サクラにヤドルキモチ
 私は病院では誰とも出会いたくなかった。特に、ベッドで寝ている人とは。
 何故なら、ベッドで寝ている人が、そのまま死んでしまうこともある場所だから。
 その点、御葬式会場はまだ許せる。そこに横たわっている人は前もって死んでいるということを理解して入る場所であり、突然の悲しみに襲われる心配もない。
 そんなことを知らなかった十年前の私は、笑顔で病院に入り、病が急変して死んだ母を見てしまった。そんなことを考えなかった私は、葬式会場でただ泣いていた。

   ※

 ある春の日の昼下がり。猫が死んでいた。三毛猫だ。
 通学路のど真ん中、多くの学生が行き交っているが、多くの……いや、全員が横目で猫を見てはそのまま通り過ぎる。車にはねられたような外傷がないのでグロテスクではないものの、ガリガリにやせ細って倒れている猫を見るのは気分のいいものではないのだろう。誰もが一度外した視線を戻そうとはしない。私から少し離れた場所にいた男子学生は「嫌なもん見ちまった」とぼやいてそそくさと猫の横を通り過ぎていった。
 確かに、見て気持ちのいいものではない。
 私はカバンの中からビニール袋を一つ取り、右手にはめた。そして、その手で猫の首の部分を持ち、近くの植え込みの中にでも埋めようとしたのだが、
「ここに入れて」
 初めて見る短髪の男子学生がそう言って私の前にダンボール箱を差し出した。同じ学校の制服だが、上級生だろうか? 額に汗が浮かんでいて、息を切らしているところを見ると、ダンボール箱を探すため走り回っていたのかもしれない。
「……どうするの?」
 言われるがまま猫をダンボールに入れた私は、彼にそう訊ねた。
「とりあえず、供養。うち、神社だから。暇なら見ていく?」
 ダンボールの蓋を閉め、彼は
「……そんなに暇に見える?」
「少なくとも、可哀想な猫をほうっておけないくらいの時間はあると思ったんだけど」
「死んだ動物は可哀想じゃないよ。でも、この猫に家族がいて、自分の家族がこんなところで放っておかれているって知ったら可哀想かなって思って」
「現実主義なのか神秘主義なのかわからない台詞だね」
 そういい、男子学生はダンボールを抱えて歩いていく。
 私は結局のところ、彼についていってしまった。彼が思っている以上に私は暇だったから。
 彼の言う神社とは、母が生きていたころ秋祭りに行ったことのある神社だった。
「広いだろ? まぁ、俺は次男で兄さんが神学系の大学に行ってるから跡を継ぐ可能性は少ないけど」
 砂利の敷き詰められた道を歩きながら彼は笑いながら言った。これだけ広い神社なら、遺産問題とかもあるんだなぁと私は他人事として考え、
「あ、いま他人事だと思っただろ。一応だけど、俺と付き合うならそこのところよろしくって意味で言ったんだよ?」
 彼が予想以上に軽い男なんだと改めて知った。
「もしかして、猫のことも、女の子に優しい男性だと思われたいため?」
 私は少し意地悪な質問をぶつけてみた。すると、予想外にも、彼は頬をかきながら、
「……い、いや、そういうわけじゃ……いや、そう、そういうことにしておいてくれ」
 彼はそういい、ダンボールを置いて、「ちょっと待っててね」と言うと、彼は本殿脇のおそらく倉庫と思われる場所に入っていった。
 一人残された私は別に何をするでもなく、ただ周りを見ていた。
 人気のない神社でこの広い土地をみて、そういえば神社は固定資産税かからないんだっけ? などと考えつつ、最初から気になっていたそれを改めて見上げた。
 大きな神木。
 私が昔来た時は九月で、あの時には当然花など咲いていないから何の木かわからなかったが、今、満開の花をさかせているこの木を見て初めてそれが桜の木だということに気づいた。
「見るだけなら綺麗だろ?」
 彼が出てきた。見るだけ、という言葉の意味もすぐにわかった。
 彼が持っていたのは半透明のゴミ袋に詰められた桜の花びらだったから。
「これで燃やして供養しよう。さすがにこの時期は落ち葉もないし、かといって紙くずだけで燃やすのはちょっと可哀想だろ?」
 死者は悲しまないというのが私の考えだったが、あえて彼の考えを否定する必要はない。
「花びらが飛び散らないように簡単な囲いを作るんだ。燃えた花びらが本殿に燃え移ったら大変だからね」
 そういい、彼は穴を堀り、その周りに石を組み上げ、簡易の火葬場を作り上げた。穴の中には桜の花びらと猫が入ったダンボール箱が入れられている。
 わざわざ穴を掘って作ったのは埋めるのが楽からだろう。
「手伝ってくれてありがとうね、あやめちゃん」
「…………え?」
「覚えてないかな? 隣のクラスの楠祥矢(クスノキショウヤ)なんだけど。合同の体育の授業とかで見てない?」
「……覚えてない」
「そうか、なら覚えて帰ってね」
 どこかのデビューしたての(もしくは芸歴だけは長いけど認知度の低い)お笑い芸人コンビのようなことを言う彼――祥矢の名前を、私は覚えようと努力した。
 たぶん、明日までなら覚えていられるはず。
「じゃあ、燃やすね」
 そういい、彼は火のついたマッチをダンボールの上に置いた。火種はすぐにダンボールに燃え広がり、煙が立ち込める。
「さて、これで猫も成仏するだろ、あやめちゃんもありがとうね」
 笑顔で言う祥矢の声に、私は返事することができなかった。
「どうしたの?」
「あ……うん、多分だけど、成仏できてないと思う」
 幽霊否定派だった私の口から、成仏という単語がこんな感じに出てくる日はなかったと思う。
【うむ、成仏できにゃい】
 声は明らかに人間の言葉だった。だが、その言葉を発したのはおそらくだが――
【ワシを成仏させたければ、ロイヤル猫缶一年分をよこすのにゃ】
 丸々と太った猫が浮かんでいた。
「……成仏……できてないね」
 祥矢が振り向かずに嘆息を漏らす。
「……これ、本物?」
 私がそれを指差して訊ねた。
【これとは失礼だにゃ。ワシは雄猫の中の雄猫、名前はまだない】
 ますます胡散臭い。そもそも、三毛猫はほぼ全てメス猫と相場が決まっている。遺伝的な関係で、雄猫の三毛猫はレアなのだ。
「じゃあ、名前はサクラで」
 祥矢がめんどくさそうに名づけた。
【ワシは雄なのににゃにゆえサクラにゃんだ?】
「桜の花で燃やしたから」
【なんたる適当にゃ名付け方】
「よし、名前もつけたし、成仏しろ、サクラ」
 祥矢が追い払うかのように手を振る。その光景を見て、私はただ呆れていた。
「えっと祥矢……くん、驚かないの?」
「あぁ、慣れてるから」
 驚きの台詞だった。神社の息子ならば幽霊など日常茶飯事なのだろうか。
「よくあるの?」
「たまにね。猫を野ざらしにできなかったのも、ああいう状態だと悪霊化しやすいからなんだ」
【ワシは心優しい霊だから安心しにゃさい】
 サクラが胸を叩いて言い切る。
「……ねぇ、サクラはなんで成仏できないの?」
【いいところに気づいた、小娘よ。褒美にいいネズミの狩場を】
「いらない」
【ならば、ワシにできるお礼はない】
「いいから教えて」
【……ふむ、ワシはただ、死ぬ前にもう一度会いたかったおにゃごがおるのにゃ】
「おなごって、メス猫か? 死ぬ前に女に会いたいとはよっぽどの好きものだな」
 祥矢が呆れたように言う。彼が言っても説得力には欠けると思うが。
【そうじゃにゃい。いつも、ワシにおやつをくれる人間のおにゃごだにゃ。できることなら、彼女にもう一度会いたいのにゃ】
「よし、じゃあ手伝うよ」
 私はためらうことなくそうサクラに告げた。
   ※

 その女の子が餌をくれるという場所は、サクラが死んでいた場所の近くの公園だった。児童公園ではあるが、子供の姿は全く見えない。唯一の遊具であるブランコが風に揺れて音を立てていた。
「それにしても、よほどのお人好しだね。猫のためにそこまでするなんて」
「嫌ならこなくてもいいよ。それに、私はサクラのために頑張ってるんじゃない」
「まぁ、可愛い女の子って可能性もあるからな」
 私はそういい、公園にある唯一のベンチに腰掛けた。お尻から冷たい感触が伝わってくる。春とはいえ、まだ肌寒い季節は終わらないらしい。
 幸いなことに、待つのは僅か五分程度のkとおだった。
【来たにゃ! 来たにゃ!】
 サクラが騒ぎ出す。そして、確かに女性が来た。
「…………オナゴって、女の子って意味だよな」
「女性全般としても使われているから間違いじゃないよ」
 祥矢の考えを私が訂正する。そう、サクラは間違っていない。
 現れたのは一人の老婆だった。もう九十近いと思われ、年齢の半分くらいの角度だけ背中が曲がっている。
 年齢に加えて予想と違ったのは、全然優しそうに見えない目つきをしていた。
 公園にベンチがひとつしかないことに気づいた私と祥矢はすっと立ち上がり、
「よかったらどうぞ」
 と先に祥矢が声をかけた。
「ふん、ひとを年寄り扱いするんじゃないよ」
 そう怒鳴りつけ、それでもベンチに座った。
 とてもではないが、猫に餌をあげて喜ぶ人間には見えない。
(本当にこの婆さんなのか?)
【間違いないにゃ。このおにゃごだにゃ。いつも煮干をくれるにゃ】
 サクラ本人……いや、本猫が言うのだから彼女なのは確かだろう。
(ちょっと来て、あやめちゃん)
 祥矢が私を連れてお婆さんの視界の届かない場所に移動する。
「よし、サクラ、これで満足だろ? 成仏しろ」
【ダメにゃ】「ダメよ」
 私とサクラが同時に叫んだ。
「ちゃんと会ってお礼を伝えさせないと」
【そうにゃ。あのおにゃごにワシの最高のネズミの狩場を教えるにゃ】
「いや、それは無理だろ。だって、サクラ、お前幽霊だから婆さんには見えないぞ。それに、本当に婆さんがサクラを可愛がっていたとしたら、サクラが死んだと聞いてショックでポックリいくかもしれないぞ」
「だけど……でも、やっぱりダメだよ。このまま会わずに別れるなんて」
 このままだと、同じになってしまうから。
 あの時と同じになるから。
 そんなの、可哀想すぎるから。
【おい、おにゃご、ワシだにゃ! にぼしくれにゃ! またお話しようにゃ】
 サクラが飛び出していき、おばあさんの前でアピールをした。お婆さんはそんなサクラに気づく様子はない。
「…………ダメ……だよ」
 震える声が私から漏れる。
「あぁ……もう、バレたら親父に怒られるよ……ちょっと待ってろ」
 そういい、祥矢は何かふっきれたように走っていった。
 そして、再び戻ってくるまで、五分もかからなかった。
「それ、何?」
「神木の枝。折ったらバイ菌が入るかもしれないから、本当はダメなんだけどな」
 そういい、祥矢はお婆さんの前まで歩いていく。
「少しいいですか?」
 丁寧に祥矢がお婆さんに声をかける。
「なんだい、あたしは用はないよ」
「猫のことなんですが」
 お婆さんの顔色が変わったのが、少し離れた場所にいる私にもよくわかった。
「あの猫がどうしたんだい? 言っておくが、あれはあたしの猫じゃないよ」
【ワシは野良に誇りをもってるにゃ】
 サクラが自慢げに答える。
「知ってます。あなたが餌をあげていたことも。だから、お知らせしておこうと思いまして」
 少し間をおいて、祥矢は告げた。
「今日、亡くなりました。僕は神社の息子で、先に供養させていただきました」
「…………そうか、死んだのか、あの爺い猫」
 お婆さんが何かを考えているあいだに、祥矢がサクラに何かつぶやく。
 サクラは祥矢の持つ桜の枝に肉球を添えた。時間にして僅か数秒だったと思う。
「これ、あの猫が持っていたサクラの枝です。よかったら見てあげてください」
「……桜の枝をおるなんて、罰当たりな猫だよ」
 お婆さんは桜の枝を受け取り……そして……
「……あの馬鹿爺猫、あたしはそんなにやわじゃないよ」
 お婆さんはそう呟いた。その皺だらけの頬に、一筋の涙が流れ落ちた。
 そのお婆さんを見上げるサクラとお婆さんを残し、私と祥矢は神社へと戻っていった。

   ※

「神木は神様が宿る木であるっていうけど、神様だけじゃなくて心が宿る木なんだ。だから、あの枝だけでも十分にサクラの気持ちを乗せることはできた」
 神社に戻った私に、祥矢はそう説明してくれた。
 途中で放っていたサクラの埋葬を終えたときには、すでに陽も落ちかけていた。
「サクラがなんて伝えたかったのかは俺もしらないけど、きっとその気持ちは婆さんに伝わってると思うよ」
「……そうだよね」
 私はほっとして声を漏らした。そして、自分の気持ちを整理する意味を込めて、祥矢に話すことにした。
「小さい頃、お母さんが死んでね。幽霊でもいいから会いに来て欲しいって思ってたんだけど、結局は来てくれなかった」
 だから、私は幽霊なんていないと信じることにした。
 幽霊がいるのなら、きっと会いに来てくれると信じていたから。
「普通の人間に幽霊は見えないからな」
「そうだよね。サクラは見えたのにな」
 私は諦めたようにつぶやく。
「あやめの母さん、この神社に来たことはあるか?」
「……一度、私と一緒に」
「なら、神木、さわってみろよ。うちの御神木様は懐が広いから、きっと一度でもきた人の気持ちなら、伝えてくれるって」
「そうかな」
 私は快く騙されることにした。
 桜の木の幹に手を触れる。
 暖かい木の温度が、手のひらから体全体に広がってきた。昔、母に抱かれたときのような心地よさが。
「…………ありがとう、祥矢くん。なんか落ち着いたみたい」
「そうか……またいつでも来なよ。可愛い女性はいつでも歓迎だからさ」
 軽いノリで手を振る祥矢の後ろで、二十代の女性の人影が見えたような気がした。
 でも、きっと見間違いじゃないのだろうと思い、もう一度手を振って私は前を向いて歩き出した。


   ※※※※※

「いいんですか?」
 あやめが去ってしばらくして、俺は小さく呟いた。
「桜の花びらの煙をまとった今日のうちなら、貴女の姿も見えると思いますが」
 祥矢が振り向くと、そこに美人の女性が浮かんでいた。女性は横にいるサクラの頭を撫でて告げる。
【ええ、私の気持ちは御神木を通じてあの子に伝わったと思うから】
「そうですか? でも、いつでも来てくださいね。うちの神社は美人大歓迎ですから」
 そういうと、女性は大人らしい微笑を残し、サクラとともに煙のように消えた。
 一人残された俺が夕焼け空を見上げたら、風にゆられた御神木から桜の花びらが降ってきた。
 また、掃除が大変そうだ。
ウィル
2013年02月27日(水) 01時34分36秒 公開
■この作品の著作権はウィルさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
久しぶりの投稿です。
最後の部分は書こうかどうか迷って、結局書く事にしました。どうしても、ここは視点が変わってしまうので変な感じです。

この作品の感想をお寄せください。
No.3  白星奏夜  評価:30点  ■2013-04-26 20:17  ID:gykOglywmcY
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こんばんは、白星です。お久しぶりです。
冒頭が悲しい感じだったので、あれ雰囲気が変わったなあと思っていましたら、サクラ登場で軽快なかけ合いが出てきて、安心しました。楽しかったです。

最後、良い雰囲気で締められていたので、和みました。ただ、最初、主人公が男なのか女なのか、うまく読み取れない気がしました。自分を棚にあげて、好きに言ってごめんなさい。

桜は、個人的にも好きですし、モチーフとしても素晴らしいものなので、読んでいて、面白かったです。ありがとうございました。ではでは。
No.2  ウィル  評価:0点  ■2013-03-13 16:27  ID:DhirOQGQHkY
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クジラさま、感想ありがとうございます。
確かに、描写に関しては男の子に関しては少し書いていても、女の子の背格好はあまりわからないですね。一人称小説とはいえ、もう少し描写のしようがあったなぁと反省しました。
No.1  クジラ  評価:20点  ■2013-03-10 07:55  ID:52PnvSC7.hs
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分かりやすいストーリーでした。
特に違和感なく読むことができました。

ただ文章が荒いです。
それと登場人物の外見が分からないのも残念です。
総レス数 3  合計 50

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