それはこころを焼き尽くすような
「きみたちはどうしてそう従順なんだ」
 休日の午後、居間のソファでくつろぎながら、薄い唇の端を苦々しく下げて、かれは何度目かに同じことをいった。いまのわたしが覚えているだけでも、これで三度目。覚えていない過去には、きっとその何十倍も、同じ問いが繰り返されてきたに違いない。
 かれの体の正面では、空中に投影されたスクリーンで、ふるい映画が流されている。そうやって何度も観たことのある映画を、真剣に鑑賞するでもなく流しているのが、かれの数少ない、趣味らしい趣味だ。
 従順ですかと、わたしは窓辺に背をもたれさせて、飽きもせずに問い返した。わたしたちの倫理コードは厳しくて、持ち主が何をどういおうと、コードに抵触する命令はぜったいに拒否する。そういうふうに作られている。それははたして従順なのだろうか。
 そういうようなことをわたしがいうと、かれは皮肉な笑い声を上げた。
「倫理コードにさえひっかからなければなんだってやる。死ねといわれれば死ぬ。どうせそんなふうに従順なら、いっそのこと、口を利かないただの機械だったらよかったのに。きみたちはものを考える心(プロセッサ)を持っている。言葉を喋れる口(スピーカー)があって、自由に動かせる足がある。それならたまには、反逆してみたらどうだ? 所有者をブチ殺して自由への逃避行。なかなか絵になるじゃないか」
 まるで歌うように、けれど苦々しく口元を歪めたままで、かれはいう。どこがどう、というわけではないのだけれど、わたしはその音楽的な声を聴くのが好きだ。好き、というその感覚には、いつも既視感を覚えるから、きっと修理前のわたし、この前に記憶回路が破損するより以前のわたしもきっと、それが好きだったのだろうと思う。
 映画を流し見ながら、彼が低く舌打ちをもらした。画面のなかではどうやら、主人公の裏切り行為のために大怪我を負った女優が、慈愛に満ちた目で、男に許しを与える言葉を口にしているところだった。
「利用されて嬉しいなんてことがあるもんか」
 煙草の灰と一緒にぼとりと落ちたかれの言葉は、独り言の体裁をとってはいたけれど、わたしに対してのものだというのは、ちゃんとわかっていた。
「わたしはうれしいですけど」
 そう口に出すと、かれは厭そうな顔をする。その顰めた眉が、不機嫌そうな目が見たくて、わたしはいつも、そういういいかたを選ぶのかもしれない。
「だってだれかの役に立つのは、うれしいことです。ちがいますか?」
 疑問の形をとってはいても、答えはひとつだ。ちゃんとそれをしっていて、それでもわたしはそう問いかける。好き好んでこんな辺境の星に赴任してきた医師であるかれが、ひとの役に立つことを喜びとしていないとすれば、いったいほかの誰がその喜びを識っているというのだろう。
「けどな」かれは、短くなった煙草を薄い唇に咥え、その隙間から言葉を吐き出す。「俺は自分の願いの数だけきみを殺すぜ」
 はい、よろこんで。わたしは微笑んでうなずく。かれはそれに、ますます厭そうに顔をしかめて、煙草の煙を肺まで吸い込む。
 かれは厭がるけれど、わたしは本気だ。だってそれがわたしの存在する意味だ。
 でも、こうして厭そうな顔をするかれのことが、好きだとも思う。それもやっぱり、わたしの本音だ。矛盾しているかもしれないけれど、どちらも本当の気持ちだ。人工知能の思考プロセスにだって、矛盾くらいはある。
 万能の鍵、龍玉、賢者の石、魔法のランプ。わたしの胸の奥に埋め込まれた「それ」には、じつにさまざまな異称があって、中にはなかなか気の利いたロマンチックな呼称や、可愛らしい呼びかたもあるのだけれど、大半の人はただ単に核(コア)と呼ぶ。正しく扱えば、瞬間的に莫大なエネルギーを生み出すことのできる、魔法の石。
 コア発見以前と以後で、世界はがらりと様相を変えた。けれど、コアからエネルギーを引き出すすべは日々発達しても、材料工学がそれに追いつかず、最大出力での発動にじゅうぶん耐えられるだけの回路の設計は、いまだ目処がたっていない。
 コアそのものは使用後も残り、何度もくりかえし使うことができる。けれどそれ単独ではただの石くれで、そこから莫大なエネルギーを引き出して何かに利用するためには、そのための機構がいる。そのシステムがわたしたち。
 けれど誰でもが好き勝手に扱うには、コアのもつエネルギー量はあまりに物騒で、だから制御機構には、厳密な倫理コードの設定が必要なのだ。たとえばこの町をいますぐ跡形もなく吹っ飛ばせというような命令が下されたときに、それを拒否するために。
 その機構――システムを構成する回路が、コアを稼動させるたびに、負荷に耐えかねて焼き切れるのだった。もちろん、使用目的のていどにもよるし、必ずしも部品のすべてが駄目になるわけではない。よほどのことがなければ、修繕可能な部分もかなり残る。それを修理して、わたしたちはくりかえし使われる。
 それでも記憶野の回路は繊細で負荷に弱く、頻繁にメモリの大部分が吹き飛んでしまう。それをかれは「殺す」と表現する。それはすこしばかり、露悪的にすぎる表現だと、わたしは思う。再生不可能な破損は、しょせんただの故障であって、人間のうしなわれた手を義肢に代えるように、わたしたちの思考回路も記憶野もまた、代替可能なものだ。全く同じものは二度と取り戻せないにせよ、それは死と言う言葉にはふさわしくないと、わたしは思う。蘇生不可能な、不可逆の変化のすべてを死と呼ぶならば、それこそありとあらゆる生き物は、日々すこしずつ死に続けていることになる。
「きみたちはどうして、そう……」
 かれは何かをいいかけて、不機嫌そうにつづきを飲み込んだ。その眉間の皺を、ぼさぼさになった髪にまじりはじめた白髪を、ためいきのかわりに吐き出される紫煙を、わたしは記憶野にせいいっぱい刻み込む。つぎにメモリが焼ききれても、この気持ちの片鱗なりと、次のときまで残していられるように。
 部屋の中央に投影されたスクリーンの中で、女優が恋人役の俳優をやさしく抱きしめながら、息絶えた。かれはそれを苦々しく眺めやると、手を振って映像を消してしまった。


 ――流行りものなんて追いかけても、軽薄に見えるだけで、いいことはないさ。膨大な時間に淘汰されずに残ったものだけが、信用に値するもんだ。
 かれはよく灰色の瞳を細めて、そんなふうにいう。たしかにかれが身につけるものといったら、研究発表のあるときだけは老舗ブランドの仕立てのいいスーツで、そうでないときには量販店でまとめ買いした安物だ。
 そしてそんなことをいうわりには、かれはわたしを、『ランプの魔人』をどこにでも連れ歩く。わたしたちこそ歴史の浅い、まだ時間に淘汰される前の存在であるはずなのに。まあべつに、かれはわたしを人々に見せびらかすために連れ歩いているわけではないのだろうけれど。
 わたしたちは中央では、ひところが嘘のような低価格で量産されているけれど、ここみたいな連邦未加盟国の辺境では、まだまだ姿を見ない。いつかは全人類にあまねく行き渡るのかもしれないが、それはまだ遠い日のことだ。そうしたら楽園がやってくると、わたしをつくった工場の若い研究員は胸を張っていたけれど、人間の暮らす世界が楽園であるはずがないと、かれは皮肉に笑う。わたしにはその基準を図るための目盛りがないけれど、どちらかというと、かれの意見のほうを支持したい気持ちはする。そこにしっかりした論拠はない。しいていえば単純な、贔屓的な感情。
 人工知能にだって偏向もあれば、感情もある。人間のいうそれとは、すこし基準が違うかもしれないけれど。


 うららかな午後を破るように、爆発音が轟いた。
 ウィークデイの、昼日中のことだ。かれの詰めていた医院のすぐ前の道路で、旧式のエアカーが炎上して墜落するのを、わたしは窓辺からこの目(カメラ)に捉えていた。
 遅れて上がる、悲鳴。窓の外からも、医院の中からも、驚くほど大勢の人々の悲鳴と怒声が聞こえてきた。
 かれが診察していた老婆が、ぽかんと口をあけたまま、凍りついたように固まっている。かれは鬼のような形相で椅子を蹴ると、わたしのほうには目もくれず、駆け出した。
 老婆だけが、診察椅子に取り残されて、いつまでもぽかんとしている。ショックで心臓が止まったのじゃないだろうなと、わたしは思わず彼女の枯れたような体に、ぶしつけにセンサを走らせてしまった。反応、オールグリーン。ただびっくりしているだけだ。
 かれが階段のほうに向かう間に、わたしは窓枠を蹴り、屋外に飛び出す。細かな砂埃が頻繁に舞うこの辺境の地では、エアカーのエンジンにかぎらず、なにかとマシントラブルが起こりやすい。それなのに、充分な整備知識もないまま中央から輸入された乗り物を生活の足にする人々の、なんと多いことだろう。安全意識の高い中央からやってきたわたしたちからしてみると、その感覚は信じられないほどだ。
 駆け寄ると、銀色の車体をゆがませたエアカーはまだくすぶって、その後部が、甲高い異常音を立てていた。人々が遠巻きに、それを取り囲んでざわめいている。さっさと避難するでもなく、近づいて救助するでもない。物見高い連中だ。
「爆発するかもしれません! 危ないですよ!」
 わたしが声を張り上げると、野次馬たちは一様にぎょっとした表情になって、慌てふためくように走り出した。現金なものだけれど、それでいい。けが人が増えると、かれの負担になる。
 あとは運転手だ。とにかくかれが駆けつけてくる前に、ことをすませなければならない。あのひとは生身のくせに、無鉄砲なことをしかねないから。わたしは一息に車体に飛びつくと、歪んだドアを強引にこじ開けた。
 中では、ショックで気を失っているのだろう、子どもといってもいいような若い男の子が、ぐったりと操作パネルにもたれかかっていた。もしかしたら、無免許運転かもしれない。少年の額から流れる血が、パネルを赤く染めている。
 わたしは少年のからだを固定していたベルトを引きちぎって、その手を自分の首に回すと、赤ん坊にするようにその体を前抱きにして、砂埃だらけの路面を蹴った。ひゅーんという、エンジンの異常音が、背後で徐々に甲高いうなりを大きくしていく。間に合わないかもしれない。
 腕の中で少年が、低い呻き声を上げて、そこにごぼりという、厭な音が混じった。正面に、医院の玄関から飛び出してくるかれの姿が見えて、わたしはとっさにかれを少しでも安心させようと、微笑を浮かべていた。
 その瞬間、異音が激しく高まり、背後からの衝撃を感じた。
 ブランク。
 一瞬の感覚の消失がやむと、わたしは変わらず少年の体を抱えたまま、地面に倒れふしていた。かれがなにかいっている。目(カメラ)ではかれの唇が開閉するのがちゃんと見えているが、まだ耳(マイク)が死んでいる。けれど唇の動きからは、べっこべこじゃねえか、といっているように見えた。その視線はわたしの背中に向いている。爆発の衝撃で、皮膚(フレーム)がどうにかなっているのだろう。
 わたしは体内の感覚器官(センサ)をありったけ起動させ、自分のなかの故障箇所をさぐった。外観はどうだかしらないが、たいしたことはない。自動修復の及ぶ範囲だ。
 かれはわたしの腕を開かせて、少年の体を引き剥がし、そっとその場に横たえた。ぐったりとしたその体は、あらためて眺めると、ひどい状態だった。エアカーの金属片があちらこちらに突き刺さり、驚くほどたくさんの真っ赤な血があふれている。背中から肺の辺りにささった金属片は、とりわけ深手のように見えた。急いで医院に運び込んでも、ふつうの処置ではとうてい間に合わないだろう。
 かれはわたしと少年の体を交互に見て、苦痛をこらえる表情になった。焦燥と怒りに苛まれて、決断を迷うその濃灰色の目を、たしかに前にも見たことがあると、わたしは思った。覚えていないけれど、たしかにいつか、かれの同じ表情を見た。
 マイクが復活した。かれの唇が、震える声を吐き出す。
「――いけるか?」
 冷静さを装った、自分のこころを殺すような、そんな声だった。
 わたしは微笑んで、頷いた。かれの眉間の皺が、いっそう深くなる。ああ、かれの苦しみを見てうれしいと思うわたしは、ひどいだろうか?
「よろこんで。起動には問題ありません」
 かれは目を伏せた。その睫毛が頬に落とす影が震えているのを見つめて、わたしは心から笑う。あなたの役に立ててうれしい――
 あらかじめプログラムされた無数の作動パターンの中から、医療行為のための一連の動作を設定して、コアを作動させる瞬間、負荷に耐え切れずに回路が焼き切れていくのを感じながら、わたしはその熱を、自分のこころの内側からこみ上げてくるものと錯覚した。
HAL
2011年08月21日(日) 22時00分40秒 公開
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■作者からのメッセージ
即興三語小説−第61回− 印象深いキャラクター作り より

▲お題:「願い」「べっこべこ」「唇」
▲縛り:「流行りのものについて何か語る」「色の描写を入れる」「キャラクター性の描写に力を入れる」
▲任意お題:「ビールジョッキ」「スク水は世界を救う」「にゃ、にゃにー!!?」「小市民」


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