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 高速回転する赤と黒の盤を見ていた。カッカッと白い玉が跳ねる度、その軌道は変わり、その玉が落ち着くべき所は未だ定まらない。ありえない。あるはずがない。そう私は繰り返し呟いている。外れる可能性は百万分の一。そこさえ、そのただ一箇所の溝にさえ止まらなければ、全ては上手くいくのだ。
 口の中がざらついている。手は強張って小刻みに震え、体中の毛穴から汗粒が沁みだす。人生でただの一度にして最大の賭け。それに私は全てを賭けた。勝率が限りなく百パーセントに近い賭けに、私が掛けられる最大級のものを掛けたのだ。外れるはずがない。しかし、もし外れたら――。
 ルーレット盤の後ろに立つ黒衣の男が、私の様子を微笑を浮かべて覗っていた。

 余命三ヶ月という意味を考えていた。医師が告げた言葉であり、私の娘の病状に対して告げられた言葉だ。
 診察室に呼ばれた時、嫌な予感はあった。私の娘は生れ落ちたその時から特異な病を患い、病院でその人生の全てを過ごしている。小康状態と悪化を繰り返しながら、少しずつ成長していった。娘の九歳という年齢としてはあまりに線が細く、身長も低い。それでも私は娘の成長を心から喜んでいた。その娘の余命が三ヶ月だという。
「余命三ヶ月」
 独り、病院のロビーにあるソファにうな垂れるように腰掛け、なんどとなく呟いていた。あと三ヶ月の命。では三ヶ月後にあるものはなんだ。娘を残して妻は逝った。娘を頼むといいつつこの世を去った。私はその言葉だけを胸に、働き、病院に通い、娘を励まし、己を励まし、今まで生きてきたのだ。
「余命三ヶ月」
 また呟く。数十回と呟くと、その言葉の意味が私に重くのしかかってきた。娘が死ぬ――ということではないか。娘が死んで、私は独りになる。独りでどうする? それでも私は生きるのか。何のために生きていく。何のために生きてその果てに死ぬ。娘は何のために今まで闘病してきた。薬の副作用に耐え、味気ない病院食を食べ続け、恋もせず、人生をなんら謳歌することなく、儚く逝くのか。一体娘の人生とはなんだったのだ。私はこれから娘に何をしてやれる。どうやって最期を看取り、どんな顔でこれからその病室のドアを叩くのか。
 ソファの向かいにあるテレビがかましく騒ぎ立てている。特産物の紹介をレポーターがしており、美味いだの、なんだのと笑みを浮かべている。その笑みが無性にうっとうしくてたまらず、リモコンの電源ボタンを押そうとする時、私の肩に手が置かれた。
 振り向けば五十歳ほどの男が立っていた。黒いコートを着込んだその姿が喪服じみて見えるのは、私が死に敏感になっているせいだろうか。男は快心といえる笑みを浮かべて、ハの字になった口ひげを歪めた。
「お困りなご様子ですな」
 男がそう言ったからといって、今の私にどんな対応ができるだろう。私は返す言葉もなく、相槌を打つこともうなずくこともなく、ただ男を眺めていた。
「あなたのような御人を探していました。どうでしょう、私と賭けをしてみませんか?」
 この男は何を嬉々と喋っているのか。私をからかって、一体何が楽しいというのか。いい加減に腹が立ち始めた私が、男の胸倉を掴もうする直前、男が告げた言葉が私の胸を貫いた。
「あなたが勝てば、娘さんの命、そう、彼女が平均寿命まで生きられることを保障しましょう」
「馬鹿な」
「ほう、そう仰る。しかし、藁をもすがる思いでいるというのが、あなたの本心ではありませんかな。信じろといっても無理からぬことではありますが、私にはそれだけの力がある。神や悪魔の類といって良いでしょう。私の姿が見えるのはあなただけだ。自分でいうのもおかしいことですが、私の装いは病院にそぐわない。誰にも止められずここまで来たのが、私がそういった類のものである証です」
 無言で男の話を聞いていた私を、黒衣の男は値踏みするように観察している。
「では、信じられるだけの力をお見せしましょう。なーに、ほんの子供だましほどのことですよ」

 暗転。

 男が指を鳴らした刹那、私は暗黒の世界の中にたたずんでいた。周囲にはきらめく光。振り返れば、黒衣の男がそこにおり、その先に、あざやかな球体が見えた。見覚えがある。テレビや学校の教科書で衛星写真として見る、青の星。私がいるはずの星。
「少々手を回しておりますので、あなたが真空の宇宙で息絶えることはありません。正確に言えば、あなたの意識をつれてきた」
「あんたは一体?」
 状況を理解しきれぬままに私が問いかけると、男はクククと笑う。
「先ほど申したでしょう。神や悪魔の類です」
 信じられるはずはない。だが、私はいったいどう思えばいいのだろう。幻覚? 催眠術? しかし、現に私はこうして大気に覆われた我が母星を見ている。
 藁をもすがる思い、と先ほど男は言ったが、それに間違いはない。私はどんなことをしても、娘の命が繋がれる可能性がある限りはそれを為そうと思っている。それが事実であるならば、私はこの男の力にさえすがってみるべきではないのか。
「どうやら、私の話を聞く耳を持っていただけた様子。よろしい、よろしい。あなたの願い、条件付きで叶えましょう。その条件とは、私を賭けをすること。あなたが勝てば娘さんの命が保障される。私が勝てば、あなたから賭けた何かをいただく」
「一体何を賭ければいい? なんでもいい、金でも、私の命すら」
「結構、結構。その心意気やよし、といったところですかな。しかし、私はあいにくそんなものを欲してはいない。私が欲するのは――」
 男が指差した先に、青の星、地球があった。
「地球を賭けろと?」
「ええ、その通り。私にとってはあの星も数あるうちの星のひとつ。あなたにあの星の代表者として、私と勝負していただきたいのですよ」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことできるわけが……」
 話にならない、と切り捨てようとするのを見計らったように、男はある数字を私に告げた。
「あなたが負ける確率は百万分の一。勝率は限りなく百パーセントに近い。それでもこの賭けから降りますか?」
「どうせいかさまを……」
「あいにく、いかさまで手に入れられるなら、こんな面倒なことは致しませんよ。私には長い寿命がありましてね、たまに分の悪い賭けをしてみたくなる。負けるはずのない勝負をするだけで、あなたの最大の願いが叶えられる。それでもあなたはこの勝負降りますか?」
 そう言われて私にどう反論できるだろう。娘がいない世界などそもそも私には価値がないのだ。どこまで信じきれるものかわからないが、確かにこの男は特殊な存在で、それに応じた力を持つのだろう。であるなら――。
「分かった。その賭けに乗る。どんなことをすればいい。百万分の一でしか負けない勝負とはなんだ?」
「そうですね。ルーレットをしましょう」
「ルーレット? それでどうやってそんな勝率が約束される?」
「ご安心を。特注品を用意します」
 そういって男は今一度指を鳴らす。瞬きをしたあとには、そこに巨大なルーレットが現れていた。
 東京ドームほどの大きさのルーレットがその円周を私の眼前まで広げて存在している。
「ちょうど百万の溝が掘られています。外れとなるのは、この一箇所のみ」
 男が指差した先には、緑のみぞがあった。
「ルーレットが回転し、あなたが玉を投げ入れる。それが最後に緑の箇所に入らなければあなたの勝ちです。あなたの願いは必ずや叶えましょう。その代わり、万が一にもあなたが敗れた場合は、あの星の命運、私が握ります。どうするかはまだ決めていませんが、さぞかし楽しいことをしたいと考えておりますよ」
 私は男の口ぶりに身の毛がよだつものを感じながらも、「分かった。乗る」と二言告げた。
「よろしい」
 ルーレットが回転を始める。高速回転しており、緑の溝がどこにあったかはもう分からない。白い玉を握りこんだ手が痙攣するように震えていた。それでも負けるはずはないと、渡された白い玉を、ルーレットの中心めがけて投げつけた。
「これで賭けは成立しました」
 男はおかしくてたまらないといった風にくすくすと笑う。
「そういえば、あなた、百万分の一という数字が他にどういった確率として計算されたものかご存知でしょうか?」
「知るはずもない」
「核爆弾実験の前、その爆発が大気さえも吹き飛ばし、地球上の生命が滅びてしまう可能性を予測したものです。それが百万分の一。大変興味深い。人類の生存と、科学の発展を天秤にかけ、当時の科学者はその賭けにでた。その結果はかれらを生かしはしましたが、仮に並列世界が百万あれば、そのうちのひとつは滅んでいるかもしれないのです」
「つまり何がいいたい」
「気づきませんか? あなたもそうした類の人だということです。娘さえ助かれば、この星がどうなろうと知ったことではない。ヒューマニズムの真の意味とはなんでしょうな」
 私はいつしか汗を掻いていた。負けるはずのないかけ。しかし、その本当の意味を私は考えていたのか。
 私は不安に潰れそうな気持ちでいると、ルーレットがその回転速度を緩め始めていた。
「さあ、勝つのはどちらかな。ふふふ」
 男が何か言うたびに私は息が止まりそうになる。緊張で立ちくらみを起こしそうだった。
 ようやく静止に近づくルーレット盤をみたとき――

「大丈夫ですか?」
 そう声をかけてきたのは、看護婦だった。
 ここは? そう思って見渡すと、病院のロビーがあたりまえのように広がっている。
「うなされているようでしたから、声をかけました」
 そう告げる看護婦の横目に、あの男を捜しても、その姿は見えない。
 夢、夢だったというのか?

 あれから二ヶ月半たって、娘はまだ生きている。心なしか回復しているらしく、その声が弾んでいた。
 あの賭けが成立していたとするなら、最後にルーレットにとまったのは緑以外のみぞだったのか。
 あと半月たって、娘が亡くなったとき、私は賭けにまけ、さらにこの星の命運をかの男にゆだねたことになる。
 私は娘を今日も励ます。あってはならない、あってはならない、と心で繰り返しながら。
片桐秀和
2011年08月21日(日) 21時58分50秒 公開
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■作者からのメッセージ
日曜の昼間っから三語なんて! といいつつ参加する三語――より

 お題は以下の中から三つ以上使用してください。

「螺旋階段でキス」「悪魔」「あざやかな球体」「火花」「ざらつく」


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