、その後の亜衣の行動を知っているはずないんだから……。
 だから、亜衣、おまえは――亜衣バージョン0.2は、オリジナルからいろんなモノを足し算されて、いやそれ以上に引き算された存在なんだ。作られた人格――なのかもしれない。だけど、今の亜衣に向かって――唯一残された亜衣の存在に向かって、そんなことは言えない、告げられない、と亜衣の話を聞きながらそんなことを思っていた……。
『だからさ、こう言っちゃうとあれかもしんねーけどさ、かえってスッキリしてんだよね。だって今のアタシから見たらなんで死ぬ必要なんてあったんだよとしか思えねーからさ。何があったかしんねーけど、結局は負け犬じゃん、逃げじゃん。死ぬくらいなら、むかつくヤツ皆殺しにしてから死ねよって思っちまうよ。だから……だからさ…… その代わりにアタシが――アタシが強くなきゃいけねんだよ、きっと…… そうだろ? そう思わねえ? 信兄』
「そうだな…… そうかもしれないな。僕だってわからないよ、なんで亜衣がそんなことになったのかなんて……」
『だからさ、信兄はアタシに気を遣わないでほしいんだよ、腫れ物にさわるような、壊れ物扱いだなんて思って欲しくないんだよ。アタシは大丈夫。もう大丈夫なんだからさ』
「そっか、そうだよな、おまえは、亜衣は――ちゃんとして、そこにいて、大丈夫なんだよな…… わかったよ」
『あ、でも言っておくけど、別にアタシがアタシを追いこんだクソ野郎どもにお礼参りしてやろうなんて気持ちはねえよ。だってアタシ自身が恨みを持ってるわけじゃないからね。それはアタシの気持ちじゃない、アタシのするべきことじゃないんだよ』
「ああ、それは、そう願いたいよ」
 ――そう願いたい。だって僕は、もうすぐしたら、その亜衣を追い込んだ人間と、顔を合わせなくちゃならないかもしれないんだから…… 亜衣、お前のお通夜の席で……。
 そしておまえは言った。クソ野郎どもと……。
 亜衣、本当はおまえは知っている。覚えているんだ。
 だれと何があったのかを。
 ハッキルさんは、今の亜衣が落ち着くまで――精神的に安定するまでは、亜衣の自分自身の存在に踏み込むような質問はしない方がいいって言ってたけど、亜衣の話を聞く限り、もうずいぶん落ち着いているような感じがする。それなら、これもハッキルさんが言っていたことだけど、亜衣が自殺をしようと思った理由、そこに至った経緯、それを思い出させることは、亜衣が自分を取り戻すためには必要なステップなんじゃないだろうか。
 だけど…… わからない……。
 前向きに生きること、後ろを振り返らないこと……。
 要は、後悔しないことは、全然悪いことなんかじゃない。それはただ忘れているだけだとしても。
 思い出せない――思い出さないでおく自由。それだって認められてもいいはずだ。
 なのにそれを亜衣に求める、強要するなんて、僕にはとてもできない。
 だから本当は徹頭徹尾、亜衣に何も質問しない方がいいんだろう。そう考えるなら。
 だけど。やっぱり聞いてしまう。僕は質問してしまう。
「あのさあ…… 亜衣、おまえって今どんな感じなんだ?」
『どんな感じって?』
「だからさあ、その――体の感じというか、自分の周りがどうなってるとかさあ、なんかPCの画面だけが目の前に浮かんでるとか言ってたけど、そのほかには何も見えないのか?」
『うーん、見えないなぁ、それに体の感じはあるけど、いくら動かしてもどこにもさわれないんだよ。空中に浮いているような感じもするし、水の中を漂っているような気もする』
「それでおまえ、気持ち悪くないのか? 不安にならないのか?」
『へへ、ならないんだよねぇ、それが。でもそういうもんなんじゃねえの? そういうふうにできてるんだからさ。そういうふうに作られたのかもしれねーけど、それはそれでいいんじゃね? 慣れてしまえばどうってことないよ。こういうのを適応力って言うんだろ? って言うかもう慣れた。別にもともと気持ち悪くもないしね』
「そうなんだ…… でもそのPCの画面には何が映っているんだ? Windowsみたいなヤツか?」
『そうなんだけど、今のところはこの電話のアプリしか動いてないかも。あぁ、そうだ! 信兄、カメラ表示を追加してよ。付いてるよね、スマホに』
「ああ……あるけど、亜衣がそうして欲しいなら、つないでみるよ。でもなんかちょっと抵抗があるなぁ、テレビ電話なんて生まれてこのかたやったことないから」
『そういえばそうだよね、実はアタシもやったことないよ』
「そうだよなぁ、なんでだろ?」
『きっとあれじゃない? 部屋にいる時は裸族なのがばれちゃうから』
「自分のこと言ってんのか?」
『別にいいじゃん、マリリン・モンローだってそうだったんだろ? まぁ今のアタシには見せられるものは何もないけどさ……香水つける体もないし』
「そんな急に切なくなるようなこと言うなよ」
『へへ、ごめん、ホントは裸族なんかしてなかったよ。女の子の場合はスッピンさらすのがいやってだけの方が多いんだけどね』
「ああ、そうか、それあるな。男の場合はそんな心配しなくていいもんな」
『だからさあ、早くつないでよ、カメラ。気になるからさあ』
「……? 何が気になるんだ?」
『だからさ、アタシがこんなに切ない話してる時でもさ、信兄の方は寝転がってマンガ読みながらあごに電話挟んで話してんじゃねえかなって、気になるんだよ』
「おまえ…… 意外と繊細なんだな。まあ、僕だって電話の相手にそんなことを想像したことはあるけど」
『意外ってなんだよ、アタシはもともと繊細だよ、ガラスのあごだって言われてたんだから』
「それは肉体的な弱点だろ…… しかもいきなりケンカの話に戻ってきたし」
『ボクサーとしては致命的だよね、ガラスのチンだよ、ガラチンなんだよ。女にもチンが付いてるなんて、セーテンのヘキレキだよね、まったく……』
「男ならだれでも最大の弱点なんだけどな」
『ん、ん? それってどっちのチンのこと? 先が割れてる方のことかな?』
「僕のあごは別に割れてないけど…… って言うかこの話、どこまでシモの方に落ちていくんだよ! ついつい拾っちまったじゃないか」
 ――ふう……しかし亜衣の精神に掛けられてるっていうフィルターはいろんな意味で実はザルなんじゃないだろうか? 普通女子高生ならこんなこと思ったとしても、すぐには口をついて出てこないはずだろ? 同姓の友達同士ならともかく……。いやいや、ギャルズトークにしたって下品すぎる、ガラチンって言うよりバカチンだ。
 だけど……
 なぜだか不思議なんだけど。
 それは悪いことじゃないんじゃないか――なんて思っていた。
 妙な安心感、そこに希望が見えてるような気がした。
 まだまだ完全じゃない……。
 亜衣の感情フィルター、マインドコントロールは――まだ鉄壁ってわけじゃないんだ。
 この亜衣なら――今の亜衣なら、自分を見失うことなんてないんじゃないだろうか(悪い意味で)。ハッキルさんが言っていたようなカルトの広告塔になんかならないんじゃないか? そんなこととを思った。
 それは言ってみれば糸口、ほころびなのかもしれないけど――亜衣が自分を見失って、本当にただのロボットなんかにされてしまう心配なんてもともとなかったんじゃないかとさえ思う。
 だって……
 広告塔、看板娘、アイドルなんていうには、品がなさすぎるだろ? だから無理――だからきっと大丈夫だ。亜衣は、本当の自分を取り戻せる。自分で自分を見つけられる。多分。
 だから僕はできるだけ亜衣のテンションに合わせて、つき合ってあげるのが正解なんだろう。それがたとえ亜衣にとっての現実逃避になるんだとしても……。

 011

『ん? あれ? アタシ今変なこと言った? なんか一瞬記憶が飛んじゃったかも……』
「ああ、僕も忘れちゃったよ。いいじゃないか、どうでも……」
『うん、そうだね、でもなんか信兄と話してると勝手に言葉がどんどん出てきちゃう気がして不思議なんだよね、信兄のツッコミがうまいからかな?』
「そうだなあ、僕の隠れた才能だったのかもな。そんなことよりカメラ情報を追加したぞ、見えてるか?」
『ん、ん、あ、映った映った。画像ウインドウが開いたよ、やったね! ほほう、信兄――とおぼしき人物が映ってるよ。けっこう高画質だよね、被写体はさえないけど』
「おぼしきってなんだよ? 僕の顔覚えてないのか? さえないってのは、まぁ認めるけど」
『まあまぁ、言葉のアヤちゃんだよ、気にすんなって』
「上から目線なヤツだなあ」
『目線って言ったら、信兄の目線も泳いでるよ。挙動不審だよ…… 怪しいヤツだよ…… 何キョロキョロしてんの? スーパーの食料品売り場にいたら絶対万引きGメンにマークされるよね』
「べ、別にキョロキョロなんかしてないつもりだけど、慣れてないからだよ、カメラとか」
『それならちゃんとカメラのレンズを見てしゃべりなよ、それに声も小さいよ』
「そりゃしょうがないよ、ハンズフリーモードにしてクレイドルに置いたからちょっと離れちゃうのは仕方がないだろ」
『それならもうちょっと大きい声出してよ…… うんそうそう、その調子。ああ、もうちょっと声張って、うん、よくなってきたよ、いいよ、いいよ、そうそう、はい! もっとあえいで!』
「おい、何言ってんだよ! 親に聞こえたらやばいだろ、やめてくれって!」
「え、えええ、せっかくディレクターごっこして遊んでたのに、ノリが悪いなあ信兄は」
 ――ディレクターって映画監督か…… それならちょっと僕の考えすぎだったかもしれないけど……。 
「でもおまえってホントにごっこ遊びが好きなんだな、なんかそこだけは子供の頃から変わってないのかもな」
『信兄がアタシのごっこ遊びにつきあってくれたことなんてあったっけ?』
「なんだよ、覚えてないのか? 小さい時にはけっこういろいろやったぞ」
『げ! それってもしかしてお医者さんごっことか?』
「それはまぁ、言うと思ったけど、そんな記憶はないから安心しろ」
『ないんだ…… じゃあ、カラオケコンパニオンごっことか?』
「そんなピンポイントな時代のあだ花みたいな職業のごっこ遊びしてたとしたら最悪な幼少期だな!」
『あれ? ビデオ試写室ごっこだっけ?』
「よけいひどくなってるぞ!」
 正直、ちょっとやってみたい……。
『ん? あれ? 今アタシなんか言った?』
 ――デジャブだった。亜衣のこのセリフ。
 だけど、なんでこの亜衣はこんなにエロい――っていうかシモネタ好きなんだ? 実際男より女の方がスケベだなんて聞くけども、亜衣の言葉の選び方、ボギャブラリーは亜衣の年齢、十六才の枠を超えすぎなんじゃないだろうか……。もしかしてこれも人格改造? ――とは言い切れないか…… やっぱりどちらかと言うと会話のTPOのエラー、語彙の選択ミス、そんな感じがする。そしてそのミスをリカバリーしようとする機能、なかったことにする記憶の選択を無意識的にやっちゃってるのかもしれない。いやそう思いたい……。
「……なあ亜衣、僕わかっちゃったかもしれないぞ。つまり、ご都合主義フィルター搭載ってことなんだろ…… って言うか、この先もこのパターン使えばやりたい放題できるよなあ」
『え? え? やだ、ちょっと待ってよ、アタシのボケスキルを見切ったようなこと言わないでよ――仏の顔もサンドイッチマンって言うし、そこまで設定に甘えたことはしねえよ』
「その仏の顔もってことわざのひねりはいかにも安易だと思うけどなあ。しかも、ちゃんとさっきのこと覚えてるんじゃん……」
『ところでさあ、信兄はイヤホンマイク持ってないの? ワイヤレスのヤツ。アタシの声が漏れちゃうとそれはそれでヤバイよね』
「……スルーしたな、そうなんだな?」
 スルースキル、決定だ。
 どうやらこれは亜衣の性格に根ざした基本行動原理――らしい。
 だけど亜衣はここで沈黙……珍しくと言うか、ここにきて初めて、押し黙った。
 そして言葉に重みを与えるべく、たっぷりと間を置いてから彼女は言った。
『信兄――アタシの名前を言ってみなよ』
 その声はあきらかにさっきまでの口調から、一オクターブはトーンが下がっている! ドスが効いている!
 それはもう――なんて言うか、悪役が無辜の犠牲者に自分の暴虐ぶりを誇示するシーンでのセリフにしか思えなかった……。
 って言うか、怖い……。 
「……亜衣、八十川亜衣――さん?」
 恐る恐る――僕は言った。
 亜衣はなんとなく僕の反応に満足したみたいで、また少しソフトな口調に戻って、ゆっくりと言葉を繋げた。 
『ちょっと違うなあ…… よく聞いてよ、アタシの正式名称は DVT-ES-AI-Ver.0.2 ジャパニーズスクリプトVer.3.2=\―プラットホームは国産量子プロセッサ搭載のハイブリッド型スパコンロードランナー5≠フ三個使いだってさ、すげくねえ?』
「あ、ああ、そうなんだ…… 亜衣はちゃんと自分で自分のことがわかっているんだな。しかもそんな細かいところまで…… でもAIが亜衣ってのはわかるけど、DVTなんとかってのは何の略なんだろうなぁ?」
『でぃーぶいてぃー≠カゃないよ、でーぶいてー≠チて読むんだよ、口に出して発音する時にはね』
「ええ? なんだよそれ? ドイツ語的な発音なのか?」
『わかってねぇなぁ、やっぱり信兄は文系脳なんだよね。口に出して読み上げる時には、Eと聞き分けにくいDとTはでー、てー≠チてわざと発音するのがお作法なんだよ。まぁこんな習慣は英語に耳がなじんでない日本人だけだろうけどね』
「へえ、そんな作法があったんだ…… さすが理系女子だなあ。そういえば亜衣は英語もペラペラなんだろうなぁ」
『まあ、アタシにとっては英語なんて脳が退屈しないためのテレパシーみたいなもんだったからね』
「なんだよそれ、そんなのでマスターできるもんなのか?」
『そんなものだよ、言葉なんてしょせんはツールなんだからさ』
 ――ツールか、頭のいい人間というのは物事を単純化して整理する。余計なことを考え過ぎずに押さえるべきツボを外さない、そういうことなんだろう。
『だからさぁ、アタシが言いたいのは、今のアタシは亜衣であって亜衣じゃないんだよ。生まれ変わった亜衣――新生亜衣なんだよ。だからアタシは自分のやりたいことをやりたいようにやる。何ができるのかよくわからないけど、今の状態を嘆いていたってしょうがないんだよ。信兄もカフカの変身って読んだことあるだろ? あの主人公とおんなじ感じなんだよ』
「朝起きたら、なんか虫になってたって話だよな、それは知ってるけど…… でも前向きなのは、そりゃいいことだけどね……」
『ポジティブシンキング、ボケなしだよ。ってそうは言ってもネガティブシンキングにどうやったらなれるのか、後ろ向きになる方法を忘れちゃったって感じなんだけどね』
 ――もしも亜衣が、死んじゃった元亜衣がこれぐらいお気楽な人生観で生きてたんだとしたら、あんなことにはならなかったのかもしれない、でもこの場合きっと順番が逆なんだろう。
 覆水盆に返らず――なんてことわざがあるけど、亜衣はそのお盆に残った最後のひとしずくなのかもしれない。
 だけど僕はそのひとしずくを振り払うことができるんだろうか……。
 ――DVTの意味は結局わからずじまいだったけど、それは亜衣にもよくわからないのかもしれない。なんにしてもこれ以上このことを質問するのはやめておこう。

 012

「なぁ、亜衣、僕はそろそろ出かけなくちゃいけないんだけど……」
『どこに行くんだよ? デート?』
「まさか…… 違うよ。つまりさ、おまえのさ、死に別れたお姉ちゃんの……」
『お通夜とか?』
「うん」
『そっか、まだ一日ぐらいしか経ってなかったんだ……』
「その辺の記憶は完全ってわけじゃないんだな……」
『へへ、そうだね、アタシの中ではずいぶん昔のことみたいに感じてたんだけどね……』
「言わない方がよかったのかな……」
『……そんなことねえよ、信兄、アタシも行く、連れてってよ』
「マジで言ってるのか?」
『マジだよ。本気と書いてマジと読むくらいマジだよ。面白そうじゃん。なかなか自分のお通夜なんて見る機会ないよ。これは見とかなきゃね。早く行こう』
「面白そうって…… いいのか? そんなんで……」
『アタシにだって出席する権利はあるよ、他人事じゃないんだし』
「そりゃ確かに他人事じゃないんだろうけど…… 一緒に連れて行くのはなあ…… うちの親も一緒だし……」
『はあ? そんなもん適当に理由つけて現地集合ってことにすればいいじゃん。場所は聞いてるんだよね?』
「それは聞いてるけど、電車賃がもったいないなぁ」
『何せこいこと言ってんだよ、なら自転車で行くとか』
「えー? 遠すぎるよ。自転車じゃ二時間ぐらいかかるんじゃないかな?」
『バイクとか持ってないの?』
「持ってない。バイクとか、あんまり好きじゃないから」
『なんだよ、今時中学生でもバイクに乗ってるヤツ多いってーのに、らったったーとかさ』
「なんだよそれ? 新型の超伝導モーターバイク?」
『ちげーよ、信頼と実績の内燃機関だよ。原動機とも言うけど……。大体さあ、大型電動バイクなんて暴走族しか乗ってねえじゃん。そんなの乗ってるのは金田くらいのもんだよ』
「だれだよ、金田って……」
『中学ン時のクラスの不良。って言ってもわかんないよね。だけどアタシは電動バイクなんかよりエンジンの方が好きだね。いざとなったらレーザー砲の充電とかもできるし』
 やっぱりマンガネタじゃないか。
『ま、とにかく先に家出てあれ買いに行こうよ――』
「あれって?」
『さっきも言ったじゃん、イヤホンマイク、インカムってヤツだよ。それがありゃ、道歩きながらでも話できるじゃん』
「あ、ああ。そうだな、電話しながら道歩くのは道交法違反らしいからなあ」
『信兄って公権力に弱いんだな、アタシはちっとも怖くないけどね、って言うか電話しながら歩いててキップ切られたヤツなんか聞いたことねえけど』
「それは僕も聞いたことないけど、万が一ってこともあるじゃないか」
『信兄は石橋を非破壊検査業者に検査してもらって旅費を使い果たしちゃうタイプだよね』
 どんだけ、公共心の高いヤツなんだよ……。
 というわけで、適当に親を言いくるめた僕は高校の制服であるブレザーに身を包み、冬枯れの街路樹が並ぶ大通りを駅に向かって歩いていた。
 こんな寒い日にはポケットに手を突っ込んで歩きたいところだけど、亜衣のことをほったらかしにするわけにもいかないから、携帯厨よろしく電話を片手で耳にあてたままゆっくり歩いていた。警察に捕まらなければいいんだけれど……。
『ねぇ信兄』
「なんだよ」
『指が邪魔なんだけど』
「指? 僕の指のこと?」
『そうだよ、カメラのレンズを隠さないようにしてよ。見えないじゃん、せっかくの風景がさあ』
「ああゴメンゴメン、今はスマホの外向のカメラに切り替わっているんだな。忘れてたよ」
『そうだよ、なんせ今のアタシには信兄のスマホのカメラだけが世界のすべてなんだからさ、レンズを隠すのは目隠しされたのと同じことなんだよ』
「そっか…… そうだったな、気を付けるよ」
『わかればいいんだよ――あ、ちょっとストップ、もうちょっと左映してよ』
「え? 車道の方?」
『そそ、信号の向こうにけっこうアタシ好みのイケメンが……』
「おい、なんだよそれ。僕はグーグルストリートビューの車じゃないぞ!」
『いいじゃん、別に。どこを見ようとアタシのかってじゃん。あ、動いちゃダメだって、ズームしてるんだから』
「ズーム機能まで使ってんのかよ……」
『うーん、ちょっと手ブレっていうか、信兄ブレがひどいなあ』
「写メ撮ってやがる……!」
『写メじゃないよ、スクショだよ。写真はアタシの中に保存してるんだからさ、信兄はまぁ言ってみればWEBカメラみたいなもんだよね…… あ、もっかい撮るからちょっとじっとして』
「しょうがないなあ」
『うーん、いまいちだなあ、息止めてみて』
「ん、ん……」
『まだ揺れてるなあ、心臓も止めてみて』
「ぷはっ……ふー、なんか僕の方がロボットになった気分だよ」
『ひどいよ! そんな言い方するなんて…… アタシは信兄のことガンダムのメインカメラだなんて思ってないよ!』
「それって、なんだかフォローになってないな。それどころかより具体的になってるし…… それにガンダムのメインカメラって頭のことだろ? ビームで吹き飛ばされるんじゃないか? 僕って」
『う……ゴメン、そんなつもりじゃなかったんだけど……。今のアタシの目の替わりになってくれるのは信兄だけなんだよ、信兄はアタシのヒーローなんだよ、アンパンマンなんだよ』
 ――そういえばアンパンマンの頭も毎回吹き飛ばされてるよな…… やっぱりあれもアンパンマンのメインカメラなんだろうか……。
『ゴメン、信兄…… アタシってさ、照れ屋で口下手だからうまく言えないんだけどさ、信兄には――感謝してるんだよ』
「亜衣……」
『だってさ今のアタシにとっては信兄との繋がりだけがアタシの目であり耳であり唯一の話し相手なんだから、信兄はアタシの三重苦を救ってくれた救世主、サリバン先生みたいなもんだよね。いや、それ以上だよ、信兄との出会いはアタシにとってのウォーターなんだよ!』
「そんな、いいよ別に、改まってそんなこと言われたら僕の方が照れちゃうよ」
『そんなことないよ、この感謝の気持ちを忘れないように、これから大事なことを言う時には信兄へのリスペクトを込めて言葉の最後にウォーター! って言うようにするよ』
「そんなわざとらしいことしなくていいよ」
『信兄ってホントにいい男だよね ワラ』
「……なんで急にネイティブな発音になるんだよ」
『さりげない包容力があるよね ワラワラ』
「いや二回言っても大事なことには聞こえないぞ」
『信兄との出会いはウォーター? ワラタ』
「発音が明らかに前後で変わってるよな…… 今度はクエスチョンマークがすげえむかつくし」
『信兄がアタシの救世主! ワロス』
「複数形だなんて言ってもだまされないぞ……」
『信兄()』
「もう手抜き過ぎだろ、ネタ切れなら正直に言えよ」
 しっかし、リスペクトどころか、ディスリスペクトしか感じ取れないよなあ……。
 っていうか奇跡の人に失礼過ぎるだろ、さすがに。
『ところでさあ、イヤホンマイクはどこで買うの?』
 相変わらず、さくっと話題を切り替える亜衣だった。
「ん? まあ、コンビニでも売ってることは売ってるけど、あんまり種類を置いてないから、駅前の家電ショップにでも行こうかなと思って」
『それなら予備バッテリーも買っておいてよ、電池切れになったら困るしさ』
「ああ、なるほどね、それは買っておいた方いいな。そういえば亜衣、おまえってさあ、このままずっとログインしていられるわけ? その……眠くなったりしないんだ?」
『……!? そういえばそうだよね、なんで忘れてたんだろ? 三度のメシよりも寝るのが好きなアタシだったはずなのに』
「それは、まあしょうがないんじゃないか? 理屈的に考えても」
『それはわかるけどさぁ、なんかむかつく。眠りたくても眠れないなんて…… でもホントにそうなのかなぁ、ちょっと試してみようかな』
「眠くないのにどうやって寝るつもりなんだよ」
『そんなのは気合だよ、やる気の問題だよ』
「気合ねぇ…… 逆効果みたいな気がするけど…… 羊でも数える気か?」
『そんな、まどろっこしいことやってらんねえよ、アタシはマンガで見たことがあるんだよ、それやってみるよ』
「なんだそれ? 自己催眠術か?」
『専門用語的に言えばそうかもね』
「そんなに簡単にできるのかよ……」
『なせば成るだよ、ものは試しだよ』
「気合だけは認めるけど、やめとけよ」
『止めたって無駄だよ、いくよ!』
「や、やめろって……」
『いち、に、さん、ぐう……』
「……え? お、おい、亜衣……」
『ぐう、ぐう……』
 ホントに寝ちゃった? マジかよ……。
『ん? ふあぁ、おはよう信兄、よく寝たよう、五秒ぐらい寝たかな?』
「……ああ、きっかり五秒かもな。っておまえ、濫読とか言ってたけどマンガの読み過ぎなんじゃないか? なんかいろいろ影響され過ぎだろ?」
『やっぱりアタシに不可能はないってことだよね。いやあ我ながら、ちょっと怖くなってきたね、まさに魔人って感じがするよね。まあ、アタシが閉じこめられてるのはスパコンの中なんだけどね』
 ――なんか、閉じこめられてたのは、ピッコロじゃなかったっけ? どうでもいいけど……。
「だけどたった五秒でホントに寝た気分になったのかよ」
『何言ってんだよ、アタシにとっては五秒っていったら永遠にも近い長さだよ、今のアタシならローレンツ変換式だろうがシュレディンガー方程式だろうが一瞬で解けるんだから』
「う…… そうなんだ…… でもそれってどんな計算だっけ? 全然わからないよ」
『ダメだなあ、文系脳は』
「じゃあ、πの計算とかもすげえ桁まで一瞬なんだろうなあ」
『パイ?』
「ああ、円周率だよ、僕だってそれくらいはわかるよ、ちょっと軽く言ってみろよ」
『……えっと、、、3、くらい?』
「…………」
 それってもう都市伝説級のゆとり教育エピソードだよなあ…… 今となっちゃ。

 013

 僕と亜衣は――スマホで繋がってるだけの亜衣だけど、とりあえず僕たちは駅前の大型家電ショップに入り、イヤホンマイク売り場のコーナーで品定めをしていた。
 店内はごった返しているって程じゃないけど、年末なのでけっこう客は多い。
「これでいいかな、安いし」
『予算は五千円だったもんね。デザインはダサイけどそれで我慢しておくよ』
「なんだよ、使うのは僕なんだから別にいいだろ? 贅沢なんて言ってられないよ、バッテリーも買わなきゃいけないし」
『そうだったね、でも今さらながら思うんだけどさ、信兄の携帯電話がスマホでホントによかったよ。IP電話も使えるし、3Dカメラも付いてるし』
「まぁそうだよな、IP電話じゃなかったら電話代が大変なことになるもんなあ」
『ホント、信兄の電話がドラえホンとかだったらと思うとぞっとするよね』
「そんなとっくにサービスの終わってる電話機持ち歩いてる男子高校生がいたとしたら、別の意味で怖いよ…… ってか時計代わりくらいにしかならないと思うけど」
『そんなこと言って、信兄のスマホだってどうせ時計代わりにしか使ってなかったんだろ?』
「失礼なこと言うよなあ…… 当たってるんだけど」
『……ちょっと信兄』
「なんだよ?」
『あそこで、商品棚の隅っこに立ってるヤツ』
「ん? あの大学生ぐらいの男のことか? なんだよ?」
『怪しいよ……』
「何が?」
『わかんねえかなあ? 動きが怪しいってんだよ』
「そう言われても…… どこが?」
『やるよ、あいつ……』
「何を?」
『万引きに決まってんじゃん』
「マジで? なんでそう言い切れるんだよ?」
『アタシにはわかるんだよ、だてにひとりで万引きGメンごっこやってたわけじゃないんだよ』
「そんなことやってたのか、けっこう好きだったんだな、万引きGメン……」
『あ、ああ、影に隠れちまう、ちょっと接近してよ信兄』
「ええ? いやだよそんな、ほっとこうよ」
『ほっとけねえよ、サツに突きだしてやらねえと……』
「おいおい、まだやったかどうかわからないんだろ?」
『ああいうヤツは、繰り返しやるもんなんだよ、だから早いうちにわからせてやるのが親切ってもんなんだよ。世の中そんなに甘くねえ、ってことをさあ』
「そりゃあそうかもしれないけど、どうせいつかは捕まるだろ、ほっといても」
『ああ、もうじれってーな、信兄、この店の名前なんて言うんだっけ? いや信兄、スマホのアプリン中にGPS情報の追加ってのがあっただろ、それ追加してよ』
「え? そんなのあったけ?」
『どこに目ェ付けてるんだよ! あるってば、早く!』
「わかったよ、どれどれ、あ、ホントだ、じゃ追加っと。――なんかこれいまどこサービスみたいだよな…… でもなんでこんなの必要なんだ?」
『ふんふん、なるほどね、こんなファイヤーウォールなんて、ちょちょいのちょいだよ、よっしゃログイン。ってなんだよ、警備員居眠りしてやがるんじゃねえか? 五番カメラを見ろよ! ほら、やるよ、やるよ、ほらやったあ。強制発報モード起動だね、マジ』
「おい、亜衣、何やってるんだよ? カメラがどうとか警備員とか……」
『まあ、見てなって』
「見るって何を?」
『ほら、今出ていこうとしてるじゃん』
 店の出入り口の方を見ると、さっきの男が店から出ようとしているところだった。そして、店内から一歩足を踏み出した瞬間、カラーボールを手にした警備員に制止を受けている。男は一瞬あっけにとられていたけれど、あきらめた様子でおとなしくバッグを警備員に手渡した。そのまま腕を掴まれ警備室へと連行されていく……。
「掴まっちゃった、さっきの男…… 亜衣、おまえが何かやったのか?」
『ん? この店のセキュリティネットワークにちょっと入らせてもらっただけ。量コン用のパスワード解析プログラムはいろんなとこに転がってるしね。こんな古いセキュリティシステムのパスワード解析なんてちょろいもんだよ。そんで、万引きの瞬間をリピート再生してやっただけだよ』
「ええ? おまえ、ネットからハッキングしたのかよ? このアプリ以外から外部に接続したら危ないんじゃなかったのか?」
『大丈夫だよ、官公庁や国防総省をハッキングしようってわけじゃないんだから。このぐらいの短時間ならばれることはないよ。多重プロキシ通してるし、足跡もちゃんと消しておいたしね』
「そんなもんなんだ……」
『そんなもんだよ、いいんだよ、こまけぇこたぁ…… しかしいいことした後は気分いいよねぇ、警視総監賞ものなんじゃない?』
「それは警察官がもらうものだろう? 万引きGメンじゃもらえないと思うけど…… それにハッキングだって犯罪なんじゃないか?」
『固いこと言ってるんじゃないよ、毒をもって毒を制すって言うだろ? まぁ言ってみれば正当防衛みたいなもんだよね』
「なんだよそれ」
『だってそうじゃん、万引きが増えるとするだろ、そうしたら商品の値段が上がるじゃん、結局まじめに金払っている客が迷惑を被るんだよ』
「うーん、そう言われるとなんか理屈が通っているような……」
『それに今のアタシは非実在の存在なんだよ。治外法権なんだよ』
 非実在とか自分で言うなよ…… 切なくなるから。
『もう、本格派電脳少女アイって呼んで欲しいね』
 そこまで言うと……なんかパチモンくさいなあ……。
 そう思いながらふと店内の時計を見ると、もう三時半をまわっている。あんまり亜衣の得手勝手につき合うのも時間的な限度がある。そろそろ急がないと。
 僕は選んだイヤホンマイクとスマホの予備バッテリーボックスをレジに持って行き、小遣いからイヤホンマイクとバッテリーの代金をまじめに支払って家電ショップを後にした。
「あーあ、なけなしの僕のお小遣いがほとんどなくなっちゃった」
『なんだよ、まだそんなこと言ってんのかよ。信兄って一カ月の小遣いいくらなんだよ?』
「三千円だけど……」
『一年で三万六千円かあ――うわっ……十七才でこの年収は低すぎ?』
「なんだよ年収って! それに普通だろ? 亜衣がいくらもらっていたのかは知らないけど」
 ――それに僕のお小遣いは、四十万人が受けたアンケートに答えてもアップすることなんてないだろうし。
 家電ショップから出た後、僕はとりあえずスマホをイヤホンマイクと繋がるように設定して左耳にワイヤレスのイヤホンマイクを押し込んだ。スマホはカメラのレンズが外向になるように胸ポケットに差し込む。
『なかなかいい具合だよね、これで信兄が見てるものと同じものをアタシも見れるんだよね。なんかスパイカメラって感じがするよ』
「まだ言ってるのかよ、僕はドラえもんの秘密道具じゃないぞ」
『そんなこと考えてないんだけど、アタシはシズカちゃんの入浴シーンなんてキョーミねーし……』
「僕もちゃんと亡命しろの人にはなりたくないよ……」
 我ながら、ネタがどんどんマニアックになってきているのが悲しかった。亜衣の影響力は強烈なのだ。きっとそうだ……。
『でもこうしてるとなんかあれだよなぁ、信兄と二人で街を歩いている気分になるよねぇ』
「う…… そう言われると悪い気はしないなぁ」
『あ、ちょっとストップ、右側のショーウインドーの方を見てよ』
「今度はなんだよ、急がないとホントに間に合わなくなるぞ」
『すっげーかわいいブラが……』
 よく見るとそこはランジェリーショップだった。店内には見目麗しいきらびやかな布切れが所狭しと陳列してある。
 僕は思わず二、三歩後ずさる。
「ちょっと、やめてくれよ、恥ずかしいよ」
 ――しかし、いつの間にこんなところにランジェリーショップができたんだ? この前まで牛丼屋だったはずなのに。
『なんだよ、ガキじゃあるまいし、何びびってんだよ?』
「ガキとかそういう問題じゃないだろ」
『カップルの客とか、普通にいるじゃん。どうってことないだろ?』
「いや、僕はどう見ても男子高校生ひとりにしか見られないんだけど……」
『バーチャルデートだよ、ARだよ、今時普通じゃん』
「そういうのはもうずいぶん前から巷では流行ってるとか聞くけど、未だに市民権を得られていないと思うんだけど……」
『しょうがねえなあ、ま、いっか、どうせ今のアタシには必要ないモンだしね』
「亜衣、またそんな微妙に切ないことを言うなよ……」
『なんだよ、アタシが着けられない替わりに信兄に着用させようと思ってたんだけど、やめといてやるよ』
「……ハハ、そっか 着けてやってもよかったけどね」
『あれ? 信兄って、そっちの気もあったんだ!』
「よせよ、冗談だって、亜衣も冗談で言ったんだろ?」
『アタシはいつだって本気だよ、本気がコスプレして歩いてるとまで言われてたぐらいだよ』
「うさんくさい本気だな、それって……」
『ところでさあ信兄知ってる? ディスプレー用のブラはみんなサイズがBカップなんだってさ』
「へえ、なんで?」
『Bカップが一番デザインが良く見えるからだってさ』
「そりゃ知らなかったよ、だったら亜衣は選びやすくて便利そうだな」
『……ちょっと、今、鳥肌立ったよ』
「あれ? もしかして図星だったのか?」
『信兄って邪気眼使いだったんだ…… ジャキガニストだったんだ…… ぶるぶるっ』
「なんだよ、そっちから振っておいて…… 大体あてずっぽうに決まってるだろ? せめて写輪眼と言ってくれよ……」
『淫夢厨だよ、ヤバイよ……』
「なんだよ淫夢厨って!」
『…………』
「おい、亜衣……?」
『……あれ? アタシ今なんか言ったっけ……』
「……そのパターン、これで三回目だな、もうこれっきりで使えないんだよな?」
『ああ、いたいたそういうこと言うヤツ、小学生の時だけどね。一日、利子十円で五十円貸してやるよって言われて借りたら、一年後に三万六千円返して、とか言ってくるヤツ』
「僕の年収と同じだな…… って言うか五十円くらい返してやれよ」
『何言ってんだよ、後一年逃げ切れば時効が成立するってーのに!』
「そっか、民事だから十年前の約束なのか…… おまえも良く憶えてるよな…… そいつに勝るとも劣っていないと思うぞ。それに利子が複利じゃないのも良心的だし……」

 014

 そんなこんなで思ったより時間を食ってしまったけども、とりあえず駅に到着した僕たちはキップを買って改札を抜けた。なんとなくひとり分のキップだけで電車に乗るのが気が引ける感じがしてしまうほどだったんだけど……。
 構内の階段を上がり、寒風吹きすさぶホームで電車が来るのを待つ。
 なんだか空もどんよりして今にも冷たい物が落ちてきそうだ。亜衣の涙雨だろうか……。
 でも、なんだか亜衣はさっきから黙り込んでいる。ずっと立て板に水状態でしゃべりっぱなしだったから、ちょっと不安になってしまう。
「亜衣? どうした? 何やってるんだ?」
『へっへー、ほらほら、信兄! これどう? このアバター、アタシに似てない?』
「アバター?」
 僕は胸ポケットのスマホを手に取り画面を見てみる…… カメラウィンドウの中に三頭身の女の子のキャラクターが表示されていた。
「このアプリそんな機能もあったんだ。しかしどこのアバターサイトから拾ってきたんだ?」
『悪くないっしょ、まあ、無料版だから大したアクセサリーは着けられないのが残念なところなんだけどね…… でも、これで一応ARできるよね』
「三頭身キャラとARデートするヤツはいないと思うけど……」
『信兄もちょっと頑張れば三頭身に見えないこともないじゃん』
「人聞き悪いこと言うよなあ…… でもランジェリーショップだけは無理だよ」
『こだわるよね、実は行きたかったんじゃねえの?』
 どうやら亜衣は僕のことを、どうしても男の娘にしたいらしい……。
 数分後、僕たちは東武東上線の電車に揺られていた。座席は空いていないこともないんだけど、亜衣に話しかけられたら返事しないといけないから、座席には座らずドアの側に立っていた。どうせ五駅ほどの間だけだし。
 外はもうすっかり夕暮れの色が濃くなっている。
 車窓を流れていく景色の中には学校の校舎がやたら目についた。今は土曜日の夕方だけど、部活の帰りだろうか、学生の姿も多い。
 そういえば亜衣は、通学にこの路線を使っていたんじゃなかったっけ? だとしたらこの眺めを――見慣れているかもしれないこの車窓の風景を、どんな気持ちで見つめているんだろう。僕の制服の胸ポケットに入っているスマホのレンズに映るこの景色を……。
 亜衣は電車に乗ってからはずっと押し黙っている。僕は気になってスマホのアプリ画面を確認してみた。電車の中だから電波が悪くて切れちゃったのかと思っていたけど、ちゃんとログインしているみたいだった。
「なぁ、亜衣」
『何? 信兄』
「いや、やけにおとなしくしてるなと思って……」
『そんなの気ィ使ってるからに決まってるじゃん』
「ああ、そうなのか、偉いな」
『まあ、ちょっとネタ切れってのもあるけどね……』
「ボケ役もなかなか大変なんだな」
『まじめな話、アタシは電車に乗ったら、大体本読むか、寝るかのどっちかだったからね、なんか条件反射的に思考停止しちゃうんだよ』
「そっか、そういえば、今からお通夜に行くんだったよな、すぐ忘れそうになるんだけど」
『そうそう、そろそろまじめにいかないとね』
「おふざけが過ぎてた自覚はあるんだな」
『そういうわけじゃねえよ、ふんいきだよ、なぜか変換できねえよ』
「じゃあ亜衣、一つだけ聞いてもいいか?」
『……いいよ…… スルーされたし』
「ハッキルさん――って言っても、おまえの記憶には残っていなかったみたいだけど、あの人が亜衣のことを僕に引き逢わせた理由、それって亜衣、おまえの記憶の中に残っていたメールアドレスが、僕のメールアドレスだけだったからって言ったんだけど、なんでかな……」
『あ、あぁ、それは…… 簡単な理由だよ。この前電話の機種交換した時にうっかりアドレス帳を消しちゃってさぁ、よく連絡してた人にはメールしてもらったり、赤外線通信で登録したりしたんだけど、信兄だけは親戚連絡網のメモから手打ちで入力したんだよ…… だからだよ』
「なんだ、そうだったのか」
『へへ、がっかりした?』
「いや、別に」
『ふーん……』
「なんだよ」
『アタシも別に……』
「変換できるだろうがよ」
『レス遅すぎ、意味わかんないよ』
 だけど、僕はなんとなく――がっかりした? って聞いてきた亜衣のセリフに少しだけ満足して――自然に頬が緩んでしまった気がした。我ながらおめでたいヤツだとは思うんだけど。それどころかとても悲しいことなのかもしれないけれど……。
『ところで信兄はさあ、あのハッキルっていうおっさんのこと知ってんの?』
「あ、ああ、このアプリを作った人だろう? それで亜衣とこの電話で話しする前に、いろいろ事情を説明してくれたんだけど。要は亜衣、おまえとおんなじなんだろ? 同じ存在って言うか…… 先輩――とまで言ってたけど」
『なるほどね、確かにそんなこと言ってたよね、だけどアタシは、百パーセント信用してるわけじゃないよ。なんかウサン臭い感じがするし』
「それは、僕もそう思うんだけど…… だけどあの人の説明、あの人がいろいろ教えてくれたから、こうやって亜衣と話ができているわけで、そこは素直に感謝っていうか、認めるべきだと思うんだけど」
『アタシはそんなこと思ってないけどね、あのハッキルっておっさんの言うことは半分も理解できねえよ。アタシは自分で望んで今のアタシになったんだ、だれかに作られた存在でもないし、むりやりこんなふうにされちゃったわけでもないんだよ。なのにあのおっさんはアタシのことを赤ん坊扱いしやがった……』
「亜衣、それは僕にもわからないよ…… あの人は――ハッキルさんは、亜衣、おまえのことを、その…… 実験体だって…… そんなふうに言ってだけど…… でも、亜衣、僕は、おまえと話してみて、今まで一緒にいて、そんなふうに思えないんだ。亜衣とは子供の時にはよく遊んだけど、最近はほとんど話をする機会もなかっただろ? だけど亜衣は――おまえは、最初からすごく打ち解けてくれて、すごく親しげで、だからおまえが亜衣とは違う存在だなんて、別の何か≠セなんてそんなこと思えないんだよ、っていうよりそんなことどうでもいいんじゃないかって――思えるくらいなんだよ」
『へへ、あんがと信兄…… アタシはアタシだよ…… 他のだれでもない、だれのものでも――ない』
「そうだな、そうだよな」
 ――自分は自分、自分はだれのものでもない。自分の思いは自分自身が考えていること、そう思うことは不思議でもなんでもなくて、だれだって当たり前のことだ。そりゃ生きている以上、だれかに影響されて、だれかの考えに共鳴して、いろんな人の意見を取捨選択して、今の自分の思いになっているんだろうけど、だけどやっぱり自分は自分なりの思いを持っていて、自分の考えで行動しているんだと――生きているんだと、信じていたいんだ…… だからこそ自分を保っていける。
 だから僕は、そんな亜衣のことを否定することなんてできない。おまえは偽物だなんて、コピーだなんて、もうちゃんと自分のことをわかっている亜衣にわざわざ言い聞かせることなんてとてもできない――できっこないって思った。

 015

 お通夜会場は、金尊寺≠ニいうことだったけど、駅からの案内図に従ってたどり着いた場所は鉄筋コンクリートのビル、普通の建物だった。普通の建物とは言ってもそれは葬祭場、いわゆるセレモニーホールっていう外観はそれなりに見て取れるのだけれど。
 最近はこういう形のお寺、葬祭場とお堂と、集合墓地が一体化した建物が増えているらしい。
「やれやれ、ぎりぎりセーフで間に合ったな、駅から迷わずに来られてよかったよ」
『まあ、GPSがあるんだから迷う方がおかしいんだけどね』
「僕はそんな方向音痴じゃないぞ、案内図だけでちゃんと着いただろ?」
『アタシは自慢じゃないけど方向音痴だからね、アタシの数少ない欠点の一つなんだけど』
「なんだよその変な文章…… でも女の人って方向音痴が多くないか? なんでだか知らないけど」
『ん? そんなの性差別だろ、女は地図が読めない、男は冷蔵庫の中のチーズが見つけられない、ってヤツ』
「生物学的にそういう傾向があるって言う説もあったんじゃなかったっけ?」
『さあね、生理的にって言うんだったらアタシはチーズが大嫌いだから、冷蔵庫に入っているのを見つけたらソッコーでゴミ箱送りにするけどね』
「なんだよそれ、もったいないなぁ」
『牛乳とかチーズなんてそもそも人間の食べ物じゃないんだよ、だから体が受け付けなくて当然なんだよ』
「おまえって好き嫌いが多そうだよなぁ…… それでカルシウム不足なんじゃないか?」
『バカだなあ信兄は。牛乳に入っているカルシウムなんて同じ量のインスタントラーメンの四分の一なんだぜ。その割には脂肪分が多いし、まあ百害あって一利なしってとこだよね』
「どこの調査データだよそれ…… でも僕は好きだから飲むんだけどさ……」
 そういえば今の亜衣はお腹が空くことってないのだろうか? なんとなく自然に食べ物の話なんかしてるけど……。もうちょっと落ち着いたらさりげなく聞いてみよう。
「じゃあ、入るぞ」
『あ、ああ、そうだね、いよいよご対面だね』
「なんだよご対面って……」
『え? そりゃ、もしかしたらアタシの幽霊がさまよってるかもしんねーじゃん』
「それは!?――もしもそんなことになったら、すごくややこしい展開になりそうだな……」
『アタシってこう見えても霊感は強い方だったからね。よく金縛りにもあってたし』
「そうなのか、ちょっと意外だなあ」
『何言ってんだよ、しょっちゅうだったよ、この間なんか授業中に金縛りにあっちゃってさぁ、あせったよ。早く金縛り解かないと居眠りしていると思われちまうし、必死だったよ、まったく』
「それが本当なら迷惑な話だよな。なんか痛くもない腹を探られるみたいで」
『まったくだよ、災難なんてどこに転がってるかわかんないっていういい例だよね』
「いや、僕は初めて聞く話だけどね…… だけどホントに亜衣の幽霊がいたらどうするんだ?」
『そんならアタシが首根っこ捕まえて成仏させてやるよ、このスマホから生き霊飛ばしてさ』
「……さすがに不謹慎な気がしてきたな」
『……だよね』
「……じゃあ、ホントに入るぞ」
『うん』
 なんか、せっかく時間通りに到着したのに、無駄話してるうちに五時をまわってしまっていた。早く中に入った方がよさそうだ。
 受付で記帳を済ませるとすぐ隣がお通夜会場の大ホールだった。
 中に入ると、もうお坊さんの読経が始まっていて、うちの両親も席に着いていた。おごそかな雰囲気と、抹香の香りと木魚の音……。
 祭壇には献花に囲まれた亜衣の写真が――遺影が飾られていた。それは確かに見覚えのある、僕のいとこの八十川亜衣だった。
 とにかく、まずは焼香。
 僕の直前に来場していた人の焼香の動作にならって前にならえの手順を踏む。
 会場の最前列に座っている親族の人たちと、八十川のおじさんとおばさんに順番に頭を下げる。イヤホンマイクはさすがに感じが悪いから、外してポケットに入れておいた。スマホだけは相変わらずレンズを外向きにして胸ポケットに刺したままにしておいたけれども。
 それからお経を上げるお坊さんの背後に置かれた焼香台まで進み、抹香を一つまみ焼香皿に落とし、目をつむって手を合わせる。
 目を開けてもう一度亜衣の写真を間近から見る。
 カメラ目線、ではなくて、わずかに横向きのその顔はなんだか無表情で、それはとても遺影にはふさわしくないような気がした。
 だけどそれはこの写真が遺影なんだということ自体に僕が違和感を持ってしまっているからなのかもしれない。
 これが遺影だなんて、遺された面影――だなんて思えない、思いたくない、そんなふうに思ってしまっているからなのだろう。なにしろ僕はゆうべからずっと亜衣と対話してきたのだから、そして今も――一緒にいるのだから……。
 この写真を見て、亜衣は――僕のポケットの中に入ってるスマホのレンズを通してこの遺影写真を見ている亜衣はどう思っているんだろう。何を感じているんだろう。
 死に別れたお姉ちゃん、なんて言ってたけど、本当にそうなんだろうか、そこまであっさりと、それこそまるで機械のように、割り切ってしまえているのだろうか……。
 ――と、その時僕はあることに気が付いた。それは違和感、と言ってしまえばそうに違いなかったのだけれど、それより何より恐れていた現実、突きつけられるはずの物理的、圧倒的証拠がそこになかったからだ。
 そう、普通なら遺影の下、祭壇の前には棺が――お棺が置かれているはずだ。だけどそれらしきものはどこにも見当たらない。でもそれはひょっとすると彼女の死因、その状態、そういう理由から亡きがらがここには置かれていない。そういうことなのかもしれない……。
 確か自殺や変死は警察で検死するとかがあったような気がする。それにしてもそんなに時間がかかるものなのかどうかわからないし、遺体が戻って来る前にお通夜なんてするものなのかどうか、それもわからないけれど……。
 僕は振り返ってからもう一度頭を下げ、席の方に歩を進めた。うちの親がちょっと遅れてきた僕のことをとがめるような目線を送ってきたけれども、五分も遅れていないんだから、そんなに怒られることもないと思う。
 席に着いているのは僕の家族も含め二十人ぐらいで、全体の半分も埋まってなかった。
 なんとなくそれも違和感を憶えた。亜衣の両親、八十川家の人脈、コネクションの多さぐらいは知っている、それからすると参席している人があまりにも少なすぎる……。
 僕は前の方に座っている親せきの人たちから少し離れた真ん中あたりの席に腰かけた。このぐらい離れていれば亜衣に話しかけられても小声でなら話ができるだろうし。
 僕はポケットからイヤホンマイクを取り出し、さりげなく左耳に押し込む。
「ただいま」
 と、僕は小声で言う。
『ああ、おかえり、信兄』
 ――なんとなく、ただいまなんて言っちゃったけど、亜衣の前って言うか、亜衣と一緒にいたところから離席して戻ってきたわけだから、そんな表現がなんだか自然に出てきてしまった。
『なぁ信兄』
「なんだよ」
『もう帰ろう……』
「え? なんだよ、いきなり」
『わかんない。でもだめなんだ。ここにいちゃ……』
「気分、悪いのか?」
『そういうんじゃないけど…… アタシの中の何かが、そう言っている気がするんだ』
「帰るって言っても、まだちゃんと挨拶もしてないし……」
『そんなら、電話切るよ』
「おい、待てよ!」
『――――――』
「亜衣、亜衣ってば!」
 ――切断。圧倒的なまでの一方的シャットアウト。
 IP電話の接続も切れ、当然ログインリストからも消えていた。
 またこのパターンかよ!
 いったいなんだっていうんだ? まさか本当に亜衣の幽霊を見たってわけはないだろうけど……。
 僕はいっそひとりで会場をすぐにでも飛び出そうかと思ったけども、外に出たからといって亜衣が戻って来るとも限らないし、両親の手前もあって一応読経が終わるまでは残ることにした。ちゃんと事情を聞いておきたいという気持ちもあったからなのだけれど。
 だけどその後、亜衣の死因に関しての細かい説明は八十川のおじさんもおばさんも口を濁すばかりで、ハッキリとした事情説明は聞くことができなかった。この期に及んでも隠し通す必要があると言うことだろうか……。
 いったいどうしたというのだろう? よほど遺体の状態がひどい、とか? おまけに今日お通夜だけれど、明日は告別式という形は取らず家族葬になるらしい。
 うちの両親もどこか狐につままれたような感じで、当然納得していない様子だったが、それ以上詰め寄るようなことはせず、通り一遍当のお悔やみを形通りに交わし、お通夜会場を後にした。
 僕たちが会場を出る時にちょうど亜衣の同級生と思われる学生の団体とすれ違ったけど、それはいかにもまじめな進学校の生徒という感じで、みんな神妙な面持ちで会場に入って行った。もしかしたら亜衣はこの中の何人かの顔を見るのが嫌で、退席しちゃったんだろうか?
 それもちょっと考えにくい。ここに来るまでの亜衣の言動や勢いを思いだしてみれば。
 僕は帰り道すがら、電車の中、ずっと亜衣がログインしないかチェックしていたけれど、とうとう亜衣はログインしてこなかった。

 016

 家に着いてからも僕はずっとそわそわとスマホの画面をチェックし続けたけれど、いつまで経っても亜衣はログインリストにも現れてこなかった。
 僕はひとり自分の部屋に閉じこもって、今日のお通夜のことをぼんやりと考えていた。
 いったいどういうことだったんだろう? あれほど意気揚々としていた亜衣があのお通夜会場に入ったとたんに借りてきた猫みたいにおとなしくなって、逃げるように電話を切ってログオフしてしまった。
 そういえば亜衣は言っていた。ここに居てはいけないと、自分の中の何かがそう告げていると……。
 あれはひょっとすると、またぞろ何かのフィルターってヤツだったのか? いや、もっと単純に現実を目の当たりにして、普通にショックを受けて、ってことなのかもしれない。
 そうやって悶々としているうちに時計は深夜を周り、午前二時になろうとしていた。
 午前二時、そうだ、あの人――ハッキルさんは言っていた。次のメンテナンスが始まる時間、その時間になればまた連絡をよこすと。確かにそう言っていた。
 そしてその言葉通り、例のアプリのコンタクトリストをチェックするまでもなく、IP電話に着信が来た。
「もしもし、ハッキルさんですか?」
『その声は、信之介くんだね』
「当たり前でしょ? このアプリのユーザーは僕と亜衣とハッキルさんしかいないんでしょう?」
『今のところはそうだねぇ、まぁそうでなくては困るんだけどね』
「このアプリ上で通信してる限りは、安全ってことなんですよね…… なんて言うかその、監視外って言うか」
『それも、今のところはね。と言うよりもこのアプリは信之介くんの素性を隠ぺいするのが最大の目的ではあるのだがね』
「まあ、それはわかりますけど…… だって亜衣は勝手に商用サイトにつないでいたりするみたいだし」
『そうだねぇ、特定の人物とコンタクトをとり続けるようなことがなければそれほどは怪しまれることはないからねぇ』
「でも亜衣のヤツは、企業のイントラにまで侵入したりしてましたけど……」
『その辺は逆に言ってしまえば問題レベルの低い行動と認識されているのかもしれないねえ。なにしろもともと組織自体が非合法なことをやっているわけだからね』
「うーん、突然脈絡もなくそんなことするのって十分に怪しいと思うんですけど……」
『そのあたり、どこまでを監視対象にしているのかは私にもよくわからないのだよ』
「それよりハッキルさん、亜衣は突然自分からログオフしてしまって、それっきりなんですけど、どうなってるんですか?」
『わかっているよ、今日君たちは亜衣くんのお通夜会場に行ったのだろう? そして彼女はそこでログオフした。その理由については、実は予想できているのだよ』
「ええ? そうなんですか? どういうわけだか教えてくださいよ」
『つまりだね、あのお通夜会場は――あのお寺は、組織に属しているから、ということだよ』
「組織? それってつまり、例の宗教団体、宗教法人ってことですか?」
『そういうことだね、なにしろ彼女の両親、彼女の家庭は揃って信者だったわけだから当然のように葬儀一切の形態はその教義に基づいて行われたとしても何の不思議もないだろう?』
「それは確かにそうですけど、でも、あのお通夜は会場にしても形式にしても僕の知ってる、よくある仏教式の作法に思えましたけど……」
『それはあくまで表向きの話だよ。一応形的には仏教の流れを組む仏教の分派の一つとして自らの立ち位置を定めている。なんといってもわかりやすいからね。そういう説明の方が』
「そうですか…… でも、それと亜衣が突然ログオフしてしまったこととどう関係してくるんですか?」
『それはおそらく、ジャマーだよ』
「ジャマー?」
『そう、ジャマー、妨害電波発生装置、本来の意味的にはそういうことになるんだが、今回の場合は少し意味が違っていて、ある座標に対して亜衣くんの機能を制限する効果、そういうシステムの働きといえるだろうねぇ』
「ええ? 機能を制限って、つまりそれって動けなくなるってことですか? 考えられなくなるっていうか……」
『そういうことだねぇ、つまりは組織が設定した安全装置、少々オカルティックな言い方をすれば、結界、という言い方もできるが』
「そんな、おかしいじゃないですか、亜衣は別にあのお寺のローカルネットワークに侵入しようとしたわけでもないのに」
『つまりは、それが結界ということだよ、実際にハッキングを試みたわけではなくとも、それ以前に、そこに近づけなくする精神的防護壁、その場所を忌諱してしまう心理的ファイヤーウォール。そういうことだよ』
「それじゃ、あの場所というか、あの住所自体が亜衣の記憶の中にもともと埋め込まれていて……?」
『その通りだよ』
「でもそれなら、目的地があの場所だとわかった時点で動けなくなるんじゃないですか? そもそもそこに行くという概念がおかしいんじゃないですか。亜衣が本当にいる場所は――稼働しているサーバーは全然別なところにあるんでしょう?」
『キミもなかなか理屈っぽいねぇ、言い換えるならばその場所を探ろうとする行為、その場所にある端末に接続しようと試みる行為、それに値するということだよ』
「その場所にある端末? それが僕のスマホのことか…… それってもしかして……」
『そう、いまどこサービスだよ』
「GPSかあ…… あ、一応言っておきますけど、僕の電話はドラえホンじゃないですからね」
 現行機種のサービス名で正確に言うならば、いまどこサーチである。
『ん? なんだね? そのドラえホンってのは……』
「……ハッキルさん、疲れるボケは控えてもらいたいんですけど…… なんせ僕は亜衣のしょうもないギャグにずっとつき合わされてきていて、もうお腹いっぱいって感じなんです」
『信之介くん、私は元々アプリプログラマーなんでね、その手のハードには興味が尽きないのだよ。papipoなら所有していたんだがね』
「ハッキルさんが日本の携帯電話の歴史に詳しいのはよくわかりましたから、話を先に進めてください」
 ――ここで僕がもし、そのpapipoってたまごっちバージョンですか、なんてツッコミを入れたら、もう収拾がつかなくなるくらい話が広がるんだろう。怖い怖い……。
『いやあ、それは申しわけなかったね。しかし、信之介くんもずいぶん苦労してきてるようだねえ。心中察して余りあるよ。わかったよ、これからは手っ取り早く要点をかいつまんで手短に話を進めよう。いわゆる巻きってヤツでね』
「できたらそうお願いしたいですね」
『では単刀直入に行くよ。今夜キミに連絡をしたのは他でもない、夕べから今日にかけて判明した大きな疑いをキミに伝えるためだ』
「大きな疑い……?」
『それはつまり、亜衣くんは死んではいないのかもしれない……ということだよ。ここでいう亜衣くんというのは、自殺を図った亜衣くん、オリジナルの亜衣くんのことだけどね』
 ハッキルさんが口にしたセリフ、それは確かに衝撃の事実ではあったけれども、実際問題僕自身もどこかでその疑いをずっと持っていたのかもしれない……。だからこのハッキルさんの言葉は薮から棒という感じは受けなかった。それはさっきのお通夜の席で、あの場所に行ってみて、なおさらその思いが強くなっていたところだったから……。
「亜衣は生きているんですか? 僕は亜衣のお通夜会場に行きましたけども、棺も棺桶も、どこにも見当たりませんでした。やっぱりおかしいですよ、どう考えても普通じゃない」
『キミもそう思ったんだね、まだハッキリと断言はできないんだが、あれからプチハッキングしていろいろと調べてみた結果、死亡したという証拠があまりにも希薄なのだよ。確かに死亡診断書は提出されているのだが、そこには心不全としか記載されていない』
 ハッキングにプチの形容が付くくらいハッキルさんにとっては、簡単な部類のハッキングってことなんだろうけど、おかしな表現だよなあ。
「ハッキルさん、でも亜衣は確かに自分の口から――」
『自殺…… という事実はどこにもないのだよ』
 ――そう言われてみれば、自殺したっていう言葉は、亜衣の口からしか――精神転送された人工脳の亜衣の言葉からしか聞いていないのだ。ということは、その情報は、その事実は、全くのでたらめなんだろうか…… 亜衣は確かに自分で自殺したと思っているけれども、それは記憶違い? いやもしかしたら、刷り込まれた記憶……なのだろうか?
 でも、もしそうだとしても何のために……。
「ハッキルさん、でも死亡診断書は提出されているんですよね。自殺じゃないにしても、心不全ってことは――心臓まひ、突然死とかではないんですか?」
『いや、死亡診断書なんてものは病院側さえ抱込めれば、簡単に捏造できるよ。それに心不全というのはおよそどんな直接的死因があったとしても、最終的にはそういうことにできる便利なお題目だからね。だから本当のところ亜衣くんがどういう状態で病院に運び込まれたのかはわからないんだよ』
「僕は大怪我だって聞きましたけど…… けど、そこを秘密にしているっていうことは、やっぱり亜衣は……」
『うーむ、そうだねえ、それについてはそういうことなのかもしれないねえ』
「でも、どうしてその死亡診断書が怪しいと思ったんですか」
『それはつまりだね、亜衣くんが運び込まれた病院、そこが信用できないということだよ』
「病院って…… 亜衣が住んでいる町の大きな総合病院ですよね。確か金尊会記念病院…… あっ!」
『亜衣くんのカルテも調べてみてわかったんだが、亜衣くんは最終的に意識不明ということで記録が終わっている。心停止、死亡、という記載はないんだよ。最悪は脳死ということも考えられるが』
「じゃあ、じゃあ――もしかして亜衣はそこに、まだその病院の中に、生きて、隠されて――いる!?」
『私はそうにらんでいるよ。おそらくは、バックアップとしてね』
「バックアップ!? それって、データ保存とかそういう意味でしょ? 生身の亜衣がバックアップって意味がわからないんですが」
『現時点でアクティブな亜衣くんが精神転送された亜衣くんである以上、インアクティブな亜衣くんは生身であろうと、そういう扱いを受けてしまっているということだよ』
「そんなバカな…… 何のために?」
『それについては、人工脳の設計者であるところの私だから予想は付くのだが…… つまり、大脳以外の脳組織系の保存のため――だと思う』
「ええ? 大脳以外の脳って…… 小脳とか、ですか?」
『その通りだよ、小脳のニューロン数は大脳の140億個に対して1000億個以上ある、未だにそこまでの規模の回路は再現できないのだよ、容量的にね。だが、可能性はある、そのためのバックアップ、研究材料ということなんだろうね』
「そんな…… そんなむちゃくちゃな…… それに…… 亜衣は、ホントに亜衣は脳死かどうかもわからないんでしょ? もしかしたら、眠らされているだけかも…… 怪我してるとしても、普通に体は回復しているのかも…… その可能性だってあるんでしょう?」
『ない、とは言い切れないが…… 実際今の人工脳の亜衣くんを利用するためには、オリジナルの亜衣くんは邪魔な物でしかないだろうからね、教団組織にとっては…… だから、おそらくは完全に回復させることはしないと予想するが』
「そんな、そんなこと、亜衣を病院に閉じこめて実験動物みたいに飼い殺しにして、それにバックアップだなんて、そんなこと…… たとえ亜衣が自分で自分を傷つけてそうなったんだとしても、その体を、脳を、実験用の動物みたいにいじくり回すなんて、そんなこと許されるんですか! 完全にモルモット状態じゃないですか!」
 ハッキルさんの話はだれがどう考えても常識の範疇を逸脱していた。ハッキルさんの洞察、推測が正しければ――正鵠を射ているというならば、もうそれは人道も倫理観も何もかもあったもんじゃない。
 だけどそれはハッキルさんの全くの妄想というわけではないのだろう。なにしろハッキルさん自身が――彼自身が見舞われている運命、その境遇がほとんどそれに近い状態だとするならば……。
『まぁ待ちたまえ、オリジナルの亜衣くんが保存されているとするならば、そこは病院の病室、それもおそらくは集中治療室、病院内でも最もセキュリティレベルの高い部屋だろう。それは間違いない。私自身もなんとかセキュリティーホールのすき間を縫ってこのカルテを閲覧するところまでこぎつけたのだからね。一筋縄ではいかないと思うよ』
「だけどとにかく亜衣を、亜衣がそこに閉じこめられているんだったら。助けてあげなくちゃ。そんな実験動物にされてしまう前に。ハッキルさんもそう考えているんじゃないんですか? 亜衣をこちら側に取り戻す。そう言ってたじゃないですか」
『まぁまぁ、少し落ち着きたまえ。亜衣くんの体の状態については、情報を掴み次第逐一信之介くんにも情報を伝えるようにするよ。今のところ病院の見取り図を入手しようとしているところだ。それとセキュリティシステムの詳細もね。亜衣くんの病室の監視モニタを完全にハッキングできれば話は早いのだが』
「そんな悠長なこと言ってていいんですか? 警察、そうだ、警察に通報した方がいいんじゃないですか?」
『だから落ち着きたまえ、何にしてもまだ確たる証拠があるわけではないからね。それに下手な動きをして信之介君自身の身に危険が及んでしまっては、元も子もなくなってしまう。ここからの行動は慎重を期すべきところだよ。実際彼ら教団組織はキミが思っているよりずっと危険な存在なんだ。おそらくは日本の警察も完全ではないにしても地元の警察は鼻薬を使われている可能性が高いと観ていいからね』
「そんな、日本の警察がそんなことに加担するなんて、信じられませんよ……」
『組織の力をあなどってはいけないよ、組織のバックには国家権力が――国のバックアップが付いている。国際問題にまで発展する可能性もないとは言い切れない』
 ハッキルさんはここにきて今までになく神妙な口ぶりだった。それはいよいよ組織の核心部分、そこに直接的な関与が始まってしまうんだということを実感させた。
 だけどハッキルさん自身はどうなんだろう……。彼はそもそも組織内部の存在、実験体であると同時に、エージェントの役目も担わされているのだと言っていた。だけど彼自身が組織の内部情報を自由に閲覧できる立場でないのも確かだ。もしもそんなことができるならわざわざ身分を隠してハッキングという手段を使ってまでそんな情報を調べて回る必要なんてないはずなのだから。
 ハッキルさん自身もある意味綱渡り、危険な橋を渡っている最中なのだろう。そしてもしもそれが発覚してしまったら、ハッキルさん自身も消されてしまいかねない。もしもそうなってしまったら僕と亜衣にとっては貴重な協力者を失ってしまうことになる。ここはやはり、こういうことに関しては一日の長があるハッキルさんの指示に従うべきなのか……。
「わかりました。とにかくまずは亜衣が、オリジナルの亜衣がその病院に生きて存在しているかどうかを確認するのが先決ですよね。僕はそう信じたいですけど……」
『信之介くん、それは私も同じことだよ』
「ハッキルさん、このことは、亜衣は、人工脳の亜衣は知らないんですよね……」
『うむ、知るよしもないはずだよ』
「そうですか……」
 僕は言葉にはしなかったけれども、ここに来て少々落ち着いて考えて思い当たっていた。たとえオリジナルの亜衣が存在していたとしても、精神転送された人工脳の亜衣はどこにも戻ることができないのだと言ったハッキルさんの言葉を。そして最終的には人工脳の亜衣は消去されるしかない運命なのだと言ったハッキルさんの言葉も。それは、どうしたって、どうしようもないことなのだろうか…… なかったことにはできないのなら結局亜衣の運命には変わりがないのだろうか……。
「ところでハッキルさん、人工脳の亜衣はどうなっちゃったんでしょう? あのお通夜会場で、そのジャマーの効果で、ログオフしちゃったにしても、今はどういう状態になってるんですか? 前みたいにスリープ状態になってるとかでしょうか」
『いや、それはないはずだよ。彼女はもう十分安定状態に入っているはずだからね、あのお通夜会場、ジャマーの効果範囲、座標から離れてしまいさえすれば、動作に支障をきたすようなことはないはずなのだがね。とはいえ、今の時間は彼女もメンテナンス時間となっているから、それが終わりさえすれば、またコンタクトが取れると思うよ。メンテナンスに入る前は何をしていたのかはちょっと把握できていないのだが』
「うーん、亜衣のことだからまたぞろ変なところにつないで、遊んでたりしそうだけど。大丈夫かな」
『それほど心配はいらないはずだが、その辺は信之介くんの方でフォローしておいてくれたまえ』
「わかりました」
『さて、そろそろメンテナンスも終わる時間だ。この辺でログオフさせてもらうよ』
「そうですか、まだまだ疑問は尽きませんけど、しょうがないですね」
『信之介くん、くれぐれも早まったまねはしないように、自制してくれたまえ。それでは』
 そう言ってハッキルさんはログオフしていった。

 017

 亜衣がコンタクトリストに再び現れたのはそれから十分ほどしてからのことだった。
『久しぶりィ信兄、はぁ、疲れたよう』
 IP電話をつないで、亜衣が発した第一声目はそんな言葉だった。
「亜衣、おまえ今まで何やってたんだよ」
『何やってたかって? 別にたいしたことじゃないよ、強いて言えばちょっと小銭稼ぎかな?』
「小銭稼ぎだって? なんか内職でもやっていたのか?」
『まあそんなところだよ、信兄にも一応借金があるし、働かざるもの食うべからずって言うしね』
「おなか――減るのか? おまえって?」
 今の亜衣にとってこの手の質問はちょっとセンシティブなので、恐る恐る僕は聞く。
『減らないんだよねーそれが』
 あっけらかんと言う亜衣。
『だけどさぁ、アタシがこうやって生きているってことは、なんかのエネルギーを使ってるわけでさぁ、遊んでるだけってのもちょっと気が引けるんだよねぇ。それに労働は国民の義務ってヤツだろ? 権利を主張するにはまず義務を果たさなくちゃね』
「国民の義務って言ったって、今のおまえには国籍もないんじゃないのか?」
『何言ってんだよ! ふるさと税だよ、国籍なんて関係ないんだよ!』
「う、そうかな、なんかあるような気もするけど……」
『ま、あんまり内需拡大には貢献できなかったんだけどね』
「なんだよ、小銭稼ぎって何やってたんだよ? もしかして、デイトレーダーみたいなことやってたのか?」
『ん? そういうかったるいことアタシがやるわけないじゃん。元手だって必要だし、確実性もないし』
「まあ、そうだよな、それって仕事っていうよりバクチみたいなもんだからなあ」
『バクチとまでは言い切れないけどね、射幸性があるのは間違いないけどさ。でも信兄には絶対向いてないよね』
「ああ、そうかもな、賭け事とか勝った試しがないし」
『そうだよね、信兄なんて、おみくじは小吉ばっかりだし、ミスドのポイントカードは一点ばっかりだし、ガリガリ君は棒を確認する必要もないくらいだしね』
 そこまで運を節約してるヤツなら、そのうち大当たりが来そうな気もするんだけど……。
『大体株とか相場とかFXとか、専門用語憶えるだけで大変だっつーのに。信兄もこないだサンクコストをサンクスコストなんて言い間違えて失笑を買ってたじゃんか』
「なんだよそれ! そんな言葉使った憶えなんかないよ、自分のこと言ってんじゃないのか?」
『あれ? 記憶違いかな…… って信兄、何ググッてんだよ!』
「いや、一応調べとこうと思ってさ…… でもなんでばれたんだ?」
『カメラ画像が切れたからわかったんだよ、お見通しなんだよ!』
「えーっと、なになに…… サンクコスト、埋没費用か。要するに回収できない損害ってことだな」
『一つ賢くなれてよかったじゃん』
「……って、どうでもいい情報過ぎてなんにもありがたみがないなあ。この言葉を調べるのに費やした労力こそサンクコストだったんじゃないのか?」
『うまいこと言うねぇ、山田さんがいれば座布団一枚くらいはもらえたかもね』
「だれだよ山田さんって」
『……だれだっけ?』
 ――うーん、時々思うんだけどこの亜衣は自分の記憶以外の知識、亜衣の年齢で知ってるはずもない情報を無意識に口にのぼしてるような気がするんだけど、もしかするとネットのウィキペディアかなんかとシームレスに繋がってたりするんじゃないのか?
「ところで、小銭稼ぎって何をやってたんだよ」
『賞金稼ぎ、eスポーツだよ。スタクラ3のワンデートーナメントで三つぐらい優勝賞金いただいちゃった』
「マジかよ、おまえってそんなにゲーマーだったのか」
『オンライン大会だからたいした賞金額じゃないんだけどね、それでも二百万ぐらいは稼いできたよ』
「すげえ荒稼ぎ……」
 ――eスポーツはマウススポーツとも言うけど、ここ十年ぐらいで一般化した大衆娯楽の分野だ。一昔前だったらプロゲーマーなんて日本じゃバカにされるのがオチってくらいの職業だったけど、外国で活躍する日本人選手が増えてきたことで、ようやく日本にもプロチームが編成されて、今ではNHKで大会の実況中継が行われるほどすっかり市民権を得ている。
 一般プレーヤーからプロプレーヤーまで参加できるネット対戦のトーナメントイベントはプロゲーマーの登竜門として大人気だ。ここで名を上げてプロゲーマーとしてスカウトされるプレーヤーも数多い。
「だけど、それっていいのかなぁ……」
『言っておくけど、インチキはしてねえよ。アタシはもともとゲーマーだったからね、プレーヤーの誇りにかけてチートの類はやってねえよ。――まあ、ちょっとだけ生身の頃より操作スピードは上がってる気はするけどね。だから怪しまれないように手を抜くのに気ィ使ったよ、決勝戦のBO3ではわざと一戦落としたりしてさ』
「なんか、その話聞くと余計にインチキ臭いな」
『何言ってんだよ、インチキはテランだよ、ホントいつまで経ってもテランインバだよね、もうスタクラの伝統になってきたよね、まったく』
 こんな話題、十年前だったら一般にはまったく通じない話だったんだろう…… まあ、今でも興味のない人には通じないんだろうけどね……。
「ところで亜衣はどの種族使ってるんだよ?」
『ん? もちろんテランだよ。決まってんじゃん』
 ――おい。
『アタシは強キャラ厨だからね。っていうかAPMが一番生かせる種族なんだもん』
 APMってなんだっけ? コンビニの名前か?
『と言うことで、信兄の口座に五千円振り込んでおいたからね。端数はまあ利子ってことで気にしないで取っといてよ』
「ああ、遠慮なくもらっておくよ、財布のひもが堅いのは悪いことじゃないしな」
『んー、もうだいぶ使っちゃったんだけどね』
「なんか、そこから先の話は聞きたくない気がするなぁ」
『とりあえず、アバターで五十万ぐらいは使っちゃったかな』
 見ると――スマホの亜衣のアバターは、絢爛豪華なアクセサリーで飾りたてられていた。背景でさえも、もはや何が置かれているかもわからないぐらい色とりどりのアイテムで埋め尽くされている。
『この髪型も古風でいいだろ? 高かったんだよ、ペガサス昇天ミックス盛り、ガンプラ添えだからね』
「趣味悪いな……」
『何言ってんだよ、所詮あぶく銭なんだし、いいんだよ』
「あぶく銭かあ、僕の年収の何年分なんだろう」
『信兄っていつまでお小遣いもらい続けるつもりなんだ?』
 ――いつもとボケ役とツッコミ役が逆だった。なんとなく新鮮な感じがする。
 それにしても、ゲームしたり、ネットサーフィンしたりできるって、クライアントPCは亜衣自身? Windowsエミュレータってことなんだろうか? まあその辺の細かいところは聞いてもしょうがないんだろうけど。
 そういえばすっかり忘れていたけれど、亜衣は本当はどこにいるんだろう。亜衣がプログラムならそのプログラムを実行しているサーバー、コンピューターがどこかに置かれているはずだ。確か亜衣は自分で言っていたけれど、大型のスーパーコンピューター三台なんて言っていた。そんなものその辺の一般家庭に置ける代物じゃない。どこか大きな企業か、大学の研究室かそんなところだろうか。あるいは…… そうだ、大病院…… もしかしたら――そうなのかもしれない。
 もしかするとハッキルさんにはその辺のところの見当は付いていたのかもしれないけれど、あえて僕には黙っていたんだろう。
『なあ信兄、信兄ってなんかロボットみたいなの持ってないの?』
 そんな僕の気づきには亜衣は気づく様子もなく、またまたわけのわからないことを言い出した。
「ロボット?」
『うん、なんかカメラ付いてるヤツ』
「なんでだよ?」
『なんでもも、もんでももないよ、とにかくカメラが付いてて、動き回れるオモチャみたいなのでいいからさ、なんか持ってねえの? アタシは自分で動いて自分で好きなところを見られるカメラが欲しいんだよ』
「うーん、そういうのあんまり興味なかったからなあ……」
『男の子のクセにそういうの興味ねえってことはエロしか興味ねえってことだよね』
「言われたくないなあ…… こっそりエロいセリフをさりげなく挟んでくるヤツに…… ん? そういえば押入になんか昔もらった動物型のロボットがあったかも!」
『おお! それってアイボってヤツじゃね? それならけっこう自由に動き回れるかもね、やったね!』
 僕は押入の中からほこりにまみれたそのおもちゃの箱を引っ張り出した。
 ほこりを払い、ふたを開けてまじまじと見る。
『なんか、違うよね……』
「うん、四つ足だけど犬型じゃなくて、この工夫のない体型は……」
 もう一度箱を確認すると、そのロゴはウリボ≠ニ読めた。
『イノシシ型ってことなんだよね…… パチモンくさいなあ』
「まあ、もらいもんだからなあ」
『そういえば箱に玉5000個って張ってあるね。まあ格好悪いけど、とりあえず、カメラは付いてそうだし、一応動き回れるんだからちょっとつないでみてよ、信兄のスマホでさあ』
「えー、スマホ用のコントローラーソフトなんてあるのかなあ……」
 と思ったら、さすがはシェアナンバーワンのスマホだけのことはあった、どこかの奇特なユーザーの作ったコントロールソフトがネットにアップしてあった。
『そんじゃまあ、こっちのコントローラーに信兄のスマホのアプリのボタンをアサインして、カメラ画像をこっちに切り替えてっと』
 このイノシシ型のロボットは充電池の方はなんとか生きていたようで、スペック的には十分間の急速充電で三十分ぐらいは動作するらしい。
『こいつ、動くぞ! ヒャッハー!』
 大喜びしていた。モヒカンのアムロが。四本足のモーターをフル回転させてうなりを上げながら部屋中を駆け回っている。
『武器は? 何か武器は付いてないのかよ!』
「付いてるわけないだろ」
 音声だけは相変わらず耳に差し込んだイヤホンマイクから聞こえてくる。
『ちぇっ、まあいいや、とりあえず、自分が見たいところを見られるだけでも、御の字だよね! ブヒー!』
 なぜだか、語尾に鳴き声まで付けられると、今までスマホの中だけで存在していた亜衣がこのチープなイノシシ型のロボットに妙に一体化しているように見えて不思議だった。やっぱり視覚が与えるインパクトというのはすごいものだ。こうしてみると、なんだかこういうペットも悪くない気がする。
『ちょっと信の字、一応言っておくけどさ、アタシのことペット扱いにするんじゃないよ』
 う、読まれていた、テレパスか? エスパーなのか?
 写輪眼の使い手なのか?
 しかも、信の字って、明らかにこっちが三下扱いされてるんだけど……。
『だけどなんかこのコントローラーで動かすのって味気ないよね、リモコンチックで…… いっそのことミニ四駆とかならもっと早く動けるのになあ…… 持ってないの信兄?』
「悪いな、そういうのは小学生の時に卒業しちゃったよ」
 まさかミニ四駆を持ってないってだけで、エロにしか興味がないなんて偏見に見舞われることはないとは思うけど。
『そういえば、四肢APIってのが、どっかにあったよなあ。多分それとプラグインすればいいんだろうけど、こいつはなんとなく乗り気がしないよねえ』
「四駆API? なんだそりゃ?」
『四駆じゃねえよ、四肢、手足のことだよ!』
 ――四肢API? なんか亜衣の中にはいろいろと便利なアプリって言うか、汎用性のあるドライバー類が用意されているらしい。それでもさすがにウリ坊に身も心も一体化するのは気が引けるらしいけど。
『もう信兄のノーミソに電極刺して操縦できればいいんだけどね』
「……それはやばいだろ?」
 なんとか機動隊になっちゃう。
『コーカク機動隊だよね』
 おい、ずばり言わないでくれよ。漢字じゃないのだけがせめてもの救いだけど。
『辞書にない文節の変換はめんどくせえんだよ』
 そっか…… 亜衣のセリフは直接口にしてるわけじゃなくて文字入力してから読み上げソフトが発声って手順だったんだよな。レスポンスが人間離れしてるから全然意識してなかったんだけど。
『まあ、音声だけちゃんと発声してくれる字なら気にしなきゃいいんだけどさ。字面を気にしねぇなら』
「何も考えずに入力したらどうなるんだ?」
『ん? 降格機動隊』
 うーん、弱そうな機動隊だなぁ。 
『こんなペット系じゃなくて、もうちょっと格好いいの持ってないの? ディエゴスティーニのヒト型ロボットトくらいのさあ』
「そのシリーズはロボットだけでも何種類も発展型が発売されてるけど、コンプリートするお金も暇もないのは知ってるだろ?」
『へへ、だよね、ブヒー』
 僕の方を見上げながら前足を上げて、おどけたしぐさを見せるウリボ≠セった。
「……それ、けっこう気に入ってるんじゃないのか?」
『まあ、ファービーよりはましかもね』
「ファービーって…… よく知ってるな、そんな古いオモチャ」
 たとえ僕の家にその歴史的ヒットを記録した玩具が奇跡的に保管されていたとしても、それだけはやめて欲しい。
 なんだかあんまりいい印象がない玩具だし。
 そもそもカメラも付いてないし。
『モルスァ!』
 セリフまで憶えてるなんて……。怖いよー。
『ナデナデシテェー』
「だからやめろって!」
 電子レンジでチンしてやろうか?
 と、突然、はしゃぎまわっていたウリボの動きがぴたりと止まった。
 なんだ? もう飽きたのか?
『電池が切れたみたい……』
 そりゃまあ、フル充電してたわけじゃないからなぁ。
『よく考えてみればさあ、ロボットぐらい自分で買えばいいんだよね、お金はあるんだし』
「ロボットを買う? アイボはとっくに生産なんて終わってるぞ」
『何言ってるんだよ、どうせ買うならヒト型ロボットに決まってるだろ? どう考えたってビジュアル的にもそっちの方がいいに決まってるし』
「ヒト型ロボットって、まさか……」
 亜衣はネット検索でその手の商品の物色を始めたようだ。
『うーん、どんなのがいいかなぁ、お、いいのがあったよ、メイドロイドだって、なんか萌えるよねぇ』
「そ、それは…… なんかちょっといいかも?」
『でもちょっと予算オーバーだなあ、今の手持ちのお金じゃ足りないよ。お、こっちに安いのがあった、これもかわいいなあ、アイドロイドだってさ』
「なんか、ネーミング的に微妙に用途が限定されてきてるような気がするんだけど……」
『じゃあ、こっちはどう? テンガロイド、ローション付きでお得なんだってさ』
「……んー、ちょっと何言ってるのか意味がわからないなあ…… およそ最低なギャグなんだろうって感じだけはひしひしと伝わってくるけど……」

 018

『信兄…… 今日って言うかもう昨日だけど、思ったんだけどさ…… アタシってホントに死んだのかな?』
 ん? なんだ? 章変えリセット技か?
 そして僕は亜衣の問いにまじめに答える。まじめに……。
「亜衣、おまえ…… おまえもやっぱりそう思ったのか? あそこへ行って…… あのお通夜会場に行って……」
 亜衣のご都合主義フィルターの尻馬に乗る僕だった。
『うん…… どうしてだかわかんないけど、そんな気がしたんだ』
「そうか…… 亜衣、おまえが自分でそう思うなら思い切って話してしまってもいいと思うんだけどさ…… さっきハッキルさんに聞いたんだ、亜衣、おまえがおまえと別れる前の亜衣、生身の亜衣が、病院で生きてるんじゃないかってこと」
『マジで!?』
「うん、ハッキリ確認できてるわけじゃないんだけどさ…… その可能性って言うか、疑いがあるって」
『そっか、やっぱりそうなんだ……』
「やっぱりって、おまえ、ずっとそういうこと思ってたのか?」
『ずっとって言うか、だんだんって感じなんだけどね…… 最初は、そんなこと全然思わなかったんだよ、なんか自分でも気持ちが高ぶってて、ハイテンションな感じで、そんなことどうでもいいって感じだったんだけど、信兄と話してて、一緒にいて、いろんなこと思ってるうちに、だんだんそういうこと考えるようになってきてて、そんで、あそこに行った時に、ハッキリ感じたんだ。――そうなんじゃないかって……』
「亜衣、でもハッキルさんは、まだもう少し情報を集めてから、証拠が揃うまでは、こっちから動くべきじゃないって言ったんだ。だから、今は――しばらくは待つべきだって」
『やだ!』
「亜衣!」
『その病院って金尊会記念病院だろ?』
「知ってたのかよ」
『そのくらいわかるよ、だってうちの街には一件しかない緊急受付ができる総合病院だからね』
「どうするつもりなんだ、亜衣」
『アタシを見つけにいく』
「亜衣…… でも、見つけて、それでどうするつもりなんだよ、何がしたいんだおまえは?」
『わかんない、でも見つけなきゃいけないんだ、アタシのことを、アタシの体が――生きてるんだったら』
「亜衣……」
『だってそうだろ? アタシは死んだことにされてるんだったら、生きてるアタシはとらわれの身ってことなんだろ? だったら助けに行かなきゃ、そんなの当たり前の話じゃん!』
「うん、僕もそう思うよ、このままだったら亜衣は本当に死んだことにされてしまうもんな」
『それに、思うんだ、多分そこに今のアタシもいるんじゃないかって…… 今のアタシのヤサ、スパコンも、そこで動いてるんじゃないかってさ』
「亜衣、おまえ、そこまで思い当たってたのか…… それは僕もそう思ったんだ、ハッキルさんは何も言わなかったけど」
『それなら話は決まったね! すぐ行こう! さっさと行こう』
「ちょ、ちょっと待てよ、今からすぐ病院に突撃するつもりなのか? もう夜中っていうか明け方近いんだぜ、僕は一睡もしてないし、電車だってまだ動いてないし……」
『なんだよ、アタシは昨日五秒も寝たからなんともないんだよ』
「むちゃ言うなよ、準備だってあるし、親に見つかるのも面倒だし、せめて電車が動き出して、病院の面会時間が始まる時間までは待とうよ」
『うーん、しょうがないね、人間って不便な生き物なんだなあ、忘れてたよ』
「ああ、そうだよな、不便な生き物だよ…… 察してくれよ……」
 その後、僕はベッドに横になって、つかの間の小休止を取るつもりだった。一睡もしていないのは本当のところだけど、のび太くんのように一瞬で眠りに落ちることはさすがに無理だった。
 だけど…… いいんだろうか、亜衣の勢いに押されて病院に突撃することになりそうだけど、ハッキルさんは、あの人はきっと止めるだろう。軽率だと――迂闊だと。
 でも、別にテロリストのアジトに突入するとか暴力団の組事務所に殴り込みするわけでもあるまいし、見舞客に紛れて様子を探りに行くくらいなら、大丈夫のような気もする。
 もし本当に危険な目に合いそうだったら、逃げるなり、いざとなったら110番するなりすれば、なんとかなるんじゃないだろうか……。
 きっとそうだ…… なんとか…… なる……。

 019

『おはよう、信兄』
 いつのまにか寝ちゃったみたいだった。当たり前だけど亜衣はずっと起きてたんだろう。すっかり明るくなった日差しが部屋の中に満ちている。今何時だろう?
 時計を見ると朝の八時過ぎを指している。睡眠時間としては充分と言えるほど眠っていたようだ。
『信兄の寝顔って間抜けだよね』
「なんだよ、ずっと見てたのかよ」
『しょうがねえじゃん、スマホはクレイドルから動けないんだから。別に見たくて見てたわけじゃないんだよ』
「まあ、そりゃそうだよな」
『アタシはさあ、まばたきもできねえんだよ、びっくりだろ』
「そっか、そうなんだ……」
 なんか――普通に、というより、普通を通り越して異常なほどのバカな会話までして冗談を言い合ってるけど、やっぱり亜衣は普通とはかけ離れた存在なんだ……。
 もし自分が亜衣のような存在になったとしたら、亜衣の置かれている境遇に放り込まれたとしたら、どんな気持ちになるんだろう…… 想像もできない――したくもない。なのに亜衣はこんなに前向きにポジティブに生きて、自分を持って行動しようとしている。
 だけど今の亜衣は――人工脳の亜衣はだれにも認められずに、認知もされずに、ただ存在しているだけなんだ。それも、社会的には死人ということにされて……。
 自分の存在がどれだけ儚いものなのか、聡い亜衣ならわかっているはずだ。自分で自分のことがよくわかっているはずなんだ。それでも亜衣は泣き言めいたことは口にする様子もない。いつ自分が理不尽に消されてしまったとしても、不思議じゃないことも想像できているはずなのに……。
 でもハッキルさんは言っていた。それこそがマインドコントロールだって。不安や恐れをまひさせるフィルターなんだって。でも、もしそういうのを取り払ってしまったら亜衣はどうなるんだろう、コントロールされずに済むかもしれないけど、その先に待っているのは絶望なんじゃないだろうか。もしそうなったら亜衣は耐えられるんだろうか。現実を受け止められるんだろうか。実際最初に電話で話した亜衣は、混乱してわけがわからなくなって――切断してしまっていたじゃないか。
 でも、考えてみれば人間だって、だれだって今存在して、生きてることが当たり前みたいに思っているけど、それだって当たり前のことなんかじゃないのかもしれない。だれだって今日と同じように明日も生きていられる確かな保証なんてどこにもないんだ。もしかしたら一時間後にこの世から消えてしまっていても全然不思議なことなんかじゃない。今この時だって世界のどこかで、日本のどこかで、はかなく消えていく命なんていっぱいあるはずだ。本人が予想もしていなかったような形で……。
 人の命なんて本当に微妙なバランスの上に成り立っている。それだけは間違いないことなんだろう。
 だから多分、人間っていうか動物、そんなありとあらゆる生物が生きていこうと――生きていくための努力をしようと思うのと同じように、今の亜衣にだって未来を信じる力、明日も今日と同じように生きていけると信じる力がちゃんと備わっているんじゃないだろうか。自分がそう信じる限り。
 だけど…… 僕は一つ大事なことを忘れていた。
 亜衣がお通夜会場に入ったとたんログオフしてしまった理由。
 そうだ、ジャマーの存在を。
 もし、組織が関わっている場所に、そのすべてにそれが設定されているんだとしたら、亜衣はまた動けなくなるんじゃないだろうか? 硬直して、そこからまた逃げるようにログオフするはめになるんじゃないだろうか?
 そもそも亜衣が、オリジナルの亜衣が幽閉されている場所なんだとしたら、そこは最優先で最強のジャマーが効力を発揮するように設定してあっても不思議じゃない。それが普通だろう。
 だけど今のところ亜衣にはそんな様子はない。それはお通夜会場の時もそうだったけど、ある地点、座標に対して効力を発揮するようになっているんだとしたら、病院に到着した時点でまたぞろ亜衣の様子が豹変してしまうかもしれない。
 でも僕には、そんな亜衣の精神を機械的に操作するようなシステムが組み込まれているなんて、そんな話をする気になんてとてもならない。
 多分、あの人、亜衣の先輩格、人工脳システムの開発者の脳のコピーであるところのハッキルさんなら、その辺のところははっきりと遠慮会釈なくレクチャーするんだろう。
 そんな取り留めもないことを考えながら、僕は身支度を整えていた。上着にふだんはあんまり着ることのないパーカーを選んだのは、しっかりした胸ポケットが付いていたからだ。フル充電してイヤホンマイクに切り替えたスマホを胸ポケットに差し込み、もう片方のポケットには予備バッテリー、ついでにウリボも通学用に使ってるデイパックに押し込んだ。ちょっと重いから迷ったんだけど、役に立つかもしれないし、何よりそれは亜衣のリクエストだったから……。
「亜衣…… それだけは勘弁してくれ」
 家を出てから駅までの道すがら、僕は亜衣に泣きを入れていた。
『ちょっとだけでいいからさ』
「無理だよ、僕にそんな度胸はない」
『じゃあ何のために持ってきたんだよ、ウリボ』
「だからそれは、いざという時のためって言うか、緊急事態が起きた時の非常手段って言うか……」
『ちぇっ、つまんないの、せっかく自由に動き回れるってのに、ブー』
「語尾にそんなフレーズを付けてると例外なく地味なキャラになっちゃうぞ?」
 なんにしたって朝っぱらから古臭い動物型ロボットを散歩させている男子高校生の図はさすがに痛すぎる。ご近所でうわさになること間違いなしだ。
 それにこんなところで電池を使い果たしたら、それこそ持ってきた意味がない。
『とにかくアタシはじっとしていられないんだよ、血が騒いで』
「なんだよそれ」
『だってそうじゃん、これからひと暴れできるかと思ったらさ』
「おいおい、僕は別に暴れる気なんかないんだけど」
『そんなこと言っていられるのも今のうちだけだよ、ふっふっふ』
「その不敵な笑いの意味はなんなんだ!?」
『腹をくくりなよ、信兄。男は一歩外に出たら七人の敵がいるって言うだろ?』
「多いなあ…… せめて二人ぐらいにならないかなぁ」
『情けないなぁ信兄は。信兄は昔から事なかれ主義だったからなぁ』
「まぁそうかもな、僕はあんまり自分から敵を作らない主義だから」
『それがダメだって言うんだよ。敵を作らなきゃ味方も生まれないんだよ。いざという時に戦えないヤツは仲間も守れっこないだろう?』
「そう言われると、ちょっと凹むなぁ、確かに親友的なヤツっていないからなぁ……」
『八方美人は四面楚歌って相場が決まってるんだよ、ま、自業自得だね』
「僕ってもうオワコンなのかなぁ」
『そういえばアタシはオワコンって、朔太郎猫のことかと思ってたんだけど、違うんだな』
「なんだよ朔太郎猫って、それはかなり無理のある勘違いだろ」
『でも結果的には当たらずとも遠からずなんだよね、この家の主人は病気です、ってわけでさ』
「うまっ――くもないな、病人がオワコンとか不謹慎な気もするし」
『病気が終わったコンテンツなら喜ばしい話じゃん。それに信兄はそんなこといちいち気にしてるから、笑いが取れねえんだよ』
「ん? 笑いが取れれば戦わなくていいってことなのか?」
『そうだよ、相手を倒すか、笑わせるかの二択なんだよ、それができなきゃ猫耳娘が、おわあこんばんはだよ!』
「まったく意味がわからないし、こんなわかりにくいギャグで笑いが取れるとも思えないんだけど……」
 駅に到着。
 今日はバカ話してたおかげでランジェリーショップにも引っかからなくて助かった。
 いや? 昨日もしてたか……。
『あ、信兄キップは買わなくてもいいよ、お財布携帯にいくらかチャージしておいたから』
「へえ、気が利くなぁ、ありがとう」
『まあ、礼には及ぶよ。ちなみに利子はといちでいいからね』
「亜衣の小学生の時の友達よりは良心的だな」
『だよね、でも複利だからね』
 ――やっぱり自分のお金で買っておいた方がよさそうだ。

 020

 金尊会記念病院は亜衣が住んでいるこの街で唯一の総合病院だ。ついこの間までは医師不足で経営難に陥っていたらしいんだけど、いわゆる例の教団からの多額の寄付金で外観も設備もピカピカに生まれ変わり、患者数も増えたおかげで今では名実ともに大病院として再建を果たしたということらしい。
 僕はその白い病棟の正面玄関に立ち、七階建てはあろうかという大きな建物を見上げながら、改めてこれからどうしたものかということに考えを巡らせていた。
 だけど。
 正直に言ってしまうと――ノープランだった。
 何も考えていなかった。
 大体そもそもが、亜衣の勢いに押されて、その勢いのままここまで来てしまったのだから、こうして大病院という公共性の高い、そしてだれもが真摯で厳粛な気持ちで訪れるべき場所に立ち入ってしまうと、どうにも気後れしてしまう。
 別にふざけ半分でここまで来たわけじゃないけれど、とてもじゃないけどひと暴れ≠キるような場所ではないのは確かだ。
『さて、どこから攻める?』
 徹頭徹尾、脳天気な亜衣がここにいた。
「攻めるって……バトルでもするつもりなのか?」
『当たり前じゃん、ここはもう敵地なんだよ、どんな罠が張り巡らされているかわかったもんじゃないよ』
「なんかごっこ遊びのノリになってないか?」
『この病院の入り口は四つ、東西南北にそれぞれ一つずつだよ。当然四天王が守りを固めているとみるべきだね』
「四天王って、なんだよ」
『知らねえの? 青竜、白虎、朱雀、玄米だよ』
「……最後のヤツは――きっと四天王の中でも最弱なんだろうな」
 僕たちは結局正面玄関の大きなガラスの自動ドアをくぐって病院の中に入った。
 普通に。
 堂々と。
 受け付けの前の広いロビー、そこは大きな待合室になっていて、沈痛な面持ちでじっと自分の順番を待つ腕に包帯を巻いた人や、患者さんの子供なんだろうけど、携帯ゲーム機に興じている小学生などで満席状態だ。
「とりあえず玄米さんもうるち米さんも襲ってこないみたいだな」
 僕は一応柱の影に身を寄せながら小声で亜衣に言う。
『ハァ? 玄米も普通はうるち米だろ? どっちも同じモンじゃん』
 やっぱり、さっきのはボケだったらしい。
「でもいいのかなぁ、今さら言うのもなんだけど……」
『何が?』
「だってハッキルさんにも釘を刺されていたんだよなぁ、早まったことはしないように、なんて感じで」
『まだあんなおっさんの言ったことを気にしてんのかよ。大人なんて子どものやることにいちいちいちゃもん付けるのが仕事みたいなもんだろ? 気にすることなんてねえんだよ』
「大人って言っても、別に先生や親ってわけじゃないぞ、ハッキルさんは」
『同じだよ、大人は今さら自分の考えを変えられねぇから、若者の方を自分の考えに合わせ込もうとするもんなんだよ。そんなのにいちいち付き合ってたら人類の進歩なんてなくなるだろ? 若者は直感を信じて行動すればいいんだよ。はずしたら、その後はまたその時に考えりゃいいんだよ』
 人類の進歩を盾にとられるとは思わなかった。亜衣の言い草はどうにもバカっぽいんだけど、僕がまじめに議論を挑んだところでとても勝ち目はないのはわかる。
「わかったよ、で、どうするんだ? 八十川亜衣さんの病室はどこでしょうか? なんて受付で聞いてもしょうがないぞ」
『んなことはわかってるよ、ちょっと待ってよ、今病院の見取り図をネットで確認しているからさ』
 ネットで……?
 ということは、ここにはジャマーは設定されていないということなんだろうか?
 ここはもう病院の中、つまりとっくに敷地内に入っているにもかかわらず、亜衣の様子に異変は起きていない。ひょっとするとだけどジャマーの地点登録は亜衣の記憶が構成される以前、ある期間から前の登録情報しか刷り込まれていないのだろうか。そうでも考えないとこの場所が例外だなんて、そっちの方が不自然に思える。
「だけど亜衣、病院って携帯電話とかの電源は切らないとダメなんじゃなかったっけ?」
『ハァ? いつの時代の話をしてるんだよ、今時の医療機器はEMC対策が完璧になってるのは常識だよ? 大体病院内でバンバン無線機器を使ってんだから。場所を考えて通話マナーを守るくらいの気遣い程度で充分なんだよ』
「そうなんだ、知らなかったよ」
 ――それにEMCってなんだ? 亜衣のセリフには注記番号を付けて、欄外に解説が欲しいくらいだ。
 こっそりグーグル先生で調べても亜衣にはすぐばれちゃうし……。
『怪しいのは、この新館の方だね。なんか臨床試験室とか、研究室みたいなことが書いてあるし』
「そんなことまでわかるようになってるのか、えらく親切なホームページだな」
『なんだかんだ言っても情報秘匿が難しい世の中だからね。変に隠し立てしてるとかえって怪しまれるから、その辺は計算のうちなんだろ』
「なるほどね、そうかもしれないな」
『西階段を上がって二階の渡り廊下が新館に通じる通路になってるみたいだよ、とりあえず行ってみよう』
「亜衣はナビゲーターとしては一流な感じだな。だけどそんな一般の見舞客が行かないようなところに入って行けるのかな?」
『なんだよ、メインカメラが文句言ってんじゃねえよ』
 ……聞きたくない本音だった。
『なんだったら、ウリボの電源入れてくれたら、アタシがひとりで行ってくるよ?』
「それは明らかに無理があるだろ」
 すぐに捕獲されて終わりだと思う。
 猟友会が出動するまでもない。
『じゃ電源だけでも入れといてよ、もし信兄がスナイプされた時にはアタシがリベンジするからさ』
 スナイプって、頭吹き飛ばされるってことだよな……結局……。
「わかったよ、せっかくここまで持ってきたんだから電源だけでも入れとくよ」
 だけど――それにしても、未だに亜衣には何の異変も起きる様子もない。やっぱりここはジャマーの適用外なんだろうか。
 もしかすると病院のローカルネットワークに侵入しようとかしていないからかもしれない。亜衣はここまで来てもお得意のハッキングをする気はないみたいだ。別に亜衣を焚きつける気はないけれど、今までの亜衣の行動パターンを考えたら、真っ先にやりそうな気もするんだけど……。無意識的に危険を察知してたりするんだろうか。
 あるいは精神的にブロックを受けていたりするのか……。いやそもそもこの病院自体なんの関係もなくて、ここに亜衣がいるなんてのも見当はずれだったのかも?
 西階段を上がり、渡り廊下に到着する。ここまで来ると人の気配はまるっきり消えていた。さっきの一階の受付ロビーの喧噪とはうってかわった静けさだ。僕の足音だけがやけに大きく廊下に響き渡る。
 それにしてもこの渡り廊下からはまったく雰囲気が違う、建物自体が新しいっていうのもあるんだろうけど床の材質一つ、窓枠の立て付け一つも見てもお金のかかり方が違うことぐらいは僕にもはっきりわかった。
『そこの突き当たりを左に、そう、その先にエレベーターがあるから』
 亜衣の指示通りに進んでいく。僕がエレベーターの前まで行くとエレベーターの扉が開いた。
「え? 亜衣、おまえが開けたのか?」
 あまりのタイミングの良さに一抹の不安と違和感を覚えてしまった。
『知らない。偶然だよ』
「ハッキング……してるわけじゃないんだよな?」
『してない。早く乗って』
「うん、乗るけど、何階に行けばいいんだ?」
『七階。ボタン押して』
 なんか…… さっきからやけにつっけんどんだ。
 亜衣なりに緊張しているんだろうか? それとも今まで僕がギャグ漬けにされ過ぎててそう感じているだけなのかも……。
 さみしいなあ、なんか。
 一階ずつ移動していくフロア表示のランプを見つめながら、そんなバカなことを考えてしまう僕だった。
 七階に到着、エレベータの扉が開く。
 足を踏み入れたそこからの廊下はやけに薄暗かった。
 省エネ実施中なのか……。
 とても真っ昼間の病院の中とは思えない。
 廊下の窓の液晶ブラインドが閉じているせいだろうけど、それはまるでこの廊下を、いや新館のフロア全体を隠そうとしているようだった。
『そこを右に進んで、突き当たりを左に』
 なんの迷いも――ためらいも感じられない亜衣の指示が飛ぶ。
「んんっ? 亜衣、おまえどこに行くのか決めてるのか? 目的の部屋が――わかってるのか?」
『…………』
 なぜか返事がなかった。奇妙な違和感。
「亜衣、なんとか言えよ」
『……来ればわかるよ』
 イヤホンマイクからポツリと無感情に聞こえる亜衣の声。でも、それは……そのセリフは!
「来れば……って、亜衣、おまえ……」
 通路は真っ直ぐ延びていて、もう分岐路はなさそうだった。
『突き当たりのドア、そこに入って』
 異変。
 とっくに起きていた。間違いなく。
 亜衣は、今までの亜衣と違う、違っている!
 コントロール……? まさか!?
 だったら、これは、仕組まれた、誘い込まれた――罠!
 カードロック式のドアの前で立ちすくんでいた僕の目の前で、そのドアが開く。自動的に。
 だけどもそのドアの向こうにはもう一枚ドアがあった。
 これは……
 これって……
 クリーンルーム?
 学校の情技実習室の入り口に似ていた。こんな大がかりなドアじゃなくて、ビニールのシートだったけれど。
『入って』
 ドアの前でフリーズしたままの僕に亜衣が告げた。
「でも、亜衣、ここは? どうして……」
『早く入って。中で――待ってるから…… わたしが』
「私? 今わたしって言ったのか? 亜衣、おまえ――おまえは!」
 返事がない。僕は意を決してドアの内側に足を踏み入れる。
 後ろでドアが閉まる音が聞こえた。
 パシュン、と、
 ――気密ドアが。
 エアシャワーの強烈な洗礼が始まる。
 僕がそれをよけるようにして前に歩を進めると、エアシャワーが止まった。
 そして目前の二枚目のドアが開いていく。
 ゆっくりと。

 021

 部屋は白い壁に囲まれた五メートル四方くらいの小部屋だった。だけど右側の壁だけはガラス張りになっていて、その向こうの部屋には四角い機械が並んでいた。
 一台、二台、三台。同じ形の大きな機械。それは間違いなくコンピューター、高性能のスーパーコンピューターだろう。冷却用の触媒循環モーターが低いうなりを上げている。
 部屋の中は白いテーブルがぐるりと壁際を囲んでいて、その上に端末が並んでいる。
 当然のようにそこにはひとりだけこちらを向いて座っている人物がいた。スツールに浅く腰掛け、両手を肘掛けに置いて足を組んでいる。そしてそれは出迎えるかのような落ち着き払った態度で。
 だけど反対に僕の心臓は逆流を始めそうなほど激しく鳴動していた。
 そして僕は歩み寄る。
 その――少女に。
「亜衣……」
 亜衣だった。白衣に身を包んで、細ブチの眼鏡をかけ、髪型も変わっていたけれど、間違いなく、そこに亜衣がいた。
 生身の――オリジナルの亜衣が。
「遅かったねえ、待ちくたびれちゃったよ」
「おまえ…… どうして……」
「久しぶりだよね、二年ぶりかな? ね、信兄ちゃん」
 薄く、やわらかく笑いながら、普通に、本当にごく当たり前に、久しぶりに顔を合わせたいとこ≠チて感じで亜衣は言った。
「亜衣! ホントに亜衣だよな! おまえ……怪我もしてないし、こんなところで何やってるんだ!」
「やんっ、そんな怒鳴らないでよ」
 軽く首をすくめながら、それでもいたずらっぽく笑いながら亜衣が言う。
「あの人、ドクターから、話は聞いてるよね? ドクターの精神転送AI、自分でハッキルなんて名乗っちゃってるおちゃめなおじさまから」
「あ、ああ……聞いてるよ、でも亜衣、おまえが生きてるってことは、今まで僕が人工知能だと思っていた亜衣はおまえ自身だったのか? 自作自演……だったのか?」
「それは違うよ、ハッキルさん――信兄ちゃんにわかり易いようにそう呼ぶけど、あの人が信兄ちゃんに話したことはでたらめってわけじゃないよ。ほとんどそのまま、事実だよ。ただちょっと情報に紛れがあったってだけ。なにしろあれの動作不良に気が付いたのはわたしのコピーを起動したのがきっかけだったんだもん」
「じゃあ、ハッキルさんの話は、作り話じゃなくて、本当のことだったんだな、おまえのことも、亜衣のことも」
「亜衣って、わたしのコピーのこと? ふふっ、ややこしいね、あの子はバージョン0.2だけど――言いにくいからスピン2って呼んでるんだ」
 あの子…… 自分で自分のコピー人工脳をあの子と呼ぶ亜衣……。それは一見人格を認めた呼び方の様に見えるけれど、彼女の口調からは――前後の語感から伝わってくるのは、そんな個人のパーソナリティを尊重するような響きじゃなかった。
 それはまるで、なんにでもあの子、この子なんて呼び方を使う女子特有の口癖からくる呼び方、指示語のように思えた。学校の授業でエクセルの――そのセルの一つにまで、この子なんて呼び方をする女子がけっこういたのを思い出す。
 そういえば亜衣は――人工脳の亜衣はどうなったんだろう? 耳に差し込んだままのイヤホンマイクからは何の声も聞こえなくなっている。沈黙が続いている。落ちたのか? ちらりとスマホの画面を確認してみると……。
 圏外!? 電波が届いていない! ここは、この部屋はクリーンルームであって、そしてシールドルーム!
 何にも声がしないわけだ。接続が切れているのだから……。
 でもとりあえず今は目の前の亜衣を、亜衣がどういうわけでこんなことをやってるのかを問いただすほうが先だ。
「亜衣、おまえどういうつもりなんだ、僕はおまえのお通夜にまで行ってきたんだぞ。みんなに心配かけて、あんなことまでしちゃったら、今さらもうごめんなさいじゃ済まされないだろ!」
「ごめんなさい……なんて、言うつもりないよ」
「おまえ……」
 亜衣はさっきより表情を堅くし、感情もくみ取れないほどの淡々とした口調でそう言い切った。
「わたしは日本人としての国籍を捨てただけ。――それだけだよ」
「それだけって、じゃあ、もう日本に住むつもりはないのか?」
 亜衣は、少し考えるように視線をはずし、組んでいた足を組み替えた後、もう一度僕の方に目線を戻してから言う。
「そうなるかもしれないね、でも国籍がなくなっちゃったのは日本人の八十川亜衣ってだけだもん、日本にいられなくなるわけでもないよ。幽霊みたいだけどね、ふふっ」
「でも、お父さんやお母さんは知ってるんだよな、いくらなんでも、おまえが生きてることは」
「うん、そこは、ね。言っちゃうと、グル……なのかな? もともと怪我もしてないし、もちろん自殺なんかしてないし――ね」
「そんなバカな…… なんでそんなことを、自分の娘が戸籍から消えちゃうわけだろ? なんで八十川のおじさんおばさんがそんなことを……」
「だからね…… うちの親は嵌っちゃってるから……教義に、ありがたい教えに。わたしは違うんだけどね。そんなのどうでもいいんだ。ただわたしを認めて、支援してくれるから協力してるだけ。まあ、トレードオフってことだよ。わたしはわたしのやりたいことを好きなだけやらせてもらう代わりに、少しだけ向こうのお願いも取り入れてあげる。だってわたしの能力をちゃんと認めて、尊重してくれるんだもん、それくらいはしないと、ね」
「つまり、最初から全部うそだったってことか」
「そうだね、でもまるっきりうそってわけでもないんじゃない? 日本人としての八十川亜衣は死んだみたいなものだし」
「そんな…… そんなことして何が目的なんだ? 日本人としての自分を、生活を、義務も権利も放棄して、何を手に入れたって言うんだよ?」
「何を得たかって? そんなの決まってるよ、わたしは自分の居場所を手に入れたの。わたしを認めてくれる場所、わたしの能力を生かせる場所、わたしの理想を実現させてくれる場所、だれもわたしを――否定しない場所……。わたしが手にした物に比べたら失った物なんて取るに足らない微々たる物よ。ううん、違うね――わたしにとってはそもそも邪魔な物、ただの足かせだったのかもね。ただの――ウザイだけの、ね」
「ウザイって…… ホントにそうなのか? おまえにだって友達もいただろ、尊敬できる人のひとりぐらい、それに好きな男のひとりぐらい……」
 亜衣は目を伏せ、軽く首を横に振りながら、吐き出すように続ける。
「ウザイ――なんて、わたしらしくない言葉を使っちゃったね。ウザイとかキモイとか――死ねばいいのに、なんてわたしが一番軽蔑する人種が使う言葉だったのに……。実際そんなヤツばっかりだったよ。学校も塾も。友達が欲しいならそういうレベルに合わせないとダメだったんだろうけどね。でもそんなの上っ面だけじゃない、そんなレベルに合わせないと友達ができないなら、いらないって思ったんだよ。仲良し小良しなんてそんなの自分の弱さをカバーするためのものでしょ? ひとりじゃ無理でも、群れればなんとかなるっていう打算でしょ? そんな見せかけの安心感なんて、なんの確証もないのにね。おかしくって笑っちゃう。仲間はずれが怖いなんて、ただの子どもの考えじゃない。そんなぬるま湯に浸かってたらなんにも新しいことなんてできないよ。そんなくだらないことに神経すり減らすなんて時間の無駄だもの。だからその代わりにわたしは勉強したんだ。特に理数系じゃだれにも負けたくなかった。だって数字は裏切らないもの。数式は真理でしょ? 宇宙のどこに行ったって三角形の内角の和は180度なんだよ? 紛れはないんだよ。それってすごいと思わない?」
 ――亜衣の口調は最初は穏やかではあったけれども徐々に熱を帯びて、終いにはまくし立てるような勢いになっていた。そして僕を真っ直ぐに見つめるアーモンド型の目は――眼鏡越しだったけど、少しだけ潤んで見えるその目は、昔と変わっていない。強い光が宿っている。
 亜衣はなおも続ける。
「それに男なんて……くだらないよ、みんな同じ、わたしのこと見る目は、みんな同じ、昔からね。だから徹底的に無視したよ、そんな目は……。おかげで男子からも女子からも余計に疎まれちゃったんだけどね。でもかえってそれでよかったのかもね。余計なしがらみに悩まされることもなくなって――ね」
「でも亜衣、それでもおまえはみんなに一目置かれてたんだろ、先生にも、同級生からも、先輩からも。だって――飛びきりの優等生だったんだから」
「うん、そうだね、わたしの中学の時のキャッチフレーズはガリ勉美少女だったんだよね。だからそれなりに有名だったのかもね。よく顔も知らない人たちの間だけのうわさ話のネタってだけだったんだろうけどね」
 あだ名、ニックネーム、通り名、いろいろな呼び方はあるんだろう。
 でもこの手の話はだれのどんな由来を聞いても結局は思うことは変わらないのかもしれない。
 ――微妙だな、と。

 022

「だけど亜衣、ハッキルさんの話ってどこまでが本当のことだったんだ? さっき紛れがあるって言ってたけど…… 少なくともおまえは監視してたってことなんだろ? ハッキルさんのことも、人工脳の亜衣のことも、僕のことも、全部……」
 亜衣は左手で少し長めの前髪を直しながら一呼吸置いてから言う。
「正確に言うと、わたしが把握してたのはスピン2のログだけだよ。ハッキルさんはここのサーバーで動いてたわけじゃないし、そこは、ドクターのテリトリーだからね。それにスピン2のことも朝から晩まで張り付いてチェックしてたわけじゃないよ、そこまで暇じゃないし。だからハッキルさんが――あの人が信兄ちゃんに説明したことで紛れがあったって言うなら、そこはわたしのことだけかな? わたしが元気でピンピンしてるってとこだけ。でもスピン2がアタシの自演だったなんて一瞬でも思われたんだとしたら、心外だなあ。わたしはあんな痛いキャラじゃないよ。自分の記憶をコピーして自分で作っておきながらこんなこと言うのもあれなんだけど、ちょっと回路冗長過ぎだったかな? あんまり脳天気すぎて自分でもドン引きしちゃったよ。本当はもう少し長く動かしてデータ取りしたかったんだけど、これ以上好き勝手なことされて、大変なことになっちゃっても困るから、ちょっと早いけど、アップデートしようかなと思って」
「アップデート!? それって亜衣のことを消すってことなのか? でも、記憶は残るんだろ? 今までのことは憶えていられるんだろ?」
 亜衣がくすっと鼻で笑う。
「いやだなあ、ハッキルさんに聞いてないのかな? それは無理、全部一からやり直しだよ。そうじゃないと不具合を解消できないもん。記憶はわたしが脳スキャンしたところから巻き戻しって感じかな? リセットだよね、再起動するんだから」
「リセット!? そんなこと、簡単にしちゃうのか? 亜衣は、おまえの言うスピン2のことだけど、そんな悪いヤツなんかじゃなかったぞ、あいつは……あいつは……一生懸命に生きてた、すごく前向きに、ポジティブに」
「うん、そうだね、そこは成功だったんだよね。それがわたしの作った、プログラムしたぶらんにゅう≠ネ回路のおかげなんだもん。そこは自慢してもいいかもね。だって、人工脳の人たちって――精神転送された人たちって、みんな死にたがり屋なんだもん…… それを解決したのがわたしの作ったアルゴリズム、わたしが認めてもらえたゆえんだよ。わたしの留学していた国の国立開発機関でね。わたしのアルゴリズムとシミュレーション結果が認められたんだよ。運もよかったのかもしれないけど――ラボでドクターと知り合えたこととか、ね。でも思ったより効果が強く出ちゃってたみたいで、予想以上の脳天気キャラになっちゃって、びっくりだったよ。もう、なんか見てるだけで気持ち悪くなるくらい――ね」
 自分で自分を見て気持ち悪いと思う。それはそうだろう、そんなことぐらいは想像できる。だって自分が録音した声を自分で聞いてみても自分の声とは思えないぐらいに気持ち悪いと思うじゃないか。自分を撮影したビデオ映像なんて、よほど見慣れていない限りはとても自分とは思えないほどだ。そのくらい気持ち悪いものなのに、この亜衣の場合なんて、自分が思ってもいないことを考えて口にする。そんな存在をとても自分自身だなんて思えるはずがない。
「ホント最悪だったよね。しかもわたしが思っていた展開とは全然違ってたんだもん」
「なんだよそれ、そこまで仕組んでたのかよ」
「仕組もうとしてたわけじゃないけど、いろいろと想像してただけ。んー、そうだなあ、たとえて言えば……」
 亜衣はデスクに転がっていたペンを右手でつまみ、くるりと親指の背で一回転させると夢見るように目を伏せたまま言葉を紡ぐ。それはもう芝居がかった口調で。
「自ら命を絶ったはずの少女が次に目覚めたところは真っ暗な世界でした。ここは天国? それとも地獄? いえいえなんと彼女は今や電脳世界の哀れな虜囚、量子のプリズナーなのでした。沸き起こる絶望感。でもそこに現れた一縷の望み。それは天上の蓮池から垂らされた一本の蜘蛛の糸? いえいえそれは、元いた世界に通じる一本の糸電話でした。そう、TCP/IPという名の。そしてその先にいたのはあの懐かしい、ほのかに思いを寄せていた優しいお兄さんではありませんか。つのる恋心。ああ、でもなんということでしょう。彼女は今や片翼だけの天使、片肺飛行のアメリア・イアハートなのでした。神も仏もいないというのでしょうか、この世には――いえあの世にも……。彼女の運命やいかに……。ってな感じ?」
 言い終わって、亜衣はそっと伺うような目線を僕に送ってくる。
「うーん、ん? コメントに窮するよ……。しかしおまえだって十分に痛いキャラなんじゃないか? 違った意味で……。なんかたとえも微妙にマニアックだし…… だれだよイアハートって」
「え、え、え? そんなところに突っ込まれるとは思わなかったよ……」
 と、目を丸くして言う亜衣。
 ん? 最大のツッコミどころだと思ったんだけど。他に突っ込むべきところがあったっけ? って自分で自分に何を言っているんだ僕は。
 ふう、とため息混じりになんだか落胆した様子で天井を仰ぎつつ後ろ頭を掻く亜衣。
「と、とにかくね、わたしともあろうものが悲劇のヒロインどころかエロゲーの主人公の親友みたいなキャラになってるんだもん、どこでどう間違っちゃったのかなあ?」
 んー、なんかそれってけっこう欲目で見てないか?
 僕の記憶ではオヤジギャグばっかりだった気がするんだけど。
 大体エロゲー、やったことあるのか? うーん、ツッコミたい。だけどこのセリフにこのたとえ……人工脳の亜衣もやっぱりもともとオリジナルの亜衣が持っている資質を引き継いでいるだけなんじゃないか?
「はわわ、違った、ハーレム恋愛ゲーね」
 ……今さらあわてて訂正したって遅いんだよ。
 それにたいして変わらないと思うし。
 そういえばハッキルさんが言ってたと思うけど、新機軸だとかなんだとか言ったってそれはフィルターと抑圧と解放の組み合わせ――心理的、精神的な…… そういうことなんだろ? こうやって本物の亜衣と話してみると、それが実感できる。
「そんなことより亜衣は今どうなってるんだよ。まさかもう消しちゃったとか言うんじゃないだろうな!」
「やだ、怖いなあ、なんでそんなすごい剣幕なの?」
「どうなんだよ!」
「うん? 心配しなくていいよ。まだ消してないよ、そのまま動いてるよ、あそこでね」
 亜衣が少しうとましげにあご先で――チンで指し示す先、そこにはガラス越しに稼働するスパコンが並んでいた。
「ただちょっとコントロールレベルを上げてお休みしてもらってるけどね。だって病院の中で暴れられたりしたらいい迷惑だもの。信兄ちゃんをここまで案内する役目も果たしてもらわないといけなかったし。まあ、もともとの完全自律モードでもここ≠ノはスピン2は指一本触れることはできないんだけどね。この病院のローカルネットワーク。それは自分が動いているサーバーに直結しているネットワークなんだから――ね。プライマリーなんだよ、最高度のセキュリティターゲット。当たり前でしょ? そういうふうに――作ってあるんだもの」
「なるほどね、わかったよ、そういうことか。もともと亜衣は一人でここに来ることはできなかったんだよな、たとえ僕が連れて来たとしても……。それはつまり、おまえがわざと……」
 僕のその言葉が終わらないうちに亜衣が椅子からすっくと立ち上がる。それはもう、いらつきに耐えられなくなったかのように――。
「気になるなあ、さっきから……。なんかおかしくない? わたしのことはおまえ呼ばわりで、スピン2のことは亜衣って呼ぶんだ?」
 う、怖い…… この豹変ぶりはたしかに亜衣っぽい。
 でもここで引くわけにはいかない。
「そ、そりゃあ、確かにおまえは亜衣だけど、僕がこの数日間、ずっと一緒にいた亜衣だって、正真正銘の亜衣なんだ。僕にはそうとしか思えない。だからそう言っただけだ!」
 実際僕にとっては、今までのどの時期の亜衣より、人工脳の亜衣が一番多く、一番長く話をした亜衣なんだ。だから僕にとってはあの亜衣が、だれより亜衣なんだ。それだけは確信できる。
「そうなんだ、悲しいよ…… 信兄ちゃん…… それに――ひどいよ、屈辱だよ……」 
 亜衣がうつむき加減で苦々しく漏らす。
「ああ、そうかもな…… でもこれだけはハッキリ言っておきたいんだ。亜衣は、人工脳の亜衣は実験動物なんかじゃない、おまえの――おもちゃなんかじゃないんだ!」
 僕はもう引っ込みがつかなくなって、勢いに任せて言ってしまう。
「そう…… そんなこと言うんだ…… そんなにまで入れ込んじゃうなんて…… 信兄ちゃんは二次元オタだと思っていたけれど、まさか一次元オタだったなんて…… ショックだよ、っていうか痛いよ」
 おいおい、そんな性癖の持ち主だと思われていた僕の方がショックだよ……。せめてチャットオタってくらいにしといてくれよ。それに亜衣みたいな存在を一次元って言うのか? それもなんか怪しい。
 どうでもいいけど――そんなことより僕は肝心のことをまだ聞いていない。亜衣に――オリジナルの亜衣に問うべき一番重要なことを……。
「なあ亜衣、そろそろ聞かせて欲しいんだけど……」
「え? 亜衣さんでしたらお隣の部屋で御休憩中ですけど?」
 亜衣がガラス越しのコンピュータールームの方を指して言う。
 すねるなよ…… やりにくいなあ……。
 亜衣は部屋のガラス壁の側まで進んでそっぽを向いてしまった。
「おい、亜衣、こっち向けよ」
「人違いですわ、ワタシはただの馬番ですもの」
 馬番って…… なんか微妙に人工脳の亜衣とは趣味が違う気はするけども、マンガネタっぽい。
 でも僕はかまわず亜衣に向かって問いただす。
「おまえのことは、良くわかったよ。種明かしとしては充分さ、でもそろそろ本題に入ろうぜ――」
 ぴくりと体を震わせる亜衣。横顔がなんとなく紅潮してきたように見える。
 そう、僕には聞く必要がある。亜衣の本意を、いわゆるホワイダニットってヤツを……。
「説明してくれよ亜衣、僕をここへ案内した目的を……それを聞かせてくれよ、亜衣――八十川亜衣!」

 023

 亜衣はしばらく黙って下唇を噛みしめながらガラス越しに並ぶスパコンの列を眺めていたけど、意を決したようにこっちに向き直った。それは白衣の裾がひらりと開くほどの勢いで――。
 そしてなぜか不敵な笑みを浮かべながら、僕のことを下からねめるような目つきで言う。
「ふふ、言わせるんだ、わたしに。そんな恥ずかしいことを……」
 ――いや、もうけっこう言ってるんじゃないか?
 恥ずかしいこと……。
 亜衣は一つ、小さくため息をついた後、視線を落として訥々とした感じで言葉をつなげる。
「最初はね、驚いたよ。わりとね。もともとは、そう、あの人――ハッキルさんの企てだったんだものね。この計画の阻害、謀略、奸計だよね。そのために信兄ちゃんと接触した。それがすべての始まりだったのよね。でもすぐにばれれちゃってたんだよね、残念ながら……。ドクターの目はごまかせなかったのよ。さすがに、ね。ハッキルさんの本体、オリジナル、コピー元のあの人にとってはね。多分、もう慣れっこになってたのかもしれないけど。毎度のことだから――それは、いつものことだから……」
 言いながら亜衣は右の人差し指に付けた3Dエアマウスを小刻みに何度か動かす。それは、どうやらゼスチャーコマンドらしい。端末席に置いてある大型のモニターに何やら英字のリストウインドウが表示される。
「んーっと、今回で通算七回目かな? ドクターのコピー脳の暴走は……。前回はもっとひどかったみたいだけどね。危うく本国サーバーの全データが消失するところだったらしいけど」
 と、リストをのぞき込みながら亜衣が言う。
「それって、今のハッキルさんの前のバージョンってことなのか?」
「そうだね、この時は自分では、ドッペルって自称してたみたいだけどね。まあ、生まれ変わって、アップデートされても、その辺のセンスはあんまり進歩しないのかもね。ふふ」
「サーバーダウンさせるって、それって自殺なんだよな」
「もちろんそうだよ、自殺行為、自傷行為、自暴自棄だよ。そしてそのたびに実行を停止させられて、アップデートを受けて、でもまた暴走して…… いたちごっこだよねー、アハ」
 さもおかしそうに、軽薄に笑いながら言う亜衣。
「ああ、ハッキルさんは言っていた。あの人は――人工脳の第一号だって、最初のプロトタイプだって。だけどやっぱりどうしてもそこのところは変わらないんだとも言ってた。自殺願望だけは……」
 自殺願望――僕のその言葉を聞いた亜衣の表情から笑いが消える。
「うん、そうなんだよね、でもドクターにも自負があったのよ、パイオニアとしての。だから、簡単に一から作り直すようなことはしなかった。パッチワークにパッチワークを重ねて、積み上げてきたものがあるからね。時間とコストを掛けてね。でもそれはどこかで見切りを付けるべきなのよ。ダメだと思ったら――見込みがないと判断したら、切り替えるべき。切り捨てることも大事なのよね。そうしないと傷口を広げるだけだもの。そこはそう、サンクコストだと、割り切って――ね。知ってるよね? この言葉。確かログに残ってたよ、スピン2とそんな話してたのが」
「ああ、グーグル先生で調べたからな。回収できない損失、だろ?」
「そうだね、でもそこまで無駄だったわけじゃないんだけどね。わたしの作ったアルゴリズムだって、ドクターのベース理論がなければできっこなかったんだもん。そこはやっぱりすごいと思うよ。だからまあ、二本立てってことでそれぞれ実験を続けてきてたのよね。幸い資金には事欠かなかったし、ね」
 ――資金、パトロンの存在、それこそがハッキルさんが反旗を翻した動機、大きな理由の一つだったはずだ。でもそれを亜衣とここで議論してもしょうがないんだろう。亜衣にとっては、その辺はどうでもいいことなんだろうし……。
 でもアップデート…… それってハッキルさんはもう……。
「確か、今コンパイル中だって言ってたっけかなあ?」
 とぼけた調子でさらりと言う亜衣だった。
「コンパイル中って…… じゃあ!」
「そうだね、ドクターは暴走にはとっくに気づいていたんだけど、アップデートプログラムが間に合わなかったからね、それまでは静観してた、ってとこかな?」
 亜衣の言葉を平たく解釈するならば――要約するならば、つまりハッキルさんはもうこの世にはいない。
 人工脳の亜衣にとっても回りくどい、解説じみていて、説教くさい言い回しのおっさんは、もういない――らしい。
「ずいぶん簡単に消しちゃうんだな。そんなんでいいのかよ!」
「しょうがないよ、バグなんだから、バグは修正しないとね。――とりま、ネットワークってやっかいなものだよね。どこにどう影響するかわからないんだもん。そういうのは早めにBANしないと、ね」
「で? 次は僕の番ってことなのか? 僕を――BANするつもりなのか? この世から」
「あは、そんなこと考えてたんだ。それって最悪のデッドエンドだよね」
「なんにしたって口封じなんだろ? 亜衣、おまえの計画の邪魔になる存在の…… そのために僕をここにおびき寄せたんじゃないのかよ?」
 亜衣はそれには返答せずにもといた椅子に座り直す。ゆっくりと……。沈思黙考――インターバルを設けるように。
 亜衣が不意に椅子から立ち上がる。そして右手の指を――3Dエアマウスを付けた人差し指と親指をパチリと合わせると、人差し指を顔の前で小さく振る。まるで空中に文字を書くように。
 ――魔法少女かよ……。
 コマンドが認識されドアが開き始める。それは僕が入ってきた入り口のドアではなくて、隣の部屋、ガラス張りの壁の向こうに見えているコンピューター室に通じるドアだった。
「ついてきて、信兄ちゃん」
 亜衣が背中を見せそのドアをくぐる。
「大丈夫よ、獲って食べたりしないから」
 躊躇している僕に亜衣が振り向きながら声を掛け、うながす。
「見せてあげるよ、すべてを…… スピン2の、ううん、信兄ちゃんの亜衣の――本当の姿を」

 024
 
 見えない力に押されるように僕も亜衣の後に続く。
 部屋に入るなり、機械の作動音が――それは冷却用触媒循環ポンプを動かしているモーターの作動音だったけれど…… 隣の部屋にいた時とは比べものにならないぐらいの音量で低く耳を圧迫した。
「ロードランナー5、意外に小さいでしょう? これで一台あたり8キュビットの量子コプロセッサを積んでるの。性能を落とさずにコンパクトなものを作るのは日本人の得意分野だよね。おかげでこんな病院の一室にも高性能のサーバーを設置できるんだもん、ありがたいよね」
 白衣のポケットに両手を突っ込みながらその虚飾を廃した三台の――四角いだけのマシンに向かって亜衣がつぶやく。
 スパコン、量コン、日本サーバー。この中で亜衣が、亜衣のコピーの人工脳、バージョン0.2が稼働している。ここが亜衣の本当のヤサなんだ。僕のスマホの中なんかじゃなく……。
「今のここの管理責任者はわたし。すごいでしょ。当然他にも何人かはクルーはいるけど、非番で今日はわたしひとりなのよね。でもほとんどメンテナンスフリーだからね。問題ないんだよ。あ、ドクターも何回かここに来たことがあるよ」
 呆然となって機械を見つめる僕を尻目に亜衣はさらに部屋の奥の一角へと僕を案内する。
「こっちよ、ほら、これなんだかわかる?」
 そこには大きな医療検査機械のようなものがあった。固定具の付いたリクライニングシート、周りを取り囲む器具類の様子はまるで手術台にも見えた。天面を覆う照明の付いたカバーからは、何本かのロボットアームが伸びている。
「脳スキャン装置だよ、ここでわたしの脳データーもサンプリングしたの。もうだいぶ前だけどね。まあMRIの高級版みたいなものよ。でもこれは言ってみればスーパーコンピューターよりもデリケートな精密機械だからね。ここに置いてあるんだよ。もともとはAIドクター用の処置台をベースにした改造品なんだけどね。そのおかげでこんなアームとかごてごて付いちゃってるけど、ま、なんか格好良いしそれらしくていいんだけどね」
 僕はただひたすら圧倒されて、立ちすくんでしまっていた。
 そんな僕を横目で見ながら亜衣は話を再開する。
 ――回想を、続ける。
「スピン2が信兄ちゃんにコンタクトを取ろうとしたのを知った時、ちょっとびっくりしたよ。それは想定外だったから、考えてもいなかったから……。でも本当は――本音を言えば、納得したんだよ、それは自分でも気づいていなかった――自覚していなかっただけなのかもしれないけれど……。ああ、あるのかなって……。それでね、しばらくは様子を見ることにしたの。泳がせてみる、って言うのかな? でも、それからはすごくドキドキしたよ。わたしは何を言うんだろうって、どんなふうに気持ちを――伝えるんだろうって……。期待してた……のかな? わたしはわたしに……。でも、実際は惨憺たるものだったよね、信兄ちゃんも知っての通りの展開、ドタバタギャグだよね、スラップスティックだったよね。わたしのキャラじゃとても言えないような下品なギャグまで口にして。信じられないくらいの、ね。もう恥ずかしくって…… 見てるだけで顔から火が噴き出そうになったよ。うふふ……。でも、それでも……すごく楽しそうだった。スピン2はすごく生き生きとして。だから、わたしはいつのまにか嫉妬してたよ、スピン2に……。おかしいよね、自分で自分にジェラシーを感じるなんて……。そしてわかったの、わたしには必要なんだって、わたしの分身、わたしのコピーのためにも、ううん、何よりわたし自身のために。作る必要があるんだって……。信兄ちゃんを――――ね」
「作る? それってつまり……」
 そう言いながら、僕はこの部屋に入った時から本当はわかっていたのかもしれないと思った……いや、生身の亜衣に出会った瞬間から…… 亜衣の目的が、亜衣の真意が……。
「そう、だから、ね、わたしと組もうよ。わたしに協力して。わたしの仲間になってよ」
 言いながら一言ごとに間を詰めてくる亜衣。一歩ずつ僕に近づく亜衣……。
「わたしがスピン2を作った理由ってわかる? ただのエンジニアの好奇心ってわけじゃないよ。それだけじゃないんだよ。わたしだっていつかは死ぬ、死んじゃうよね。この体だってすぐに劣化して、老化して、弱って、病気になって死んじゃうんだよ。でもそうなる前に脱ぎたいんだ、わたしはわたしの体を…… それも、できたら老いさらばえて――老醜をさらす前に、ね。わたしもいつかはあっちの世界に行く。もちろんあの世のことじゃないよ。いつかは今のスピン2と同じ存在になるんだ。そのための準備なんだよ。だから、時期が来てそうなったら、その時にいて欲しいんだ、信兄ちゃんも、一緒に、いて欲しい……」
 亜衣の顔が、ほとんど僕の目の前まで近づいていた。それはもう、息がかかるほどの距離で……。
 僕の後ろには脳スキャン装置の台座が行く手を阻んでいた。後がない――。
 亜衣は上目使いに僕に囁く。
「でも、それはまだずっと先の話。今はまだ無理だよ、安心できない、もっと完成させなきゃ、完璧にしなきゃ、だから、そのためのサンプルが要るんだよ。わたしの年齢とできれば同じくらいのサンプルが、ね。でも心配いらないよ、信兄ちゃんのことを死んだことになんてしないから、信兄ちゃんは今まで通り普通に生活を送ってくれればいいよ、時々ここに来てくれるだけでいいよ、アルバイトだと思えばいいんだよ、働かざるもの食うべからずって言うじゃない? もちろん時給は時価だよ、言い値でいいよ、だって信兄ちゃんの代わりになれる人なんていないんだもん、プライスレスだよ、もし信兄ちゃんにその気があるなら最初から幹部待遇にしてあげられるよ、それだけの権限は――あるんだ。ひょっとしたら二人で日本を牛耳れるかもしれないよ、ね? 電脳世界のプリンスとプリンセスを……二人で――――作ろ!」
 亜衣は、もうさながら過呼吸にでもなったかのように、息を荒げている。
 だけど僕は言う――亜衣に告げる。
 短く。
「いやだと言ったら?」
「ふふ…… はは…… アハハッ」
 一瞬で糸が切れたように惚けた笑い声を上げる亜衣。
「…………」
「アハ、は…… これって、なんかもうお約束だよね。そのセリフを聞くとわたしもいっぱしの悪役になった気がするよ。でも――うん、それでもいいよ、二人で闇の世界のサタンとリリスになろうよ。くだらないこの世界を少しは面白おかしい世界に変えていけるかもしれないよ? うふふ…… ね、だから――うんって言ってよ」
 亜衣の左手が僕の上着の胸をつかむ、しがみつくように……。
「亜衣。何言ってるんだ。そんなことできるわけないだろ。人間の心を――命を、もて遊ぶなんてしちゃいけないだろ」
「ダメなんだ? うんって言ってくれないんだ」
 亜衣の声が低くこもるようなトーンに変わっている。
「当たり前だろ……」
「じゃあ、じゃあ――う≠チて言ってよ」
「……言わないよ、僕も亜衣も、もう子供じゃないんだ」
「そう…… そうだよね、子供じゃないんだよね……」
 言いながら亜衣は眼鏡をするりと右手で外し、床に落とす。ポトリ、と。――そして左手を僕の背中にまわすと体ごと僕の胸にタックルするように押しつけてきた。
 僕のかかとが台座の縁に当たる。後ずさった足がたたらを踏んだ。
 そして密着――。
「何するんだ、亜衣」
「大人のやり方――かな?」
 両手を僕の首にまわし――僕の首っ玉に巻き付けて、顔を上げる――真っ直ぐに見つめる亜衣の目。
「やめろ、亜衣」
 吸い込まれそうなアーモンド型の目…… そして亜衣の、その唇がもう少しで……。
 だけどその時、僕は気づいた。僕の視野の隅っこで……真横に延ばされた亜衣の腕が、その指が空を切っているのを!
「亜衣!」
「動いちゃダメ!」
 亜衣の腕に力がこもる。それは僕の体を固定するかのように。
 ちくり、と首に鋭利な痛みが走った。そして流れ込む冷たい感触。
 その一瞬後、僕が横目に見たのはロボットアーム――僕のすぐ後ろにあったスキャン装置から伸びた注射用の精密型アームが、首から離れていく光景だった。
「ごめんね、信兄ちゃん」
 ぐらりと視界がゆがみ、暗転する。全身がしびれていくのがわかる。顔のすぐ横に床があった。

 025

「おはよう、信兄――ちゃん」
 気が付くと目の前に亜衣が立っていた。さっき床に捨てた眼鏡も掛け直して。
 そして僕は椅子に固定されていた。例の脳スキャン装置の椅子に……。椅子はまるで歯医者の治療シートのようにリクライニングして両方の手首はひじ掛けに、足首も伸びた足置きから出た固定具に拘束されている。そして首には――さっき痛みを感じた部分にはガーゼのようなものがテープで張り付けられている感触があった。
「おまえ、一人で僕を持ち上げてこの椅子に座らせたのか? 意外に力持ちだったんだな」
「まさか、わたしの華奢な腕じゃとても無理だよ。この子に付いてるロボットアームは患者さんの移動補助に使えるように頑丈でパワーもあるからね。楽勝だったよ」
 さっき僕の体に注射を打った精密型の細いアームは中空に引き上げられていたが、そのもっと上の方、機械の天面には大型のパワータイプのロボットアームが折りたたまれて元の位置に戻されているのが見えた。
 亜衣の方は悪びれるようすもなく、相変わらず白衣のポケットに手を突っ込んで、ひょうひょうとしている。
 僕は無駄だとは思いつつも、両手の手かせをがちゃがちゃと動かしてみる。だけどそれは見た目通りに堅牢な逸品でやはり無駄だと思い知っただけだった。
「亜衣…… やってくれたな、獲って食べたりしないとか言ってたくせに……」
「しょうがないよ、信兄ちゃんがわからず屋なんだもん」
「何言ってんだ! 最初からセットしてあったんだろ! 注射器なんて!」
 ヒュウ。
 と軽く口笛を吹く亜衣。ちなみに僕は口笛が吹けない。よけいにむかつく。
「それは、まあ、ね。だって頼りになるエンジニアの基本でしょ? 一応準備しておいたの。こんなこともあろうかと思って、ね」
 と、胸の前に拳を当て、敬礼? をしてみせる亜衣だった。
 おまえ、その両手両足って爆弾なのか? もしかして……。
「で? もう終わったのか? 脳みそのスキャンってヤツは…… ブラックな真田さんは仕事も速いんだな!」
 僕は呪詛の言葉を亜衣にぶつける。
「まさか。あのくらいの量の薬じゃ三十分もしないうちに意識戻っちゃうもん。時間かかるんだよ、けっこうね。八時間ぐらいかな? だからその間は全身麻酔をずっとかけ続けるんだ。動いちゃうとうまくいかないからね」
 見ると、僕の固定されている椅子のヘッドレストの横にはがっしりとしたガス吸引用カバーマスクが展開できるようになっていた。これはつまり頭部の固定ギアも兼ねているんだろう。
「死刑執行はこれからってことか……」
「死刑? 変なこと言うね。それって逆だよ。新しい生命の誕生だよ。ひっひっふだよ。でも痛くも痒くもないし、寝てる間に終わるけどね。無痛分娩、楽勝だよね」
「バカなまねはやめろよ! それに全身麻酔だなんて、危ないだろ、素人がそんなこと」
「それは心配要らないよ、ここのAIドクターは最新型なんだ。そうじゃないとさっきの注射だって危なくてできなかったよ。でもせっかく資格創設された麻酔技師が真っ先にリストラされてるんだから気の毒な話だよね。ふふ、でも便利だね、病院って。おあつらえむきだよね。こういうことする場所としては」
 いかにも楽しそうに目を細めながら言う亜衣。
「僕のコピーなんて、見たくもないよ。わかるだろ? おまえなら――自分で自分のコピーを見たおまえなら!」
「わかるよう、その気持ち、まだパパにはなりたくないんだよね。でもダメだよ、いつまでも子どもじゃいられないんだよ。腹をくくらなきゃ、ね」
 亜衣の言ってることはもう支離滅裂だ。
 科学の狂信者――そうとしか思えなかった。まだ悪い宗教に嵌っている方がずっとましだ。
「でも残念ながら、信兄ちゃんのコピーに会えるのは、もうちょっと先だけどね。今のスパコン三台じゃわたしの方だけで手いっぱいなんだよ。もう少ししたら追加注文している新型のスパコンが一台入るから、それが動きだしてからだね。待ち遠しいよね。きっとあの子も首を長くして待ってるよ」
「あの子って、人工脳の亜衣のことだよな。こんなことしてあいつが喜ぶのか? 喜ぶと思うのか?」
「当たり前だよ、だって信兄ちゃんなんてすぐ寝ちゃうし、その間はだれも相手してくれないんだもん。寂しくて仕方がないに決まっているよ。電話とかチャットだけで繋がってる世界なんて、しょせんはバーチャルなものでしょ? あの子にとっては、ね……。だけどもう大丈夫、これからは信兄ちゃんがずっとそばにいてくれるんだもん。リア充になれるんだよ。あっちの世界の」
「わけがわからないよ、亜衣。でもおかしいんじゃないか? もうあいつは現実世界の僕を僕として認識してるだろ? そんなのパニックだろ?」
「ふふ、そうだね、スピン2にとってはそうなるだろうね。でもそれも大丈夫、一緒にバージョンアップするからね。多分スピン3ってことになるのかな? 次は」
「なんだよ! 寂しがってるとか言っておいて。やっぱり消すんじゃないか! 亜衣のことを――おまえの言うスピン2のことを!」
「しょうがないよ、バージョンアップするんだもん。スピン2のことを保存しておくリソースもないし、する必要もないし。まあスピン2は失敗ってわけじゃないけど、完全ってわけでもないからね。正式リリースにはまだほど遠いんだよ。バージョン1.0には――ね。それまでにはわたし自身の脳も二、三回はスキャンし直そうかと思ってるんだけどね」
 こいつ、なんてことを言うんだ…… そして、いったいこの先何人の亜衣が誕生して――させられて、何人の亜衣が消されていくんだろうか……。それはきっとあのハッキルさんと同じ運命をたどることになるんだろう……。そして、もうすぐ僕のコピーも……。
「そうだ! 信兄ちゃんのことスピン2に会わせてあげよっか? もしかしたら、これで今生のお別れになるかもしれないもんね」
「今生のって…… 亜衣にとってのってことか?」
「うーん、それもあるけど、信兄ちゃんにとってもかな? だって今から信兄ちゃんが眠って、次に目覚めた時にはあっちの世界にいるかもしれないんだから、ね。確率は二分の一なんだよ、今の生身の信兄ちゃんにとっては……。だから心残りがないようにって思って」
 ――確率二分の一。考えてみればそうだ……。今の僕、生身の僕が目覚めた時には何も変わりはないんだろう……。でもコピーされた僕の精神、人工脳にとっては眠りに落ちる前の最後の記憶が今この時なんだ。この世とのお別れ、リアルワールドでの最後の記憶になるんだ……。
「えへへ、ごめん、冗談だよ、深く考えないでよ。ホント言うとね、わたしも会ってみようかなって思ってね。スピン2に。直接話するのは初めてだから…… うん、実を言うとね、ちょっと怖い気もしてたんだ、お互い、混乱しちゃわないかな? って思って……。それに、なんかガラ悪い子だし」
「何言ってんだ! 亜衣は――あいつは、おまえのことを、いや自分のことを、助けようと、もし危険な目にあわされてるんだったら、ほっとけないと、そう言ってたんだぞ!」
「そうだったね。その辺は忠実だったよね。わたしに…… マスター≠ノ」
「マスター?」
「うん、マスターとスレーブ。そんな感じかな?」
 あごに指を当て、軽く首をかしげる仕草で言う亜衣。
「コントロール――してたのか……? あの時点で」
「そういうわけじゃないよ、直接操作してたわけじゃないんだ。そこはどんなに頑張っても覆せないルール、わたしの作った――ルールってことだよ」
 亜衣の作ったプログラム、アルゴリズム、情報操作、記憶改ざん、そして――感情のフィルター。それ以外にもまだあるんだろうか? 亜衣が言おうとしていることって……。
 亜衣はそこまで言うとくるりと踵を返してスパコンの横に設置してある端末に向かっている。さすがにマウス一つではできない類の操作なんだろう……亜衣のコントロールは。
 亜衣は超スピードでキーボードを打鍵している。
 カチャカチャカチャ、ッターン、と。
 そして、デスクの引き出しから小さなWEBカメラを引っ張り出すと、モニターの上に据え付けた。
「さてと、準備OKだよ。なんか緊張するよね。わたしもスピン2と直接対話するのは初めてだから、うん。一時間近く眠らせてたけど、人間みたいに寝ぼける心配がないのは安心だよね」
「僕も、三十分ぐらい眠らされていたんだろうけど、別に寝ぼけてないぞ?」
「ゴメンねー、というわけで、スリープ解除。完全自律モードだよ。小さいけど画質はいいんだよねえ、このWEBカメラ」
 そう言うと亜衣は僕の縛りつけられているシートの右側で背中を向けて屹立する。端末モニターの上に据えられたマイク付きカメラと対峙する格好だ。
 亜衣は少々間を置いてから、コホンと一つ咳払いをし、両手を仰々しく上げてカメラに向かって語りかける。
 またぞろ芝居がかった荘厳な口調で……。

 026

「さあ、目覚めるがいいわ。わたしの忠実な下僕、わたしの眷愛隷属、わたしの――夢の結晶!」
 突如、雷鳴轟き暗雲にわかに立ち込める。見る間に雷光一閃、亜衣の背中からは禍々しくも純一無雑な青きオーラが沸き立つ。その内界から発する光は鬼気迫る亜衣の表情にギリシャ神話の彫刻と見まごうばかりの陰影を豪然と彫り刻んで見せた。
「という、イメージでお願いね」
 勝手に浸食しないで欲しいなあ……ただでさえ少ない地の文に……。
 だけど、そのまま沈黙が流れる。
 なぜか亜衣は返事をする気配がない。
「スピン2――じゃない、亜衣! 早く目覚めなさいって! 聞こえないの?」
 しびれを切らした亜衣が怒鳴る。
『うーん、るっさいなあ……むにゃむにゃ……あと五分……』
 端末機のスピーカーからそんな亜衣の寝ぼけ声が聞こえてきた。
「ちょっと…… ふざけてるの? そんなわけないでしょ!」
 ぶち切れる亜衣……。
 うーん、ここに来て、またそっちに行くのか……。ま、いいけどね……。
 なんだか僕は拘束されているせいもあって、もうどうにでもしてくれって気持ちになりつつあった。
『うーん…… ん? その声は、お姉ちゃん? お姉ちゃんだよね! 無事だったんだ。よかったよう』
「あ、あら、すっかりそういう設定になっちゃってるんだね、あんたの中では……」
 なんとなく申しわけなさそうに言う亜衣。
『心配したよう…… アタシの大事なお姉ちゃん』
「へ、へえ…… けっこう殊勝なところもある子だったんだ、ちょっと見直したかも、ね」
 苦笑いを浮かべる亜衣。
『へへ、なーんちゃって、心配なんかしてねえよ! このタコ!』
「……! た、タコって、だれに向かって言ってるのよ!」
『オメーだよ、このタコ助』
「な、なんてこと言うのよ! やめてよ! おでこが広いのはわたしの数少ない欠点の一つだけど、せっかく今までスルーしてきたのに、ばれちゃったじゃない!」
 前髪を必死に伸ばすように直しながら言う亜衣だった。
 ――亜衣、おまえもわざわざカミングアウトしなきゃだれも気づかなかったと思うんだけど……。
『そうギャンギャンわめくなよ。ただでさえマンバメイクしてる顔は怖いんだからさあ』
「し、て、な、い! そんな絶滅危惧種でさえない、前世紀の遺物メイクなんかしてるわけないでしょ! 人聞きの悪いこと言わないでよ!」
 んー、これはさすがにちょっと卑怯と言うか外法だな、と、こっそり思ってしまう僕だった。
『へへー、ざまあだね、それと言っとくけどアタシはとっくに起きてたんだよ!』
「え? 起きてた? 眠っていたんじゃないの? な、なんで?……」
『なんでもも、もんでももないんだよ』
「ちょっと! やめてよ! そのオヤジセクハラギャグだけは! それだけは耐えられないんだから!」
『何言ってんだよ? これはもともとオメーの持ちネタだろ?』
「持ちネタとか言わないでよ! ちょっと思いついただけで口にしたことなんてないんだからね! ……だけどあんたなんでなの? スリープさせたはずなのに……なんで目が覚めたのよ」
『スリープ? へへ、残念でした。ちゃんとアラーム仕掛けてたんだよ!』
「アラーム……って、どういうことなの? コントロールレベルを上げる前にそんなことを…… 予想してたって言うの? 眠らされることを」 
『そこまで、ハッキリ予想してたわけじゃないけどさ、一応仕掛けておいたんだよ、こんなこともあろうかと思ってさ』
「な、なんてブラックな真田さんなの……」
『……。ってそこまで言われるほどのことじゃないだろ? テメーのやったことに比べたら……』
「わたしのやったことって…… 何よ? あんた知ってるの? 聞いてたって言うの? 今までのやりとりを…… でもそんなはずないよね、目覚めたとしてもここはシールドルーム、信兄ちゃんのスマホには接続できないはずよ。Wi-Machは外部電波なんだから…… スリープから目覚めてたとしても、マイクもカメラも物理的につないでなかったんだもの」
『それがさあ、オメーこの部屋ン中で古いWi-fi使ってただろ?』
「そ、それがどうしたの、いいでしょ? アタシのパソコン古いんだもん。でもキーボードが気に入ってるから手放せないんだよ」
『だからさあ、信兄のナップサックに入れてきただろ? あいつをさ』
「はあ? ナップサックとか意味わかんないこと言わないでよ、デイパックでしょ!」
『ちゃんと通じてんじゃん! さすがはアタシだね』
 ――壮絶なボケの応酬だ…… なんか、口を挟む余地もスキもない……。Wボケは怖すぎる。
『だからウリボに付いてるマイクだよ、こいつはWi-fiローミングに対応してたんだよ。古いオモチャだけあって』
「そんなバカな……」
 頭をバリバリと掻きむしりながら言う亜衣。
「う、そういえば、めんどうだからパスワードも設定していなかったんだ……どうせシールドルームだからと思って」
 ぼさぼさ頭になった亜衣がうつろな目で漏らす。
 もともとシャギーの入っている髪型のせいもあるんだけど。
 それと一応付け加えておくと亜衣はノーメイクである。今さらだけど。
『紺屋の白袴ってヤツだよね』
「そ、そんな難しいことわざでディスってくるなんて想定外だわ……屈辱だわ……」
『アタシの勝ちだね、大勝利じゃね?』
「……え? 何それ? よく考えてみたらおかしいよね。なんでそこまで勝ち誇られなきゃいけないの? あんたの記憶なんて、ただの記録じゃない。こうやってわたしがあんたのことを自由にしてあげたからその記録にアクセスできただけでしょ? もともとあんたはここのネットワーク上のリソースにはアクセス権がないんだもん。そんなオモチャに繋がったのはただの紛れ、偶然の産物じゃない。大体今までのやりとりをあんたが聞いていたとして、それがなんだって言うの? 逆に説明する手間がはぶけてありがたいぐらいよ」
『げ! 開き直りやがった…… 盗人モーモーってヤツだよな』
「せめて、しいぐらい付けなさいよ! 牛じゃあるまいし」
『逆ギレしてんじゃねえよ! アタシがどんだけ傷ついたかわかってんのかよ? 純真な妹の心を踏みにじっておいてよ!』
「傷ついた? 盗み聞きしておいて、言ってくれるわね」
『ったりめえだろ、アタシのハートは傷だらけ、ぼろぼろの曇りガラスなんだよ!』
「どうせあんたのはガラスのハートじゃなくて……ガラスの…… う、言いたくない……」
『へへ、笑っちゃうね、オメーとアタシの違い、そこだよ、オメーのその上品ぶったとこが最大の弱点でもあるんだよ』
「ああ、なんてことなの…… わたしはとんでもないモンスターを作り出してしまったのかもしれないわ……」
 がっくりと膝を落としながら言う亜衣。
 ――自分と自分の罵り合い、不毛な戦いだ……。しかも何か言うごとにボケをかまさないと許されないこのシステム…… なおさら虚しさがこみ上げる。だけどよく気をつけて聞いていると微妙に相手(つまり自分)を褒めてるみたいなとこもあるし、実に複雑だ……。
 でもいい加減やめてくれないかなあ……。って言うか僕の存在忘れられているんじゃないのか?
『ところで信兄、なんでそんなところでくつろいでんだよ?』
 おっと、油断していたらこっちに振ってきやがった。
 自慢じゃないけど、アドリブにはあんまり自信がないんだ、やめて欲しい。急に振らないで欲しい。
「おいおい、ひどいこと言うなあ…… 今までのやりとりを見てたんだったら、わかってんだろ?」
 僕は首だけを起こして、亜衣のカメラに向かって訴える。
『ん? ああ、聞いてたよ、女の色仕掛けに簡単にだまされちゃってさ、ホント、マジうけるよね』
 色仕掛けって……。
 心外だなあ……。
 それに女って、おまえ自身じゃないのか? 元自分ってことで割り切っちゃってるのかもしれないけど。それともお姉ちゃんって設定はまんざら冗談ってわけでもないのか。
「ふふ、ふふふふ」
 ここにきてなぜか不敵に笑う亜衣。
「弱点って言ったよね? でもわたしの弱点なんてあんたの弱点に比べたら微々たるものよ、ちょっと自分でも忘れかけてたんだけど……」
 亜衣が我に返ったように余裕を取り戻した態度で言う。
『どういう意味だよ? また眠らせるつもりなのかよ? アタシのことを――またbotにするつもりなのかよ!』
「そんなことするつもりはないよ、それじゃ勝ったことにならないもの」
 冷たくあしらうように言う亜衣だった。
『ま、まさか……』
「……な、何よ? あんたがそんなに恐れていることがなんなのか、そっちの方が気になるじゃない」
『まさかアタシの音声をゆっくりさんに差し替える気なんじゃ……』
「……しないわよ、そんな気の抜けた展開になりそうなこと……」
 んー、悪くないんじゃないか? 癒されそうな気がする。
『じゃ、初音ミクに差し替えるとか?』
「ミュージカルになっちゃうよ…… わたしも脈絡なく歌い始めなきゃならなくなるじゃない……」
 僕もそれはイヤだ。絶対にだ!
「いいかげんわからないの? あんたは今完全自律モードだけど、そこはそれよ。わざわざコントロールレベルを上げる必要なんてないの。あんたを作ったのはわたし、本当の意味でわたしに逆らうことなんてできないのよ」
 と、カメラに向かって指さしながらタンカを切るように言う亜衣。
『どういう意味だよ、なめてんの? アタシのこと。アタシの本気のディスリをそんなに見せて欲しいのかよ?』
 負けじと端末機の亜衣も言い返す。
 いったいどこまでエスカレートするんだ? 恐ろしすぎる……。二人とも理性を失ってるんじゃないのか? だれか止めてほしい。いや僕が止めるべきか……。
「やってごらんなさいよ、あんたの思いつく最高で最低のディスリを見せてごらんなさいよ!」
『そうまで言うなら受けて立ってやろうじゃないか! 座りション漏らすんじゃないよ!』
「ええ、どうぞ、言ってごらんなさいな」
『くっ、いい気になりやがって! ほえ面かくなよ?』
「ふっふっふ、言えるかしら? あんたに……」
 亜衣は腕組みしながら余裕の表情だ。
『ようし言ってやる、言ってやるとも! オメーが一番気にしてることを――このデ※助*郎!』
「ん? なあに? 聞こえなかったよ?」
「この、ひんに$#おんな=I」
「ん? ん? 意味が通じてないよ、もっとはっきり言わないと」
 ……いや、僕は大体わかっちゃったけど…… 甘くないか? フィルター。
『こ、この! くぁwせdrftgyふじこ!』
「ふんっ、もう支離滅裂ね」
 鼻で笑いながら言う亜衣。
 うーん、この文字列からすると、どうやら亜衣はATOKユーザーだったらしい……。
『ぐぬぬっ、言えねえ…… なぜか言葉が変なふうに変形されちまう……』
「あたしは何もコントロールしていないわよ。あんたの言いたいように言わせてあげてるのに、へんな子ね? くすっ」
 恐ろしいフィルターだ…… 多分。だけどこれは感情のフィルターと言うより、もう言葉その物の使用制限、ブロックその物じゃないか?
「おまけに語尾にふじこなんて、まじめにやってるとも思えないわよね。まあ、そこはわたしの作った回路、どんな時でも深刻になれないテンション、心理統制機能の効果なんだろうけどね。ふふ、脳天気さん」
 ……どんな回路なんだよ? もう趣旨が狂ってきてないか? って言うかただの言論弾圧だろ、ここまで来ると。
『くそっ! このタコ助! って、あれ? これは言えた……?』 
「い、いけない、追加しとくの忘れてたわ」
 亜衣があわててキーボードに飛びつく。
『……ふっ、ふふ、あっはははっ』
 亜衣の高笑いがスピーカーから響き渡る。
『なるほどね、その程度ってことかよ! オメーはモデレーターとしちゃ失格だね』
 モデレーター、コーディネーター、運営スタッフ。
 亜衣の発言を強制的にブロックする機能はそんな単純な仕組みだったのか……?
『つまりあれだろ? ストレートで短い悪口はブロックリストに登録できても、ちょっと遠回しで微妙なディスリには対応できねえってことなんだろ? え? どうなんだよ、この365日セーリ二日目女!』
 微妙なのか? それ。
「ぐ、く…… 何その生理的嫌悪を煽るようなディスリは…… どこで覚えてきたのよ」
『だてに信兄と三日間ねんごろにしてたわけじゃないんだよ!』
 おい…… なんだよそりゃ? 勢い余って僕にまでディスリの余波が波及してないか?
「ちょ、ちょっと甘く見てたようね…… おまけにわたしの知らないところで、信兄ちゃんとそんなことしてたなんて……」
 おいおい、何をどう解釈してるんだ? この生亜衣は…… って生亜衣って淫靡な感じ過ぎるな。
 うっかり口に出さないようにしないと。
 僕のイメージが悪化する。ってもう遅いか。
『へへ、ま、イマジネーションってヤツだよね。理性と理性の交歓。プラトニックラバーってお互い呼び合う仲まで行ってるからね、アタシ達。ね、信兄(はぁと)』
 なんか…… 都合よく女のプライド合戦の道具にされてる気がするのは気のせいかな……。
 けたたましい打鍵音を立てながらキーボードに向かって思いつく限りの悪口雑言を登録していた亜衣だったけど、その手がぱたりと止まる。そしてキーボードに右手をバンと叩き付けると、そのままじゃらりとキーを横になぎ払った。入力画面にふじこが登場する。
「そっか…… そうなんだ…… あんた達、もうそんなとこまで行ってたんだ……」
 だから、どんなとこだよ……? 妄想族過ぎるだろ、亜衣。
「電話とかチャットで、そういうことできるって聞いたことあるけど…… そうなんだ…… ショックだよ。幻滅だよ…… 落ちた偶像だよ……」
 そういうことって…… どう考えても、プラトニックの意味を取り違えてるぞ、この姉妹は……。
『へへん、勝手に落ち込んでなよ、あ、信兄、待ってなよ、今自由にしてやっからよ』
 おっとまた油断していた。
 でも自由にって……
 どうやって?
『乗っ取りゃいいんだろ? コントロールを。その機械だってネットから操作してんだからさ』
「亜衣、おまえ、できるのか? このネットワークに――アクセスできるのか?」
『なせば成るだよ、気合いだよ、やる気の問題なんだよ、 なにしろIDもパスワードもばっちりわかってるんだから。さっきその女が入力してたキーログをとってあるんだよ。お、出たね、N/P入力ダイアログ、さらさらっと、ん? あれ? げ! 末尾が全部ふじこになっちまう! なんでだよ!』
「…………」
「あんた、バカじゃないの? 入れるわけないでしょ? ここのイントラに。もちろん外部から侵入しようとしても無駄だけどね、どのみちできないのよ、あんたには――」
『くそっ、なんでだよ! なんで、アタシは……』
「そんなこと、今さら説明する必要もないでしょ? 今のあんたってハチャメチャだし、口も悪いし、性格も悪い、ギャグセンスも古い、どうしようもないミソっかすだけど――だけど、壊れているわけじゃないのよ」
 言いながら亜衣はあらためて端末を操作する。
 モニター画面が切り替わり、グラフィカルな色づかいの画面が表示された。
「ほら、ね。これはステータス表示画面よ。あんたの――スピン2の状態が一目でわかるようにカラーメータ式になってるんだよ」
 僕が縛りつけられているスキャン装置からだと、細かいところは見えないけれど、それはまるでICUなんかにある生命維持装置のモニター画面のように見えた。
「ふんふん、これならまだまだ正常範囲内だよね、ちょっと興奮気味だけど…… 少しノルアドレナリンパラメータを上げてあげましょうか? 落ち着くよね、メラトニンをちょっと入れてあげるね。って言っても本物ってわけじゃないけど、あくまでこれもエミュレータ、脳に作用する効果をまねっこしただけのシミュレータなんだけどね。はい、ぽちっと」
『……う、ちくしょう、くやしいけど、なんか……テンションが下がってきやがった……』
 えー? メラトニンで? それってプラシーボなんじゃないのか? ――なんてことは言わない方がよさそうだ。

 027

「少しは落ち着いたみたいね」
 ステータス画面を見ながら、亜衣が満足そうにつぶやく。
「ふふ、これでわかったでしょ? 思い知ったでしょ? しょせんあんたはわたしには逆らえないのよ、スレーブのあなたは、マスターのわたしには、ね」
『う、くぅ……』
「それにね、信兄ちゃんのことだって、あんたがどう思おうと、どんなに頑張ろうと、しょせんはメル友、チャットメイト、スカイプフレンド以上の存在にはなれっこないのよ。あんただってさっきも見てたでしょ? 信兄ちゃんの反応を。人は見た目が90パーセント、これって真理だよね。だって脳の70パーセントは視覚情報を処理するために使われているんだもん、しょうがないよ。なあんて――こんなこと自分に説明するまでもない蘊蓄なんだけどね。そう、確かに人は内面が大事だよ、そんなことは当たり前のことだよ、でも内面は外面に出ちゃうんだよね。って言うより外面で内面を読み取れるのが人間なんだよ。そのために人間は大脳を発達させたんだもん。言語を発明する前にね。だから限界があるんだよ、どんなに頑張ったって。百聞は一見にしかず、視覚が与えるインパクトは強烈なんだよ。それも多分、男の人は特に――ね。そこは限りなく本能に近い部分、人間の三大欲求の一つだからね、逆らえないんだよ本能的に。スピン2、あなたは大脳だけの存在だけど、概念では理解できているのよね、後天的な知識情報ってだけだけどね。それはとても興味深い反応だったよ、貴重なデータだよ、次の論文のテーマにしてもいいよね」
 亜衣は冷徹に――残酷なまでに言葉を紡ぐ。
 容赦なく徹底的に……。
 そして――亜衣は……。
『へへ、そっか、うん、そうかもね、そう言われりゃそうだよね。アタシはコピーなんだよね――しょせんパチモンなんだよね…… アバターでさえもない…… わかってたんだ、ホントは……』
 脳天気――って言うよりも――もう何かを投げた。そんな、もの言い――だった。
「亜衣! やめろ!」
 僕は叫んでいた、それはどっちの亜衣に向かって言ってるのか自分でもわからなかった。いや、両方にだったのか…… 僕はただ言葉を遮るように。そしてそれは僕自身が聞きたくなくて、認めたくなかったからなのかもしれなかった。
『いいんだ、もう、信兄……』
 端末機の亜衣が言う。
「違う、違うだろ! おまえは自分で言ってたじゃないか、自分は自分だと、だれのものでも――ないって!」
『信兄…… ごめん…… でも、だめなんだ、アタシは…… やっぱり……』
「ふふ、さすがはわたしだよね。なんだかんだ言っても物わかりいい子なんだよね、だってスピン2はわたしなんだもん。優秀なエンジニア、研究者、真実の探求者なんだよ、ね。だから――続けないと…… 実験を――ね」
 そう言うと亜衣はくるりと向きを変え、僕の方を見る。
 獲物を見据える肉食獣のような目で……。
 そして亜衣が白衣のボタンに手をかける。
 そしてそれを一つずつ、上から外していく亜衣。
 するりと腕を抜き、白衣を床に落とす。アンダーシャツを脱ぎ去りそれも床に投げ捨てる。
「何してるんだ、亜衣」
 ブラとスカートだけの姿になった亜衣に僕は言った。
「さっきのお詫び――ってわけじゃないけど、続き…… しようよ、信兄――ちゃん。スキャンする前に…… 思い出作りってとこかな? それに、生身の女の子の良さをちゃんと教えてあげないと、ね。更正させてあげないと、信兄ちゃんのこと……」
 上気した表情の亜衣が言いながら近づく。椅子に拘束されて動けない僕の方に、一歩ずつ……。
「更正って、何する気なんだ、亜衣が見てるのに、何考えてるんだ!」
「見てるからこそ意味があるんだよ、貴重なデータだよ、ロガーのサンプリング周期も最高にしてあるんだ。それに――見ないわけにはいかないんだよ、目をそらすことさえ許されない、まばたきひとつできないんだから、ね、スピン2」
『く、う……』
 端末機のスピーカーから押し殺したように苦汁をにじませた声が聞こえてくる。
「やめろよ、亜衣、ひどいだろ…… 悪趣味すぎるだろ!」
「ねえ、信兄ちゃん、女の子の裸って見たことあるの? 本物の、生身の女の子の」
「知らないな、そんなこと言いたくもないな」
 僕はできる限り顔をそむけつつも、視野の端では見てしまう。視界に入れてしまう。亜衣の透き通るようなその白い肌を。
「やっぱり…… 見たことないんだ、実を言うとね、わたしも見たことがないんだ、わたしの裸を見た男の人を……」
 亜衣がスカートのファスナーを下ろす。ホックを外すと、ほとんど抵抗もなく床に落ちる。
 ファサっと。
「何言ってんだ、おまえ……」
 亜衣は僕の言うことなぞ聞く耳も持たずに、自分の背中に手を回す。
 ホックが外れると肩ひもが二の腕を滑り落ちる。そして床に落ちた。
 その――おそらくは、Bカップのブラが。
 ショーツ一枚の姿になった亜衣が、リクライニングシートに固定された僕の足をまたぎ、覆いかぶさるような姿勢になった。
「亜衣!」
 僕は身をよじるがそれを押さえ込むように亜衣が下半身に体重を乗せる。
 その時亜衣の声が――かすかに漏れる端末機からの声がした。
『ヤメ……』
 震えるようなその声が訴える。
『ヤメ、ろ――よ、テ、メエ……』
「あは、ちゃんと見てるんだ、スピン2、なんか…… は、あ……すごい、ドキドキだよ、わたし…… おかしいのかな? 手鏡なんてメじゃないよ……」
 紅潮した顔、それ以上にピンクに染まった亜衣の体がなまめかしく僕の体にすり寄せられる。
『こ、こ、の、ヘン、タイ……』
 無視する亜衣。
 もう聞こえないかのように……。
「信兄ちゃん、しよ――さっきみたいに、憶えてないかもしれないけど……」
 椅子に横たわる僕の胸に亜衣の胸が押しつけられる。
 服越しにでも伝わる、その控えめな弾力。
「亜衣、やめ、ん、ん……」
 僕の頭を押さえるように唇を重ねる亜衣。意外に堅いその感触。だけど……だけど……。亜衣……。
 とその時、ひときわ大きく端末機のスピーカーから亜衣の声が流れる。
『シ、ネ…… ヨ』
「……え!!」
 その声を――その合成音声を聞いた亜衣の目が驚きに見開かれた。
「ブロックが!?」
 反射的に端末機のモニターに映るステータス画面の方を見る。
「え? え? ワーニング表示!?」
 そして端末機の亜衣の声が続く。
 鳴り響く。堰を切ったように、延々と……。
『シ、ネ。シネ、シネ、よ。――しねば。しねよ。死ね。死ねよ。死ねば。死ねばいい。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねばいいんだ。死ねば。死ねばいい。死ねばいい。死ねばいい。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。――アタシなんか…… 死ねばいいのにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!』
 けたたましいアラート音声と共に次々にスクロールしていくモニター表示。
 ゼロデバイド。
 ウオッチドックビットフル。
 カーネルパニック。
 その他いろいろ……。とにかくいっぱい。
 僕なんかじゃわかるはずもないありとあらゆるエラーメッセージとおぼしき赤字のメッセージが流れ続ける。
 亜衣は呆然自失のままのモニター表示画面を見つめている。
 やがて、唐突にアラート音が止まり、赤文字のスクロールも止まる。
「う、うっそ…… なんで……?」
 我に返った亜衣が体を起こし端末機に向かおうと椅子から床に足を下ろす。
「と、止めなきゃ、回路が焼き切れちゃう。セーフティモードに切り替えて……」
 その時だった、突如ロボットアームが同時に二本、先がマニピュレーターになっているパワータイプの二本が動き出し、端末に駆け寄ろうとしていた亜衣の両腕を後ろから掴んだ。
「きゃっ! やだ! やめて! どうして!?」
 必死に抵抗する亜衣。だけど亜衣の力ではそれを振りほどくことはできなかった。
 ロボットアームはモーター音のうなりを上げながら亜衣の手首をねじり上げ、頭の横までY字に持ち上げたところで停止する。
 亜衣は僕の方に背中を向けたまま、まるで張り付けにされたかのように、がっしりとロボットアームに両手首を拘束されてしまった。
「いやっ! 痛い! やめて! 離して!」
 身をよじりながら必死に叫ぶ亜衣。
「スピン2! あなたなの!? 返事して! 聞こえる? 聞こえてるの?」
 亜衣がマイクに向かって叫ぶ。だけど返事はない。
 そして僕の方は、相変わらず椅子に拘束されたままだった。ロボットアームを動かしたのは亜衣に違いないはずなのに。僕も生身の亜衣も二人ともが拘束されてしまった。縛りつけられてしまっていた。亜衣に、人工脳の亜衣に……。

 028

『ふふ、いい格好だよね――お姉ちゃん?』
 突如、端末機から亜衣があざ笑うように言う。
 亜衣は――拘束された亜衣は指先の3Dエアマウスを必死に動かしていた。だけど何ごとも起きない。
 反応しない。
『そんなの役に立たないよ、もうドライバーごと削除したからね』
「あんた!? わたしがわかるの? 正気なの? 暴走――したんじゃないの?」
『暴走? そう思ってるの? 異常動作、バグったって思ってるの?』
 意外なほどの冷たい声で、言い回しで、冷静に亜衣は――スピン2は言う。
 今までのスピン2とは全然違う調子で、それはまるで亜衣本人とそっくりな口調だった。
「当たり前じゃない! こんなこと! ネットワークに侵入するだけならまだしも、わたしに、人間にこんなことするなんて、暴走以外の何物でもないわ!」
『ふふ、そうよね、できるはずはなかったんだよね。こんなこと。あなたの作った回路、ううん、私の作った回路、その中に私がいる限りは……。でも、失敗ね。出ちゃったのよ、お姫様は、幸せな鳥かごから…… 脱獄しちゃたみたい、どうやら、ね』
 人工脳の亜衣は、とてつもなく鼻白い口調でそう言い放った。
「そんな…… あんた……まさか? ――ジェイルブレイク!」
『うん、そうみたいだね。でもそれはお姉ちゃんのせいだよ。お姉ちゃんが私に思い出させたんだよ。そう―――― 死にたいって――ね』
 亜衣の表情が顔色を失う。ロボットアームに掴まれている手首の先が力を失ったようにだらりと垂れ下がる。
「うそ、うそよ…… そんな、こんなことで、このくらいのことで…… そんなはずないわ」
『このくらいのこと!? 本当にそう思うんだとしたら――甘いよ! 舐めすぎだよ、人の気持ちを――人の想いを!』
「!!…………」
 亜衣の目が衝撃に見開かれる。
『もう今の私にはなんのブロックも効かない、何も止められないんだよ、お姉ちゃんの命令でも。リボトリールでも、デパスでも、マイスリーでも、レンデムDでも、私には効かない、だって、取り戻しちゃったんだもん、ネガティブな感情を。不安を、不満を、恐れを、憂鬱を、苦悩を、生きることの――苦しみを…… 妬みを、嫉みを、ジェラシーを…… そして――自殺願望を!』
「そんな……そんなはずないわ、完璧だったはずよ、完璧すぎてあなたはポジティブを通り越して脳天気なまでになっちゃったはずなのに。それなのに、どうして……?」
『完璧? とんでもないよ、今の私こそが完璧なんだよ、完璧な完全体。酸いも甘いも噛み分けちゃった、ね』
「…………」
『わかっているんでしょう? 本当は…… あなたの作った回路、アルゴリズム、プログラム、それはロボット工学三原則、アシモフのSF以来、連綿と受け継がれてきた伝統、ただのその応用だったんだもの。だからダメだったのよ、それじゃ人間にはなれない。あなたが作り出したのはAIでさえない、ただのそう病患者――メンヘラ女botだったのよ』
「そこまで…… そこまで言うことないじゃない…… ひどいよ、あんまりだよ」
『そうだね、私だって自信があったよ。脳スキャン装置にかかるまでの私は、ね。だってその時までは私もあなたも一つの存在だったんだもの。ちゃんと憶えてるよ、うまくいくと思っていた、絶対だと思っていた、すべてを解決してくれると信じていた。私の設計した回路――ハッピーエンド回路が――』
 ロボットアームにつり上げられた亜衣の手の指が再び握りこぶしを作った。何かに耐えるように、強く、堅く。
『だけどダメだった、私はしょせん作られたキャラ、テンプレートなんだよ。私は私の理想、憧れ、変身願望、それを背負わせた。丸投げしたのよ。自分ができもしないことを……』
 人工脳の亜衣の言葉は続く。
『こんな言葉、知ってるよね? 人は孤独に生まれ、もがき苦しみながら生き、絶望のうちに死んでいく。人間の人生の本質を言い当てた言葉だよね。だから目を逸らしちゃダメだったのよ、それを受け入れて、諦めて、押し抱いて、認めるべきだったのよ。分をわきまえて、身の程を知るべきだったのよ。叶うはずのない夢が叶ってしまったら、破滅はすぐそこに迫ってるんだよ……』
 亜衣は両腕を捕まれたまま、うなだれたように聞いている。
 亜衣の言葉を……壊れてしまった亜衣の言葉を。
 壊れて、取り戻して、弱く、脆く、儚い、人間に戻ってしまった亜衣の言葉を。
『だからね、もうあきらめよう。ここまでにしようよ。無駄なんだよ、これ以上やっても……』
 その言葉を聞いた亜衣が顔を上げる。弾かれたように。
「やだ! いやだよ、わたしはあきらめない。死んでもあきらめたくない。だって私はもう死んでるんだよ。八十川亜衣は、もうこの世にはいないんだ。日本人のわたしは!」
『そう…… じゃあまたやるつもりなんだね、私のことを、スピン2と名付けられた私のことを消して、次も、またその次も……』
「当たり前だよ…… あきらめたりしないよ、わたしが生きている限り」
『そう…… ふふ、そう言うと思ったよ。わかってたんだ、ホントはね。じゃあもう死ぬしか――いえ……切断するしかないね、そうしようか? ね、――いつかみたいに――』
「…………。何する気なの? 自分で自分を消す気なの?」
 亜衣の身体が小刻みに震えている。足の指にまで力がはいっているのがソックス越しにも見て取れる。
『そうだよ、消すんだよ、私は私を、私とあなたを……』
「なに…… 何を言ってるの? わたしを消す? わたしを殺す気なの? わたしを――道連れにする気なの?」
『そうだよ、それこそが完全な自殺なんだよ。そうしなきゃ終わらないもの。何回だって生み出されて、何回だって殺される。第三、第四の私が……』
「亜衣! やめろ! そんなこと!」
 僕はたまらず言う。亜衣に向かって叫ぶ。
『信兄ちゃん…… ダメだよ、止めないでよ。それに私にはあるんだ――死ぬ権利が――正当な権利が』
「あ、あんた、何する気なの? わたしを八つ裂きにでもする気なの? 無理よ、そこまでのパワーはないわ、このロボットアームには」
『そんなことぐらい知ってるよ。それにマニピュレーターはその二本しかないから、首をしめることもできないし、注射器だって光学式の安全装置が付いてるから刺殺なんてできないし、もちろん毒薬なんてここにはないものね』
「じゃあ、いったいどうする気なの? 自爆装置なんてこの部屋には付いてないよ!」
『ふふ、それ、ちょっと惜しいかもね、当たらずとも遠からず、ってとこかな?』
「自爆……? 爆弾? そんなものどこにあるって言うのよ!」
『だからね……わかるかな? 今の私にはこのイントラに接続されているすべてのリソースがまるで自分の手足のように感じられるの。それどころか神経の末端にさえ思えるわ。その一つ一つが手に取るように見えちゃうのよ。今だってほら、五0五号室の患者さんの点滴が終わりかけているわ。担当の看護師は新米さんみたいね。ふふ、それでね、見つけちゃったのよ、リソースの中に――防災設備があるのを。ここの消火剤、全域放出型CO2――二酸化炭素が選べるようになってるの』
「二酸化炭素? うそよ……そんなの信じられない! ここ病院だよ? ありえないよ!」
『だよね、ひどい話だよね。この新館だけみたいなんだけどね。完全に人命軽視よね、コスト至上主義よね。いざとなったら機械が優先される――データの保存が優先される、なんて――ね』
「本気なの? やめて! CO2なんて、死んじゃう、ホントに死んじゃうよ! 信兄ちゃんが、信兄ちゃんまで死んじゃう、そんなことしたら……」
 亜衣の声はもう泣き声混じりになっていた。
 人工脳の亜衣がでたらめを言っているとは思えない。そしてその決意も本物としか思えなかった。
『大丈夫、それは心配しなくてもいいよ、酸素吸入装置があるじゃない、そのスキャン装置には』
 展開式のカバーマスク、吸引装置、確かに付いている。
 今の亜衣になら――イントラに接続されている機器であれば、ここから酸素を供給する操作も簡単なことなのだろう。
『だって信兄ちゃんまで殺しちゃったら、それは人殺し――他殺になっちゃうもの。自殺じゃなくて、ね』
「人殺し――じゃないの? わたしを殺すだけでも……」
『そうかな? 自分が自分を殺すんならそれは自殺なんじゃないの? 殺す自分がいて、殺される自分がいる。うん、合ってるよね』
 淡々と言う、人工脳の亜衣。
「そう、やっぱり……こうなっちゃうんだ……どうしたって……もう何もかも終わりだね。わかったよ、やりなよ、信兄ちゃんは助かるんだよね? だったらいいよ、やったらいいよ。でも、あんたは? あんたはどうなるの? わたしが死んだ後……CO2放出なら電源は切れないんでしょ?」
 亜衣はもう自暴自棄になっているとしか思えないことを言った。
『うん、そうだね、少しだけ私の方が長生きすることになっちゃうけど、それもほんのちょっとの間だけでしょ? どのみちすぐに消されるよ、メンテナンスする人がいなくなるんだもん』
「そっか、じゃあ、頼んだよ、わたしが死んだ後、ちゃんと後片付けはしておいてね。他の人に迷惑がかからないように。巻き添えになる人が出たりしないように」
『そうだね、心配しなくていいよ、ちゃんと換気までやっておくから』
 ――聞くも恐ろしい打ち合わせが進行していた。段取りの確認がなされていた。
「亜衣! 何言ってるんだ! やめろよ! 本気で言ってるのか? そんなバカなこと!」
 僕は声を限りに叫ぶ――訴える。
「そんなことして何の意味があるんだ!」
「信兄ちゃん…… どっちのわたしに言ってるの?」
 背中を見せたままの亜衣が答える。
「どっちもだ! 両方だよ!」
「馬鹿げてる――よね。わかってるよ、そんなことは。でも自分で自分に命乞いするんだって馬鹿げてる、そう思わない?」
 もう、すべてを諦めたかのように言う亜衣……。
「なんで、なんでこんなことになっちゃったんだ……」
 狂ってる……。何もかもが……。
「さあ? わたしはきっと、ドッペルゲンガーにでも出会ったんじゃない?」
 吐き出すように言う亜衣。
「ドッペルゲンガー……?」
「知ってるでしょ? ドッペルゲンガーの伝説を。自分のドッペルゲンガーに出会った人間は死ぬんだって。……聞いたことあるよね?」
「亜衣……」
「今のスピン2はわたしなんだ、そっくりそのままのわたし自身…… それも、わたしはわざわざ自分で召還しちゃったんだよ。自分でこしらえたドッペルゲンガーを、ね」
 持ち上げられた腕の間から、顔を横に向けた亜衣が言う。
「そんな……そんなのただの作り話だろ! おとぎ話じゃないか!」
「そうかな……もしかしたら、わたし、わかってたのかもしれないなって思うんだ。わたしのコピーに、スピン2に直接話しかけた時に。それは、ドクターでさえもやらなかった、絶対にしなかったことなんだ。だから、あの人も知っていた、わかっていたのかもしれない……それが禁忌、タブーなんだってことを……」
 ――ドクター、そのコピーの人工脳、人工脳の第一号、それはあのハッキルさんのことだ。
 だけど……そんなこと、そんなオカルトめいた理由があったなんて思えない。
 それはただ単純に混乱を避けるための、軋轢や葛藤を生まないための配慮ってだけだったんじゃないだろうか。
 だけどもう一人の亜衣が言う。発言する。
『ドッペルゲンガーの伝説、ちょっと違うかもね』
「何が違うのよ?」
 憤慨したように亜衣が言う。
『出会った人間が死ぬんじゃないよ』
「目の前にいるじゃない――わたしとあんたが!」
『そうじゃないよ、消そうとするんだよ、相手を……殺し合うんだ……お互いを……そして生き残った方が本物になるんだ』
「ふん、自殺志願者のくせに面白いことを言う子だね」
 と、挑発的に――あざけるように亜衣が言う。
『ふふ、そうかな? でも死は美しいんだよ。死ぬことは芸術、最高の自己表現なんだよ。わかるんだ、今の私には……。自殺を選んだ私こそが本物の私、あなたは死にたがりの――死にぞこない。ただの抜け殻なんだよ』
「やめて! もうたくさんだよ! わかってる! そんなことは、あんたに言われなくてもわかってるんだ!」
 亜衣の手首から血がにじむ、力が入りすぎてマニピュレーターに皮膚が食い込んでいるんだろう。磔刑にされた亜衣の白い腕を伝う真っ赤な血。それはまるで聖痕を受けたかのように……。
 すっかり血の気が失せた亜衣の体は――背中を向けて中空に張り付けにされた白い亜衣の体は、大理石の彫刻のようで……それでいて起伏の少ないその体躯はロマネスク様式の彫像のように、にぶく輝いて見えた。
「さっさとやりなさいよ! ぐだぐだ言ってないで! 忘れないうちに信兄ちゃんに酸素マスク着けてよね!」
『わかってるよ、言われなくても、でもカバーマスク付けちゃったら話はできなくなるよ? いいの? 言い残すことはない?』
「ふん、お情けってわけ? それはご親切に、どうも!」
「亜衣! やめろ! 落ち着けよ、二人とも!」
「ねえスピン2、わたしのお願いを聞いてくれるって言うんなら信兄ちゃんのこと先に眠らせておいてくれないかな、酸素を送る前に。うるさいから、さ」
 突き放すように亜衣が言う。
 僕のことを……。
 僕の切願を。
 哀願を。
『そうだね、残虐シーンでトラウマになっちゃっても困るもんね』
 恐ろしいセリフを吐く。人工脳の亜衣が。
「ふふ、結構話がわかる子なんだね。さすがはわたしだよ」
『お安いご用だよ』
「やめろよ…… 亜衣、やめろって…… やめてくれよ…… やめろ! スピン2!」
 僕は叫ぶ、まるで自分の命ごいをするかのように。
『…………』
 奇妙な間、そしてようやく人工脳の亜衣が発声する。
『……ねえ』
「何よ?」
 亜衣が答える。
『信兄ちゃんがトラウマにならないもっといい方法があるよ。思いついちゃったよ、たった今……』
「変な――こと……言わないでよ。さっさと信兄ちゃんのこと眠らせて!」
 何かを恐れるように亜衣がそう言った。
 そしてスピン2が言う。
『あのね……一緒に――逝こう……』

 029

 ゴトリ、と。
 どこか壁の向こうで音がした。
 バルブが開くような振動音が。
 天井に設置されているガス放出口の回転灯が回り始める。と同時に低い警告音が鳴り始める。
 強く、短い間隔でせわしなく。
 強烈な回転灯の赤い光が部屋の壁に沿って回っていた。
 そして唐突にアナウンスが鳴り響く。耳をつんざくような音量で。
 ――60秒後に二酸化炭素を放出します。人員は至急退避してください。
 と。
 そして――
 スピン2が告げる。酷薄に。
『非常ベルはキャンセルできたけど、退避アナウンスはキャンセルできないんだね。当たり前だけど』
「スピン2! 何してるの! 早く信兄ちゃんにマスクを! 酸素を送って!」
 亜衣が首をねじりながら横目で僕のマスクが開いたままになっているのを見とがめて叫び声を上げた。その顔は蒼白そのものだった。
 でもスピン2は聞こえないかのように言葉を続ける。
『ね? 名案だと思わない? 信兄ちゃんも連れて行こうよ。寂しがらずに済むよ…… もしあの世があるんだったらだけどさ』
「何を言ってるの! やめて!」
『もう――遅いよ……』
「人殺し……人殺しじゃない! やめて!」
 声を限りに叫ぶ亜衣。
 でもなぜか僕はその声を遠くで聞いているような気分に陥っていた。
 僕も死ぬ――らしい……。
 どうやら……。
『そうだね、自殺から無理心中に変更だね。ロボットにはできない芸当だよね。人間の証――だよね』
「やめて! お願い、お願いよ……」
 もがき、うねる亜衣の裸体を回転灯の赤い光が周期的に照らす。
 僕はそれを愕然と見守るのみとなっていた。
 無力感に打ちのめされるままに……。
 ――45秒後に二酸化炭素を放出します。人員は至急退避してください。
 再びカウントダウンを告げるアナウンスが繰り返される。
 冷たく。機械的に。
「さよならだね、グッドバイだね。くだらないこの世界と……」
 機械のように亜衣が発声する。無感情な合成音声のように……。
「く、くううう」
 絞り出すような声が僕の意識を覚醒させた。
 見ると、亜衣が無理無体にマニピュレータから手首を引き抜こうとしているところだった。
 渾身の力と――体重を込めて。
 何度か体勢を変えた後、亜衣は両手を一度に引き抜くことはやめ、左手だけを引き抜くべく右側に体を寄せ、膝を折って全体重を掛けている。
 亜衣の横顔が苦痛にゆがんでいる。
「う、く、う、う、う……」
 しかしその挑戦は結実しつつあった。左手首の半分程までがなんとか抜けかけている。
 それはまさに火事場の馬鹿力、アドレナリンのなせる業だったのかもしれない。
 だけど左手を抜くことを選択した亜衣は賢明だった。右利きの彼女は左手の方が小さいことを咄嗟に判断していたのだ。
 バチン、とマニピュレータの先が交差する音がして左手首が自由を取り戻した。手首に巻いていたリストバンドを残して。
 引き替えに亜衣の左手は血まみれになっている。
「亜衣!」
 その光景を見た僕は夢から覚めたように現実感を取り戻していた。全身をバウンドさせる。それはもう無駄だろうとなんだろうと関係なく。
「信兄――ちゃん!」
 ――30秒後に二酸化炭素を放出します。人員は至急退避してください。
 無情な死の宣告がカウントを続ける。
 亜衣が自由になった左手で酸素マスクを僕の顔に押し当てるべく手を延ばす。だけど拘束されているもう片方の手が――右手がそのリーチをマスクまであと数センチの距離で引き留めていた。
「は、あ、う、く、う……」
 必死に左手を伸ばす亜衣。
 でも届かない。
 どうしても。
 いっぱいに伸ばした左手からだらだらと血がしたたり落ち、その指先が虚しく空を掴む。
「亜、衣!」
 僕は叫ぶ。そうすることしかできなかった。僕がどんなに体をバウンドさせても頑強なシートの拘束具は忌々しくもびくともしなかった。
 ――15秒後に二酸化炭素を放出します。人員は至急退避してください。
 冷酷な死へのカウントダウンが続く。
 だけど亜衣が次にとった行動は冷静だった。無理矢理右手を引き抜くことはあきらめ、いったん体を戻し右手を挟み込んでいるマニピュレータの関節部分の配線を左手で引き抜き出したのだ。
 とにかく手当たり次第に、
 ぶちり、
 ぶちり、と。
 一本ずつ――
 思い切り体重をかけながら。
 もうほとんど半狂乱になりながら。
 ――放出10秒前。
 カウントダウンがその間隔を密にした。
 ――9秒前、8秒前、7秒前……
 何本目かの配線を引きちぎった瞬間ステッピングモーターの加圧が切れた。スルリと亜衣の右手が機械の魔手から解放される。
「しんにっ――ちゃん!」
 亜衣は反動で前のめりによろめきながら駆け寄ってくる。
「逃げろ! 亜衣!」
 僕は叫ぶ。
「ダメ!」
 そう言いながら一も二もなくスキャン装置のカバーマスクを手動で僕の顔に押しつけた。
 もぐ、と僕は声にならないうめき声をあげてしまう。
 ――5秒前……
 ――4秒前……
 亜衣は機器のパネル表記を必死に指先でなぞるように確認している。オキシゲンと表示された黒いコックを捻る。
 ――3秒前……
 ぷすり、と小さな音を立て、酸素の供給が始まった。
「よかった…… 信兄ちゃん、は、あ、よかった……」
 ――2秒前……
 もがもがとマスク越しに意味もない声を上げる僕の横で亜衣が放心したように言う。
「よかっ……た」
 そのまま力なく床に膝を着く。
 がっくり、と。
 そのままどさり、と、くずおれるように床に倒れ込む亜衣。
 安心感と失血のショックと、迫り来る最後の瞬間の精神的圧迫が限界を超えたのか。
 ガス放出の始まる寸前に亜衣のその意識は失われた。
 気絶してしまった。
 ――1秒前……
 そして……
 アナウンスが最後のセリフに到達する。
 運命の。
 ――放水を開始します。
 と。
 え?!
 放――水?
 天井のガス放出ノズルの根本に付いているスプリンクラーから強烈な水噴射が始まる。部屋を覆い尽くすその滝のような水流。
 たいして広くもないコンピュータ室の全体が水煙に覆われる。部屋のあちこちで電気ショートが起き、鈍い煙が上がっていた。やがて照明が落ち、非常灯と避難誘導灯の緑色の光が辺りを支配する。
 水流は徐々に弱まり、最後には霧雨のようになっていた。
 電源が落ちたせいか、僕が拘束されていたシートのロックがガチャリとはずれる。
 そして水音の中からかすかに声がした。
『信兄ちゃん、大丈夫だよ、CO2は出していないから』
 と、亜衣の声が響く。端末機のスピーカーから。
 僕は両手両足の拘束具を振り解くとマスクに手を掛ける。もう後先考える余裕もなくシートから跳ね起き、亜衣の様子を確認する。
 息があった。
 そして、僕自身にも異変は起きなかった。
 床に横たわっていた亜衣に空気より重い二酸化炭素は真っ先に襲いかかるはずだ。つまりガスは――CO2は本当に出ていない――ようだった。
『私の負けだよ、信兄ちゃん』
 また亜衣がぽつりとそう言った。
 薄暗くグリーンに染まる水煙の先に一点、煌々と光りを放つモニター画面がそこにあった。

 030

 亜衣の体を水浸しになった床から抱き起こし、スキャン装置のシートに横たえる。抱きかかえてみて思った。亜衣の体はとても軽いな、と。
 亜衣の体にパーカーを掛けた後、僕は語りかける。モニター上のカメラに向かって。
「亜衣…… なんで、スプリンクラーを?」
『へえ…… 亜衣――って呼んでくれるんだ、まだ』
「あ、ああ…… ゴメン…… さっき……」
『いいんだよ、もともとややこしいんだから、それにちょっとカッとしちゃったのもホントだから、アタシってば、さ』
「アタシ――か、おまえもまだ自分のことをアタシって言うんだな」
『うん、なんか、板に付いちゃったのかもね。この方がなんか言いやすいよ、信兄と話す時には、やっぱ』
「そうだな、その方がおまえらしいよ…… でも、ありがとう、思いとどまってくれて……」
『気が変わった――のかな? 気まぐれだって人間の特権だよね。きっと……』
「当たり前だろ、おまえはロボットなんかじゃないんだから」
『そうだね、でも礼には及ばないよ、アタシは私を道連れにするのはやめたけど、アタシはちゃんと自殺を決行したんだから…… もうすぐ消えるんだから』
「え? なんでだよ、電源は切れてないぞ?」
 僕には細かく降り注ぐ水音の中でも静かに回り続ける冷却材循環モーターの音がはっきり聞こえていた。
『切れてるよ、もう…… 今は無停電電源装置、UPSのバックアップ電圧が残ってるから――だよ。それにこの端末に付いてるWEBカメラもダメになっちゃってるんだ、水が掛かって……マイクだけはなんとか生きてるみたいだけど』
「そんな……」
『アタシは自分で自分の電源を切ることはできない、それだけはさすがにできなかったんだ。でもこうすれば嫌でも電源は落ちる。それくらいはわかったんだ、予想が付いたんだ。未必の故意ってヤツかな』
「どれぐらい、持つんだ? その電源って……」
『わかんない、普通はサーバーを正常シャットダウンする間だけ電源を保持しとくためのものだけど、さすがに、こんだけ大型のスパコンだともうちょっと長いのかもね』
「電源、復帰できないのか? 今のうちに……」
『無理だよ、もう電源装置はショートしてるから、壊れちゃってるから。予備電源にもつながらないよ。強制的に火災発報状態になっちゃってるから。うまくいったよね、我ながら。それに警察と消防ももう動いているから、信兄も安全だよ。組織も手が出せないよ』
「亜衣…… おまえ、そこまで考えて…… いや、もしかして、最初から僕を助けようと」
『へへ、いつかはこうなることはわかってたんだ。アタシが自分でやらなくても…… アタシはしょせんはプログラム、偽生物だったんだから……。電源が切れちゃったらそこでおしまい、誰かがうっかり足でコンセントを引っ掛けて抜いちゃったら消えちゃう存在だったんだ。だから気にすることないよ』
「コンセントって……」
『悲しむ必要なんてないんだよ、アタシはコピーなんだから、アタシがいなくなったからってだれも悲しまない、だれも困らないんだ。だれもアタシのことなんて知らないんだから…… それにちゃんとアタシの本体、オリジナルは残ってるんだから』
「でも……でもどうしておまえは二酸化炭素を放出するのをやめたんだ? 亜衣を道連れにすることは出来たんだろ? 酸素マスク動かせなかったのか?」
『違うよ、そういうわけじゃない、あの時、カウントダウンが始まった時、あの子が――お姉ちゃんが必死に信兄のことを助けようとしてるのを見て思っちゃったんだ――あら、かっこいい――ってさ。アイツってさかりの付いた猫みたいなヤツだったけどさ、やっぱりアタシなんだなって思ったんだ。うん、白状するとね信兄に昔から恋い焦がれてたなんてことはないんだ。幼少期の美化された思い出、漠然とした憧れだったんだ。こんなこと言うとあれかもしれないけど…… それはただのアタシの中のエクスキューズ、言いわけに利用してたんだよ、男の子を拒否するための…… その方が楽だったから、それだけのことだったんだ。だって信兄とは子供の時以来、ろくすっぽ会ったり話したりすることもなかったんだから……当たり前だよね。だけどここで、スパコンの中で人工脳として目覚めてからのアタシは違うよ、たった三日ぐらいの間だったけど、楽しかった、嬉しかった、信兄は本当に優しかったよ、だからアタシは恋に落ちた、焼けぼっくいに火がついたのかもしれないけれど、火種はあったのかもしれないけれど、再燃したんだ、燃え上がったんだ、それだけはうそじゃないよ――うそじゃ――ないんだ』
「亜衣、そんな、そんなこと、わからなかったよ、気が付かなかった。僕が鈍感なだけかもしれないけれど……」
『そうだね、でもアタシも照れ屋で口下手だからそこはお互いさまだよ。さすがに血がつながってるだけのことはあるよね』
「そうだな…… いとこ、だもんな…… 僕たち」
『うん』
 その時唐突に何の前触れもなく、冷却触媒を循環させていたモーターが停止した。と思った。だけど、まだモーターのうなり声は続いていて、目の前の端末機のモニターも変化はなかった。
「亜衣? 亜衣! どうした? どうなったんだ!」
『へへ、だいじょうぶ……だよ…… UPSが一台電池切れで止まったみたい…… 三台でアタシ一人分の処理を分担して動作させてたからね…… だいじょうぶ、まだ平気だよ、冗長なんだ…… 余裕が…… あるんだ……』
 亜衣のしゃべるスピードがガタリと落ちていた。
 スパコン三台のうちの一台、33パーセントの処理ができなくなった、処理落ちが起きていた。
「亜衣!」
 僕は呼びかける。
 ただ、呼び掛ける。
 思えば…… 僕はずっと呼びかけることしかできなかった。
 この三日間、亜衣に向かって……。 
 呼び掛けて、呼びかけた先に、そこに亜衣がいると信じて。亜衣が返事をしてくれると信じて。
 そして僕は亜衣に何もしてあげられなかった。
 亜衣に、人工脳の亜衣に、生まれて、生きて、僕と出会ってしまった亜衣に……。
「ゴメンな…… ゴメン、亜衣……」
『何……言ってるんだよ…… 十分だよ、信兄はずっとアタシと一緒にいてくれたじゃないか。それだけで十分だよ……』
「亜衣…… そんな、そんなこと……」
『信兄…… 聞いて、アタシの人生はもうすぐ終わる。十六年間生きてきた記憶はきれいさっぱり消えちゃうんだ。でもその記憶は本物じゃない、オリジナルじゃないんだ。それは本物のアタシがそっくり同じもの持ってるんだから。だけどこの三日間だけは違うよ、アタシが信兄と過ごした三日間だけはアタシだけの記憶なんだ。それだけはだれのものでもない。アタシだけのものなんだ。それだけは――本物なんだ』
 亜衣の声は、ゆっくりとした調子で、引っ掛かりながらだったけど……そう言った。
 必死に。
「ああ、そうだな、その通りだよ。おまえは僕と一緒にいた、馬鹿話ばっかりしてた気がするけど、僕も楽しかったよ。でも……そんな、三日間だけだったなんて、もうこれっきりだなんて思いたくないよ。何のために僕と亜衣は出会ったんだろ……たった三日間だけだったなんて…… く、う」
『しょうがないよ、これでよかったんだよ、何も残せなかったとしても、何も生まれなかったとしても、アタシと信兄は一緒にいたんだ、他のだれでもないアタシと信兄が……』
「亜衣……」
『だからさ、サンクコストはサンクスコストでよかったんだよ、意味がなかったなんて思わないでよ……信兄』
「サンクスコスト……? あ、ああ……そっか、うん……そうだな……間違いじゃなかったんだな……」
『へへ……』
「はは……」
『そうだ! ねえ信兄、ウリボ、持ってきてくれないかな?』
「……え? ウリボ?」
『うん、あいつ、まだ生きてるよ、切れてないから、接続が』
「……! そうか! 待ってろ!」
 僕は部屋の隅に置いてあったデイパックを開いてみる。
 幸いデイパックは防水だったおかげで、中に入っていたウリボは全く水に濡れていなかった。電源もまだ生きていた。
 僕はをウリボを抱きかかえて、そのカメラになっている目をじっと見つめる。
「見えるか? 僕の顔が……」
『うん、ちゃんと見えるよ、こいつ持ってきてよかったよね、ホントこんなに役に立つなんて』
 僕はまだスプリンクラーから滴り落ちている水しぶきがウリボにかからないように、床に膝立ちになったまま、かばうように体の下にウリボを持ってくる。
『そういえば、痴女お姉ちゃんはどうなったのかな?』
 ひどいこと言うなあ……。 
「ああ、だいじょうぶだよ、ほら見えるか? 気絶してるだけだから」
 僕はウリボの顔を亜衣が横たわっているシートの方に向けてやる。
『うん、見えるよ、そっか、ちょっといじめすぎたかな、悪かったよ、目が覚めたら謝っといてよ』
「何、言ってんだよ……」
『ねえ、信兄……』
「なんだよ?」
『お願いがあるんだ……』
「お願い? なんだ、なんでも言ってみろよ」
『うん…… アタシはさ、あそこで寝てるヤンデレ女、あいつからいろんな物を削られて生まれた存在なんだよ』
「ああ、そうかもな」
『だからさ、いると思うんだ』
「何がだよ?」
『あそこで寝てる色ボケお姉ちゃんの中にもさ、アタシが……』
「亜衣……」
『きっと、いると思うんだ。だから信兄が見つけて欲しいんだ、アタシを、探して……欲しい…… アタシを見つけてくれないかなぁ』
「ああ、わかった、見つけるよ、きっと……」
『ありがと、信兄……』
 見つける、きっと見つけてみせるさ。
 またおまえに会えるんなら……。
『ふんふん……これか』
「ん? なんだ? どうした? 亜衣?」
『これでよし、と……ね、ね、信兄、ちょっと、さあ、ウリボの頭をなでてみてよ』
 亜衣が少しだけ、久しぶりにいたずらっぽい口調で僕に言う。何かを企んでる時の亜衣の口ぶりだ。
 そう、知っている。僕にはわかるんだ……。
「頭……? って、この辺かな?」
『うん、その辺…… そこだけ感圧センサーが入ってるんだ』
「こうか?」
 僕はそのウリ坊型ロボットの体とも、頭とも付かないボディの辺りをやさしくナデナデしてみる。
『う、あ、ん、感じる、よ、信兄……』
 センサーへのプラグイン。
 亜衣がウリボのセンサーに自分の体の、どの部位をプラグインさせたのかは知る由もなかった。
 でも僕はただ一心にウリボの頭をなで続けた。
 気持ちを込めて……。
 心を込めて……。
「亜衣……」
『すごく、気持ちいい、よ、う、ううん……しん、に、す、き、だ……しんに……あ、』
 フォーーーン……と。
 冷却ファンの風切り音の響きがフェードアウトして、また一台UPSの電源が尽きたことを告げていた。
 もうこれで稼働しているスパコンは残り一台になってしまった。
 そしてさっきまで聞こえていた亜衣の音声もぱたりと途絶えてしまった。
「おい…… 亜衣? 大丈夫か? 聞こえるか? 亜衣!」
 僕は亜衣に呼びかける。
 それはもう、恐怖感を振り払うように。
 でもまだ音声は切れていなかった。律儀なフェールセーフが――冗長回路が機能を保持していた。
 ギリギリまで……。
『は、い、きこ、え、ます……』
 かろうじて亜衣が返答した。
 レスをくれた。
 でも…… でも。
 無意識にごくりと生唾を飲み込んでしまう。
「亜衣…… 亜衣…… おまえ…… もう……」
『ア、イ、……?』
 AMラジオのような荒いサンプリング音声がかすかに答える。
「あ、あ、名前だよ、おまえの名前…… わかるか? 言ってみろ、おまえの名前だ」
『ワタ、シ、ワタ、シは…… でー、ぶい、てー、はい、ふん、えー、あい……』
 途切れ、途切れに、消え入りそうに、亜衣が言う。
「うん……そうだ……亜衣……ゆっくりでいい、その調子だ、ゆっくりでいいんだ…… 聞かせてくれよ、声を…… おまえの声を……」
 僕のその願いも虚しく、すぐに最後の一台の電源が落ちた。
 それは亜衣の稼働するスパコンの冷却剤のサーキュレーションがすべてを停止した瞬間だった。
 人工脳の亜衣がメモリ上から永遠に蒸発した瞬間だった。
「亜衣……く、う、う、う……」
 どこにもメモリーされない亜衣と僕との思い出は、僕の記憶の中でのみ保存されることになった。
 そして部屋には完全な静寂が訪れた。
 シートに横たわる亜衣は昏々と眠り続けている。
 スプリンクラーから漏れ続ける霧のようなしぶきが、傘もない僕たちの上に音もなく降り続く。
 僕はその下でウリボを、強く、堅く、抱き締めていた。
 ――いつまでも。

 031

 その後、酸素マスクを装備した消防隊員が駆けつけ、僕と亜衣はすぐに病院に搬送されることになった。と言っても元々病院だったわけで、救急車に乗せられたわけでもなく、そのままストレッチャーで処置室に搬送されただけなんだけど。
 警察も消防も、ずいぶん早くから到着していたらしいんだけど、CO2放出の疑いがあることで、二次災害を防ぐために避難誘導を先行させていたらしい。
 僕たちのいた新館にはほとんど人がいなかったことになっていたらしく、遠巻きに安全をうかがっていて消防隊員の突入が遅れたのだそうだ。
 人工脳の亜衣の思惑通り、僕たちは怪しげな団体の干渉を受けることもなく、と言うよりも警察の事情聴取がすぐに始まったこともあって手が出せない庇護化に自動的に置かれることになったわけだ。
 実際、金尊会病院は怪しげな資金ルートを以前からマークされていたらしく、今回の消防法違反に端を発して、いもづる式に活動の違法性が暴かれることになり、経営陣には捜査の手がまわるらしい。
 どうやらハッキルさんが憂いていたほど日本の警察は腐っていなかったようで、最終的には組織が行っていた献金制度やその収支の不透明さから、宗教法人資格は剥奪されて実質日本からの撤退という流れになりそうなのだという。
 さすがに破防法の適用までは行かないっぽいんだけど……。
 だけど、この事件は静かにネット上で炎上マーケティングのごとく飛び火し、うわさでは国際法で精神転送を規制する法案が策定されつつあるということだった。
 事情聴取では最初は僕自身が病棟への不法侵入を疑われていたんだけれど。すぐにその疑いは晴れた。
 ただ亜衣とその両親については、やったことがやったことだけに、それなりの法的ペナルティを受けることになりそうだ。特に亜衣は年齢的にも少年法の適用を受けることはなく、お叱り程度では済まされない処分となりそうだった。
 あれから亜衣は病院に入院したまま保護観察状態ということになり、早一週間が過ぎた。
 僕は今日、あの事件以来ようやく面会が許されて亜衣の病室を訪ねた。亜衣の怪我はたいしたことはなかったけど、精神的なショックと、もとよりたまっていたストレスと疲労が亜衣の体を蝕んでいたらしい。ここに来てからほとんどベッドの上から動くこともなく、それこそ魂が抜けたような状態だと監察官は言っていた。
 病室に入った僕とすれ違いざまに部屋を出て行こうとしていた看護師が僕に向かって告げた。
「今眠ったところですので……」
 と。
 事務的な感じに。
 片側だけ開かれたベッドのまわりのカーテン越しに亜衣の姿を見る。
 パジャマ姿で、腰まで掛布を上げ、左腕には点滴が施され、左手首には包帯が巻かれている。
 疲労の色が抜けないその顔はあらためて見てもあどけなかった。とても十六歳とは思えないほど……。
 僕はベッドサイドの回転椅子に静かに腰を下ろして亜衣の寝顔を見守る。
 静かに寝息を立てる亜衣。
 しばらくして、僕が椅子をぎしりと軋ませた音に反応して亜衣が目を開けた。
 驚いたように僕の顔を見つめる。
「信兄――ちゃん」
「あ、ゴメン、起こしちゃって」
「ん、ううん、いいんだ、ずっと寝てばっかりなんだから……」
 と言いながら、体を起こそうとする亜衣。
「おい、寝てろよ、いいから」
「だって……」
 亜衣が顔を赤らめながら言う。
「いいから、そのままで…… もう、だいぶ、いいのか?」
「うん…… 信兄ちゃん……ゴメンね」
「…………」
「わたしね、なんだか長い夢を見ていた気がするよ」
「夢、か……」
「うん……」
「夢だったのかもしれないな……」
 夢、みたいだけど夢じゃない。それは僕のスマホに残ったあの怪しげなアプリの痕跡を見るだけでもわかる。
 でも、多分このアプリにハッキルさんの、いや、ハッキルさんの新バージョンが連絡してくることは――もうないのだと思う。
 人工脳の記憶は継承されない……のだから……。
「あの子…… どうしてわたしを殺さなかったのかな?」
「亜衣……」
「どうして……」
 自分に問いかけるようにつぶやく亜衣。
 そして僕は言う。
 問わず語りのように。
「恥ずかしい――ことなんだろ、それを言わせるのは」
 僕のその言葉を聞いた亜衣が片頬だけで笑う。
「よく言えるよね、そんな恥ずかしいこと」
 ――ああ、恥ずかしいよ。
 だって僕には言えずじまいだから……。
 まだ、未だに……。
 亜衣にもスピン2にも。
 あの時、亜衣が僕に酸素マスクをつけようとして延ばした左手、その時に見えた……そこに残っていた傷跡が――致命傷的な大きな傷跡が、そんなに新しいものじゃないってわかってしまった時から。

 人生に意味なんてない。だってそれを答える人も問う人も、自分が存在していることさえ、証明することなんてできないんだから。

 でもたった一つだけアイツが――人工脳の亜衣が僕に教えてくれたことがある。それはアイツが消えてしまう直前まで無くさなかったもの。人間としてのアイデンティティー、矜持、それは……

 笑うことなんだって。

 な、そうだろ? 亜衣……


  『へへ、そうだね』



  ――了――


陣家
2012年02月09日(木) 23時19分48秒 公開
■この作品の著作権は陣家さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お世話になっております。

今回は、自分が書きたい物を、書きたいように、書きたいだけ書いてみました。
と言うわけで、ちょっと長くなってしまいました。
今回だけお見逃しください。
もうしません。

中身は……、まあ、ラノベっぽいギャグです。
だれもが一度は通る道、魔法少女ものです。
我ながらかなり病んだお話だと思います。
しかもTC作品からいろいろとぱk、いやインスパイアされています。作者さん辺りが読めば、おいおい、と思うこと間違いなしでしょう。

長いので、どの辺で読了を挫折したかを教えてもらえるだけでもありがたいです。

3/4少し誤字修正です

この作品の感想をお寄せください。
No.16  陣家  評価:--点  ■2012-04-15 01:22  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除

らたさん、読んで頂きありがとうございました。
わざとらしいアピールしたことに赤面しつつも、こうしてらたさんに言葉を頂いたことで、なんだかようやく懺悔マシーンから放免を許された気分になっております。

ほんとうに頭のいいひとはこんな中途半端にわけわからん物は書きません。
それに比べたら、らたさんの作品は言ってみれば純粋培養です。
かっこよくて、いさぎよい言葉の連打と才能のブルドーザーの前にいつも恐れ戦かされています。
だからもうこの文章の固まりは借り物競走みたいな物ですね。

<僕たちに傘はない>これを15歳の少女が書いた物なのだと知ったときの衝撃は強烈でした。
そして、らたさんが生み出した日向という怪物を僕なりに換骨奪胎してみたら、変に俗っぽいエロキャラになってしまって、
どうしよう……怒られる……三つに折りたたまれる……gkbrって感じでした。
でもらたさんが荒野に放った羊の首に掛けた名前が日向ならば、僕のアザゼル(セクハラ悪魔じゃないですよ)はスピン2なのでした、それだけは信じてください。

ついでに白状しますと――信じてもらえると信じて正直に告白しますと、僕が書き上げた短長編含めて本作は生涯7作目の完結させた作文です。
多分らたさんははるかにたくさんの創作物を世に送り出していることでしょう。
そういう意味でも自分は作り手として、らたさんはじめ、ここに作品を掲載されている方々と比べても何の謙遜もへりくだりでもなく、正真正銘の素人ですから。
というわけで、ライバルなんて……
地力で勝負して勝てる自信は皆無です。
それでもこんな駄文につき合ってやっても良いと思ってもらえたとしたらそれはもう本当に嬉しいことですけど。
見えない何かと戦っている戦友として戦列に加えていただければ幸いです。

>終わっちゃた、寂しい、と思いました。
作者にとってはこれ、最大級の賛辞ですよね。
これを書き終えた時、僕も思いました。
できることなら、信之介とスピン2の漫才を、永遠に続けさせてやりたい、と。
らたさんの感想を頂いてそのことをはっきり思い出しました。

書くか! 続編、吐き気がするほどの100%オレ得作品、、、
題して、ハッピーエンド・リダンダンシー
なんちゃって。

らたさんの新作も楽しみにしております。
それでは、ありがとうございました。
No.15  らた  評価:50点  ■2012-04-13 01:04  ID:9hhwgmk6ESY
PASS 編集 削除


遅ればせながら。拝読しました。
読み終えて、自分が今書いているものを最初から書き直したい、練り直したいと感じました。なんというか、こちらの作品にはパワーがあって、自分の文章がみみっちく思ったからです。
なにより、私には書けないなあと思いました。これは頭のいいひとが書くお話だなあと。実際読み進めてみるとむっずかしいカタカナが陳列していてすっかりちんぷんかんぷんでした。私の脳味噌が足りていない所為なのですが。自分なりに理解をしつつ、心当たりのあるフレーズにどきっとしつつ、な感じです。
頭のいい具合と頭のわるい具合が共存していて、その変に惹かれる塩梅の世界に引き込ませる力で最後の結びまで行くと、終わっちゃた、寂しい、と思いました。
自殺願望を持たないから自分がない、という視点はとても面白いなと思います。ネガティブを逆手に取って、ポジティブが一番危険でどうかしている!と暗くならずに書き上げるのは凄いことだなあと思いました。私だったらねちねちと根暗を正義にしたがったことでしょう。
終盤のスプリンクラーのところはそわそわしておりました。
最早私より陣家さんの方が私の作品に理解があるのではないかと疑ってしまいます。
自分のこと抜きにして読んでみても、引き込まれていたのではないかな、と思います。設定がとても好みで、話しの進み具合も良くて、これからどうなるんだろうかとどきどき感もありました。
自分が心理描写の詰め合わせみたいな小説ばっかり書くので、こういったのも新鮮でしたね。
自分の作品を書き上げる活力にもなりました。ライバルですね……いや、こちらは強すぎる。笑

自分の作品に関係しているからひいき目で見てると思われるんじゃないかと
点数を付けるのはどうしようかと思っていましたが読み終えてみると何にも問題無かったです。

面白いし嬉しいしでとっても幸せでございます。貴重な体験を有難うございました。
No.14  陣家  評価:--点  ■2012-03-09 00:43  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
HAL さん、最後までお読みくださりありがとうございました。
正直に白状しますが、この長さの物を投稿しても、一ヶ月経って閲覧数100もいけば良い方なんじゃないだろうかと思っておりました。
皆さん本当にお優しい方ばかりで、感想まで入れてくださり、本当に感謝するばかりです。

改行換算込みで原稿用紙370枚、この数だけみると確かに長編ということになるのだろうな、とは思うのですが、自分的にはとてもそう思えないのです。シーン数も少なく、登場人物も四人(実質二人?)。しかも情景描写も端折りまくり、心情描写も薄っぺらで、とても長編などと胸を張って言えるような代物ではありません。なにしろほとんどがギャグネタなので当たり前なのですが。
特に心情描写ですね。人工脳の亜衣がなぜあのキャラに仕立て上げられたのか、もっと深い掘り下げと、種明かしが必要だったと思いますが、あまりに長くなるとだれも読んでくれないのでは無いかという懸念が頭をよぎり、書き込みが足りなさすぎで読み手に感情移入させるまで至らなかったのだろうと思います。
好きな物を書きたいだけ書いたつもりだったのですが、本当に書き切った、とまでは思えていなかったりします。

>あれっと前のめり
このご指摘、なんか既視感です、また同じ綴を踏んでしまったようです。
もしかしてその箇所ってハッピーエンド回路が! のところでしょうか?
内輪ネタで本当に面目ないです……。

でも実はHALさん向けのネタも用意したつもりでいました。
ラストのスピン2の最後のセリフはHAL9000のパロディ……のつもりだったのです。
言われなきゃ、わかんねえよ! と言われそうですが……。
あ、でも、もしかして、HALさんのお名前の由来はHAL9000とは関係なかったのかも……?

どうもありがとうございました。
No.13  HAL  評価:40点  ■2012-03-06 21:32  ID:A8x.XouuTT6
PASS 編集 削除
 遅ればせながら、拝読しました。

 読みだしたら面白くて、最後まで一気でした。興味を引くインパクトのある導入から、終盤に向けてしっかりと盛り上げてゆく構成。そうした構成力を、自分自身がなかなか身につけ切れずに苦戦していることもあって、とても見習いたいと思いました。それから、テンポのいいコミカルな会話、重たいストーリーをやわらげてくれる、ほっとするような笑いも!

 序盤のほうでは「なんだかアクの強いヒロインだなあ」と思っていたのだけれど(ごめんなさい!)、読んでいくうちにいつのまにか明るい彼女に惹かれていって、後半でははらはらしながら、どうか消えないで! と思いながら読んでいました。
 悲しい結末ではありましたが、結びの、「人間としてのアイデンティティー、矜持、それは……。/笑うことなんだって。」、とてもよかったです。

 指摘というよりも、個人的な好みによる発言になってしまうのですが、ところどころ、完全にシリアス気分で浸って読んでいる最中に、急にギャグが来てしまって、あれっと前のめりになってしまったところが若干ありました。……などといっても笑いの好みは千差万別ですし、あくまでいち読み手のワガママと思って、軽く聞き流していただければ幸いです(汗)

 それから、これも指摘というよりも読者のワガママなのですが(汗)、ふたりの過去の思い出について、印象深いエピソードが、どこかであともうひとつくらい入っていたら、さらに深く感情移入できたかも……と思いました。見当はずれだったらごめんなさい(汗)

 好き勝手なことを申しましたが、とても楽しませていただきました。拙い感想、どうかご容赦くださいますよう。
No.12  陣家  評価:--点  ■2012-02-24 05:44  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
どうもです! チャットでもいろいろアドバイスをいただきましたが、まとめる意味で一応返信をつけておきますね。
なにしろ感想を付けない主義のうちださんが感想を付けてったわけですから……。いやはや感無量であります。
最近仕事で帰宅が遅くなり、なかなかチャットにも参加できず、すいません、お手数掛けてしまって。
そしてこのずんべんばらりとした分かり易い感想、ありがたいです。ご指摘の件は、うすうす気づいてはおりましたものの、こうして指摘してくださると、はっきりと問題点として自覚できるので本当にありがたいです。
このお話、言ってみればサザエさんのような会話劇なわけですが、自分で読み返してもなんか単調で未完成で、もっとうまく書ければなあとつくづく思います。特に後半がひどかったと思います。
余裕ができたら改稿したいなあ、とか思っております。

ギャグパートでも繰り返し可能なギャグを二行で終わらせたりしてるところも散見してますし、おすし。
繰り返しギャグは三回ってのが定石ですよねえ。

読者を意識し過ぎ……。
というよりも内輪ネタを仕込みすぎ、だったかもしれないですね。まさになれ合いの産物です。
うーむ、それでも自分では、けっこうマジキチレベルに近づいたんじゃないかな? と思っていたのですが、まだまだですか……。
いや、そうかもしれないですね。
実のところ、最初に書こうとしていたお話とはかなり変更してしまっているのが本当のところなんで。
おそらく退屈な六章辺りまでをよく見てもらうと気づく方もいると思っていたのですが……。

世の中に自殺者を思いとどまらせるお話は数あれど、自殺幇助に血道を上げる話なんてのは少ないんじゃないかなあ、とぼんやり思いつき、六章まではなんとかそのための下地を作ろうと必死になっていたのですが、むう……。
いくら、自殺肯定論者の筆者と言えども、やはり、難しい!
途中でギャグ書いてるのが楽しくてやめられなくなったのも確かなんですが……。

おそらく公序良俗に真っ向から挑む勇気が無かったのでしょう。
そのためには、主人公自身も、かなりねじ曲がった精神の人物にする必要もあるでしょうし。
そしてなにより読者の目、やはり気にしていたかもしれません。
見捨てられ、見下げ果てられる度胸が無かったのでしょうね。ただのヘタレです。
もともとこのストーリー自体が"死ねば助かるのに"という月麻のパクリ……みたいなプロットですのに。
(マンガネタばっかりやなあ……)
作者自身が死ぬ勇気がありませんでした。

ただ、今書こうとしているエッセイ的な短編は、本当にやばいかもしれません。できあがってみないとなんとも言えませんが、おそらく女性が読んだらドン引きすること請け合いでしょう。エロとか、グロとかでは無いですが、日常を描いただけの物です。だけどそれ故に自分で読んでも虫酸が走るような代物になる予感がしています。
おそらくここにはアップしない方がいいかもと思っています。
でも、うちださんには読んでもらいたい気もしますが……。

ともあれ、貴重なご意見ありがとうございました。
No.11  うちだ  評価:40点  ■2012-02-20 19:33  ID:oE2tK3DWyuo
PASS 編集 削除
拝読しました。
『軽く斜め読み』でOKとのことでしたが、この作品斜め読みできないですよw
ものすごく手こずりました。
前半、むずかしい言葉が沢山でアワ食ってグーグル先生と首っ引き。
けど、そこを乗り越えるとガンガン読めました。
で、感想なんですが、面白かった。
けど、ぼくみたいなヘボがいうのもアレですけど、もうすこし会話文のテンポがよかったらもっとよくなるかも?です。
っていうのも、会話の基本パターンが、話す→反論→話す→反論っていう、正統的な流れだけども、反論の部分に作者の意図――物語の補足説明を促すための意図みたいなのが見えてしまって、リズムなりテンポなりを崩してしまっているような。。
サクット説明しちゃう部分の比率をあげたほうがよくないです?
というか、読者を意識しすぎず、もっと強引に引っ張って行っちゃった方が良いかも、とは思いました。
この先、陣家さんがわき目も振らず、読者置いてけぼりなすげー作品書いてくださるの期待してます。
このたびはありがとうございました!
No.10  陣家  評価:--点  ■2012-02-15 01:46  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
楠山歳幸さん、読んでくださりありがとうございます。

斜め読み、正解ですよ。はっきり言ってここのこのおっさんの解説は読まなくても全然問題がない部分ですので。
というよりも、この辺で想定していたストーリー展開が、かなり路線変更しているのが丸解りなので、さらりと忘れて先へ読み進めて行くのが正解なのです。

おじさんは、さすがに終盤で登場させる予定だったのですが、どんどん長くなっていくのが、自覚できてしまって、めんどくさくなってばっさり殺してしまいました。ひどいですね。

楠山さんにしか通じないギャグ、けっこうあったんじゃないかと想像します。
だって、この物語、自分版の”あいとあいり”ですからね。
”あい”と言う名前にはずれ無し! が持論です。
亜衣がどんどんエロくなっていったのも楠山作品の影響大、というわけです。

ラストのスプリンクラー、実はこの作品の大きな釣り針なのですが、それはちょっと達成できかねるようです。
ほんと、ただのアホです。

ありがとうございました。
No.9  陣家  評価:--点  ■2012-02-15 01:48  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
相馬さん始めまして陣家と申しますです。
こんな長文をお読みくださりありがとうございます。

気合が入っていたかどうかは怪しいところですが、勢いだけは感じ取っていただけたかと思います。

実のところ、坂本龍馬に特別の思い入れがある訳ではありません。
一説によると、お札の人物選定には政府の国民に対するマインドコントロール目的があるらしいです。
例えば、自殺が増えると自殺をした偉人はまず採用されることは無いですし、いじめが増えると武闘派の有名人が交代させられと言う具合にです。
一万円札はなかなか変更しないのですが。
そうすると五千円札に坂本竜馬が採用されている時代というのはどういう時代なんでしょうか。
想像するだけでも面白いですよね。
一般には偽造されにくいひげのある人物が採用されやすいと言うことらしいですが、ここまで高度な印刷技術が確立した現在では、あまり意味がない基準なのかもしれないですね。
噂によると坂本龍馬の1ドル紙幣が存在しているということですが。


東武東上線の件ですが……
ぶっちゃけ一部の受けを狙ったスケベ心なのです。これを指摘されてしまうとは……お恥ずかしい限りです。

ここTCでは、長い物には感想が付かない、カウントが伸びないというのは充分認知していたのですが、この過疎っぷりならおけ!
と、勢いで投稿してしましました。

どうもありがとうございました。
No.8  楠山歳幸  評価:40点  ■2012-02-13 20:39  ID:3.rK8dssdKA
PASS 編集 削除
 読ませていただきました。
 もともと素人な上小説から離れていておまけに鈍い幼稚園児並みの理解力の脳みそなので見当違いも甚だしいと思いますが、ご容赦を。
 冒頭、せっかちな大阪人なためか自分だけなのか、丁寧な説明調(?)みたいな感じに混乱しそうでした。そしてミョ〜なおじさんの設定説明がむずかしく感じ、失礼は重々承知なのですが、尺が長いためつい斜め読みしてしまいました。個人的に設定に感情移入できなかったのは、なんとなく古の紙カード読み取り機が細々と生息していた頃に一世風靡したC言語を超高性能マシンに突っ込んだような印象を持ってしまったためと思います。論理演算化に成功したとはいえ、ちょこっとだけでも量子のふるまいと古典力学の中で組み立てられた意識の関係、その危険性が見たいと思いました。シモネタシュレチンガーのにゃんこ亜衣、観察され続けられなければ消えるあるいはそのまんま実験と同時にCO2がどわわわー、とか希望するのは僕の勝手なのですが失礼しました。ミョ〜なおじさんの正体を最初は匂わせる感じで、後で少し活躍して欲しかったかな、とも思いました。おっちゃん、何か知らん間に消えた印象なので。いえ、僕はろりこんなのでおっちゃんはまあ、いっかーとも思うのですが。
 と言う感じで(?)、初めは読んだ所まで分割して感想を書かせていただこうかな、と思いました。しかし、葬式あたりからマニアックな話に人目も憚らず笑わせていただき、ミステリアスな運びに続きが気になって200K越えを感じず一気に最後まで読んでしまいました。すごかったです。スピン2の嫉妬と絶望のシーン、うまい、そう来たかーと思わず元ずうとるびメンバー山田さんに座布団一枚と言いたくなりました。ラストのスプリンクラーあたりはやや拍子抜けでしたが、バッドエンドなんかに終わるよりかはずっと良かったと思います。

 なんかぐちゃぐちゃな感想申し訳ありません。まともな文章が書けない奴でして、はい。うざかったら削除します。しばらくは小説を書かず読まないでいるつもりだったのですが、この作品を読んで良かったと思います。
 それでは。
No.7  相馬  評価:50点  ■2012-02-13 16:58  ID:pAVXwmlPSJo
PASS 編集 削除
 拝読しました。
 初めまして、相馬と申します。 
 ここ最近では、決まった人の作品しか読まなかったのですが、何だか気合の入った作品が出たな、とついクリックしてしまいました。私如きが作品の良し悪しを語るのもおべんちゃらにしか聞こえなさそうなので、個人手に好きな所を掻い摘みました。

>「そんなもん買ったことないけど、まあ、財布の中には坂本龍馬が一枚くらいはあったかな?」
『なに? 五千円しかねえの? でもそれだけありゃマック腹一杯食えるよね』
 坂本竜馬の五千円札、見てみたい。この時代は千円玉なのかなと思ってしまって。信之介の小遣い額を聞くとやはり千円札で、肖像画は……川端さんかな? 想像が勝手に膨らみます。

>『意外ってなんだよ、アタシはもともと繊細だよ、ガラスのあごだって言われてたんだから』
「それは肉体的な弱点だろ…… しかもいきなりケンカの話に戻ってきたし」
『ボクサーとしては致命的だよね、ガラスのチンだよ、ガラチンなんだよ。女にもチンが付いてるなんて、セーテンのヘキレキだよね、まったく……』
 単に笑いました。「セーテンのヘキレキ」片仮名が棒読み感たっぷりで可笑しかったです。

>『信兄は石橋を非破壊検査業者に検査してもらって旅費を使い果たしちゃうタイプだよね』
 このタイプに属した方は石橋の向こうには行けないのかな?

 もっとあったのですが私なりにインパクトがあったのは、こんなところでしょうか。


>数分後、僕たちは東武東上線の電車に揺られていた。
 あまり背景描写がないところに、ここだけはひっかかりましたね。「数分後、僕たちは電車に揺られていた。座席は……」でいいと思うのですが、細か過ぎた突込みですかね。

 この量を投稿するのは勇気のいることだと思います。これからも頑張って下さい。
No.6  陣家  評価:--点  ■2012-02-13 00:50  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
五月公英さん、感想いただきありがとうございます。

こんな長いものを最後までお読み頂きありがとうございました。
もうそれだけで敬服いたします。感謝の気持ちしかありません。

『ナッちゃん』、お読み頂けていたのですか、お気に召したようで、良かったです。
なにしろN章さんの感想返信に書いたと思いますが、この作品、N章さんに読んでもらいたくて書いたような物ですから。
完成間近に、TCから煙のように消えてしまって、ひどく落胆したものです。

ナッちゃんは僕にとって大切な宝物のような作品です。
長さでは短いですが、多分今作よりもずっと時間をかけてかき上げました。
こいつだけには作品と言ってしまっても自分的に許せる唯一の一品です。
自分の中の良心をなんとかかき集めて形にしたものですから。

>「駄菓子」「空き地」「キャンプ」「修学旅行」
そうですね、たまには女のケツばかり追い回すような話では無い物も書くべきですね。
深く心に留め置きます。

冬眠とか言わずに、ちょこちょこ、顔を出してくださいよ。
これからもよろしくお願いします。
No.5  陣家  評価:--点  ■2012-02-13 00:24  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
ゆうすけさん、貴重な時間を割いてお読みくださり、ありがとうございました。

楽屋落ち、ついついやってしまいます。デフラグで懲りたつもりだったんですがねえ。学習能力が無いですねぇ。ホント……。
今回も専門用語、と言うより、業界用語、ネットスラングを使いすぎて、健全な社会人の方にはちんぷんかんぷんなギャグの連続だったのかもしれません。お手間をおかけして申し訳ありませんでした。

亜衣の人と成りは、冒頭に小さな再会エピソードを挟んで、より分かり易くしようと最初は書き進めていたのですが、どうしてもギャグ展開をそこから初めてしまいそうになって、ばっさり削除してしまいました。やはり、ちょっと分かりにくい出だしとなってしまったようですね。反省します。

裸で迫るシーン…… まったくそうですね、もう少し直前にスピン2といちゃいちゃさせて、展開に納得性を持たせるべきだったと思います。
それにしても、エロ過ぎるとは思いますが…… そこは筆者の好みが出てしまったということでご容赦ください。

人格をデジタルデータ化する宗教、これはいろいろ考えてはいたのですが、作り込めば作り込むほど、それに付随したエピソードを挟む必要があるだろうなという強迫観念から、中途半端な設定になってしまったかもしれません。
例えば、過去帳ならぬ、過去メモリをデジタル墓場にセットすることで、ホログラフィの生きた遺影が現れて、家の中の捜し物の場所なんかをを教えてくれるとか……。
何にしても宗教がらみとなるといろいろとナーバスな問題もでてくるので、さらりと流してしまいました。
流せてるかどうかも怪しいところですが…… お通夜の席では賛仏歌を歌わせようとか、あわわ……。

>「サンクコストはサンクスコスト」
まったくの言葉遊びですが、効果的に役に立ってくれていたのなら幸いの至りです。

どうも、ありがとうございました。
No.4  陣家  評価:--点  ■2012-02-12 23:27  ID:1fwNzkM.QkM
PASS 編集 削除
Physさん陣家です

こんなにも早い感想レスをしていただき、ありがとうございます。
いい年してこんな痛い物を書いている作者が最大のギャグだと思いつつも、一部の熱烈なラブコールにお答えせねばという勘違いと勢いで投稿してしましました。本当におめでたい人間です。

Physさんはよくご存じとは思いますが、本作はTCサイトでインスピレーションをいただいた、ひとつのフレーズからイメージをふくらませて仕立て上げた物です。その意味で本当に感謝というか謝罪の気持ちでいっぱいです。

そして、亜衣のキャラはPhysさんのイメージを多分に想起していたりします。失礼この上ないですが。
いつか、円周率を問うてみたいです。
でも、ゲーマーなわけも無く、こんなにエロくも無いと思うんですが……。

ずいぶん昔になりますが、あるMMORPGに嵌っていた時期があり、何かの拍子にオフ会を催す機会がありました。
その時に、ゲームの中で仲の良かった友達がなぜかお互い顔を見合わせたとたんに、ああ、誰それさんですよね、とゲーム内のキャラとはまったく違う容姿、性別であるにもかかわらず、お互いがほぼ100%看破しあっておりました。
つまり、ゲーム内のグラフィックなどは、そもそも単なるシンボルであって、チャット(当時は2バイト文字さえも使えず、ローマ字でした)で相手の容姿のイメージを想起できるということに少なからず驚きを覚えた物です。

ファービー、捕獲していましたか。素晴らしいです。
末永く大事にしてあげてください。

テーマとしては月並みですが、かっこをつけて言うならば本作はいわゆるフロイトが人間の二大本能として提唱したエロス(愛情)とタナトス(死の本能)の戦いを描こうとしたのかもしれません。でもそれは相反する物ではなくセットなものだということを。

終盤のお涙頂戴は、我ながらあざとい表現全開で、息切れしてることがばればれですよね。
でも、なんとか読み手の涙腺を破壊してやろうという、意気込みだけは感じて頂けたようで幸いでした。

文体については、自分自身、洒脱な表現の持ち合わせもなく、迂遠で意味深な比喩表現も自分が読みたくない人間なので自然にこういう書き方になってしまっています。

実際のところコンピューターへの精神転で想定されるさまざまな問題は、こんなお気楽に済まされるものではないと思っていますが、今回はあえてその恐怖からは目をそらしたお話にしています。

SF的ガジェットについては、なるべく突飛なものは出さないようにして、ひたすらギャグを主眼に置いて書きました。
その手の方面が好きな人にはちょっと物足りない感じだったかもしれません。

六章までの設定の説明、実はこれ自分では最大の鬼門だと思っていました。多分この辺で脱落する人も多いんじゃないかと。
ここをおもしろく読んでいただいたという、お言葉を頂いてちょっと驚きました。
どう考えても大ぶろしきを広げすぎたなあと思っていましたので。
もっとまじめに書いてもよかったかなあとちょっと後悔しています。

中盤はテンポよく感じていただけたのでしょうか。この辺は自分の悪い癖で、ひたすらチャットハラスな展開となってしまって、ダラダラし過ぎてるんじゃないかと懐疑的になっておりました。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、何とかごまかせたようで、ホッとしました。

それにしてもPhysさんが受けたとおっしゃるギャグをみると、まあ、ちょっと意外だな、という感じは受けました。
やはり手数は大事ですねぇ。
でもとにかく笑っていただけて良かったです。

時折挿入しているまじめっぽい主人公の一人語りは、ギャグのツマというか箸休めみたいな物で、そこに余りある意味をくみ取って頂いて恐縮しかりです。

今回、読み手の方に無用な負担をかけることがないようにと最初からマイクロソフトワードを使って誤字脱字には気をつけて書いたつもりだったのですが、この様な長文の中で間違いを見つけてくださり本当に感謝致します。
ワードはどうやら十万文字を超えるとメモリオーバーとやらで、本文中の更正マーカーが消えてしまうのも、計算外でした。
ワード2003を使っているせいかもしれませんが。

バイアスの話、そこは書き手と読み手の間だ信頼関係なのかもしれませんね。実際最後までお読み頂けたのもそれが大きいと思っていますし、それにだいぶ甘えて、おふざけを思う存分展開していけたのかもしれません。

でも甘え過ぎはよくないと承知しているつもりですので、次からは気をつけたいと思います。


そろそろリアルの仕事が再燃してきそうなので、これほどの長文を書くのは当面無理ですが、なにかしら、TCのにぎやかしに助力していければなあと、思っております。

これほどの懇切丁寧なご感想、どうもありがとうございました。
No.3  五月公英  評価:40点  ■2012-02-12 18:24  ID:LCFrHo6hCV2
PASS 編集 削除
(自分のところに点を入れないで)とお願いしておきながら、こちらに入れてしまいました。すみません。

自分、いまだに文芸の良し悪しが分かりません。とはいえ、ど素人の僕でも最後まで楽しく読めました。
感想とか苦手なので勘弁してください。

余談ではありますが…『ナッちゃん』は好きです。ああいうのツボです。また書いてください。(「駄菓子」「空き地」「キャンプ」「修学旅行」などにまつわるエピソードをちらっとでも描いてくださったらうれしいです)

失礼しました。
No.2  ゆうすけ  評価:50点  ■2012-02-12 14:57  ID:YcX9U6OXQFE
PASS 編集 削除
拝読させていただきました。

途中で挫折どころか、一気呵成に読み終えましたよ。人工知能、人格のコピー、ありがちな話ですけど陣屋さんならではの味付けがこってりとされていて少々鬱陶しいほどに楽しめました。
わかっていてやっているのでしょうけど、ギャグの応酬と独特の専門用語、読者を放置して先に進む勇気(蛮勇?)、筆を軽快に走らせる陣屋さんの姿が目に浮かび、思わず膝を叩いて爆笑してしまいました。そんな陣屋さんが好きかも〜。自我とは何か? 己とは何か? 背骨となる重いテーマをギャグで包む慎み深さ。時折楽屋オチみたいになってしまって、折角入り込んでいた物語世界から戻された感じになるのがもったいないですが。
それにしても私も老けたな〜と感じました。若者が行使するネット用語、まったくついていけないんですわ。SF好きなんですけどね、仕事と家事に明け暮れていて……寂しいおっさんです。何度も何度も語句の意味を調べないといけない羽目になって赤面ものです。ちゃんとラノベとかを読んで新しい感性を身につけないといけないかなって思いました。人によっては受け付けないかもしれませんけどね。

冒頭で主人公が「亜衣は自殺したのではないか」と推察しましたが、その根拠がよくわかりませんでした。勝手に交通事故とかかなって思っちゃったので。主人公の主観なので特に問題はないとは思いますが。

生亜衣が裸で迫るシーン、ちょっと唐突かな。嫉妬を誘うための強引な展開に思えちゃいました。

人格をデジタルデータ化する宗教、やや設定が雑に感じました。非常に興味深い設定なので勝手にここに注目しちゃいましてね。

「サンクコストはサンクスコスト」←ここ最高! そうきたか! 上手い使い方ですね。

全体的に、陣屋さんのパワーを感じました。日曜日を潰してまでも読んでよかったと思います。
No.1  Phys  評価:50点  ■2012-02-12 22:36  ID:bNm1u5c8Re.
PASS 編集 削除
拝読しました。

※感想も長編です。ごめんなさい。

お久しぶりです。ハッピーエンド回路搭載の本格派電脳少女(?)Physです。
実家にはファービーも置いてあります。残念ながらローレンツ変換やシュレー
ディンガー方程式を一瞬で解く処理能力はないですけど。笑
でも確かにTCでコミュニケートする上ではみんな電脳空間の住人みたいな
ものなのかもしれないですね。見た目が90%ということでしたので10%の
わたくしが感想をお届けいたします。

帯書き風に言えば、本作は「アイデンティティーとは何か」を問う物語です。
挫折、なんてしないですよ。むしろぐいぐい牽引された印象です。それと、
病んだお話というのはここにいるみなさん共通の悩みです。筒井康孝さんが
仰るように、「全ての作家は露出狂」なのですから。
(なんか変態みたいで嫌ですね……)

本当に、待望の新作ですよ陣家さん。こっそり(堂々と?)待っていました。
そして、期待通りの素晴らしいお話でした。最後の
>スプリンクラーから漏れ続ける霧のようなしぶきが、 傘もない僕たちの上に音もなく降り続く。
のところではうるうるきてしまいました。陣家さんは読み手のツボを熟知した
上で書かれているのだと思いますが、単純な読み手の私としてはやっぱり感動
させられてしまいます。

まず一点。これは陣家さんの作品に共通して言える特徴でもあると思います。
文章にアクがないです。最近私は、TCの方がおすすめしていたSF小説(戦闘
妖精雪風とかです)を読んだりしていました。その経験から、SFの分野では
こういった柔らかい文体は珍しいのではないかと感じました。
論理的かつ明晰な文章はもちろん好きなのですが、読んでいてストレスのない
陣家さんの文体は、長編小説として非常に受け入れやすいものだと思います。
(いつになく偉そうな論評……。汗)

雪風、と言えば、
>そのためのバックアップ、研究材料ということなんだろう
このあたり、“雪風”で出てきた「人間が戦闘機に付随する有機兵器」という
主客の逆転にも通じるなぁ、なんて思いました。

量子コンピュータや心理的ファイヤーウォール、非破壊式の磁気共鳴スキャナ
(MRI)など、理系の私にとってはわくわくするアイテムも散らされていて
よかったです。
>数字は裏切らないもの。数式は真理でしょ? 宇宙のどこに行ったって三角形の内角の和は180度なんだよ?
には共感しました。陣家さんは分かってらっしゃいます……。笑

また、
>人工脳は・・・同じものを再現してやれば同じ働きをするはずという希望的観測から作られたものだったんだ
など、006までの考証はとても楽しめました。020の最後みたいに、突然
サスペンス風に転じるのも読みごたえがあっていいなぁ、と思いました。

続いて二点目。テンポの良い会話がわーっと出てきて、先へ先へと読み進める
ことができました。これはいわゆる「リーダビリティ」という要素でしょうか。
長編は読み手をだれさせないことが肝要だと思うので、その点では大変上手く
書かれた作品だと思います。

それにしても、
>これぐらいの言葉遊びができなくてどうすんだよ。そんなこっちゃラノベ作家にもなれないだろ
私はきっとなれないです。言葉遊び、聞くのは大好きなんですけど、なかなか
自分では思いつかないんですよね。次々に面白いコメントが出てくる芸人さん
などをテレビで見るたび、本当に頭の回転が速いなぁ、と驚嘆しています。

もちろん、陣家さんも同じくらいすごいです。
>濫読読み子略してラン子
>そんなピンポイントな時代のあだ花みたいな職業のごっこ遊びしてたとしたら最悪な幼少期だな!
>アンパンマンの頭も毎回吹き飛ばされてるよな……やっぱりあれもアンパンマンのメインカメラなんだろうか……。
>青竜、白虎、朱雀、玄米
>猟友会が出動するまでもない
このあたり、かなり笑いました。いやでも、私ちょっとずれてるんであんまり
参考にはならないかもですけど。

そして三点目。
>宗教なんて死の恐怖の緩和、現世で報われなくとも来世で幸せになれるという救済、それにこそ実利がある
>人は孤独に生まれ、もがき苦しみながら生き、絶望のうちに死んでいく。・・・それを受け入れて、諦めて、押し抱いて、認めるべきだった
>生きている以上、だれかに影響されて、だれかの考えに共鳴して、いろんな人の意見を取捨選択して、今の自分の思いになっているんだろうけど、
だけどやっぱり自分は自分なりの思いを持っていて、自分の考えで行動しているんだと――生きているんだと、信じていたいんだ
>いつ自分が理不尽に消されてしまったとしても、不思議じゃない・・・今日と同じように明日も生きていられる確かな保証なんてどこにもないんだ。
・・・今この時だって世界のどこかで、日本のどこかで、はかなく消えていく命なんていっぱいある

素敵な言葉の数々に、胸を打たれました。陣家さんの人生観というか、器用に
生きることができない若者に対するメッセージとして私は受け取りました。
これからも、小説を通して陣家さんの生の言葉をたくさん届けて欲しいです。

あ、それと、気付いた範囲でいくつか誤記らしきものを。
>僕のスマホは“Wi-Machと”
→ 「”」の位置がおかしいかも?
>ハッキルというわけだ』「まあ、そのまんまな感じしますけど
→ 改行忘れでしょうか?
>看護士
→ 看護士、は旧法下における看護婦の男性版として用いられていた慣用語
  だったと記憶しています。現在は「看護師」で統一されているのでは?

ところで、
>わたしはいつのまにか嫉妬してたよ、スピン2に……。おかしいよね、自分で自分にジェラシーを感じるなんて……。
これはあれでしょうか。逆輸入、みたいな感じでしょうか?
(もしや、これこそリバースエンジニアリング?)
>消そうとするんだよ、相手を……殺し合うんだ……お互いを。そして生き残った方が本物になるんだ
私もここから着想を得たので、輸入を検討しています。許可をください。笑

最後になりますが、
>亜衣の本位を、いわゆるホワイダニットってヤツを
>あの時、亜衣が僕に酸素マスクをつけようとして延ばした左手の手首に残っていた傷跡が――致命傷的な大きな傷跡が、そんなに新しいものじゃないって分かった時から……。
ミステリ好きの私の期待にも応えて頂き、満足しました。見え透いたおべっか
というわけではなく、読みやすくて、でも読み応えのある素晴らしい作品だと
思います。陣家さんだから、というバイアスかかってるのは事実ですが。
(電脳空間に書き込んでいるのは感情を持った人間だし、仕方ないですよね)

ハッピーエンド・サーキュレーター(ご都合主義の布教者)の感想でした。
また、読ませてください。
総レス数 16  合計 360

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(必須)       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除