戦線と戦線の間
 一九時四八分、『彼女』は一軒のスーパーの前に立っていた。腕時計を睨み、約束の時刻までまだ少しあることを確認する。
「二〇時〇〇分(フタマルマルマル)だったな」
 小さく呟いて、焦げ茶色のアーミーブーツに視線を落とす。訪問に適した履物ではないが、それを言うなら迷彩色のジャケットとパンツはそれ以上だった。軍属の身には正装する機会などそうあるものではなく、そういった服装を持ち合わせていないのは道理と言えた。
 時間になって、スーパーの中からひとりの女性が出てきた。小柄な体に紫色の瞳、蜂蜜色のカーリーヘアーという外見は、セレン族の特徴だった。外で立ち尽くしている彼女に目を止めると、
「どうぞ、お入りください」
 無表情にそう言った。拒絶の意思はないが、さりとて歓待しているでもない様子だった。彼女は控え目な困り顔で、
「店の方はもう良いのですか」
「ええ、閉店の時刻ですから。片付けようにも、ほとんど品物はありませんし」
 女性の言う通り、店内は閑散としていた。店の外で小一時間ほど彼女が待っていた間も、客はひとりも訪れては来なかった。大きな街に構えられた店だというのに、こんな時刻に閉店してしまう原因は物資の乏しさにあった。戦時中ともなれば致し方ないことではあるが、戦争がなくても乏しいことにかわりはなかった。その解消の為に、彼女を含めた軍は侵攻を続けている。
「ご連絡差し上げた通り、お伝えに来ました。フェンの最期を」
 彼女の言葉に、女性は目を伏せる。その様子に溜息を吐きたくなるのを、彼女はどうにか堪えた。
 損な役回りだが、誰かがやらねばならない。そしてそれをやるのは、本人に託された彼女でなければならなかった。お互いに、もし戦地で倒れることがあれば、遺された者にその最期を伝えることを約束した仲だ。そして、それ以外の託されたものを伝えられるのも彼女だけだった。
 手のひらサイズの、ヘクテ族。まるで妖精のように背中の翅で飛び回る存在は、彼女のいた湿地帯のような戦地では、斥候として無類の有用さを発揮した。翼竜族や鳥人族では、羽音で敵に発見されてしまう。その点、ヘクテ族のような小さな種族ならば、沼を掻き分ける音も風を切る音も立てずに、偵察が可能だ。湿地帯に籠ってゲリラ戦を仕掛けてくる相手を確実に撃滅してゆく為には、ヘクテ族の力は不可欠だった。
 そのヘクテ族のひとりであるフェンは、彼女の部隊にいた。彼女とフェンとは戦友以上の絆で結ばれていた。束の間の休息に、フェンは自らのことを彼女に語った。フェンが新婚であること、ヘクテ族は性交を頼りとしない、単性生殖で子孫を残す種族であるために雌雄の概念が無いこと、伴侶であるセレン族は女性しか存在せず、他の種族から子種を貰わねば繁殖が出来ないこと。そんなヘクテ族とセレン族が結婚をするのは変ではないか、彼女に意見を求めてきたりもした。
「変かどうかはわからない。でも、愛し合っているのならば、悪いことではないと思う。生きて帰ろうという動機にもなるだろう」
 彼女がそう答えると、フェンははにかんで見せた。そして、彼女にもしもの時のことを託し、彼女もフェンに同様の意味のことを託した。彼女がフェンに託したのは形見になりそうな弟の写真入りのロケットだったが、フェンが彼女に託したのは物質的なものではなかった。それは彼女にそっと口づけをしたことで、託された。
 その翌日、斥候として部隊の先陣を切っていたフェンは、銃弾に倒れた。視界の遠くでそれを認めた彼女は思わず駆け寄ろうとしたが、すぐ後ろにいた戦友に羽交い締めにされてそれを止められた。なおも取り縋ろうとする彼女を、他の戦友たちは躊躇無く殴りつけた。沼地に倒れ込んでゆっくりと沈みゆくフェン同様に、彼女も泥に塗れながら必死に手を伸ばした。フェンの名を呼ぼうとしたが、さらに拳や蹴りの嵐に包まれて、彼女の意識は、酸鼻に満ち猖獗を極めた世界から遠ざかった。
 白皙の美貌だとフェンが褒めたその顔も、今や鼻梁は僅かに曲がり、頬の傷もいくつかは消えずにいた。彼女と同じ部隊の同じ人間族であるヒューイットは、
「完璧なものより、少し隙がある方が映えるんだよ。カワイコちゃんが口元に食べカスくっつけてっとよりカワイコちゃんになる」
 彼なりに慰めていたのだろうが、薄れゆく記憶の中では、鼻っ柱に強烈な一撃をくれたのは他ならぬヒューイットだったような気がして、彼女は苦笑いをする以外になかった。もっとも、今では戦友たちの判断は間違っていなかったと思っている。あのまま飛び出していれば、フェンと同じ運命を辿っていたことは想像に難くなかった。
「フェンの最期は、斯様に立派でした。それから、フェンがあなたに遺したものを今から伝えます」
 彼女はジャケットもブーツも、そしてパンツすらも次々と脱いでいった。目を丸くするセレン族の女性の前で一糸纏わぬ姿になると、背を向けて強くフェンのことを想う。
 人間族である筈の彼女の背から、フェンのような翅が生えた。本来ならば伴侶の為に使ってやりたかっただろうヘクテ族の力は、彼女に託されていた。
「あなたが空を飛びたがっていたことを、フェンは話してくれました。そして、生涯に一度しか使えない力を私に託してしまったことをあなたに謝ってくれとも。最後に、あなたを背に乗せて大空を駆けて欲しいと」
 フェンが言うには、この翅が力を発揮するのはせいぜい一週間が限界であるとのことだった。彼女は与えられた休暇である一週間を全て使って、フェンとその伴侶の願いを叶えてやりたかった。
「……ありがとうございます。フェンもあなたのような戦友の傍で果てたこと、幸せだったと思います」
 セレン族の女性が涙を堪えて彼女の背中に静かに乗ると、開け放たれた店の扉から風のように、彼女が飛び出した。
 舞い上がると、眼下では人間族とセレン族のこどもたちが囃し立てていた。あの笑顔を護る為に、彼女は戦っているのだ。
 実のところ、それでも羞恥心を捨て切れていない彼女は、自らを鼓舞するように言い聞かせる。戦友の為ならば、何を恥じることがあるだろうか。
 裸で何が悪い。
脳舞
2010年02月10日(水) 23時04分19秒 公開
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■作者からのメッセージ
即興三語小説――第2回より

▲必須お題
「困り顔」「手のひらサイズ」「一週間が限界」

▲縛り
 最初の一文を「一九時四八分、『彼女』は一軒のスーパーの前に立っていた」で始め、最後の一文「裸で何が悪い」で終わること。

▲任意お題
「金魚すくい」「可愛いと思うのです」「もなか」


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